データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] パキスタン及びインドを訪問の際の池田外務大臣演説,21世紀の日本と南アジアの新たな関係を求めて

[場所] ニューデリー
[年月日] 1997年7月25日
[出典] 外交青書41号,216−222頁.
[備考] 
[全文]

バンカル印日経済協力委員長、

モディ前印日経済協力委員長、

並びに御列席の皆様、

(冒頭挨拶)

 本日、私のインド訪問の機会に当国各界で指導的な役割を果たしておられる皆様に、21世紀に向けての日本とインド、日本と南アジアとの関係についてお話をする機会を得ましたことは、私の大きな喜びであります。主催者のFICCI(フィッキー)ASSOCHAM(アソチャム)の方々に感謝申し上げます。

 実は、日本の外務大臣のインド訪問は1996年1月と1997年1月の2回にわたり決定され、発表された後に、よんどころない事情で残念ながら延期のやむなきに至りました。今回3度目の正直ということで念願通り訪印が実現したことをうれしく思います。

 私自身についていえば、1990年4月、国会議員として当時の海部総理に随行して以来の訪問になるわけですが、偉大なるインド国民について私の印象に強く残っているものがあります。それは、30数年前、私の岳父であり、日本の戦後の経済成長をリードした池田勇人総理が、ネルー首相の招きでインドを訪れ(1961年11月)、当地を離れるに当たって残した言葉、即ち「インド国民が経済発展に努力されつつ、なおかつ『精神的優雅さ』と『寛容の精神』を堅持しておられることに対する深い感銘」であります。

 昨日、グジュラール首相兼外相をはじめ要路の方々にお会いしましたが、正にそのような精神が、世界四大文明の一つであるインダス文明が四千年前にこの地に産声をあげて以来、1つの世代から次の世代へ脈々と受け継がれ、今日も力強く息づいていることを如実に感じとることができたように思います。

(今回の訪問の目的と成果)

 今回の訪問を通じ、私は、日本とインドがアジアにおける指導的な立場を占める国として、あらゆる面において相互の関係を強化する必要があることを確信致しました。

 その第一は、両国間の政治面での対話と協力の深化であります。日印間の政治対話をより活発にし、かつ多角的なものにしていきたいと思います。両国間の高い政治レベルでの往来と接触は、両国の地位に見合った水準にあったとは必ずしも言えない状態にあったことは認めざるを得ません。めざましい変化と発展の最中にあるアジアと世界のことを考えると、両国がもっと対話を深めるべきことは明らかであります。その一環として、両国外相がより頻繁に直接協議する機会をもつことにつきグジュラール首相兼外相との間で意見の一致を見ました。また、本日就任されたナラヤナン大統領に対し、この場を借りて日本政府の心からの祝意を改めて表明したいと存じますが、新大統領閣下に公式の日本訪問をご招待致しました。新大統領の訪日が、日印友好関係の新たな一頁を開くことを強く期待しております。

 この関連で、両国の国会議員レベルの一層の交流も期待されます。昨年、日本の国会において中山元外相を会長として日印友好議員連盟が再組織され、意欲的にインドとの交流に取り組もうとされております。この熱意がインド側にも伝わり、この度インド議会においても印日友好議員連盟が発足したことは、誠に喜ばしい発展であります。

 第二に経済面での日印間の協力の推進については、日印間の貿易投資関係を一層緊密化するために種々の努力を重ねていきたいと考えます。特に我が国から貴国への投資については、1993年度から1996年度の間に倍増という急激な伸びを示し、これ自身は歓迎すべきことでありますが、それでもなおインドが日本の海外直接投資に占めるシェアは96年度で0.5%にとどまっており、潜在力が十分に生かされているとは言えません。双方が更なる努力を行う必要があります。我が国政府としても、来年2月には大阪商工会議所を主体とする使節団をインドに派遣する予定です。

 更に、日本はこの10年間、インドに対する最大の援助国として、OECDに開発援助委員会で採択された「新開発戦略」の趣旨を十分踏まえつつ、政府開発援助(ODA)を通じ、インフラの整備、貧困の撲滅及び環境保全という3つの分野を重点に、貴国の経済社会発展に積極的にお手伝いして参りました。先月パリで開かれたインド開発フォーラムで、1997年度円借款として1300億円以上のプレッジを行いました。我が国の対外援助予算は国内の厳しい財政状況を反映し、来年度は10%削減となることが政府決定されております。そういう厳しい状況にありますが、今後もインドの開発の促進のためにODAによる支援を続ける考えです。

 第三に日印両国の関係を国民の間に深く根差したものとし、より強固な基盤に立ったものとするため、文化交流や学術交流は、大変重要であることは言を待ちません。特に、最近の我が国での世論調査では、南アジアに対し「親しみを感じる」と応えた人の割合は3割を割っています。二国間関係を幅と深みのあるものとするためには政治、経済関係と並び、国民間の交流が同時並行して拡大していくことが不可欠です。

 近代の日印国民間交流はインドの詩人タゴールと我が国の美術界指導者岡倉天心の親交に源を有し、その後の日本におけるインド研究、インドにおける日本研究は立派な成果を挙げてきています。しかし、21世紀に向けてまだまだ発展させる余地はあります。私は、今後各種プログラムの活用を通じ、日印間の知的交流を一層活発にしていく所存です。

 その一環として、我が国としては、日印双方の有識者が今後の日印関係のあり方につき幅広い見地から議論する「日印賢人21世紀委員会」を設立したいと考えており、インド側関係者とも相談して参ります。また、インドとの関係に携わっている日本側関係者の間には、民間の活力により日印間の交流拠点をインドに設立しようという動きがあると承知しております。例えば「日印センター」とでも呼びうるようなこの構想については、更なる検討が必要であり、貴国の協力を得ていくことも必要とされますが、実現の暁には日印間の幅広い交流の場として、また日印関係者の活動の拠点として、両国間の経済関係を含む各分野に渡る関係強化に大きく貢献することが期待されます。

 今年のテニス全仏オープン混合ダブルスにおいて、貴国のマヘシュ・ブパシ選手と我が国の平木理化選手が見事なペアを組み、優勝を果たし、我々に感動と喜びをもたらしました。この優勝をマスコミは「二人の音色は次第に協調し、最高のハーモニーを作り出した。」と報じましたが、私は、このすがすがしい二人の若者の姿に将来の日本とインドの協力関係の理想の形を見出したと思います。

(南アジアの情勢の変化)

 さて、私のインドとパキスタン訪問は二国間関係の強化が大きな目的ではありますが、同時に今回は残念ながら訪問の機会がなかった二国以外の他の南アジア諸国を含むこの地域全体との関係についても考えるチャンスを与えてくれました。南アジア地域は21世紀に向けて間違いなく地域全体として発展を加速化させ、活力を高め、従って政治的にも経済的にもアジアの中で重要性を一層拡大させるであろうことは多くの識者の指摘するところであります。

 冷戦終結は南アジア地域にも大きな影響を及ぼしております。世界中で史上経済の有用性が認知される中、南アジア各国も熱心に経済自由化を軸とする改革を推進しています。また、この地域の多くの国で民主化が定着しつつあり政治的安定の度合いが増していることも重要かつ歓迎すべき変化であります。

 特にインドは、1991年に経済自由化政策を採用し、2億人とも言われる中産階級がアジアだけでなく世界の注目を集めています。また、インドが新たに東向きの会計強化(「ルック・イースト」)に乗り出し、東南アジアや東アジア、更にはAPEC等のアジア・太平洋方面における活動に感心を強めていることは、ある意味で自然の流れであり、歓迎すべきことであると考えます。パキスタンでは、2月の民主的選挙の結果シャリフ新政権が発足し、政権の安定化を図るとともに、経済面では従来の需要管理から中長期的供給重視へと政策を大きく転換しました。バングラディシュについては、今月初めハシナ首相を日本にお迎えしたばかりですが、政治の安定と経済開発に向けての意欲的な取り組みの姿勢には印象深いものがありました。1990年に民主化を開始したネパールでも、紆余曲折はありますが、民主主義が根付きつつありあます。スリランカでも経済改革が熱心に進められる一方で4月には与野党のトップが同国最大の懸案である民族問題を超党派で解決する合意が結ばれました。

 私は、前回1990年に南アジアを訪問した際に、既にこの地域における変化の息吹を感じていましたが、今回の訪問を通じ、変化を実感しております。日本はこのような南アジアにおける一連の変化を歓迎しつつ、これが各国国民にとり好ましい成果につながるよう可能な限りお手伝いする用意があることを明確にしたいと思います。

(我が国の南アジア外交の原則)

 以上のような認識に基づき、我が国は、南アジアとの諸般の関係や協力を進めるに当たっては次のような原則に従って進めていく考えであります。

 まず第一に、この地域の多様性と独自性の尊重ということであります。多様性はアジアの代名詞といっていい位でありますが、そのアジアの中でもこの南アジア地域の多様性はひときわ際立っております。特に、私たち日本人は、この地域の地理、言語、宗教、伝統、歴史、文化等における多様性には圧倒されます。このような多様性或いは独自性に配慮しない協力は永続きするものにはなり得ません。

 第二に、政治面、経済面および文化面の関係がいずれか一つに偏ったものでなく、バランスをとった形で発展していくことが大切と考えます。過去を振り返ると日本と南アジアとの関係は、近年は総じて貿易投資や経済協力の分野に偏ったものとなってきたことは否めません。こういった分野における関係がお互いにとって重要であること明らかでありますが、これに加えて政治や文化を含む幅広い基盤に立ったものとすることが両者の関係をより強固で永続的なものとする所以であると考えます。

 第三に、政府レベルと民間レベルそれぞれの特性を生かした協力関係を構築していくことも大切と考えます。この地域においても、民営化が進められ、民間の活力を重視する政策がとられています。政府や公的部門が果たすべき役割が引き続き重要であることは当然でありますが、民間部門の役割を重視する流れは1つの時代の趨勢であり、我が国としてもこのような動きを積極的に支持するものであります。例えば経済インフラ整備の問題についても、日本と南アジア諸国の官民が適切に役割を分担することによって、多様なニーズに一層効果的に応えることができると信じます。

 第四に、南アジアに関心を有する我が国以外の域外諸国との協力の可能性は常に確保されていることであります。そのためには、日本と南アジアとの間に開かれた協力関係を育んでいくことが大切であります。また、お互いの協力の成果がアフリカ等の他の開発途上国の利益ともなるよう配慮することも大切です。我が国は98年に「第2回アフリカ開発会議」を東京にて開催する予定ですが、アジアの経験をアフリカ開発に活かすとの観点から、南アジア諸国から積極的な参加を得たいと思っています。

 第五に、日本と南アジアとの関係は、幅広い国民の理解と参加に基づいたものにしていく必要があります。そのため、国民レヴェルの交流を一層活発にしていくことが大切であり、とりわけ、21世紀をになう青年たちの交流を大切にしたいと考えます。

(日本と南アジアの関係強化のための方途)

御列席の皆様、

 南アジア、とりわけ貴国との関係を考えるに当たり、皆様の大国にとってあるいは耳障りかも知れませんが、是非申し上げなくてはならないことがあります。

 それは、イメージの問題であります。

 イメージは親近感と密接に関連しています。

 かつて貴国の日本国民の間におけるイメージはきわめて前向きのものであり、貴国にたいする親近感には強いものがありました。

 現在は如何でしょうか。

 たとえば、ここに核政策の問題があります。

 私は、国に存立を確保する上で安全保障の最重要の課題であることは十分理解しております。それがしばしば妥協を許さないものであり、貴国そしてパキスタンが独自の安全保障策をとられる背景と論理も承知しているつもりであります。

 他方、広く知られているとおり、我が国は唯一の被爆国であり、日本国民の核に対する感情についてはいずれの国であるとを問わず極めて敏感なものがあります。

 我が国朝野において日印関係の重要性を疑う者はまずいないでしょう。

 にもかかわらず、貴国そしてパキスタンがカシミール問題をめぐる緊張を抱え、ミサイルの開発、配備を競い、CTBTに署名しないという状況は我が国における親近感の増進を阻害する大きな要因であります。

 インドとパキスタンという南アジアの中心的な国が対立関係にある場合、それは我が国と両国、そして南アジアとの関係が政治、経済面を含めて「拡大均衡」に向かわず、「縮小均衡」に向かう危険を内包しています。

 換言すれば、我が国と貴国、そして南アジアとの関係が政治・経済、そして官民を包摂した形で推進されるためには、インドそしてパキスタンが有効関係維持に務めるとともに核政策の分野でもこうした観点をも踏まえた対応をされることが極めて重要と思料する次第であります。そして両国がCTBTを核軍縮への重要な一歩と考える国際世論の声に耳を傾けるべきです。

 このように申し上げるからには、同時に、貴国を中心として、関係国の間でなされている努力に対し、正統な評価が与えられないとフェアとは言えません。この関連で、わが国は、最近南アジア全体に「善隣友好外交」の輪が広がっていることを高く評価します。特に、グジュラール首相が、最近この地域で「グジュラール・ドクトリン」として知られるようになっている外交方針に基づき近隣国と対話を進め、関係改善に努力を払われていることは特筆されます。昨年12月のインドとバングラデシュのガンジス河川水配分協定、インドとネパールのマハカリ河総合開発協定、印パ間の外務次官級協議の再開に続く外相会談、首脳会談の実現など、地域の関係改善に大きく寄与していることを歓迎します。

 私は、南アジアで地域レベルの協力が進んでいることにも注目しております。南アジア地域協力連合(SAARC)は発足後10年以上となり、経済、社会、文化など幅広い分野でゆるやかではあるが、可能性(ポテンシャル)を着実に現実のものとしつつあります。去る5月のモルディヴでの首脳会議では、2001年までの自由貿易地域(SAFTA)の創設が合意されました。唯一の域外支援国として「日本・SAARC特別基金」を通じて支援を行ってきた我が国にとって、このような動きは誠に心強いものであり、今後も我が国としての支援を継続する方針です。

 12億人を抱える南アジアのマーケットとしての魅力は我が国でも大いに注目を集めております。インドを始めとする各国の経済改革遂行により、我が国財界でも投資先としての南アジアが脚光を浴びています。2月に開催されたインド貿易見本市では我が国は「アジア初のパートナー国」として、過去最大規模の参加を果たしました。貿易見本市には、日本政府代表の宮澤元総理の他、平岩経団連名誉会長、豊田同会長等多数の有力財界人が訪印しました。この5〜6月にはパキスタン、スリランカに我が国の政府派遣経済使節団が赴き、両国政府との間で緊密な意見交換ができました。当地にも来年早々に政府派遣使節団が来る予定であることは先ほど述べた通りです。このように、我が国財界の南アジアへの関心が従来以上に高まっている中で、ここにお集まりのインド経済界の皆様とも、より一層緊密な関係が深まっていくものと期待しております。

 この関連で、我が国はこの地域の経済改革の動きを強く支持しており、毎年、世界銀行等が主催して開催される援助国・機関の会議には、これからも積極的な貢献を行って参りたいと思います。我が国はこの地域の全ての国にとって、最大の二国間ODA供与国となっています。近年、我が国も極めて困難な財政状況の下にありますが、日本は、経済協力を通じたこの地域への貢献を今後とも可能な限り行っていく考えです。その際、資金協力と人材育成等の技術協力とがバランスをとった形で進められることが重要であるという私の強い信念もあわせて申し上げておきたいと思います。

 また、南アジアの経済発展にとって足枷となりつつあるのは、電力、道路、港湾、通信といったインフラの不足にあることはつとに指摘されている通りであり、それぞれの国の政府や公的機関が大きな責任を有しておりますが、その膨大な重要を満たし、建設や運営をより効率的なものとしていくため内外の民間企業の参加が求められていることも事実です。日本企業もこの分野に強い関心を示すようになっております。私は、南アジアの各国政府が、海外からの投資認可手続の一層の簡素化など投資促進のための思い切った措置を講じていくことが大切と考えます。日本政府としても、このようなインフラ整備を政府開発援助(ODA)等を活用して支援していくとともに金融・資本市場の思い切った更なる自由化を進めることにより南アジアを含む諸国や企業の資金調達の途を拡げて参ります。

 最後に、南アジアとの青年レベルの交流の強化が必要な事は言うまでもありません。特に次代を担う青年レベルの交流は21世紀の日本と南アジアの関係を考える上で重要です。我が国は、南西アジア青年招聘計画、国際協力事業団の青年招聘事業、さらに世界青年の船などの様々なプロジェクトにより毎年多くの若者を南アジアから招待し、あるいは日本の青年が出かけておりますが、今後もこれを継続致します。

 日本を知る南アジアの若者と南アジアを知る日本の若者は、将来の日本・南アジア関係強化の礎となる人達です。

(結び)

御列席の皆様、

 本年は、インド、パキスタンは独立50周年、また来年はスリ・ランカ独立50周年にあたります。

 南アジアの国々が独立して以来半世紀の間、日本と南アジアは一貫して友好関係を育んで参りました。戦後直後に青年時代を過ごした私の世代の日本人にとって、インド人パル判事の極東軍事裁判での活躍やジャヤワルダナ・スリ・ランカ元大統領の「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む」との発言は、国際社会復帰を模索する中で、大いに勇気を与えるものでありました。

 我々日本人は常にこれら南アジアの人々に我々に向けられた暖かいまなざしに見守られて生きてきた思いが致します。そして今こそ我々日本人は、南アジアの人々と手を携えて共通の理想に向かって進んで行くべき時が来たのではないかという思いが致します。

 御静聴ありがとうございました。