データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 東南アジア諸国訪問の際の小渕外務大臣政策演説,21世紀への展望−日本と東アジア−

[場所] シンガポール
[年月日] 1998年5月4日
[出典] 外交青書42号,198−202頁.
[備考] 仮訳
[全文]

(はじめに)

 このような素晴らしい聴衆の皆様の前で所信を表明することができ誠に光栄に存じます。ジャヤクマール教授には、懇切なご紹介を賜り、そして政策研究所にはこのような機会を設けて下さり感謝申し上げます。アジアの知的活動の中心であるシンガポールで政策演説を行うことは誰にとっても一つの挑戦であると言えますが、まず、タイ、マレイシア、そしてシンガポール3ケ国訪問を終えるに当たり、各地で多くの人々から心温まる歓迎を頂き、厚く御礼申し上げます。

 地理的にも歴史的にも日本と東アジアは密接な関係にあります。近年は、さらに相互依存関係を深めています。私が今回の訪問を決意したのは、この地域を襲った通貨・金融危機とそれに伴う諸困難を共に手を携えて乗り切りたいとの考えからです。そして、この困難を共に切り抜けることにより、我々は、21世紀に向けての希望(アスピレイション)を分かち合い、より一層近しい関係となるでしょう。

 今回の訪問中、困難に敢然と立ち向かう各国リーダー達の姿を拝見しました。また、若い世代のエネルギーと活力も目の当たりにしました。そして、私はこの地域の将来に改めて希望と確信を持ちました。

 私が初めてアジア諸国を訪れたのは今から35年前です。当時、私は20代の志ある青年でした。1963年の1月から10ケ月間かけて、タイを皮切りに、アジア、中東、アフリカ、欧州、南北アメリカ各地を旅しました。力はみなぎっていましたがお金はなかったため、皿洗い、合気道の助手と何でもやりながら旅を続け、世界を見てきました。

 この旅を通じ、私は世界の人々が紛争、貧困、病気など様々な問題に直面しながらも勇敢にそれぞれの希望を追求している姿に感動を覚えると共に、より安全でより快適な地球を築いていくために、人々が国境を越えて力を合わせてゆくことが必要であることを痛感しました。このような経験を胸に、帰国後、私は政治の途を志しました。以来30余年、日本、アジアそして世界の人々のより良き未来のために出来る限りの努力をしてきました。

 本日は、アジアの一員としてわが国が現下の東アジア経済危機に如何に対処するか、そして21世紀に向けてわが国と東アジアの諸国の関係をどのように展望しているかについて私の考えを述べたいと思います。

(東アジアの経済危機)

 近年、世界の成長センターとして東アジアは目覚ましい経済発展を遂げました。しかし、昨年後半から、多くの東アジア諸国が通貨危機に端を発した厳しい経済困難に直面しています。地球規模での相互依存関係を背景に、この状況は、この地域のみならす{前1文字ママ}世界経済全体に対しても暗い影を落としています。各国は経済困難に対処すべく、国際的な支援を受けつつ抜本的な経済構造調整に取り組んでいます。しかしながら、各国経済の回復のためには依然多くの課題が存在しています。経済困難が社会的弱者を直撃することも懸念されます。

 自己改革の努力が求められているのは日本も同じです。わが国経済は、バブル経済崩壊の後遺症から未だに抜け出せず、依然として、厳しい不況にあります。わが国は、この不況から脱却すべく、先般決定された「総合経済対策」に加え、社会的経済的システムのあらゆる分野における構造改革に不退転の決意で取り組んでいます。共に痛みをこらえつつ抜本的な自己改革に取り組まない限り、東アジアが再び世界の成長センターたる地位を取り戻すことはできないのだということを我々は肝に銘ずる必要があります。

(小渕版「5つのC」)

 現下の経済困難を乗り越えるためには、5つの鍵となる要素があります。私は、これを小渕版の重要な「5つのC」と呼びたいと思います。まず第一は、改革に取り組む「勇気」(courage)です。我々は、如何に痛みが大きかろうと、市場の信認を回復するための改革に勇気をもって取り組まねばなりません。第二の要素は「創意」(creativity)です。我々それぞれがおかれた状況は異なり、その違いにより、必要となる施策も自ずから異なります。このような施策は、国際的な要請を満たすだけの透明性や責任の明確さを実現するべく創意工夫をこらして策定される必要があります。第三は「思いやり」(compasssion)です。政策策定に当たっては貧困層、高齢者などの社会的弱者への影響に配慮することが極めて重要です。第四は、「協力」(cooperation)です。現下の危機の性格に鑑み、我々は地域的にも国際的にも緊密に協力しなくてはなりません。第5{前1文字ママ}は「未来に対する確信」(confidence)です。見方を変えれば今回の危機はチャンスでもあります。東アジア諸国は、これまでの高度経済成長により生じたひずみを抜本的に是正することができれば、基本的に強固なファンダメンタルズを反映して再び新たな飛躍を開始できるでしょう。皆さん、暗さを見ず明るさを見て自信を持って共に前進しましょう。

(アジア支援への決意・具体的支援策)

 わが国には、アジア地域における最大の経済主体として、厳しい国内情勢に拘わらず、経済的難局にある東アジアの友人達を支援する責務があると考えています。わが国は、IMF主導の国際的支援の枠組みや二国間経済協力等を通じ、既に域外のいずれもの国からの支援をも遥かに上回る総額約370億ドル規模の支援を行ってきました。わが国は、今後とも、国際社会との協調を図りつつ、リーダーシップを発揮して東アジアの国々を支援し続ける決意です。また、今回の経済困難が域内の後発開発途上国に与える影響にも配慮し、きめ細かな支援を行っていく方針です。

 勿論、わが国は、東アジア経済の安定のためには、わが国自身の経済の回復が如何に重要か十分認識しています。4月24日に発表された「総合経済対策」は、これまでに例のない総額16兆円(約1,200億ドル)に上るものです。大幅な減税や大規模な公共事業投資によって、わが国経済が持続的かつ内需主導の経済成長の軌道に戻ることが期待されます。

 そして今回の総合経済対策の中には、アジア経済支援のため総額7,000億円程度(約54億ドル)も盛り込まれております。これには、日本輸出入銀行の融資による貿易金融の円滑化、円借款の活用による経済改革支援、人材育成のための技術協力やインドネシア等への食糧・医薬品支援が含まれます。更に、昨年12月にASEAN創設30周年を記念して設立されたASEAN基金(ASEAN FOUNDATION)に対し、新たに約2,000万ドルを目途に拠出を行う方向で検討することとしました。この拠出は、ASEANとの「連帯基金」(SOLIDARITY FUND)として、ASEAN諸国の人材開発や貧困軽減、地域的プロジェクト発掘のための開発戦略を促進することを狙いとするものです。

(社会的弱者対策)

 先程も指摘しました通り、経済危機において、最もしわ寄せを受けやすいのが、貧困層、高齢者、障害者、女性・子供等の社会的弱者です。健康や雇用といった問題は、「人間の安全」(ヒューマン・セキュリティー)に関わる問題であり、従来よりわが国はこのような社会開発分野への取り組みに対して政府開発援助(ODA)により積極的に支援を行ってきていますが、今後この分野の協力を一層拡充していきたいと考えています。

 この度はそのような努力の一環として、「アジアの経済危機と健康−人間中心の対応−」と題する国際シンポジウムを4月27日に東京で開催しました。このシンポジウムでは、一貫性ある政策の実施の必要性、健康関連データの管理の重要性、援助国、国際機関、NGOの協力の必要性等数多くの有益な指針を得ました。

 同様に、先月バンコックで開催された国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)総会では、わが国の提案により、今年より後半の5年間が始まる「アジア太平洋障害者の10年」を更に推進するための決議が採択されました。わが 国は、障害者支援のための経済協力を拡充するため今年中にプロジェクト発掘のための調査団をアジア諸国に派遣する方針です。

 さらに、エルニーニョ現象による悪化もあってこの地域で猛威を振るっている森林火災と煙害の問題は、この地域の多くの人々の健康や生活並びに生態系に悪影響を与えており、懸念すべき問題となっています。初期消火体制確立や煙害対策のため、周辺国や国際機関の有する知見を結集するための専門家によるセミナーの開催を提唱したいと考えます。また、火災予防分野で調査団派遣を国際熱帯木材機関(ITTO)に働きかけたいと考えています。

(21世紀への展望)

 現下の経済困難に取り組むに当たっても、我々は中長期的な展望を忘れてはならないと思います。私は、我々は過去の歴史を直視し歴史から学び、来る21世紀を「平和と反映の世紀」にする責務を有していると信じています。東アジアの国々の間で新たなパートナーシップを構築することにより、これを如何に達成するのか私の考えをご説明したいと思います。

 第一は、「平和」を達成することです。冷戦終了後もなお、この地域は様々な不安定要員{前1文字ママ}を抱えています。この地域の平和と安定のためには、日米安全保障体制を通じて、この地域における米国の継続的プレゼンスを確保しつつ、ASEAN地域フォーラム(ARF)のプロセス等を通じ信頼醸成を促進することが重要です。また、中国と他の域内諸国との協力関係、相互信頼を強化することも重要です。また、地域の安定のためASEANが果たしている積極的役割を評価しています。

 わが国は、豪州やニュー・ジーランドを含むアジア太平洋諸国と協力しつつ、民主主義と経済開発の促進を通じ、この地域の平和の基盤を作るべく今後とも積極的な役割を果たしていく所存です。例えば、カンボディアについては、自由で公正な選挙の実施に向けて支援を続けます。カンボディア等における人道的な地雷除去が重要と考えるのも、同様の発想と密接に関係があります。また、朝鮮半島の和平と安定のために韓国及び米国とも緊密に連携しつつ取り組んでいます。

 第二は、「繁栄」を確保することです。この地域が現下の危機を乗り切り、新しい世紀にダイナミックな経済成長を遂げるためには、我々は連帯して多角的な貿易・投資の自由化のための努力を継続する必要があります。わが国は、このような考え方から、今般、世界貿易機関(WTO)の下で西暦2000年以降、包括的な自由化交渉を行うことを支持することとしました。東アジア各国と密接に協力して進めていきたいと考えています。

 また、私は、APEC、ASEMといった開かれた地域協力の枠組みを強化して、多角的な自由貿易体制の補完・強化を追求することが重要であると考えます。ASEAN自由貿易地域(AFTA)等地域的経済統合に益々積極的になってきているASEANがこの面で果たす役割は特に大きいと考えます。

 第三は、「知的相互協力」の促進です。これは、地域の平和と繁栄を脅かす挑戦に対応するために、地域の多様な知的な蓄積や才知を動員しようとするものです。地域規模での協力により、種々の創造的な考え方の融合が促され、そこから新しい世紀に向けた新たな政策イニシアティブが生み出されることでしょう。

 私は、一つの指針的な概念として、「アジアの明日を創る知的対話」を提唱したく、そのための端緒となる会合を今年中に我が国において開催することを提案します。この取り組みにおいて、シンガポールは重要な役割を担うものと期待しております。

 また、若い世代のより多くの交流が行われることも重要です。今日の青年交流によって蒔かれる種子は次の世紀に実を結ぶと信じています。わが国は、このような考えから、留学生交流を重視しており、また、わが国の学生・研究者のアジア諸国への留学を引き続き推進しています。同時に、通貨変動の影響により日本での進学に支障を来しているアジア諸国の私費留学生に対する一時金の支給を行いました。また各国政府による日本への留学生派遣を支援するため、より緩和された条件の円借款の活用も行うこととしたところです。

 更に、橋本総理が昨年1月のシンガポール演説で「日・ASEAN多国籍文化ミッション」派遣を提案しました。最近、その最終報告書が提出され、その中で、文化的伝統の継承と将来の文化交流のあり方を検討するため協力することが提案されています。

(おわりに)

 21世紀はもうすぐ手の届くところまで来ています。我々は、新しい世紀を「平和と繁栄の世紀」として子供達に手渡すという大いなる責任を分かち合っています。国内改革とい{ママ}困難な作業に取り組む一方で、我々は、過去数十年間に我々が成し遂げてきたことを想い起こすべきです。東アジアは、勇気、創意、思いやり、協力、そして確信により、ここまで発展してまいりましたが、これからも現在の困難を乗り越え更にその先へと進んで行くことができるでしょう。生まれつきのオプチミスト(楽天主義者)として、私は、より良い時代が正にそこまで来ていると確信しています。

 ご清聴有り難うございました。