[文書名] 外国特派員協会における三木武夫外相演説
会長並びに皆さん。
私が外務大臣に就任以来、三木の「アジア・太平洋構想とはなんぞや」ということが問題とされて来た。
「太平洋の金持クラブ?」 NOである。
「太平洋のEEC版?」 NOである。
「共栄圏の再現?」 NOである。
「抽象的な理念のみ?」 NOである。
では何であるか。
その構想の基底に横たわる二つの考え方は、東西問題と南北問題である。
まず東西問題についてであるが、太平洋の場合は、白人世界と黄色世界{前4文字ママとルビ}という異質の世界によつて成立つている。大西洋共同体構想の如く、欧州とアメリカという同質の文化によつて成立つ世界とは全然性質が違う。
共通なものは、よりよき生活を求める人間共通の願望である。
太平洋は太平洋の東西を分かち遠ざけた海であつた。
太平洋の東西一米・加、豪州・ニュージーランドとアジア一とに連帯感の橋をかけ、太平洋の海をして、東西を結ぶ海としたいのが、私の根底にある考え方である。
アジアの繁栄と安全と太平洋のそれとは、不可分であることを太平洋の東西は知り合うべきである。
今迄はどうか。アメリカは、ラテンアメリカとヨーロッパが関心のすべてに向けられていた。カナダ・豪州・ニュージーランドは英連邦マインデッドであつた。
その関心がアジアに向きはじめた。この傾向と精神を促進してもらいたいと私は願つている。
アジアはどうか。過去のにがい経験から対外警戒は過敏である。この頃になつて漸くゆとりを以て、太平洋の東とも一太平洋の東とはアメリカ・カナダその他の国をいうのだが一接触出来るようになつて来た。この傾向と精神をひろげてもらいたいと私は願つている。
結局、日本は、工業国としては太平洋の先進国、東グループであつて、然も地理的には西グループ即ちアジア・グループである。西グループであつて然も東グループである。
日本は橋渡し役として寄与出来るのではないか。寄与したい。私はそう考えている。
太平洋に橋をかけるということは、東洋と西洋との理解と和解を意味し、併せて次に述べるアジアの南北問題の解決をも意昧する。
それだけに、これが成功することは人類史に画期的な意義をもつ。
次に南北問題についてであるが、世界で一番取残されているのがアジアだと私は思つている。アフリカよりも、ラテンアメリカよりも取残されている。
試みに統計をみても一九六五年の低開発諸国の一年一人当りの援助受取り額はアフリカ六ドル、ラテンアメリカ四・二ドル、アジア三・三ドル、ヴィエトナムを除く東南アジア一・六ドルに過ぎぬ。
人口の多いせいもあろう。日本以外に近代工業国がないせいもあろうが一番低いことは事実である。
その原因は、アジアに対する世界の関心が比較的に低かつたことと、アジア自身が世界の関心を引きつける一体的活動に欠ける所があつたからではなかろうか。
アジアの南北問題には、世界、特に太平洋の近代工業国が従来に倍加する関心と寄与とを払うのでなければアフリカ、ラテンアメリカに追付かない。
アジアの南北問題をアジア・太平洋の広さにおいて取組もうというのが私の構想である。
その構想は、アジア開銀において、アジア農業基金において、着々と実現されつつある。更にいろいろな構想が生まれて、アジアヘの援助が量においても、スピードにおいても急増を願つているものである。
三木構想の中に中国はどういうふうに入つて来るのかと聞かれることがある。
私は大陸中国の主人公が誰であろうと、どういう政治をする大陸であろうと、所詮、アジアも太平洋もこれと平和共存する以外に道はないと思つている。
だから、同時に大陸中国も、アジア・太平洋と平和共存出来る、平和共存したいと考えるような大陸中国になつて貰いたいと思う。
現在の所、大陸中国は、他国に対する警戒心で一杯のようである。態度は柔軟性に欠けている。
然し、年月がたてば、それは、十年であるかも知れない、あるいは、二十年、三十年、五十年であるかも知れないが、やがてはお互に、共存以外の道のないことを知るに到ると私は確信している。
大切なことは、その前に、シビレを切らして早まつたことをお互にしないように、自制、自重することである。一回の間違いで取返しのつかないことになるような危険を冒してはならない。
私は、来週ASPACのバンコック会議に行く。
私はこのASPAC会議をASPAC地域の外相その他の閣僚の自由で卒直な意見を友好的雰囲気の中で交換する「理解の場」にするよう提言したいと思つている。
ASPAC地域はお互によく知つているようでも案外知つていない事が少なくないと思つている。もつとお互に知らねばならぬと思つている。またASPACには、将来は中立政策の立場をとる国々も入つてもらうことがいいと思つている。
そのためには厳しい反共グループというような政治的立場で色づけない方がいいと考えている。
そういうことより指導者の間の、人間的な信頼感と相互理解を持つことが是非とも必要であり、各々の立場の違いがあつてよいのである。そのためにも自由に卒直に話し合う必要がある。
バンコックから帰ると私はモスクワに行き、それから東欧諸国を訪問する予定である。
ソ連にはこの間、永野経済使節団という日ソ経済交流史の中で日本としては史上最高の使節を送つたばかりである。
私が一九五九年にモスクワで当時の首相フルシチョフ氏と会談した頃、日ソ間で漸く経済交流の話合いがはじまりかかつていた。
しかし、当時は未だ日ソ双方とも、とてもお互に窮屈に考え合つていた。お互に不安も警戒心も随分強かつたのが当時の姿であつた。
それが十年とたたないうちに資本主義国日本が、最高の経済使節団を送るようになつたのだ。
日ソ貿易は国交回復した一九五七年には往復で僅かに二千二百万弗だつたが昨年一九六六年には往復五億千五百万弗になつた。二十三倍以上の拡大である。
その間ミコヤン氏は二度も日本に来て、工業国日本を高く評価して帰つた。
私は太平洋の東と西の関係ばかりでなく、所謂イデオロギー的世界の東西関係の改善にも重大な関心をもつているものである。今日、米ソの間にも、東欧と西欧との間にも次第に共存の体制が確立されつつあることは喜ばしいことだと思う。世界は戦争のためでなく、人類を幸せにするための競争をすべきである。私の願つているのは世界の競争的平和共存である。
しかし、私は焦らない。
人類を信じたい。
未来を楽観したいのである。
だが、外相としては手をこまねいてはいられない。平和のため、その基礎である理解のため、私は努力したいと考えている。
そのためには、諸君の協力が不可欠である。私は、まず、諸君との間に相互理解を持たなければならないと考えている。
真実を探求して、日夜奮闘される諸君、私の戸扉はいつも諸君のために開いていることを知つていただきたい。
御清聴を感謝する。