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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 倉成外務大臣演説 −「太平洋未来社会」を目指して−(倉成ドクトリン,大洋州外交5原則)

[場所] 
[年月日] 1987年1月14日
[出典] 外務省
[備考] 仮訳
[全文] 

 御列席の皆様、

 ここフィジーにおいて、皆様を前に、太平洋島嶼国の未来につき所信の一端を披瀝する機会を与えられましたことは、私にとって大きな喜びであります。

 私が当地をはじめて訪れましたのは一九六一年のことであります。当時、フィジーはじめ太平洋地域の人々は、ほとんどが、未だ独立前でありましたが、私はこれらの人々の自立への強い熱意に打たれますとともに、この地域で平和が保たれ、安定した生活が営まれていますことを目の当たりにし、太平洋を名の示す通りの平和な水域として大切にすべきであるとの思いを深くいたしました。

 以降、太平洋地域の島嶼国は総じて平穏な中に独立を達成し、国民的情熱を国造りに注ぎました。これらの諸国は取巻く国際環境の時として激しい渦にも拘らず、平和と安定の確保に努めると共に、国際社会の新たな一員としてその秩序作りにも貢献してきたのであります。太平洋島嶼国コミュニティーは、その構成員を増やしつつ、地域的にも赤道をはさんで南北にまたがる広がりを見せるようになり、今日、太平洋島嶼国地域と呼びうる政治的・経済的なまとまりを最近形成するようになりました。これは、太平洋を取巻く地域全体の平和と繁栄にとっても極めて好ましく、我が国として大いに歓迎するところであります。

 御列席の皆様、

 太平洋における民族移動の歴史には強く心を動かされるものがあります。近代の航海術や船舶建造法も知らぬ時代に我々の祖先は立ちはだかる大海原を物ともせず、次第にこれに挑み、征服してまいりました。

 マゼランが西欧人として初めて南アメリカ大陸南端の海峡を西へと通過し、巡り会った大洋を“太平洋”と名付けたのは十六世紀初頭のことであります。爾来、旅行者は、大洋に広がり、交易し、交流を重ねて参りました。この時代にこれは、とてつもない冒険心と大いなる勇気とを必要としておりました。

 しかしながら、この四世紀ほどの間の科学技術の目覚ましい発展は、こういした事情を一変させました。とりわけここ二十五年の変化は激しかったと言えます。超音速の航空機や通信衛星に見られるさまざまな交通通信手段の発展によって、人類はかつて経験したことのない速度と、ほぼ瞬時に行われる意志疎通とを経験しつつあります。太平洋地域においては、これまで人々の意志疎通を妨げて来た大洋が、人や物や情報の交流の要路となり、これに伴いこの地域の諸国も、加速度的に相互依存関係を強め、遠く離れた諸国との関係をも深めるようになりました。このことは、これらの諸国が世界文明の発展の恩恵に均霑するという面がある一方、国際政治・経済の激しい渦に巻込まれることも意味しております。

 こうした変化の中で時あたかも私の外務大臣就任直後、南太平洋フォーラム(SPF)から我が国に対し、対話強化の呼びかけがありました。私はこの現状の中でこれら諸国の息吹きに直接触れることを願い、このたび当地を再訪することを決意したのであります。

 御列席の皆様、

 私はまず、我が国がこれら太平洋島嶼国に対する政策を考えるに当たって、その拠り所とする基本的な認識について申し述べたいと思います。

 その一つは、地理的歴史的関係に立つものであります。我が国は、アジア・太平洋地域に位置する国家として、この地域の諸国との間に長い繋がりがあり、その中には先の第二次世界大戦の痛ましい体験もありました。皆様、我が国は平和に徹し、二度と軍事大国にならないことを固く誓っていることを御約束申し上げます。そして、他の諸国、特に近隣諸国との友好協力関係の増進を外交の基本政策の一つとしてまいりました。いうなれば戦後の再出発を致しました。我々は域内の太平洋島嶼国の抱える問題に無関心ではありえません。従って、私は、これら諸国の開発に貢献するに当っては、隣人としての触れ合いを大切にしつつ、又、開かれた心で接しつつ、共に汗を流したいと考えるものであります。

 もう一つは、我が国が先進民主主義諸国の一員であり、他の志を同じくする諸国と共に、グローバルな解決を要する問題について責任を有するという、言わば政治的認識からするものであります。例えば安全保障の問題は、グローバルな視野に立ったアプローチが不可欠でありますが、我が国のみならず西側諸国全体にとって、この地域の平和の重要性を広く世界の文脈の中で見据えることが今後一層必要となることは明らかであり、国際社会のこの地域に対する関心もますます高まるものと思います。 御列席の皆様、

 以上の基本的な認識を踏まえて、私は、本日この機会に我が国が太平洋島嶼国との関係を発展させるに当たっての原則的な考え方の一端を披露したいと思います。

 先ず第一に、我が国は、太平洋島嶼国の規模のいかんを問わず、それら諸国との二国間関係を深めて行くに当りその独立性、自主性をいささかも損うことのないよう配慮したいと考えております。

 長年にわたり自治達成に向けて努力してきたミクロネシア地域で最近米国との自由連合という関係のもとで自治を促進する措置がとられてまいったことは真に喜ばしく、我が国としてはこれを心から歓迎し、この地域との関係を今後とも引続き増進させていきたいと考えております。

 第二は、我が国は、アジア・太平洋地域の域内の一員として、現在、島嶼国間に見られる地域協力のやり方を支援して行く、ということであります。

 この域内協力は、適切にも“パシフィック・ウェイ”と呼ばれているこの地域の伝統的価値に基づき進められてきましたが、特にSPFを通じて国際社会における一つの声にまで高まり、大きな成果を挙げて来た次第であります。

 私は、SPFの果している政治的重要性を充分認識いたしており、この地域協力の精神に充分応えたいと希望しております。そしてその希望の一つの表われとして、SPF議長国首脳及びSPEC事務局長を毎年SPF開催の直前もしくは直後に我が国に招請したいと思います。我々は、SPFからの対話強化の呼びかけに応じてこれを行う次第であります。

 第三は、我が国は、太平洋島嶼国地域が、政治的に安定した地域であるよう全力を傾ける、ということであります。

 現在、世界の平和と安定は、好むと好まざるとにかかわらずグローバルな安全保障に十分な配慮なしには維持しえないのであります。太平洋地域が他の緊張関係にある地域から地理的に離れているという理由で、この事実が変わる訳ではありません。我が国は、平和を愛する島嶼国がこの地域の平和と安定のために払っている努力と自主性を極めて高く評価しており、平和で安定したこの地域、とりわけ南太平洋地域に新たな緊張関係を導入することには賛成できません。

 第四は、この地域が経済的にも一層繁栄するよう出来る限りの支援をするということであります。我が国としてはこれまでの太平洋島嶼国に対して行ってまいった支援の在り方を再検討し、その拡充を図ってまいる所存であることをここに表明したいと思います。

 太平洋島嶼国の多くは、資源に恵まれず、外貨収入も一、二の輸出産品に依存せざるを得ず、また規模の経済の利益も得がたい等、小島嶼国特有の経済的脆弱性を有しております。しかし、これら諸国においてはこのような脆弱性を克服し、将来の発展の基盤を作るべく真剣な努力が続けられており、私は、広大な太平洋に点在する各国国民がそれぞれ固有の困難を有しつつも、子々孫々、繁栄への途を歩もうとしていることに対して敬意を表すると共に、我が国としても出来る限りの支援を行うことを表明するものであります。

 我が国の太平洋島嶼国に対する協力は、過去十年間に約五倍に拡充してきておりますが、私は大臣に就任以来、こうした協力が将来に向けて一層拡充されると共に、この地域の発展に一層寄与しうるものとすることにつき新たな検討を命じたところであります。さらに、こうした基本的な考えを踏まえ、今会計年度中、即ちこの三月迄にこの地域の諸国に政府調査団を派遣し、今後の二国間協力の指針を作成したいと考えております。

 また、私は、各国の開発を促進し、また運輸・通信等地域全体の利益と整合性のとれた開発が推進されるよう、我が国として国連開発計画の中に太平洋島嶼国特別基金を創設し、国会の承認を条件として、来年度総額二百万ドルを同基金に拠出する用意があることを表明したいと思います。

 更に私は、太平洋島嶼国の貴重な資源が自然そのものであるとの考えから、自然を活用したテクノロジーの開発を検討すべきものと考えています。それゆえ、我が国はハワイの太平洋ハイテク・センターの海洋温度差発電プロジェクトに対し、来年度に百万ドルの拠出を行う意向を表明したいと思います。

 私は我が国のこれらの支援強化が他の友好国からの支援やSPECにおける調整とあいまって地域の発展に大きく寄与することを期待いたします。

 第五は、心と心の触れ合いを重視したいということであります。我々がよりよき隣人として二十一世紀に向け生きていくためには、太平洋社会間の相互理解を促進することが必要であり、私は、このため若い人々特に、太平洋島嶼国の国造りに当り将来中心的役割を果すことになる人々との間に、人的交流を益々深めることが特に重要と考えております。また、国造りを担う男女の人材の育成は、開発にとり基本的に重要であることは言うまでもありません。現在我が国は、中堅指導者、オピニオンリーダー、報道関係者、技術研修員その他島嶼国の将来を双肩にになう人々を百三十名余り、今年度研究、研修等のため招聘しており、太平洋島嶼国よりも高い評価を得て居ることは喜ばしい限りであると思っております。本年度においては、更にPNG、フィジーの青年招聘事業を開始し、今後ともこうした形での協力の拡充やあらゆるレヴェルでの人的交流の促進を図ってまいりたいと考えます。

 御列席の皆様、

 二十一世紀は「太平洋の時代」だとよく言われます。

 そして、時代の序曲は既に奏で始められました。太平洋地域の諸国は、一斉に相互関係の強化を目指して交流を深めつつあります。太平洋上では既に、近代技術の申し子である超大型タンカーやジャンボ機の動きが錯綜し、上空では、何百という衛星が、人々の通信のみならずテレビ等の宇宙同時中継を行いつつあります。また多くの海洋資源も開発の対象となって来ました。技術革新により解き放たれた人や物、情報は、さながらさまざまな海流のようにここで分れ、かしこで交わり、その過程でこの大きな地域社会に活力を与えていくでありましょう。特に情報化への大きなうねりは、この地域の未来を造る原動力となるちがいありません。

 二年前に当地を訪れた中曽根総理も強調したところでありますが、太平洋地域の人々に対する援助がこれらの人々の国造りという歴史的偉業にとり励ましとなるよう希望致します。我が国は、これらの人々が、直面する大いなる変化に取り組むに当り可能な限りの協力を行う旨私はお約束するものであります。

 私は、二十余年前に当地を訪れた時と同じく、ここ太平洋島嶼国地域がいつまでも平和であって欲しいと思います。そして、この地域の人々が国造り、人造りを進めながらも、外部の人々に対する暖かいもてなしといった普遍的価値を保全するように、又、エメラルドの海にある島々の自然の美しさがほころびることのないようにあって欲しいと思います。さすれば必ずやこの地域は人類の心の故郷であり続けると思うのであります。

 開発と保全、それは果して両立しないものでしょうか。私は、そうは思いません。賢明な人類は必ずやそれを成し遂げるでありましょう。

 我々“太平洋人”は、固く手を携えて、この困難ではあっても意義ある課題に取り組み、「太平洋未来社会」を築き上げようではではありませんか。

 御静聴ありがとうございました。