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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 川口外務大臣演説,モンゴル国立大学におけるスピーチ「日本とモンゴル:過去、現在、そして未来」

[場所] ウランバートル(モンゴル国立大学)
[年月日] 2004年9月1日
[出典] 外務省
[備考] 
[全文]

ガンツォグ モンゴル国立大学学長

ご列席の皆様

 ご紹介いただきました川口順子です。

 まずは、先ほど、光栄にも、名誉博士号を頂きましたことに対しまして、学長を始め、関係各位の皆様にお礼を述べさせて頂きます。

 モンゴル国立大学は、1942年の創立以来、数多くの人材を輩出し、モンゴルの発展に極めて重要な役割を果たしてきたと聞き及んでいます。このような名誉と歴史のあるモンゴル国立大学で本日お話ができる機会を与えられたことに対し、心よりのお礼を申し上げます。

 日本とモンゴルの関係は13世紀に遡る長い歴史を有しています。そのため、私たち日本人の生活のなかには、貴国との深いつながりを示すものがたくさん残っております。日本語とモンゴル語は言語学的にウラル・アルタイ系諸語に属し、系統の近い言語とされております。また日本の国技「大相撲」では、今モンゴル出身の横綱朝青龍が活躍していますが、貴国においてもモンゴル相撲は国民的スポーツであると承知しています。

 たしかに、日・モンゴル関係にかかわる歴史書をひもとく時、両国間に、平和と交流の歴史だけが記されている訳ではありませんでした。それでも、72年、両国の志ある方々の努力によって、日本とモンゴルは過去を清算し、外交関係を樹立致しました。

 90年のモンゴルの民主化は、日本とモンゴルの関係を本当の意味で緊密な関係に育て上げる契機となりました。その前年、89年に行われた宇野外務大臣の訪問は西側先進国の中では最初の外相の訪問であり、日・モンゴル関係の新時代をもたらすものでした。今回の私の訪問は、それ以来15年ぶりとなるものです。

 御列席の皆様、

 今日、両国関係を表現する際に必ずと言って良いほど使われる言葉に「総合的パートナーシップ」というものがあります。97年の外交関係樹立25周年にエンフサイハン首相が来日された折、当時の橋本総理との間で、両国関係を総合的なパートナーシップの構築に向けて発展させることに合意しました。「総合的パートナーシップ」とは、同じ北東アジアに位置するモンゴルと日本が政治、経済、文化等のあらゆる分野で関係を深め、また、二国間関係の問題のみならず地域社会、国際社会の問題についても、また国際機関等の国際場裡においても協力しあいながら全般的な関係の強化を図りたいとした外交理念です。これは、日本が単にモンゴルに対して経済協力を行うというのではなく、お互いを対等な国と国として相互に尊重しあっていくことにより、真に良好な関係を構築すべきであるとの信念に基づくものです。

 私は、現在、日本とモンゴルとの関係が、このような総合的なパートナーシップの目標に沿って極めて順調に発展していることに満足の意を表明したいと思います。

御列席の皆様、

 私は次に90年以降、両国関係がいかに発展を見たかについて振り返ってみたいと思います。以下、その象徴的な例を述べてみたいと思います。

 まず、両国における人の往来が増加しています。留学生の数では、90年に日本で学ぶモンゴル人留学生の数はわずか15人でしたが、2003年5月現在では714人に増加しました。今回の国家大会議総選挙においてはその中から初めて2人の卒業生が当選しました。日本で学び博士号をとり、活躍している人も数多くおります。また留学生だけではなく、観光や様々な用で、両国間を往来する人も急増しています。90年に日本を訪れたモンゴル人の数は数百人だけでしたが、2003年には約5000人のモンゴル人が訪日しました。逆にモンゴルを訪れる日本人の数も、2002年には13,000人まで増加しています。

 次にもう一つの例を述べさせて頂きます。

 90年に民主化と市場経済への移行に向けてモンゴルが大きな変化を見せ始めた時に、日本政府は世界に先駆けて対モンゴル支援のイニシアティブをとりました。モンゴルには「疲れた時に友の価値を知る」という諺があります。90年代の前半はモンゴルの人々にとって正に国家再建の生みの苦しみを味わった時期であったと思います。当時、日本政府は、そうした疲れたモンゴルを積極的に応援し、日本がモンゴルの真の友たりうることを願いつつ様々な努力を重ねました。90年3月にはソドノム首相を日本に招待したほか、91年には、当時の海部総理がモンゴルを訪問しました。92年にはモンゴル支援国会合を東京で開催し、以来、計10回の支援国会合のうち、7回を東京においてホストしました。その後もインフラの整備や緊急支援という形で多くの経済協力を実施して参りました。中でも、第4火力発電所の修復、ウランバートル市へのバスの供与、インテルサットの地上局の設置、ザミンウデの鉄道積み替え施設の開設は、モンゴルの人々の生活の安定と経済発展の基礎を築くために、重要な役割を果たしたと確信しております。91年から2003年までの13年間我が国は、貴国に対するトップドナーとして、総額で1,283億円、約11億7千万ドルもの支援を行って参りました。これは国際社会の対モンゴル支援総額の約60%以上を占めるものです。

 御列席の皆様、

 それでは、これからの「総合的パートナーシップ」をどのように展望したら良いのでしょうか。

 経済面で述べますと、モンゴル側の最大の関心として、経済交流の拡大、とりわけ日本のモンゴルへの投資の活性化が挙げられると思います。両国は、投資をはじめとする経済活動の拡大を図る上で有意義との認識から2002年、投資保護協定を締結しました。しかし協定を締結しただけでは投資が拡大することにはなりません。モンゴルが商業的に、どれだけ魅力的になるかが鍵となります。優遇税制や法的又は行政的手続の簡素化、透明性の向上等により、環境整備が如何になされていくかが重要です。言葉を換えれば、将来のモンゴルの経済発展は、自由な経済を保障する市場経済化の推進にかかっており、ここにお集まりの若い皆様の双肩にモンゴルの将来が委ねられています。日本としても、そのために出来る限りのお手伝いをする決意です。昨年12月、貴国からバガバンディ大統領が我が国を公式訪問されました。その際、我が国はモンゴルの人材育成をお助けする観点から、向こう3年間、貴国から、前途有望な青年500名を受け入れる用意のあることを表明しました。我が国で学んだモンゴルの青年たちが、帰国後、貴国の経済発展に寄与し、ひいては両国間の経済交流の活発化が実現されていくことを希望しております。

 それでは、経済交流、市民レベルでの交流、また今後の両国関係を更に発展させる場合にどのような点に、留意すべきでしょうか。

 モンゴル人と日本人は、人種的に近いものがあり、形は違え相撲という文化を持つなど、似ている面が多々あります。しかしながら、自然環境、歴史、生活様式、社会制度は違う面も多く、思考様式、物事への対処の仕方等で大きな相違も当然出てきます。

 私は日本とモンゴルの双方の国民が正しい相互理解を持つことで、更に二国間の交流は今後、量のみならず質的にも深いものになっていくことと確信しております。

 本年は、奇しくも、日本モンゴル文化交流取極30周年にあたっております。これを機会に我が国政府は日本人の意識を形成する母胎となっている我が国の文化について積極的にモンゴルの皆様に理解していただくべく、様々な行事を企画しています。また、モンゴルの素晴らしい文化の振興を支援し、モンゴルという国と人々への理解を一層深めたいとの思いから、モンゴルの伝統文化の一つである馬頭琴の振興のために、ユネスコ日本信託基金から1500万円相当の支援を決定いたしました。

 御列席の皆様、

 民主化から14年、時代も21世紀に入り、両国関係も新たな発展の時代に入っています。グローバル化の中、日本とモンゴルはともに北東アジアに位置する民主主義国家としての歩みを進めております。92年貴国は非核化地帯宣言を行いましたが、我が国も平和を希求する国として、貴国政府のかかる決断を高く評価しました。日本とモンゴルは、今後とも力を合わせ地域社会、そして国際社会の安定と平和のために貢献していくことが可能であり、また重要であると考えます。これが、新時代における両国の歴史的使命であり、「総合的パートナーシップ」がこれを体現するものであることは、繰り返すまでもありません。

 最後に、新たなチャレンジを行うモンゴル社会の中において、重要な人材育成の府である貴モンゴル国立大学の存在は、益々重要になると確信しております。貴国を愛する有為な人材を社会のあらゆる分野に輩出することにより、貴大学卒業生がこれからのモンゴルの未来を担い、我が国との友好の架け橋をさらに強固なものとしていって頂けるものと信じております。今日お集まり頂きました先生方、学生の皆様の今後のご活躍とご健勝をお祈りして、私のスピーチを終わらせて頂きます。

 繰り返しになりますが、名誉博士号を頂きましてありがとうございました。