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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 麻生外務大臣演説:日本にとって経済外交とは何か

[場所] 東京(日本記者クラブ)
[年月日] 2006年3月8日
[出典] 外務省
[備考] 
[全文]

1.なぜスピーチをするか

・・・三つの論点

 今開かれております国会の開会冒頭、わたくし外交演説というものを致しました。その最後で、実は一つ公約をしております。

 「今後はこれまでにも増して、我が国外交の目指すところを論じ、国内外に伝えていくことに私自身努力する」という約束です。きょうのスピーチも、この時切った手形を落とす一環とお受けとめください。

 外務大臣という立場になりいつも強調しておりますのは、外交というものを「なんのため」にしているのか、そして外務省とはいったい何をする役所なのか、常に自問自答すべきだということです。

 例えばわたしども、外交に当たって、ODAを貴重なツールとして使います。人と人との交流を増やそうとします。

 しかし、「ODAのためのODA」などというものは、そもそもあってはなりません。「交流のための交流」もあり得ないわけですが、「なんのため」という問いを常々念頭に置いておかないと、ついそこに手段と目的の混同を起こします。

 回り回ってすべては日本のため、そこに住む者の幸せのためである、という外交の本質が、見えなくならないとも限りません。

 さらには外務省の本務とは、いま申しました意味での外交の本質を、ひたすら追求するというところにあるはずです。

 この際そこらを根気よく何度も言葉にし、国民とともに確かめるのは無駄ではないだろう‐。省員たちの意見も聞く中で、そう思うに至りました。ですからほぼ毎月一度、テーマを変えつつスピーチするつもりですが、背後にはそんな事情があるのだとご承知おきください。

 そこできょう経済外交を取り上げるに当たっても、外務省とはいったい何をし、またしようとする役所なのか、経済外交という場合、その目的は何なのかという、基本中の基本を考えてみようと思っています。

 ことに申し上げたいのは、次の三点です。

 第一に、外務省には、世界経済にグローバル・ルールを打ち立てて、しかもそこに国益を反映させていくという、ほかにはできない仕事が確かにあるということです。

 ルールとはもちろん、利害の衝突から生まれます。まして世界にあてはまるルールとなると、それをつくる過程は必ず国益のせめぎ合いになります。

 そこを頑張って渡り切り、一つ一つの部門利益というより総体として日本の国益が伸ばせるよう、世界のルールづくりをになっていく。要はそれこそ、外務省ならではの任務であります。

 第二に、いま我が国はいわゆるWTO交渉のほか、それを補完・強化するため、EPA、エコノミック・パートナーシップ・アグリーメントというものを、いろいろな国と交渉しております。これがいったい何で、何を目指すのか、この際再確認しておきたいということです。

 第三に、そのEPAを、どうせ手がけるならあくまで迅速に進めたいということです。現状のスピードに、わたし自身決して満足しておりません。この際ギアを入れ換えて大いに速度を上げない限り、国民の支持は覚束ないと思います。

 そんな順番で、以下お話をさせてください。

2.外務省ならではの仕事とは

 外務省が手がける経済外交とはよくよく煎じ詰めたところ、世界の中で日本国民と日本企業が安心して働き、利益を伸ばすことができる大きな環境をつくることだろうと思います。

 法的にきちんと安定した制度に支えられ、将来を見通しやすい環境を、外国と共同してまず作る。作ったら、それをメンテナンスし、たゆまず強化していくことだと言い換えることもできます。

 WTOの務めが、まさしくそれです。専門家が言う「法的安定性」と「予測可能性」を、WTOを舞台に世界の経済へもたらしていくことは、結局みんなのためになり、もちろん日本の利益にもなるわけです。

 そのような意味で外務省とは、日本国民と日本企業の経済的利害を、最もマクロな視点から代表し、守っていこうとする「ロイヤー」のようなものかもしれません。

 長期の不安要因をコントロールしようとする点では、一種の「保険会社」であるとも言えます。もちろんここでは、そうならなければならない、という意味で、自分に言い聞かせるため申し上げているわけです。

 以上を前置きに、以下では外務省「にしか」できない仕事が何かという点、もう少し噛み砕いてみます。

 米国に、USTRという組織があります。ああいうものを我が国にもつくれという声は、時折出てきます。もしつくってしまうといかにも屋上屋となるに違いないのですが、ではなぜ、日本にはいまさら必要がないのかというところ、皆さんに分かっていただく必要があります。

 ほかの役所や機関にはできず、外務省「にしか」できない仕事というのは、こと経済外交に限って言う場合あるのか、と。あるならその本質は何なのか、ということです。

 今回スピーチする目的の一つはそこに答えようとすることですから、わたしなりに考えて、外務省「にしか」ない特質を三つにまとめてみました。

 その一。外務省は、特定の産業を後ろに背負っていない。特定産業との利害関係がないから、中立に、「国益」重視で行けます。

 その二。昔は「条約局」、いまは「国際法局」といって、法律の専門家集団を中に抱えています。国対国や、マルチの(多国間の)経済交渉で決まったことは、紙に落としてルールにしないといけません、そこを専門にする職能集団を抱えております。

 ルールをつくって「法的安定性」と「予測可能性」を打ち立てるのが、経済外交の本務であるなら、まさにそれを専門にする集団を抱えているのが外務省なわけです。

 その三。経済交渉で目的を達成しようとする場合、政治や安全保障など、国と国の絡み合った利害の中で、あっちを押してこっちを引く、というようにしながら実(じつ)を取る、というのが大方のやり方である。つまり間口を大きく構えていないといけませんが、それができるのは外務省だけです。

 以上、三つにまとめてみましたが、こういう能力を与えられていればこそ、外務省は、内では各省各界、利益の調整に走り回って、文字通り汗をかき、外では、まがりなりにも「オール・ジャパン」を代表して交渉できるわけです。

 わたしの役割はというと、裏方でいろいろ動く省員たちを励まし共に努力していくことですが、一言で言うと調整役の総元締めです。難しい問題であればあるほど、総理の下で関係閣僚の皆さんとお話しながら、外務大臣が自ら力を奮わなければならないのは当然のことでしょう。

 また言うまでもありませんが、外務大臣と外務省の上に、首相と首相官邸の指導力があります。国家としての意思がそこで決まり、外務省は交渉のプロとして、またルール・メーキングの専門家として、実地の任務に当たると、そういうことだろうと思います。

 さてその交渉の相手は、長年の行き掛かりやら、どこで譲ってどこで勝ったといった星取表を覚えこんでいる海千山千ばかりです。わが外務省はどんな人材を使っているのか。おのずと疑問が湧いてきます。

 それで、ここは外務大臣としてむしろ陽を当ててやりたい部分なのですが、いろいろ制約の多い人事制度をやり繰りし、専門家をつけようとそれなりに苦心している形跡が分かってまいりました。

 GATTの時代から経済交渉に携わり、「ガット屋さん」とか、もう少し砕いて、「ガッチャマン」と呼ばれてきた交渉担当者の一群がおります。彼らの中には今も、WTOやEPAの交渉第一線に当たっている者が少なくありません。

 また外務省の経済局には、民間から手を貸しにきてくれている人たちもいます。

 例えばEPAを進めようと外務省へやってきた弁護士さんが、七人います。商社やメーカーから働きにきてくれている三〇代の男女も、意外と少なくありません。

 「ガッチャマン」にしろ、民間出身の若い人たちにしろ、こういう集団がいるとは外務大臣になるまでわたし自身知らなかったことなので、皆さんも知らないだろうと思い、あえて言及した次第です。

3.日本のEPAはFTAより広くて深い

 さてWTOについて触れない経済外交スピーチはないと思い、何を言うべきか考えてみました。

 日本は明治の開国以来長い間、関税の自主権を持つことができませんでした。戦後、昭和30(1955)年にGATTへ加盟してからですら、ごく最近の平成7(1995)年まで、いわゆるGATT第三十五条の適用という差別的な扱いに苦しんだ歴史があります。

 WTO交渉とは、そういう不平等な秩序を誰も味わわずに済むよう、世界を公平なルールが仕切る場所へ変えていく試みです。グローバル・ルールを打ち立てていくための、土俵づくりだと言えるでしょう。

 しかしこれはこれで一本のスピーチを必要とするような話で、きょうわたしの言いたいことは結局のところ、「日本として、いまのWTO交渉をまとめなければならない」という点に尽きます。

 ずるずる交渉をただ続けていると、WTOの信頼性を傷つけるだけに終わります。お互い譲れない一線はあるにせよ、もういい加減、日米欧、ブラジル、インドなど主要国が、話をまとめる段階に来ています。

 交渉では、どの国にせよ満額回答を取れるということはありません。本年中の交渉期限をしっかり守る。それが主要国の責任だと思うわけです。

 WTOについてはそれだけ申し上げたうえ、本日は話題になることの多いFTAと、我が国が進めているEPAに論点を絞り、両者の違いとか、目指すところを話してみることにします。

 まず、「自由貿易協定」と訳される「FTA」と、「経済連携協定」という意味の「EPA」との違いについてです。

 FTAとは、モノの貿易なら関税を引き下げよう、サービス貿易なら、外資規制などをなくそうというものです。クニザカイの垣根を前提としており、その意味で20世紀型の仕組みです。

 それに対し我が国が進めているEPAでは、交渉する国同士が踏み込んで、安心して投資ができる枠組みを作るとか、知的財産権保護の仕組みを揃えておくといったことを致します。これで、製造業の工程間分業とか、双方向の投資が一層活発になります。

 また、看護師や介護福祉士といった特定資格をもつ人材の交流を盛んにするとか、まさに経済にクニザカイというものがなくなった実態を前提としているのがEPAです。

 FTAのように垣根をはさんで会話するのでなく、経済制度をつくったり変えたり、踏み込んだ対話をするのがEPAなので、多くの場合先方の人材づくりを手伝う作業まで伴います。

 実際途上国と深い対話をしようとすると、人材づくりのお手伝いは避けて通れません。逆に言うとそこを素通りする対話は、表面をなでただけのものに終わりがちです。

 例えば昨年、リビアのカダフィ大佐の子息(セイフ・アルイスラム・カダフィ氏)が来た時も、リビアには地方自治が発達していないので、地方自治法、地方税の取り方をお教えする等々、いろいろな話が、これはわたしが総務大臣の時にありました。

 ほかに例えばベトナムからは、内務大臣を含む地方行政の責任ある立場の人を平成15年度に8人、16年度に6人お呼びして、立川市にある自治大学校などを舞台に勉強していただくというようなことをやっています。パレスチナの課題の一つというと、まさに政府組織をどうつくるかですが、平成17年度には、パレスチナからも2人、研修生が自治大学校へ来ています。

 今、生身の人間同士が交流する一例を申し上げましたが、日本が結んでいるEPAは、人と人との交わりの中で、互いに力を付け合う協力関係を深め、一緒により豊かな世界を作り出そうとするものです。つまり、FTAよりは質において比較にならないほど深いし、カバーする範囲も広いのがEPAなわけです。

 ところが不思議なことに、日本はEPAで「小粒の合意」を繰り返しているといった批判を聞くことがあります。とんでもないのでありまして、最近署名したマレーシアとのEPAを例にとると、往復貿易額の実に97%に対応する関税がなくなります。加えてサービス、投資、知的財産、競争、ビジネス環境整備といった分野をみな対象にしており、人材育成面での協力なども含むのですから、「小粒」どころか、十分「ヘビー級」です。

 それからもう一つ。財界の皆さん始め多方面から、我が国は米国とこそEPAを結ぶべきだという意見をいただきます。

 これにハイ分かりました、やりますと答えられれば話は楽ですが、ここは正直に申し上げて、わたし自身にも、外務省を含む政府全体にも、結論がありません。イエスとも、ノーとも言い切る自信がない。

 何かこう、自信のないことは、大臣などは言ってはいかんことになっておりますが、あえてウソのないところを申し上げました。

 やるなら、既存のEPAと次元の違うものになることだけは明確です。日米の経済はもうケタはずれに深い関係を結んでいるし、両国合わせると、世界経済の4割を占めるという大きい話でもあるからです。

 少なくとも判断保留、思考停止というのはよろしくない。外務省の諸君には、引き続きしっかり悩んでいただきたいし、わたし自身、政府の中で考え続けていきたいとだけお約束しておきます。

4.EPAとは「仲間づくり」戦略

 さていま日本は、アジアで既にシンガポール、マレーシアとEPAの発効・署名を済ませ、タイとは実質的な交渉を終えています。インドネシアやASEAN全体とも交渉を進めているほか、ベトナムやブルネイとも近く交渉に入る運びです。米州ではメキシコと既に発効させ、先月からチリとの交渉を始めました。

 ルールづくりとは取りも直さず等しい価値観を共有することですから、いま日本がしていることはわたしに言わせると、国益を念頭におきながら、価値観を同じくする仲間をアジア太平洋からだんだんと広げていこうとしているわけです。

 ではこの先どういう国々とEPA交渉をしていくかについて、皆さんの関心を喚起しておきたいのは、一昨年12月に政府全体で作った基本方針(「今後の経済連携協定の推進についての基本方針」)のことです。

 「交渉相手国・地域の決定に関する基準」が別に添えられており、そこで明言している通り、我が国全体としての経済利益を確保するため、次の五点を考慮することにしています。

 第一に、EPAによって貿易や投資が拡大し、相手の国に進出した我が国企業のビジネス環境が良くなるかどうか。第二に、EPAがないことに伴う不利益とは、どうしても解消しなければならないものか。

 資源や食糧の安定供給を図るのに役立つか、というのが第三点。我が国の構造改革を促すため有意義かというのが第四の論点で、最後は専門的・技術的労働者の受け入れを促進できるかどうかという点です。

 以上五点に加えて、我が国にとって有利な国際環境がつくれるか否かといった論点とか、そもそも相手国の状況はEPAを結ぶにふさわしいかといったもろもろを勘案し、決めることになります。

 ここからお察しいただけます通り、こうして結んでいくEPAとは取りも直さず、日本にとって、強い絆で結ばれる仲間を一つ一つ作っていくことだと言ってかまいません。仲間づくりにうってつけの仕組みであるという側面が、実のところEPAにはあるのです。

 そもそもEPAとは、そう易々と結べるものではありません。仕上がり段階の合意文書は厚みが何十センチにもなるほどで、そのことを先だって小泉首相に申し上げたら、「ほおーっ」と感嘆の声が出ました。

 大変な仕事を一緒にする。だから友達になる。これは古今東西を通じる真理で、多人数で長い時間手がけるEPA交渉にはその妙味が表れます。

 そればかりではありません。先ほど申しました通り、EPA交渉とは往々にして、先進経済をもつ我が国から途上国へ、制度づくりに関する大々的な技術・ノウハウの移転を伴います。

 早い話、日本とEPAを結んで良かった、いろんな意味で自分のためになったと言ってもらえて、初めて互恵互助の「仲間づくり」ができたと言えるわけです。

 そういう妙味を発揮するEPAの相手国が、これまでのところASEAN諸国に集中していることを、わたしは偶然だとは思いません。1995〜2003年にかけASEAN諸国に日本、中国、韓国がどれくらい直接投資したか、手元に数字があります。それによると、日本の対ASEAN投資は、中国の44倍、韓国の11倍という規模に上っています。

 タイの電力は、その1割が日本のODAプロジェクトで作られているというような例を引くまでもなく、日本はASEAN諸国でインフラ整備にも一役買ってきました。これらがあいまって、日本とASEANには深い相互依存関係、信頼関係があります。

 それを「何十センチにも上る書類」で固めましょうとやるのがEPAですから、仲間づくりにこれほど効果的な方法も、ざらにはないわけです。

 実地の交渉を手がけるのは例の外務省の虎の子、「ガッチャマン」たちですが、わたしから言うなら、彼らはただ単に日本国民や企業の金銭的利益を追求しているのではありません。アジアと世界に、一つまた一つ、深い相互依存で結ばれた仲間をこしらえていくという、まこと外交官冥利に尽きる仕事をしているのだと思います。

5.一層のスピードアップが急務

 最後にEPAというもの、慌ててやる必要はないが、急いでやるべしと申し上げて、締め括りにしたいと思います。

 初めに述べたように、EPA交渉のこれまでのスピードに、わたしは決して満足しているわけではありません。他方、それがどれほど大変な作業かという実態を知るにつけ、例えば速度を倍、三倍に増やしていくなどは、不可能だと思わざるを得ないのも事実です。

 そこで、ここでは三つの改善策を提案したいと思います。

 第一は、これまでの交渉の蓄積が出来てきたので、初めから仕上がりの姿をいわば雛形として相手国にお見せし、つくっていく方法。これは、ベトナム、ブルネイ、インドといった相手に試しつつあります。

 第二に、相手国によっては、これまでのEPAのメニューを全て交渉するのでなく、FTA部分に絞るとか、投資協定を先行させるなど、様々なパターンの取り組みがあってもいいでしょう。

 第三に、事前準備に時間をかけず、直接交渉入りするケースもあって構いません。従来は、民間の学者などを交えた研究会を必ず経てから交渉にかかったものでしたが、いま進めようとしているGCC相手の交渉は、そこを思い切って省きます。

 ペルシャ湾岸六カ国の集まりであるGCC諸国は、言うまでもなく我が国が石油の75%、天然ガスの23%以上を依存し、エネルギー安全保障政策上極めて大切なパートナーですが、今回は先方からの熱い呼びかけに応えてFTAを一発ドン。相当早く結べると思います。

 いずれにせよ悠長なことは言っていられません。冒頭「経済外交とは」と定義をしたときの表現を思い出していただけるなら、EPAは日本のため進める仕事です。グローバル経済が激しく先行する実態に、ルールをもって追いつこうとする方策です。今まで以上に速く手がけていくことを外務大臣としてお約束し、本日のお話を終えようと思います。ご清聴有難うございました。