データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 南カリフォルニア日米協会等主催晩餐会における安倍外務大臣演説

[場所] ロスアンジェルス
[年月日] 1984年9月29日
[出典] 外交青書29号,433ー438頁.
[備考] 
[全文]

「パシフィック・ドリームを求めて」

 カリフォルニアは日米交流の歴史において常に重要な位置を占めてきました。19世紀末頃から既に多くの日本人が新天地を求めてこの地に移住を進め,また,戦後最も早く日本企業が対米進出を開始したのも,このロス・アンジェルスでありました。今や日米通商関係の3分の1はカルフォルニア州を経由して行なわれるに至っています。私は,多くの意味において,カルフォルニアが日米関係の将来を象徴するものとなっているように感じます。というのも,カリフォルニア州にみられるダイナミズムに溢れる地域経済や,先端技術等の新しい分野での進展、更にはこの地での日米両国企業間の協力に,未来への希望と可能性を見い出すことができるからであります。

 どの地域が,何故に,他の地域に比して進取の気性に富み,未来を先取りする能力のある人々を生み出すことになるのでしょうか。カリフォルニア州の場合は,自由の雰囲気と無限の可能性に溢れ,旧来の体制に束縛されることが少ない開拓者精神の伝統が強く生きているということでありましょうか。私の出身地である山口県も,日本の近代政治において,未来を先取りする能力のある指導者達を数多く輩出してきました。特に,明治維新後,日本の近代化という困難な事業を進めるにあたり,自分の郷里の出身者達が,米国の歴史になぞらえれば「建国の父祖達」にも比すべき枢要な役割を果たしたことを,私は幼年時代より誇りに思ってきました。私は,政治家にとって最も重要な資質は将来を先取りしこれに則って決断を下す能力であると信じています。そこで,本日は,21世紀までに15年を残すのみとなった現時点において,日本としては,国際社会においていかにして未来を先取し,いかなる挑戦に応えんとしているかについて自分の考えを述べてみたいと思います。

15年という時間は決して長いものではありません。今から15年前の60年代末を振り返ると,米国にとっては,ヴィエトナム戦争の苦悩からいかに脱却するかが大きな関心事であり,他方,その間ソ連は軍事力増強を通じて超大国の立場を固めつつありました。石油危機は未だ数年先のことでしたが,70年代における世界の政治・経済構造の大きな変化を知らせる兆しは当時既に明らかでありました。今日,我々は,あの時代は決して遠い過去ではなく,現在の状況は,当時の状況と直接,間接に結びついていることを実感します。とすれば,現在の状況から,次の15年間に我々が取り組むべき課題をある程度予見し,予知することは可能なはずであり,そうすることは,次の世紀の到来を明るく希望に満ちたものとして迎えるために不可欠でしょう。今後15年間を展望すれば,私の見るところ,大別して次の三つの課題があります。

 第一は,より安定的な平和の枠組みをいかに構築するかということです。核兵器がもたらし得る惨禍が説かれはじめてから既に久しい訳ですが,ソ連による軍縮管理交渉の一方的中断は,安定した米ソ関係の構築を一層困難なものとしており,安定した米ソ関係なくしては,平和の枠組みは完成しません。

 また,長期的に見た場合,「西」「東」も第三世界も,夫々のグループ内はもちろんのこと,相互間においても関係の多様化が一層進む傾向にあり,こうした傾向が東西関係の運営をはじめとして,平和の枠組みの構築の仕事を今後益々複雑なものとするでありましょう。

 第二は,世界経済の活性化をいかにはかるかということです。今日のように科学技術の進歩により,益々大量の物質と情報が諸国間を行き交うようになると,各国政府の経済施設は,財政政策,金融政策といったマクロの分野から個々のセクターをめぐる諸規制に至るまで直ちに他の諸国へ波及し,影響を及ぼすことになります。こうした状況の下では,先進諸国は,短期的利益を個別に追究して長期的には皆が損をする結果となることを避けるべきであるとの共通の認識に立って出来る限り相互に調整され,かつ開放された政策を進めることが重要であります。これは先進諸国全体の経済活性化を促し,開発途上国を自由で開放的な世界の経済システムの中に取り込んでいくための前提条件であると申せましょう。

 第三は,世界経済の活性化という問題とも密接に関連しますが,南北問題にいかに対処するかということです。このまま事態が推移すれば,21世紀は,「南」の多くの人々にとっては飢餓と絶望の世紀となりかねません。科学技術の進展によって,先進諸国と開発途上国地域との格差が更に増大し,「南」の人々が貧困が政治不安を招き,更には地域紛争につながるという事態は益々拡大する危険があり,このような状況下では,「北」の繁栄にとって大前提である平和自体が脅かされかねません。

 次に,これらの課題に対応して,日本は一体いかなる役割を果たすべきでしょうか。私は日本の外交を大枠において規定する日本のもつ種々の「特性」(アイデンティティ)という観点から,私の考えを述べたいと思います。

 第一は,民主主義の諸価値を至高のものとして共有する先進民主主義国の一員であるという日本の「特性」であります。日本がこの「特性」を取得したことは,明治維新以来,百年にわたる日本の近代化の努力目標が達成されたことを意味します。しかし,こうした日本近代史上における意味合いもさることながら,先進民主主義国の一員としていかなる役割を果たすべきかという視点は,今日,わが外交政策の立案にあたり極めて重要な位置をしめています。これは,東西関係の脈絡において先進民主主義国が約束を維持し,相互に緊密な連絡を保つことの重要性が近年増大していることの反映であります。アフガニスタン・ポーランド危機に対する対応並びにサミット参加国の安全は不可分であるとのウイリアムズバーグ・サミットの政治宣言は,かかる状況を端的に示しています。わが国は今後とも先進民主主義国の責任あるメンバーとしての役割を果たしていきたいと思います。

東西関係安定化への道はまだ判然としてはおりません。また,日本は,対ソ関係において困難な問題を有しております。ソ連は帝政ロシア時代より日本の安全保障上重要な意味合いを持つ隣国であり,特にソ連は日本の北方領土を今なお占拠し続けている国であるだけに,同国との関係処理は殊更に難しい事情にあります。しかしながら,私はソ連とても核戦争の危険の現象と東西関係の安定化,日本についていえば対日関係の改善に向けての西側の呼びかけにソ連が真摯に応えることを期待したいと思います。

 第二は,アジアの一員としての「特性」であります。日本において欧米を志向する近代化努力が進められつつあった間においても,日本人の間には一貫してアジア地域に対する一体感が存在していました。今日においても,アジアとの歴史的,地理的,文化的,人種的なつながりと親近感,日本の安全保障にとっての重要性,そして過去における悲劇的な経験という大別して三つの要因の故に,アジア外交は日本外交の中で特別の位置を占めています。その基本的枠組みは,日本は隣国にとって脅威となるような軍事大国への道は絶対に歩まず,日本の経済力によってこれら諸国の国造りを支持し,域内の繁栄と平和に貢献すること,及び経済的交流のみならず,文化的,人的交流を進めて相互理解を深める事の2点に要約されます。例えば,日本はASEAN諸国に対して年間約7億ドルの政府開発援助(ODA)を供与してきていますが,これはASEAN諸国の自助努力と相まって同地域のダイナミックな経済発展と政治的安定をもたらし,ドミノ理論の悪夢を過去のものとする上で少なからざる貢献を果したと考えています。

 日本は,中国に対しても同国の近代化努力に出来る限りの協力を行なうこととしており,日中関係はかつてない程良好であります。韓国の全大統領は3週間前訪日しましたが,これは史上初めての韓国元首の公式の訪日であり日韓友好関係の新たな章を開きました。

 朝鮮半島とかインドシナには依然緊張が残りますが,東アジアの情勢は概ね良好であります。私は米国が諸々の困難にもかかわらずこの地域の平和と繁栄のため払ってきた努力を称賛するものであります。かかる米国の努力と日本がアジアの一員という特性に立って行なってきた努力がこれら諸国による真に特筆すべき経済発展を支援しつつあることは真に喜ばしい限りであります。

 第三は,軍事大国にはならないという「特性」であります。日本は,日米安保体制の下での責任ある同盟国として,自らの防衛のための能力の強化については,これからも一層の努力を払わなくてはならないことはもとよりでありますが,他方,他地域の紛争や緊張について軍事的役割を果たすとの道はとりません。これは,過去の悲劇的経験を踏まえた日本の国民的選択でありますが,我が国の国際的役割りに対する制約というよりは,アジアにおける政治的安定への貢献,また,地域によっては,あるいは紛争によっては,むしろ日本が積極的に政治的役割を果たすことを可能にするという積極面から理解されるべきであると考えます。例えば,イラン・イラク紛争について,日本は双方の国と緊密な関係を維持しており,私は昨年以来数次にわたり両国の外相とそれぞれ会談してきました。もとより,私は,日本が両国と緊密な関係をもつからといって,かくも長引いている同戦争の終結のために劇的な役割が果たし得るといった幻想はもっていませんが,同戦争の拡大が,湾岸地域,更には世界全体に及ぼし得る打撃の大きさに鑑み,少なくとも戦争の縮小の可能性を模索し続ける考えであります。

 今後とも私たちとしてはここで述べた日本の立場からはたしうる政治的役割を見出し,諸地域の平和のために積極的かつ,創造的貢献を行なっていきたいと考えます。

 第四は,短期間のうちに近代的国造りを行なったという「特性」であります。約百年前に近代化を開始した時点では,日本は開発途上国でありました。また,第二次大戦後も長きにわたり所得水準は低く,中年以上の日本人は,今に至るまで貧しさの記憶を鮮明に持っています。従って,「南」の諸国の国造りへの願望と貧しさの痛みは,心情的,感情的に充分理解し得るところであり,それだけに日本は南北問題解決に大きな役割を果たすべき立場にあります。従って,我が国の援助予算はあらゆる予算項目の中で最優先順位を得ており,近年においては,他の予算項目の伸びが軒並みゼロないしマイナス成長におさえられているという厳しい財政事情のもとで,年間10パーセント近くの伸びを確保してきました。また,国造りの鍵は人材の養成にあるという自らの経験あるいは,あくまでも市場経済の力を活かして開発を進めてきたという経験等は,南とわかちあえるものと考えます。近年先進諸国において「援助疲れ」の傾向がみられますが,我々は人道的なつとめを果たすべきであり,また我々の利益にもかなう,援助・貿易・金融等多面的な開発途上国への施策を推進していくことが必要であると思います。

 最後に,経済的パワーとしての「特性」があります。日本は,その経済規模,諸地域との膨大な貿易や投資の交流,技術革新等に支えられた経済のダイナミズム等から,世界経済の活性化に大きな役割を果たすべき立場にあります。まず為すべきは,多くの先進国にみられる保護主義の抬頭に対して巻き返しを進め,自由貿易体制を維持強化することであります。このためには国際貿易のルールを強化し,全ての国がそのルールに確固として従うことが重要であります。日本は,サーヴィス等新しい分野をも含む新たな多角的貿易交渉の開始を提唱していますが,先進国の中で米国が率先して,かかる提案に支持を表明したことを心強く受けとめています。世界経済へのインパクトという観点からは,合わせて世界のGNPの3分の1を占めている日米両国の比重は極めて大きく,それだけに日米両国の責任は重いといわざるを得ません。また,その意味で日米両国が,両国間に存在する巨大かつ多岐にわたる経済関係をいかに運営し,その時々の問題をいかに解決するかは,世界経済の消長にも関連する事項です。私は,これまで日米間に存在する諸々の経済貿易摩擦の解決のために全力を挙げてきましたし,そのためには,国内政治的に随分苦しい決断を行なってきました。これは,日本自身の利益につながるからであり,言い換えるならば,日本自身の世界経済における責任という観点から,また,個々の摩擦案件のために日米関係全体が損なわれることがあってはならないとの信念からのものであります。私は今後とも日本がその国内需要を喚起し,国際化を進めることが世界経済の発展に多大の貢献を行なうものであることを確信しております。

 以上私は,日本の五つの「特性」という観点から,今後日本が果たすべき役割について述べました。このように整理してみると,日米両国は多くの問題意識と目標を分かちあっているが日米両国はそれぞれの置かれた立場の相違の故に,双方の果たし得る役割は,相異なる面があることに気付かれたと思います。私は我々の役割の相違は日米両国間の相互補完関係を示すものであり,日米のパートナーシップは,より平和で繁栄した世界の探求のために貴重であると考えます。昨年11月,レーガン大統領は,日本の国会で演説を行なわれましたが,その結語で「日本と米国が協力すれば成し得ないことはない」と述べられ,日本側に多大の感動と共感を呼び起こしました。私は,日米両国が,よりよい世界の構築に向けての努力を互いに補完しあう関係こそ,日米関係の最も重要な柱であると信じています。私は政治家の使命として日本が日本としての役割を果たしていくうえでの諸々の困難を断固として決意をもって乗りこえるべく努力していく所存であります。

 米国を特徴付けるものとして,「アメリカン・ドリーム」,つまり未来に対する楽観主義を精神的支柱としていることが掲げられると思います。中でもカリフォルニアは,西部開拓時代の昔より,多くの米国人にとってまさに「アメリカン・ドリーム」の現実化の可能性に最も富んだ州でもあったし,また,日本からの人々を含め,多くのアジアの人々のこうした「アメリカン・ドリーム」に惹かれ同州に移り住んだ訳です。今日においても,同州には幾多の「アメリカン・ドリーム」が満ちています。一方,日本においては「坂の上の雲」という形容があります。日本人は欧米先進国に近付くという雲を見つめつつ,近代化という苦しい坂道を上ってきましたが,これは,アメリカン・ドリームに対比すべき精神的支柱であり,明日は今日より良くなるという確信が日本人の活力の源でありました。

 今,カリフォルニアに参り,私は太平洋の反対側にみられるのと同じ様なダイナミズムを感じます。また,日米間の益々増大する協力関係を眼のあたりにするとともに,ともにわかち合う未来への楽観主義を肌に感じます。私は,我々の努力によって21世紀を「パシフィック・ドリーム」の時代とすることができるとの確信を深めるものであり,同世紀を人類にとり限りない潜在的可能性を秘めたものとすることができると思っております。私は,ここに「パシフィック・ドリーム」に対する限りなき期待感を表明して,私のスピーチを終わりたいと思います。