[文書名] サンフランシスコ平和条約署名50周年記念式典における田中外務大臣演説
シュルツ長官、パウエル国務長官、宮澤総理、ブラウン市長、その他ご列席の皆様、
50年前のこの日に、このオペラハウスでサン・フランシスコ平和条約が署名されました。太平洋が真に平和の海となるようにとの願いを込めてサン・フランシスコが選ばれたと言われています。私は、つい先程ハーツバーグ・カリフォルニア州下院議長から、9月8日を平和条約記念日と名付けるカリフォルニア州議会決議の写しを頂いたことを嬉しく思います。本日、心を開いて友好的に私どもを歓迎してくださるカリフォルニア、特にサン・フランシスコの方々に心より感謝いたします。また、シュルツ名誉会長及び「日米21世紀プロジェクト」関係者の皆様に、改めて敬意を表するとともに、御礼を申し上げます。
サン・フランシスコ平和条約により、日本は完全な主権と平等と自由を回復しました。また、この条約により、日本は戦後の国際社会に復帰することができました。日本側全権代表であった吉田総理は演説の中で、この条約は、「和解と信頼の文書である」と述べましたが、まさにその通りとなりました。この平和条約への署名と同じ日にプレシディオで日米安全保障条約が署名されました。こうして日米両国はかけがえのないパートナーとなったのです。歴史はこれらの決断が正しかったことを証明しています。また、沖縄の返還が1972年に実現したことを強調したいと思います。
サン・フランシスコ平和条約は、日本の戦後の発展の礎となったのみならず、国際社会の平和と繁栄の基盤となりました。この条約により、日米両国を始めとする締約国の間で戦後処理に係るすべての問題は解決され、日本及び連合国は、過去に区切りを付け、将来に向けて新たな一歩を踏み出すことができたのです。日本は、この条約上の義務を誠実に履行してきました。
日本は、先の大戦において多くの国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えたことを決して忘れてはおりません。多くの人々が貴重な命を失ったり、傷を負われました。また、元戦争捕虜を含む多くの人々の間に癒しがたい傷跡を残しています。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、1995年の村山内閣総理大臣談話の痛切な反省の意及び心からのお詫びの気持ちをここに再確認いたします。
ご列席の皆様、
終戦直後、日本は食糧不足と経済的困難に直面しました。日本国民が苦しんでいるとき、寛大な支援を差し伸べてくれたのは米国でした。 多くの日本の若者達が、ガリオア・プログラム、フルブライト交流計画等の下で米国で勉強し、彼らが学んだことは、その後の日本の経済発展に貢献しました。また、米国は日本の多角的自由貿易体制への仲間入りを支持してくれました。日本国民はこのような米国の寛大な支援と支持を決して忘れません。
本日、東京で、日本の戦後の復興のために米国が果たした役割に感謝の意を表することを目的として、民間イニシアチブによるA50式典が開催されました。A50の代表の方が、この式典にも出席されています。
ご列席の皆様
50年という月日は、日米関係の歴史の三分の一にあたります。過去50年の間、国際社会は劇的な変革を経験し、数々の課題に直面してきました。日米両国も時には、貿易分野などにおける摩擦を経験しました。日米両国はこれらを乗り越えて、「比類のない、最も重要な二国間関係」を構築し、発展させてきました。これが可能であったのは、日米両国が自由、民主主義、市場経済という価値を共有しているからです。私どもはまた、友情と相互信頼という絆により結ばれています。世界の歴史において、かつて戦火を交えた二つの国が、これほど迅速に、これほど強固なパートナーシップを築いた例が他にあったでしょうか。将来、時に両国間で問題が生じることもあるかと思います。しかし、私は、日米両国が協力の精神に基づいて緊密な対話を通じ、これらの挑戦を乗り越えていくことができると確信しています。
ご列席の皆様、
新たな千年紀に入り、私どもは日米関係の新たなページをめくりつつあります。
今日、アジア太平洋地域には依然として不確実性、不安定性が存在しています。国際社会は多くのグローバルな課題に直面しています。世界第一、第二の経済力を有する日米両国は、こうした課題に取り組んでいく責務があることを十分認識しています。
世界は、米国が経済、地球環境や、安全保障及び軍備管理といった問題への取組みにおいて、引き続き主導的役割を果たすことを期待しています。また、世界経済の発展のため、世界は日本が自らの経済を再活性化させることを期待しています。小泉内閣は、このために構造改革を断行する決意です。また、日本は国際社会においてより積極的な役割を果たす用意があります。
私たちは政治・安全保障における同盟国であり、また、緊密な経済的パートナーです。私はさらに文化の面においても相互交流を深めていかなければならないと考えます。
これほど異なる歴史、文化を有する日米両国は、夫々の社会について学び続けなければなりません。お互いの社会を構成する人々のあり方を理解して、はじめてお互いの社会を理解することができるのです。このような考えに基づいて、私は来年から米国の高校生25名を一年間、日本に招待する計画をはじめます。この計画が日米の相互理解を促進させ、日米関係を発展させるための小さな一歩となることを願っております。
そしてこの計画をJapan-US Mutual-understanding Programと名付け、この頭文字をとってJUMPと呼びたいと思います。
ご列席の皆様、
今日の日米両国間の友情、協力及び信頼は、全て半世紀前、この場から始まりました。私たちの先達が、これまでの50年間行ってきたように、これからの50年間の平和と繁栄を進めることを誓い合おうではありませんか。
そして、今日この日に新しいスタートを切って手を携えてまいりましょう。
ご静聴ありがとうございました。