データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 北大西洋理事会(NAC)における麻生外務大臣演説:新たな安全保障環境における日本とNATO

[場所] ブリュッセル
[年月日] 2006年5月4日
[出典] 外務省
[備考] 外務省仮訳
[全文]

1.新たな世紀、まやかしの曙光

 デ・ホープ・スケッフェル事務総長、

 NATO常駐代表の皆様、

 皆様の暖かい歓迎に感謝申し上げます。この場でお話できるのを楽しみにしていました。私がここに来たのは、日本がNATOとより密接に協力したいと述べるためだからです。

 事務総長、

 最近貴事務総長は、本年後半NATO首脳が集まる際に、日本のような非加盟国とより密接な関係を作ることにつき話し合われると述べました。そのような議論の時期がきていることに私も同意します。

 今日は、何故我々がともに行動すべきか、既に行っていることは何か、将来どのように一層協力を推進できるかについて述べたいと思います。

 2001年9月11日は新たな時代の幕開けでした。冷戦中は、我々が直面している脅威の種類は既知のものでした。しかし、9.11後の世界で、いつ、どこで新たな脅威が現れるかを予見することの困難さに我々は気づいています。

 その一方、我々の地域で根底にある安全保障上の構造は、欧州のそれとは大きく異なっていることにふれなければなりません。アジアでは、過去の時期の残滓、冷戦型の構造がまだ存在するといわれます。例えば北朝鮮は核能力開発を認めています。台湾海峡をめぐる問題も、未だに残っています。

 この地域の新たな動きは、中国の台頭です。我々は、地域及び世界において中国が責任ある役割を果たすことを歓迎していますが、軍備増強の透明性については、東アジアの安全保障環境に与えうる影響に鑑み、我々はよく注視しなければなりません。

 2002年10月12日、インドネシアのバリで、自爆テロにより数百人の人々が殺されました。日本の新婚旅行客も犠牲となりました。観光が最大産業の一つであるインドネシアは、これにより大きな被害を受けました。

 この悲劇により、アジアの人々は、テロリストにとって国境はなく、攻撃はどこでも起こりうるという現実を突きつけられることになったのです。

 ASEAN地域フォーラム(ARF)において、アジア諸国が非国家主体による暴力に如何に取り組むかについての議論が加速されました。

 現在、アジアの人々は、伝統的な安全保障環境におかれつつも、テロリズム、海賊、人身売買、麻薬密輸、大量破壊兵器の拡散に対する共同戦線を張りつつあります。

 誰も手をこまねいてはいられないのです。新しい脅威が我々に到達する前に、我々皆が行動しなければなりません。

 この共通認識の下、日本はNATOの重要性を再発見しました。NATOも日本の重要性を再発見したことと期待します。

 皆様、

 我々は、NATOの主たる役割が、集団防衛であることは承知しています。日本の自衛隊は、憲法に基づく制約のため、いかなる形であれ集団防衛の取決めへの参加は出来ません。

 しかしながら、制約はあるものの、日本が、世界に更なる平和と安全をもたらすために積極的に責任を担うようになってきていることも事実です。私は、日本とNATOとがともに多くを達成できると確信しています。

2.アラビア海にて、パキスタンにて

 実際、我々が会合を持つこの日にも、日本の補給艦と護衛艦が任務につき、NATO加盟国海軍のため待機しています。艦上では、300人以上の真摯な自衛官達が、「不朽の自由作戦」支援のために役割を懸命に果たしています。

 2001年11月以来、日本の海上自衛隊は、ローテーションを組んで、継続的にインド洋とアラビア海への派遣を行っています。ある士官は、これを「アラビアの騎士作戦」と名付けました。彼らはコアリションの海軍に燃料と水を供給して支援しています。彼らの海上における能力は、国際的に評価されており、私は彼らをとても誇りに思います。

 15年前、湾岸戦争のすぐ後に、海上自衛隊はペルシャ湾海域に掃海艇を派遣しました。

 活動の中心を担った4隻の掃海艇は約500トンと小さいものでしたが、母港から6800マイルも離れたところでの活動でした。500名の乗員は99日間にわたり活動を行い、掃海活動が困難な海域で残存していた34個の機雷を処分しました。

 日本の自衛隊が、感銘を与えたのは、その技術のみならず、隊員の高い規律でした。隊員は、最年少は19才という若さでしたが、100日に及ぶ活動期間中、極めて高い規律を保ちました。

 海上自衛隊が現在、アラビア海の厳しく暑い状況の中、それと同じか更に高い規律を日々示していることをお話でき、嬉しく思います。

 本年3月7日現在、679回の給油活動で、艦船に1億1千万USガロンの燃料を、11万4千ガロンのヘリコプター燃料を、62万1千ガロンの水を供給しました。日本は、テロ対策の重要性に鑑み、今般活動期間を更に6ヶ月間延長したところです。

 アフガニスタンでは、日本の主たる貢献の一つはDDR活動であり、旧国軍兵士の武装・動員解除を行い、彼らを市民社会に再統合しています。

 この努力は、アフガニスタンの社会が、旧タリバン政権から新たなより平和で民主的な体制へと移行するのを促進するために、とても重要な役割を果たしてきました。私は、DDR活動が成功裏に終了しつつあることをとても誇りに思います。

 ここで、DDR活動の成功は、国際治安支援部隊(ISAF)の活動に大きく負うものであることを強調しなければなりません。各地のISAFの存在は、例えば地方の軍閥を説得し、各個人から武器を回収する等、現場でDDR活動を進めていく上で極めて重要な役割を果たしてきました。

 アフガニスタンのような移行期の国では、治安は復興努力にとって死活的に重要であることはいうまでもありません。日本のDDRとNATOのISAFとは、治安を維持する上で非常に大きな相乗効果があり、それなしにはアフガニスタンの人々は現状を達成できなかったでしょう。

 イラクにおいても、数千人の自衛隊の男女が地方自治体のために活動しています。彼らは、そこで人道復興支援、道路の補修、医療サービスの提供を、最初はオランダと、その後は英国及びオーストラリアとの密接な協力のもと行ってきています。

 さらに西のゴラン高原では、日本の自衛隊がPKO活動に従事しており、彼らもカナダ、ポーランド、スロバキアといったNATO加盟国と緊密な協力を行っています。

 さらにパキスタンでは、昨年の大地震の後、日本は再びNATOと出会いました。日本が救援のために派遣した自衛隊の一団は、NATO即応部隊の近くで活動していました。

 つまり、ご覧のとおり、日本とNATOとの協力は既に始まっているのです。

 ここ数年、日本とNATOとはその接点を強化してきました。

 皆様の招待により、2004年5月に当時の駐アフガニスタン日本大使がNACを訪問し、日本のDDR活動について話をしました。

 翌月、日本の海上自衛隊の潜水艦作戦の専門家がNATOの同僚にサンクトペテルブルクに招待され、NATOの潜水艦救難作業部会の会合に参加致しました。

 2005年4月のデ・ホープ・スケッフェル事務総長の訪日に続き、自衛隊の先崎一統幕議長がブリュッセルを訪問しました。

 私の同僚の訪問が続きました。昨年12月に塩崎恭久外務副大臣が、本年1月に谷内正太郎外務事務次官がNATOを訪れました。

 先月には、第6回日・NATO高級事務レベル協議が行われました。そして、今日私が日本の外務大臣としてはじめてNACを訪問しています。

3.我々は意識を共有する仲間、さらに協力して行動を

 日本とNATOとは多くの共通点で結ばれており、これら相互訪問はずっと前に行われていてもおかしくなかったものです。我々は民主主義、人権、法の支配という価値観を有しており、元々、意識を共有する仲間です。

 皆様、

 日本とNATOとの出会いは驚きではありません。日本とNATOとは長年、国際社会の平和と安定に向けて積極的に貢献するという共通の意図を有していました。

 日本は、NATO内でパートナーシップの見直しについて議論が行われていることを承知しています。

 我々は、NATOが同盟国や日本のような他の関係国が関心を有している政治・安全保障上の問題について議論するフォーラムとしての役割を増大させつつあることも承知しています。

 我々相互の意識を高めましょう。これまでよりももっと頻繁にお互いが隣りあって活動する機会が増えるでしょう。

 より頻繁に、より定期的に、将来のありうべきオペレーショナルな協力を視野に話し合いを始めましょう。

 我々の政策を協調させるために、実務的な関係を構築しましょう。

 日本はNACとの定期的な接点を構築することに関心がある旨を確信とともに述べたいと思います。

 議論を続けていく中で、日本はその憲法の枠内でNATOと協力していくための最も適切な方法を検討していきます。

 したがってまず防衛交流のようにお互いに出来ることから始めて、次第により大きな、より多くのことを目指していきましょう。

 我々の努力は小さな前進かもしれませんが、日本とNATOとの過去の非常に大きな隔たりを考えれば、大いに意義のあるものです。

 今後、日本とNATOとが相互理解を継続的に深めていけば、最後には、政策協調のみならず、オペレーショナルな面においてもどのような協力が可能かを見つけるであろうと私は確信しています。

 皆様、共に第一歩を踏み出し、前に進みましょう。