データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 香港特別行政区基本法起草委員会の委員たちと会見した際の鄧小平演説

[場所] 
[年月日] 1987年4月16日
[出典] 鄧小平文選,東和文化研究所+中国外交出版社 共同出版,224-230頁.
[備考] 
[全文]

香港特別行政区基本法起草委員会の委員たちと会見した際の演説

(一九八七年四月十六日)

 今日はほかでもありません。もう二年近くお会いしてなかったので、みなさんにお会いしてたいへんご苦労さまでしたと申し上げなければならないと思います。

 みなさんの委員会は一年八か月間も活動しました。みなさんのご苦労と知恵のおかげで仕事は順調に進められ、よく協力していただきました。これによって香港はよりスムーズに移行を済ませられるだろうと思います。われわれの「一国二制度」が本当に成功するかどうかは、香港特別行政区基本法に具体的に表現されます。この基本法はまた、澳門、台湾の手本にならなければなりません。ですからこの基本法は非常に大切なものであります。これは世界史上いまだかつてなかったような法律で、全く新しいものです。起草活動の時間はまだ三年ありますから、極めて妥当なものに仕上げなければなりません。

 今日、わたしは「不変」という問題について話したいのです。つまり、香港が、一九九七年に祖国返還されたあとも、五十年間は政策は変わりません。それにはわれわれが書いた基本法も含まれるので、少なくとも五十年間は受け持たなければなりません。わたしがさらに主張したいことは、五十年以後も変える必要はないということです。香港の地位は変わらず、香港に対する政策は変わらず、澳門に対する政策も変わらず、台湾に対する政策は「一国二制度」の方針に従って統一問題を解決したあとも五十年間は変わらず、われわれの対内開放と対外開放の政策も変わらないのです。今世紀末までに中国人一人あたり国民総生産額は八百ドルないし千ドルに達するだろうが、見たところ千ドルはなんとか期待が持てそうです。その段階でも、われわれはおそらくまだ世界の百数十か国のうち、五十位以下でしょうが、しかしわが国の国力は違っています。その段階では、人口は十二億から十二億五千万、国民総生産額は一兆ないし一兆二千億ドルです。われわれの社会主義制度は共有制を基礎としてともに豊かになることを目指しており、そうなった時、われわれはそれをまずまずのレベルの社会、人民の生活がおしなべて向上したまずまずのレベルの社会といえます。さらに重要なのは、この基礎ができてさらに五十年経つと再び四倍になり一人あたり四千ドルの水準に達するのです。それでも世界での地位はまだ数十位にしかならないのですが、しかし中国は中程度の発達国になっているのです。その時には人口十五億、国民総生産額は六兆ドルになり、一九八〇年のドルと人民幣の為替レートで計算すると、この数字は世界のトップグループに入るのは間違いないでしょう。われわれが社会主義的分配制度を実施した結果、国力が強くなったばかりでなく、人民の生活も良くなりました。

 このような目標に到達するにはどんな条件が必要でしょうか。第一には政治的局面の安定が必要です。なぜわれわれは学生の騒動問題[七三]に対してこれほど厳しく、これほど迅速に処理したのでしょうか。中国は二度と激動を繰り返してはならないし、二度と混乱に陥ってはならないからです。すべてはみな大局から出発しなければなりません。中国が発展するための条件とカギは政治的局面の安定にあります。第二には、いま進めている政策を変えないことです。ただいまも話しましたが、数十年にわたる全般的目標からこの不変の持つ意義を見るべきであります。たとえば、わが国の人々の間で労働者を雇うということについて論議されていますが、わたしは多くの同志たちと話して、この問題については、われわれが「動」の状態にあるということを見せるには及ばず、あと何年か待ってみればいいと言いました。最初、わたしは二年待ってみようと言ったのですが、二年経ったあと、またもう少し待ってみようと言いました。いま労働者を雇っているのはだいたい小企業と農村ですでに請負制をやっている農民だけで、雇われている人数は全国一億余の労働者、職員に比べればほんのわずかです。全局から見ると、これは全くとるに足らない数です。動くのは簡単だけど、下手に動けばまるで政策が変わったように見えます。われわれは両極分解を招かないために、動く時は動かなければならないのです。しかし、いつ動くか、どんな方法で動くかは検討しなければなりません。動くというのは、つまり制約するということです。このようなことに対して、われわれはいたずらに動揺を引き起こしたり、曲折を繰り返したりしないように考慮しなければなりません。これは大局からみるべき問題であります。重要なのは頭を働かせてわれわれの経済を発展させる方法を考え、開拓精神を持つようにみなを励ますべきで、この積極性を損なってはならず、損害を与えたりするとわれわれに不利であります。

 一つは政治的局面の安定、もう一つは政策の安定、この二つの安定であります。変わらないというのはつまり安定であります。もしも次の五十年間にこの政策が成果を上げて初期の目標に達したら、変える理由はなおさらありません。ですから「一国二制度」の方針によって統一問題を解決したあと、香港、澳門、台湾に対する政策は五十年間変わらないし、その後も変わらないとわたしは言うのです。もちろん、その時わたしはいないでしょうが、われわれの後継者はこの道理がわかっているだろうと信じています。

 なおもう一つの変わらないということについて話したいと思います。みなさんは中国共産党と中国政府が堅持する開放政策が変わらないということを非常に喜んでいますが、しかし、ちょっと混乱が起こったり、ブルジョア的自由化に反対するのを見ると、また変わるのではないかと言います。彼らは、中国の政策は基本的に二つの面があって、変わらないというのは、一つの面が変わらないというのではなく、二つの面がともに変わらないのだということを見落としています。人々が見落としている面は、すなわち四つの基本原則を堅持し、社会主義制度を堅持し、共産党の指導を堅持するという点です。中国の解放政策が変わったのではないかという人はいても、社会主義制度が変わってはいないかと問う人はこれまでいませんでした。しかしこの点も変わらないのです。

 われわれが社会主義制度を堅持し,四つの基本原則を堅持するということはずっと以前に決めたことですし、憲法にも書いてあります。香港、澳門、台湾に対するわれわれの政策も国家主体が四つの基本原則を堅持するという基礎の上で制定したものであります。中国共産党がなく、中国の社会主義がなければだれがこのような政策を制定することができましょうか。このような胆力を持つ人はほかには一人もいないし、どの党にもできはしません。わたしのこの見解が正しいかどうか、一つみなさん考えてみてください。胆力がなければダメです。しかしまた、この胆力には基礎がなければならないのですが、それはほかならぬ社会主義制度であり、共産党の指導下にある社会主義中国であります。われわれがやっているのが中国の特色を持つ社会主義であればこそ、「一国二制度」の政策を制定することができたし、二つの制度の存在を許すことができるのです。勇気がなければできませんが、この勇気は人民の支持があればこそ生まれてくるのであり、人民はわが国の社会主義制度を擁護し、党の指導を擁護しているのです。四つの基本原則を見落としては、それも片寄ったものになってしまうでしょう。中国の政策が変わるかどうかを見るには、この面が変わるかどうかを見なければなりません。率直に言って、もしこの面が変わったら、香港の繁栄と安定もあるはずがありません。香港が五十年間の繁栄と安定を保ち、五十年後も繁栄と安定を保ち続けるには、中国共産党の指導する社会主義制度を確保しなければなりません。われわれの社会主義制度は中国の特色を持つ社会主義制度であり、この特色が持つ非常に重要な一つの内容は香港、澳門、台湾問題に対する処理、つまり「一国二制度」であります。これは新しいことであります。この新しいことを提起したのは、アメリカでも、日本でも、ヨーロッパでもなく、ソ連が提起したのでもありません。まさに中国が提起したものです。これこそ中国の特色といえます。変わらないということについては、全般的政策の総体、つまり政策のどの方面も変わらないということ、また、そのうちの一つの面が変わる場合には、ほかの面にも影響をもたらすということを考えなければなりません。ですから、香港の友人たちにこの道理を説明してくださるよう、みなさんにお願いします。中国が、もし社会主義制度を変え、中国共産党が指導する中国の特色を持つ社会主義制度を変えたら、香港はどうなるでしょうか。香港の繁栄と安定も水の泡となるでしょう。本当に五十年変わらず、その後も変わらないようにするには、大陸の社会主義制度が変わらないことが必要なのです。

 われわれがブルジョア的自由化に反対するのは、中国の社会主義制度が変わらないように保証し、政策全体が変わらないように、対内開放、対外開放の政策が変わらないように保証するためです。もしもこれらがみな変わるようなら、われわれが今世紀末にまずまずのレベルに達し、次の世紀の中葉に中程度の発達国の水準に達するという目標はとても期待できません。いま、国際独占資本が全世界の経済を支配しており、市場が占有しているので、奮闘して抜け出すのは容易なことではありません。われわれのような貧しい国が奮闘して抜け出すのは決して容易なことではなく、開放政策、改革政策がなければ、太刀打ちできません。これについてはみなさんの方がわれわれよりもっとはっきりしていますが、確かに容易ではありません。この「不変」の問題については諸説紛々ですが、今世紀末と次の世紀まで論議され続ける問題だろうと思います。われわれは事実をもってこの「不変」を立証すべきであります。

 いま、中国の改革開放政策は引き締めの最中にあると取り沙汰している人がいます。わたしは、われわれの物価に少し問題があったし、基本建設への投資も少し引き締めすぎたと言わなければなりませんが、全局的に問題を見るべきです。一歩踏み出すごとに、ところによっては引き締め、ところによっては開放することもありますが、これはごく当然のことであります。要するに開放しなければなりません。われわれの開放政策は必ず続けなければならないが、現在はまだ開放が足りないのです。われわれの開放・改革は容易なことではないので、大胆かつ断固として進めなければなりません。開放も改革も進めないでは活路はないし、国の現代化建設も望みがありません。しかし、具体的なことに対しては細心の注意を払い、いち早く経験を総括しなければなりません。われわれは一歩踏み出すごとに経験を総括して、テンポを速めるところと、落とすところ、少し引き締めなければならないところがどこかをはっきりさせなければならず、そうしないで無分別にやってはうまく行かないでしょう。われわれがある面で引き締めるのを見て政策が変わったと考えていますが、このような見方は正しくありません。

 「一国二制度」についても両面を強調しなければなりません。一方では社会主義国の内部に資本主義を実施する特殊地域を許すことでありますが、それも一時的ではなく、数十年、数百年も実施するのです。他方では全国家の主体は社会主義であるということも明確にすることです。でなければ、どうして「二つの制度」と言えましょうか。それは「一つの制度」になってしまいます。ブルジョア的自由化の思想を持つ人は、中国大陸が資本主義になるのを期待しており、それを「全般的西洋化」といいます。この問題では、考え方は一面的であってはいけません。両面とも強調するのでなければ、「一国一面制度」は数十年間変わらない、ということは通用しません。

 アメリカのウオーレス記者が、現在大陸の経済の発展水準は台湾より非常に低いのに、なぜ台湾が大陸と統一しなければならないのかとわたしに質問したことがありました。わたしは、主に二つの点があると答えました。第一は、中国の統一は全中国人民の願いであり、百数十年も持ち続けてきた願いであり、一世紀半にもなります。アヘン戦争[三二]以来、中国の統一は台湾人民を含む中華民族の共通の願いでありました。どの党とか、どの派閥とかでなく、民族全体の願いであります。第二には、台湾が大陸との統一を実現しない限り、中国の領土としての台湾の地位は保障されず、いつ他人に奪われてしまうかもしれないのです。いま、国際的にも台湾問題でいろいろたくらんでいる人が多いのです。いったん台湾が大陸と統一されると、たとえそこで施行される制度などはすべて変わらないとしても、情勢は安定するのです。ですから海峡両岸の人はみなこの問題の解決をすばらしいことであり、わが国と民族の統一のために大きく寄与するもの、と認めています。

 また、基本法の起草問題に少し触れたいと思います。わたしは、かつて基本法にあまり細かい点を入れすぎるのは良くない、と言ったことがあります。香港の制度も完全に西洋化してはならず、西側のものをそのまま持ち込むわけにはいきません。香港でいま実行しているのはイギリスの制度でもアメリカの制度でもなく、こうして一世紀も過ごしてきました。いまもし、完全に西側のものを持ち込んで、たとえば三権分立をやったり、英米の議会制度を実施したりして、しかもそれをもって民主的であるかどうかを判断するのは、おそらく適切でないと思います。この問題についてみなさんもどうか一緒に深く考えてください。民主に関していえば、われわれ大陸でいう社会主義的民主は、ブルジョア的民主主義の概念とは違います。西側の民主とは、つまり三権分立、複数政党制などであります。われわれは、西側の諸国がこのようにやるのに反対しませんが、しかし、われわれ中国大陸では複数政党制や、三権分立、二院制は実施しません。われわれが実施するのは全国人民代表大会の一院制で、これは中国の実状に最も合致したものです。もし政策が正しく、方向が正しければ、この体制は非常に利益が多く、国家の隆盛と発達にとって極めて役に立ち、多くの厄介なことを避けることができます。もちろん、もし政策を間違えたら、どのような議会制でもどうしようもありません。

 香港については、普通選挙が必ず有利でしょうか。わたしは有利だとは思いません。たとえば、わたしは以前にも言ったことがありますが、将来、香港は当然香港人によって事務が管理されますが、この人たちは一般的な投票方法で選出されるのでしょうか。われわれは、香港の事務を管理する人たちは必ず祖国を愛し、香港を愛する香港の人でなければならないと言っていますが、普通選挙で必ずこのような人たちが選出されると思いますか。最近、香港総督ダヴィド・ウイルソンが順を追って一歩一歩進めるべきだと言いましたが、わたしの見たところ、この見解が割合に実際的であると思います。普通選挙を行うとしても、一つの漸進的な過渡期が必要であり、一歩一歩進まなければなりません。わたしはある外国の客人に、来世紀の半ば以後には大陸でも普通選挙を行うことができる、と言いました。いま、われわれが県レベル以上で行っているのは間接選挙であり、県レベルと県レベル以下の末端部では、はじめて直接選挙を行っています。といいますのは、われわれは十億の人口を持っており人民の文化的素質も低いので、あまねく直接選挙を実施する条件はまだ熟していません。実際問題として、一部の国で実行できることが、他の国でも実行できるとは限らないのです。われわれは、必ず実際とぴったり結びつき、自己の特色に基づいて自己の制度と管理方式を決めなければなりません。

 もう一つの問題をどうしても説明しておかねばなりませんが、それは、香港のことを全部香港の人に任せて管理させ、中央では何一つ管理しなくても万事めでたしと考えては絶対にダメだということです。これはできません。このような考え方は実際的ではありません。中央は確かに特別行政区の具体的事務に関与しないし、また関与する必要もありません。しかし、特別行政区で国の根本的利益を脅かすようなことも発生するのではないでしょうか。そんなことは起こらないとでも言えるのですか。そのような場合、北京が関与する必要がないのでしょうか。さらに、香港において香港自身の根本的利益に損害をもたらすようなことが現れないとでもいえますか。香港には妨害がなく、破壊的勢力がないだろうと考えられますか。そのように自己満足していられるような根拠はない、とわたしは思います。もしも中央があらゆる権力をすべて放棄すれば、混乱が生じ、香港の利益が損なわれることになるかもしれないでしょう。ですから、中央が一部の権利を保持しておくことは、香港にとって利益こそあれ、害はないのです。みなさん、北京が乗り出して行かなければ解決できない問題が香港に起こりうる可能性はないか、ということを冷静に考えてみてください。かつて、香港が問題にぶつかるたびに、いつも英国が乗り出してきたじゃないですか。ともかく一部のことは、中央が乗り出さないとみなさんだけで解決するのは難しいのです。

 中央の政策は、香港の利益を損なうものではありませんが、しかしまた、国家の利益と香港の利益に損害を与えるようなことが、香港に生じないように望みます。もし、生じたらどうしますか。そのためにこそ基本法があり、みなさんもこうした面を配慮するように考えてくださることをお願いします。ある問題、たとえば一九九七年以降、香港で中国共産党を非難し、罵り、中国を非難し、罵る人があっても、われわれは彼らの行為を許容します。しかし、それを行動に移し「民主」という看板を掲げて香港を大陸に反抗するための基地にしようとする場合にはどうしますか。それには必ず関与しなくてはなりません。関与するにはまず、香港行政機構が関与すべきであって、必ずしも大陸の駐屯地を出動させる必要はないのです。ただし、動乱や大動乱が発生した場合には駐屯地を出動させざるを得ません。しかし、いずれにしても関与しなければなりません。

 まとめて言えば、「一国二制度」は新しいことであり、われわれが予想できないことが多いと思います。基本法は重要な文献でありますので、現実から出発して、本当に真剣に検討し、制定しなければなりません。わたしは、これが非常に優れた法律として、本当に「一国二制度」の構想を具体的に表現するとともに、滞りなく執行され、成功するように期待する次第であります。


{注釈は省略}