データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 東南アジア開発閣僚会議における愛知揆一外相演説

[場所] 
[年月日] 1970年5月23日
[出典] 日本外交主要文書・年表(2),968−971頁.外務省情報文化局「外務省公表集」,昭和45年,31−35頁.
[備考] 
[全文]

一、議長、最初に閣下が、第五回東南アジア開発閣僚会議の議長に全会一致で選任されましたことを、心からお祝い申し上げるとともに、われわれ代表団に対し、このように暖かい御接遇を与えられ、かくも盛大な会合を準備されましたインドネシア政府の御配慮に対し、心から感謝いたしたいと思います。

 特に私にとりましては、先週のカンボジア問題をめぐる外相会議に引き続き、当国を再度訪れる訳でありますが、アジアにおける二つの重要な国際会議が相次いで当国で開かれることは、インドネシアの果たしている重要な国際的役割を象徴するとともに、アジア諸国間の連繋の強化を物語るものであって、会議主催国たるインドネシア政府にあらためて敬意を表するものであります。

 本日、東南アジアの友邦の開発を担当しておられる有力な指導者の方々に、再びお目にかかれる機会を得ましたことは、私の最も欣快とするところであります。

二、私はまず冒頭に、六〇年代を通じ東南アジアにおいて必ずしも容易ではない状況のもとでかなりのレベルの経済成長が達成され、あるいは将来の発展のための基盤が形成されたことをよろこびたいと思います。かかる成果は、ひとえに東南アジア諸国の政府、国民をあげての国づくりの努力のたまものであり、私は衷心より敬意を表するものであります。

 われわれは、この成果の上にたって七〇年代を通じ、さらにゆたかな社会の建設をめざして、大いなる前進と飛躍を図らなければなりません。

 私は、昨年この開発閣僚会議において、来るべき七〇年代が真の意味で、東南アジアにおける平和と開発の十年とよぶにふさわしいものとなることを熱望すると申しのべましたが、私は、あらためて七〇年代を、「東南アジア開発の十年」とすべく、東南アジアの未来を形づくる共同の事業を進めてまいることを、提唱いたしたいと考えます。

三、この共同事業は、まず共同の努力によって支えられねばなりません。この開発閣僚会議は、域内諸国民が連帯の精神を強化しつつ、経済開発を推進するためにはじめられました。そして域内諸国の緊密な相互協力と共同の努力が、各国の独力では克服し得ない問題を解決するために大きく貢献していることは、今やわれわれの等しく確信するところであります。このような連帯の紐こそ、共同の努力のパートナーシップと呼ぶにふさわしいものであります。

 私は、つとに開発がすべての開発途上国と先進国との共同事業であると考えて参りましたが、昨秋公表されたピアソン報告では、かかる関係を、Partners in Developmentと表現してその基本的思想としております。私は、パートナーとして相互に苦難と責任を分ち合う体制が、開発閣僚会議の基本であることを改めて確認し、アジア開発のためのパートナーシップを、強化してまいることを提唱したいと思います。

四、開発閣僚会議が果してきた役割の中で、私が最も有意義であると考えるものの一つは、各国代表が会議の場において、それぞれ自国の経済開発の成果を評価分析し、将来の計画の展望を試みてきたことであります。われわれは又、わが国の経済技術協力の現状を説明してまいりました。この会議が、このような慣行を自然に形成してきたことは、この機構の基礎に、確実な実質を与えるものとして高く評価さるべきであります。

  私は、この開発閣僚会議が、今後とも開発のための自助努力と援助を結びつける相互の協力関係を、一層強固にして行くことを心から願うと共に、それが他の域外の援助国、国際機関の援助を、本地域にさらに増加せしめるための有効な対応関係の基礎をなすことを、期待したいのであります。

 さる四月、ソウルにおいて開催されたアジア開銀第三回総会において、新たに多くの域外加盟国より、特別基金への拠出の意向が表明されたことは、アジアにおける地域協力に対する評価が高まった証左と考えられます。これは、あらゆる機会に本地域への援助努力の強化を訴えて来たわが国にとっても、誠に喜ばしいことであります。

 幸い、ECAFEその他の地域的機構の場においても、アジアにおける地域協力の気運はたかまっており、われわれとしても、これ等の機構と十分協力しつつ、この地域の発展と繁栄を推進するため、この会議が有効に機能することを期待してまいりたいと考えます。

五、以上のべましたのは、今後発展・強化を期待したい側面でありますが、私は、東南アジア開発閣僚会議が、引続き率直な意見の交換と、将来の方策を探究する場としても育成されて行くことを望むものであります。われわれの開発と安定のための提携関係を推し進めるに当って、この会議が、基礎的な経済開発の問題を長期的視点から捉えて、意見交換の貴重な機会を提供し、共通の問題意識の醸成を通じ、域内諸国間の連帯感の強化に大いに資して参ったことも銘記すべきであります。

 この会合では、更にいくつかの具体的プロジェクトをとり上げ、あるいはこれを具体化し、あるいは具体化のために検討して参りました。漁業、運輸通信、公衆衛生、投資、観光貿易促進等にまたがるプロジェクトに対しましては、現実の可能性をふまえつつ、地域協力の実をあげるため、地道な努力を続けるとの観点から、わが国として今後とも出来る限りの協力を惜しまないものであります。この意味合いから、今回はわが国もマンパワー開発の一環として、「アジア医療機構」の討議を提議していたしております。

 客年の会議の結果、アジア開銀に委託した七〇年代の東南アジア経済分析は、人口、雇用問題、農業の革新、工業化、貿易、外国投資の役割等広範な基本的問題にまたがるものであります。東南アジア諸国が取り組まなければならないこれらの諸問題につき、現実的かつ貴重な示唆が得られ、長期的な展望を作る基礎となしうることを期待するものであります。

六、七〇年代をむかえるにあたり、一九六〇年代のわが国の経済協力を顧みますれば、一九五九年の実績が約二億ドルであったのに対し、昨六九年の実績は、約十三億ドルに達しました。わが国の援助実績は、過去一〇年間に六倍以上になったわけであります。このようなわが国の援助量の顕著な増大は、申すまでもなく、日本経済の急速な伸びに支えられたものでありますが、同時に、発展途上国、特にアジア諸国の自助努力を、できる限り援助したいというわが国民の決意と努力を負うところでもあります。

 七〇年代を迎えたわが国経済の展望については、先般、政府は、「新経済社会発

展計画」を採択しましたが、この計画のもとにおいて、援助量に関しては、国民総生産一パーセント目標のすみやかな達成及び政府援助の拡大に努力するとともに、援助条件の緩和、技術協力の強化、援助の多角化についても、更に努力をしていく方針を確定しております。

 日本国政府は、最近右に申しました一パーセント目標につきまして、これを一九

七五年までに達成するよう努めるとの方針を決定いたしましたことをここに御披露致したいと存じます。

 前述の計画においては、七五年の国民総生産の予想数値は約四千億ドルでありま

すが、この一パーセントの目標の達成には積極的な努力を要するものであります。従いまして私といたしましては、その効率的計画の推進については努力を新たにいたしたい所存であります。

七、援助努力の強化は、われわれの開発の十年への寄与でありますが、東南アジア開発の十年の主体は、各国独自の開発努力でありましょう。この点に関し、私は、スハルト大統領閣下が、経済開発の原動力とこれを決定する要因は、開発途上国自らの決意と努力であると述べられた力強いおことばに、深い感銘を受けました。

 この地域に対する援助資金の流入を、更に増大せしめるためにも、援助が、本地域全般にわたる長期の展望と、広い視野を踏まえて、十分地域的にも調整され、効果的に使用されていることが必要であり、更に、各受入国においては、それぞれの発展段階と産業構造に応じ、その物的、人的資源を活かして、使用されていかなければならないのであります。

 このような観点からも、この開発閣僚会議が、地域的な考慮も加えて、現実的な開発計画の確立、効果的なプロジェクトの策定等、具体的な開発戦略の形成に、今後一層寄与することを強く期待したいのであります。

 この点、東南アジア諸国の側においても、あるいは国内資金の動員を計り、ある

いは、諸般の国内体制の整備に努める等、開発の努力を一層強力に推進して行くことが望まれる次第であります。

八、七〇年代をむかえる東南アジアの情勢は、必ずしも明るい面ばかりではありません。私は、先週のアジア諸国会議での平和へのアッピール{ママ}を想起し、みなさまとともに、この願望をくりかえしたいと思います。何故ならば、インドシナにおける和平が、一日も早く回復し、建設のための戦いがはじめられることは、関係国すべての切望するところと信ずるからであります。われわれは、今後予想される幾多の諸困難を、七〇年代の挑戦として受けとめ、来るべき一〇年を、東南アジアにおいて、真に平和と繁栄を実現するための偉大な開発の十年にすべく、英知と構想力を結集し、共に努力して行こうではありませんか。