データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 福田総理大臣のマニラにおけるスピーチ(わが国の東南アジア政策)(福田ドクトリン演説)

[場所] マニラ(マニラ・ホテル)
[年月日] 1977年8月18日
[出典] 外交青書22号、326‐330頁.
[備考] 
[全文]

マルコス大統領閣下、イメルダ・マルコス夫人、御列席の皆様

一、 クアラルンプールでの首脳会談出席に始まつた私の東南アジア諸国訪問もいよいよその終りに近づきました。今、わが国と最も近い隣国である、ここフィリピンにおいて、アジアにおける最も傑出した指導者の一人であり、私の親しい友人であるマルコス大統領閣下の御出席を得て、今回の旅行をしめくくる意味で私の所信を表明する機会を得ましたことは、私の非常な喜びとするところであります。

二、 私は、まず今回の歴訪を通じて得た私の率直な印象からお話を始めたいと存じます。

 それは、この地域の「多様性」ということであります。私の歴訪した地域は、人種、言語、宗教、文化はもとより、その歴史的背景についても、また経済構造の面でも、まことに多様な様相を呈しております。東南アジアは、決して同質的、画一的な地域ではありません。したがつて、この地域における域内協力の可能性について一部に懐疑的な見方があつたとしても無理からぬことであつたかも知れません。

 しかしながら、このたび創立十周年を迎えた東南アジア諸国連合(ASEAN)は、この地域の自主的な地域協力機構として、着実に、その地歩を固めつつあります。とりわけ、バリ島における第一回首脳会議はASEANの連帯への志向を前進させる点で画期的でありました。更に今回の首脳会議の成功によつて、ASEAN諸国間の連帯への意思は定着したと言えるかと思います。

 ASEANは、まさに、その加盟各国の豊かな多様性を肯定し、その誇り高いナショナリズムを尊重しつつ、連帯の強化を通じて、この地域の一体性を求めようとする歴史的な、そして成功しつつある試みであります。私は、クアラルンプールで会談した加盟国首脳のASEANの連帯に寄せられる情熱をこのような創造的な努力の現われとして理解し、評価したのであります。

三、 ASEANという協力の場における共同作業を通じて共通の利益が生れ、それによつて強められた連帯が、次の協力のための計画を可能にする‐この繰返しが、ASEANの将来の歩みであろうと思います。その連帯への歩みは、より同質性の高い地域、例えば欧州と比較するとき、時には遅く、時には多くの逡巡を伴うこととなるかも知れません。

 私は、ここで、ASEAN諸国の指導者と国民の皆様に一つのお約束を致します。それは、日本の政府と国民は、ASEANの連帯と強靱性強化への努力に対し決しで懐疑的な傍観者とはならず、ASEANとともに歩む「良き協力者」であり続けるであろうということであります。

ASEAN諸国の政府首脳は、今般の会談において、日本をASEANの「とくに親しい友人」であると呼ばれました。順境においてのみならず、逆境においても、理解と友情の手を差し伸べるのが、真の友人であります。日本は、ASEANにとつて、そのような友人でありたいと望みます。

四、 御列席の皆様

 ここで、私は、今日の日本が、就中アジアにおいて、どのような姿勢で、他の国々との関係を築こうとしているかについて一言申し述べ、皆様の御理解を得たいと考えます。

 第二次大戦後三十年の間、日本国民は、自由と民主主義に立脚した社会の建設のために努力を重ねて参りました。この間に、我が国は、この開かれた社会体制の下で一億一千万人の国民と五千億ドルを超える国民総生産を擁するまでに成長し、世界経済の成長と発展に積極的に協力する意思と能力を併せもつに至つたのであります。

 過去の歴史をみれば、経済的な大国は、常に同時に軍事的な大国でもありました。しかし、我が国は、諸国民の公正と信義に信頼してその安全と生存を保持しようという歴史上かつて例をみない理想を掲げ、軍事大国への道は選ばないことを決意いたしました。そして、核兵器をつくる経済的、技術的能力を持ちながらも、かかる兵器を持つことをあえて拒否しているのであります。

 これは、史上類例を見ない実験への挑戦であります。同時に人口稠密で資源に乏しく、海外諸国との交流と協調を必要とする我が国にとつてはこれ以外の選択はありえないのであります。私は、このような日本の選択こそはアジアの地域、ひいては世界全体の基本的な利益にも資するものであると信じます。我が国が、近隣のいずれの国に対しても軍事的にはもちろんのこと、その他いかなる形であれ、他国を脅かすような存在ではなく、その持てる力を専ら国の内外における平和的な建設と繁栄のために向けようと志す国柄であること‐われわれは、このような日本の在り方こそが世界における安定勢力として世界の平和、安定及び発展に貢献しうる道であると確信いたします。

五、 私が常々申しているとおり、今日、人々は協調と連帯以外に生きる道のない時代に生きております。人間は一人で生きていくわけにはまいりません。一人一人の人間が、生まれながらのそれぞれの才能を伸ばし、その伸ばした才能を互いに分かち合い、補い合う、その仕組みとしての社会があります。そして社会がよくなるその中で、一人一人の人間は完成されていくのであります。

 まつたく同じように相互依存の度をますます強めている今日の国際社会においても、いずれの国も一国の力だけで生存することは、もはや、不可能になつております。すべての国は、国際社会の中で、互いに助け合い、補い合い、責任を分かち合い、世界全体がよくなるその中で自国の繁栄をはからなければなりません。

六、 このことは日本と東南アジアの諸国との関係を考える場合に特に重要であります。

 日本と東南アジア諸国との関係は、単に、物質的な相互利益に基づくものにとどまつてはなりません。同じアジアの一員としてお互いに助けあい、補いあうことを心から望む気持があつてはじめて物質的、経済的な関係も生きて来るものと考えます。これこそ、日本と東南アジアの人々が、頭だけではなく、心をもつて理解し合うことの必要性、すなわち、「心と心のふれ合い」の必要を、私が、今回の歴訪を通じ、繰返し訴えて来た所以であります。同じアジア人である皆様には、私の意味するところはよくお判りいただけることと信じます。物質的充足のみでは慊たらず、精神的な豊かさを求めるのは、アジアの伝統であり、アジア人の心だからであります。

七、 東南アジア諸国民の一人一人と日本国民の一人一人との間に心と心の触れ合う相互理解を育てて行くために、文化交流が果す重要な役割りは、あらためて多言を要しません。

 今日わが国と東南アジアとの間には科学、芸術、スポーツ等の分野での交流が活発に行われており、それは単に、わが国文化の東南アジアヘの紹介にとどまらず、東南アジアの古い優れた文化の日本への紹介にも及んでいます。

 今後ともわが国とASEAN諸国との間に、このような一方通行でない文化交流をさらに積極的に推進していくべきことはもちろんでありますが、同時に、ASEAN諸国間の連帯感が高まるにつれ、域内での文化、学術、とくに地域研究等の分野での交流がますます重視されていることに注目したいと思います。私は、このような見地から、ASEAN側において域内交流促進のための具体的構想が固められるのを受けて、これにできる限りの協力を惜しまない旨を明らかにいたしました。この提案は、ASEAN諸国間の相互理解の増進というASEAN諸国民の願望に対する日本国民の共感を示すものにほかなりません。

 幸いにして、ASEAN加盟国首脳と私との会談において、各首脳は、この私の提案に賛意を表されましたので、それは、遠からず実現の運びになるものと考えます。

八、 さらに私が、ASEAN工業プロジェクトに対する十億ドルの協力に積極的姿勢を示したのも、地域連帯の強化を熱望するASEAN諸国民の心に「心と心のふれ合う」理解をもつて応えることが重要であると考えたからであります。日本による協力が域内分業の試みとして歴史的な意義を有するこの計画の実現を促進し、ASEANにおける種々の域内協力が今後一層強化発展して行く契機となることを期待します。

 わが国は、既に今後五年間のうちに、政府開発援助を倍増以上に伸ばす方針を打出しております。この援助の重要な部分は、東南アジアの工業化計画を促進するための工業プロジェクトや基盤整備に引き続き供与されることとなりましようが、日本政府としては、これに加え、農業、医療、教育等人々の福祉に密着した分野における協力に一層力を入れて行きたいと考えます。

九、 わが国の政府開発援助の半ばが、ASEAN諸国及びビルマに向けられていることにも見られるとおり、日本とこれらの諸国の間には、すでに密接な経済上の関係が存在しています。私は、クアラルンプールでの首脳会談と各国の首都における指導者との会談の結果を受けて、この関係をさらに拡大強化する方策について協議して行きたいと存じます。もとよりわが国は、世界的な工業国として、貿易の面でも世界経済全体に対し格別の責任を有しております。世界が排他的経済ブロックに分裂することは全世界にとつて自殺行為であります。とくに、今後広く世界の市場へ進出しようというASEAN諸国の利益にも反するものと考えます。わが国とASEAN諸国とが、特別に密接な経済貿易関係を発展させようとするに際しては、私どもは、世界的、長期的な視野に立つて、われわれの相互の立場と利益とを理解し合うことが、永続的な協力関係を作つて行くために肝要であると考えるものであります。

十、 最後に、ASEAN地域の安定と繁栄は東南アジア全体の平和の中においてはじめて確保されるものであることは申すまでもありません。東南アジアの一角に多年に亘つて燃え続けた戦火がようやく終息した今日、われわれは、東南アジア全域の恒久的な平和と安定のための努力を強化する好機を迎えております。このような観点から、私は、先般のASEAN首脳会議の共同声明において、ASEAN諸国が、インドシナ諸国と平和で互恵的な関係を発展させたいとの願望を表明し、「これら諸国との理解と協力の領域を互恵を基礎として拡大するための一層の努力をする」との方針を打ち出されたことに敬意を表するものであります。このような忍耐強い努力を通じて、相互理解と協力の輪がやがては、東南アジア全域に拡がつて行くことを期待いたしたいと考えます。わが国としても、同様の目的をもつてインドシナ諸国との間に相互理解の関係を定着させるため努力したいと考えます。

十一、 御列席の皆様

 私は、今回のASEAN諸国およびビルマの政府首脳との実り多い会談において、以上のような東南アジアに対するわが国の姿勢を明らかにして参りました。このわが国の姿勢が、各国首脳の十分な理解と賛同をえたことは、今回の歴訪の大きな収穫でありました。その要点は、次のとおりであります。

 第一に、わが国は、平和に徹し軍事大国にはならないことを決意しており、そのような立場から、東南アジアひいては世界の平和と繁栄に貢献する。

 第二に、わが国は、東南アジアの国々との間に、政治、経済のみならず社会、文化等、広範な分野において、真の友人として心と心のふれ合う相互信頼関係を築きあげる。

 第三に、わが国は、「対等な協力者」の立場に立つて、ASEAN及びその加盟国の連帯と強靱性強化の自主的努力に対し、志を同じくする他の域外諸国とともに積極的に協力し、また、インドシナ諸国との間には相互理解に基づく関係の醸成をはかり、もつて東南アジア全域にわたる平和と繁栄の構築に寄与する。

 私は、今後以上の三項目を、東南アジアに対するわが国の政策の柱に据え、これを力強く実行してゆく所存であります。そして、東南アジア全域に相互理解と信頼に基づく新しい協力の枠組が定着するよう努め、この地域の諸国とともに平和と繁栄を頒ち合いながら、相携えて、世界人類の幸福に貢献して行きたいと念願するものであります。

十二、 マルコス大統領閣下並びにフィリピン国民の皆様

 昨日マニラ到着のすぐ後に、私は、フィリピン独立の志士リサール博士の記念碑に献花いたしました。東南アジアにおける植民地支配に対抗して最初に独立運動の火の手を挙げたのは、フィリピン国民でありました。今日国際関係に新しい局面が開かれつつあるとき、ASEANの下での協力の進展、南北問題解決のための国際的な努力などの面で、フィリピンが貴大統領の御指導の下に積極的なイニシアチブをとつておられることも、けだし、当然であります。

 私は、日本と東南アジア諸国との間に、心と心の触れ合う相互信頼関係を打ち立て、われわれの関係の歴史に新たな一頁を開こうとするときにあたり、とくに貴大統領並びにフィリピン国民の主導的な役割りに期待して、私のお話を終りたいと存じます。

 有難うございました。サラマ・ポ。

(了)