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政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 外務省・国連大学共催「平和構築を担う人材とは・アジアにおける平和構築分野の人材育成に関するセミナー」における麻生外務大臣基調講演:平和構築者の「寺子屋」をつくります

[場所] UNハウス(ウ・タントホール)
[年月日] 2006年8月29日
[出典] 外務省
[備考] 
[全文]

ラクダール・ブラヒミ元国連事務総長特別顧問ほか、お集まりの皆様、

私、任期中にぜひ道筋をつけたいと念じて参りましたのが、本日のテーマ、「平和構築を担う人材の育成」です。

山中政務官との約束でもありまして、本日スピーチができ、やっと一枚、手形を落とすことができました。

これから3点、私の公約を申します。

第一に、平和構築を担う人材を育てるため、「寺子屋」を作ります。

「学校」と言うと、仰々しい建物が思い浮かびます。

そういうものではないので、「寺子屋」と。

来年度中に試験的な姿で始め、再来年度以降、軌道に乗せたいと思っています。

予算の相談などは全部これからでして、実はフライング気味の話を致しております。

なぜ必要なのか、申し上げてみます。

国連は、世界各地で「平和構築」、「平和維持」の活動をしております。

そこにざっと、PKO関係者だけで5000人の文民が、各国から国際職員として関わっています。

この5000人を出身国別にし、どの国が何人出しているのか見てみました。

比べやすくするため、当該国の人口100万人当たりにしますと、

ニュージーランドから、11.5人。ノルウェーから、7.8人。カナダから、7人。スウェーデンからは6人の文民が、各地の国連ミッションに従事しています。

それに対し、我が日本は、たったの0.16人しか出しておりません。

この実態を正し、「平和国家日本」の暖簾を、もう一度新しい色で染めようということを、今日は申し上げるつもりでおります。

日本は、自衛隊員をどんどん出そうという国ではありません。

しかし平和の構築、維持には、文民も大勢必要です。それを、日本からもっと出したいわけです。

ただし、銃声が止むか止まない段階から、国づくりに至る長い期間、危険な地であえて活動しようという文民の方には、相応の知識や、安全管理のスキルを身につけて頂かないといけません。

現場で関係者に混じり、調整する能力も必要です。

そういう知恵や技能を身につけてこそ、もともとお持ちの実務経験、知識を、平和構築の現場で生かすことができます。

「寺子屋」では、短期の養成コースから、将来は学位を取れる課程まで提供したいと思っております。

スウェーデンやカナダのようなPKO先進国には、平和構築の専門家を育てる学校があり、自分の身の守り方まで含め、さすがと言えるようなノウハウを教えております。

そういう学校から、先生を呼びたいとも思っております。

将来を担うアジアの若者たちも、生徒、学生として寺子屋へお呼びしたいものです。

アジアには、PKOの兵隊さんをたくさん出している国は既にあります。しかし行政実務とか法整備とか、プラスアルファの知識となると、そういう国からも日本に来て、寺子屋で一緒に学んでいただいた方がいいかもしれません。

日本人と、例えばタイ人の卒業生同士、出身が同じだと分かるようなワッペンでもサファリシャツの袖につけ、いつか一緒にアフリカ辺りで平和構築に励むというのが、寺子屋の未来像であります。

公約の第二と致しまして、日本はこの先、平和構築に向けた「知的リーダーシップ」というものを、従来以上に発揮していくよう心がけます。

国連に新しくできた「平和構築委員会」という組織が今年6月から活動を始めました。

日本はこの委員会に、創立メンバーとして、一貫して関わってきました。

また東ティモールとアフガニスタンの平和構築に関しては、日本は国連安保理事会で「リード国」を務めています。

安保理としてこの両国に関する文書を出そうという際、草案を書き、まとめる役目を負っています。

それから近年広く重要性を認められた「人間の安全保障」という理念の旗振り役を、当初から務めてきたのも日本です。

一人ひとりの個人が、恐怖や欠乏から自由になる力をつけないと、結局平和は築けないとするのが「人間の安全保障」の考え方です。

日本は平和構築に生かせる経験と、経験に基づく言葉をもっています。

それを国連始め様々な場で積極的に広め、熱を込めて語り、世界の議論をリードしていこう、と、それが二番目の公約です。

第三は、「実践篇」です。

人材を作ります、立派な言葉も語ります、でも現場へは出しません、では、話になりません。

平和構築のまさに現場で働く要員を、求めて参ります。

国ごと、紛争ごとに、望ましい取り組みは千差万別です。

それを現地で、その国の人を中心にしつつ、関係者と共に担っていける要員の増加と、質の向上。

それを求めて参るということです。

ところで皆さん、「現場で働く要員」と聞くと、とっさに日に焼けた、屈強な男性を想像しませんでしたか。

本日のスピーチをつくる過程で、ある3人の日本人女性のことを知りました。

平和構築にまつわる日本の経験は、なんといってもカンボジアが皮切りでした。

総じてカンボジアでは、物事が比較的スムーズに進んだのですが、これはさすがにカンボジアという栄光の歴史をもつ国に、もともと土台があったからです。

それにしても最近あの国で、日本は何をしてきたのか。

聞いてみると、日本人女性の活躍という話が出てきました。

一人は三澤あずみさん。96年に任官した、東京地検の検事さんです。

あとの二人も、同じ頃任官した判事補と検事です。

3人の女性はみな、法務省の「法務総合研究所」という機関に属し、カンボジアで働いた人たちです。

近年カンボジアでは、法律の整備が進んでいます。

我が国のODAを一助とし、民法と民事訴訟法も整いつつあります。

裁判官や弁護士を育てる学校も、できています。

3人の日本人女性とは、その学校で教える先生方を、さらにコーチするプロとして働いた人たちなのです。

もう1人、野口元郎(もとお)さんのことをご紹介します。

カンボジアでは今年7月、クメール・ルージュ政権の幹部を裁く裁判が始まりました。

紛争から復興しようとする国の場合、紛争状態にあった時代の国家犯罪を裁く過程は、多くの場合避けて通れません。

ここで正義が実現しなければ、国民の和解は難しいからです。

我が国はそう考えまして、クメール・ルージュ裁判のため、国連が負担する予算の半分、約24億円に上るお金を出しました。

加えて、野口さんという40歳代半ばの法律専門家を、クメール・ルージュ裁判上級審の、3人からなる国際判事の1人として送り出しています。

この方、先ほどの「法務総合研究所」に属する東京の「国連アジア極東犯罪防止研修所」という機関で教官をしてきました。

その間に、ベトナム、ラオス、カンボジアの法律整備を助け、外務省の国際法局でも、国際人道法の仕事を手がけてくれたという人で、今度の裁判のため、野口さんほど適任の方はおりません。

もちろん、屈強な男というイメージぴったりの日本人も、カンボジアで活躍しております。

「日本地雷処理を支援する会」というNPOに属し、地雷の除去を地道に続けている人たちです。

これは、カンボジアでPKOに携わった自衛隊OBたちが集まり、もう一度現場へ、ということになって始めた組織です。

現役を退いた方が多く、頭には白いものが混じっておりますので、別段コワモテではありません。

東ティモールのPKOに参加した自衛隊員にも、引退後にまた東ティモールへ戻り、重機の操作など現地の人に教えている例があるそうで、いずれも心温まる話であります。

こういう話を聞くたび、どんな面構えをした人なのか、私には目に浮かびます。

自民党の青年局長をしていた時、各県青年部から有志を募って、青年海外協力隊が活動している現場を見て回ったことがあります。

そういう場所で働いている日本人は、みんな、いい顔をしているのです。

働くことそれ自体、喜びだという顔つきです。

ともかくこうした例から、平和の構築という仕事には、幅広い人材が必要なのだとご納得頂けるでしょう。

元自衛官から裁判官まで、皆、平和構築の担い手になれます。

平和構築とは、後でも述べますが、国づくりそのものだからです。

思うにカンボジアとは我が国にとって、平和を作り出すとは一体どういうことか、そのイロハを教わった道場でした。

日本が主導力を発揮し、成功に導いた和平交渉、これがイロハの「イ」に当たります。

PKO、DDR、選挙の監視からその後の法律・制度の整備へと、一つながりのプロセスを切れ目なく手がけてきました。

ちなみにDDRとは、「元兵士の武装解除・動員解除・社会復帰」のことです。

太閤秀吉が、地侍を農民に戻すため、「刀狩」をやりました。あれの現代版です。

カンボジアで日本は、初めて本格的なPKOを手がけ、自衛隊員、警察官が活躍しました。

選挙の実施を助け、それから十年以上の月日が流れましたが、我々はいまもって、カンボジアから教わり続けております。

それは一つに、平和を定着させた後に取りかからねばならないのは、国づくりそのものだということです。

そして国づくりとは、実に膨大な時間のかかる仕事だということです。

早い話、国家とは税金で成り立つものですが、その税金というものが、一般に紛争後の地ではなかなか取れません。

財産の所有権をどう確立するかとか、徴税事務をどうするかとか。

それから地方自治をどう築き、議会をどう開いていくか。

もちろん国づくりには、教育制度の充実が不可欠です。

初等段階から高等教育まで、そしてさっき紹介した3人の女性がしているように、専門家の養成まで、いろんなレベルで作らなければなりません。

平和構築とはこのように、平和を定着させ、国づくりをするまさにそのことなのだと言えます。

地域に安定した平和をもたらし、行政実務の膨大な仕組みを、その国の将来に向けて根づかせること。

それが平和構築の、重要な側面であろうと存じます。

またそう考えればこそ、「平和の定着と国づくり」という政策を我が国は提唱し、実践して参りました。

以上のことから二つ、言えると思います。

第一。

日本には、明治時代以来、営々と自前で築いてきた行政実務の経験があります。

近年は、個人の力を強める「人間の安全保障」という旗を掲げても参りました。

それらを、語り、伝えられるはずであります。

前に、平和構築に生かせる経験と、それに基づく言葉を日本は持っていると言ったのは、そういう意味であります。

総務大臣だった時、リビアからカダフィ大佐の息子さんが来ました。

地方分権、地方自治のことを説明しましたら、帰国後に手紙をくれ、「民主主義は時間がかかるということがよくわかった。地方分権の実務なんて、考えたことがなかった」という趣旨を言われておりました。

実務経験の伝授という面で、日本が手を貸し、知恵を貸せる余地は、我々が自覚している以上のものがあると、確信をもって言うことができます。

第二。

求められているのは、PKOから教育制度づくりまで。

DDRから、訴訟制度の整備まで。

財産登記のノウハウや、住民登録の実務、税務の知識も重要です。

すなわち我々にはごく当たり前の、行政実務を切り回すノウハウというものが、平和構築の過程では一つひとつ求められるのです。

だとすると、日本にはそれを手がけることのできる人材が、ほとんど無尽蔵に眠っていると言えないでしょうか。

平和構築のプロになる素質を持っているのは、皆さん自身であり、身の回りにいる鈴木さん、田中さんなのです。

提案した「寺子屋」では、その鈴木さん、田中さんが勇気をもって平和構築の働き手になれるよう、必要な知識を与え、経験を補うことになるでしょう。

日本に帰国した時、同じ鈴木さん、田中さんが、例えば以前の職場に戻れる仕組みなども、整えていかなければなりません。

本日は、平和構築イコール平和の定着プラス国づくりだという点、それから、平和構築という仕事は様々な人に開かれた道だという点をご理解頂こうと、カンボジアの実例に何度か触れました。

しかしカンボジアは、元々土台が残っていたので成功した例でありまして、それがよい証拠に、今やカンボジアはスーダンにPKO部隊を送り、平和構築を自ら助ける国になりました。

その意味で、カンボジアにおける平和構築の成功は、あくまでも例外だという厳しい現実があります。

今私どもが直面する本当の課題は、アフリカや中東で、この瞬間にも悲劇を繰り返している紛争地域に、どう平和をもたらすかということです。

人類の通信簿は、この点決して誇れるものではありませんが、それでも文民を送り、努力を続けていこうとしている国々があります。

早く我が国も、その仲間に十分な人材をもって加わりたい。

そのため専門知識や技量、もっと言えば、男気、女気のある、青年・壮年を送り出したい。

それこそが、本日のセミナー以降、「寺子屋」へとつなげていきたい動機であります。

私ども、東ティモールでは、農業や教育といった制度づくりを助け、アフガニスタンでは難しいDDRを手がけ、少しずつ経験を積んできました。

それを、もっとやっていこうということです。

平和構築の道筋を探り当てようとしているスーダンにも、国連ミッションの民政官として働く日本女性の姿があります。

そういう人の数を、もっと増やしていきたいものです。

平和構築を自ら担うため、世界に進んで活躍の場を求める市民がたくさんいる国‐。

それは「平和国家日本」という、戦後我々が営々と築いてきた旗印に、新たな意思の力を加えるものです。

そういう新しい旗を掲げられるようにするためにも、求められる人材の育成に、我が国政府は来年度以降、本腰を入れてかかります。

このことをもう一度お約束し、スピーチを終えたいと思います。