データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第17回「アジア経済人会議」〜融和から創造へ:統合と革新で成果をリードするアジア経済〜(アジア協会主催・平成19年5月16日〜18日)における麻生太郎外務大臣基調講演:グローバル経営と日本外交の使命

[場所] 東京(東京プリンスホテル)
[年月日] 2007年5月18日
[出典] 外務省
[備考] 
[全文]

 皆さん企業経営に際して「中期」というと、大体3年。「長期」といっても、滅多に10年先までお考えにならないと思います。ガバナンスの制度が充実したせいか、社長は2期も務めるとそれでおしまいというケースが増えました。

 ですから口では皆、長期的な、環境変化に備えた経営をと言いますが、それをやるのは民間企業の場合、実はマネジメントの仕組みからして難しい。

 予測能力の構造的限界といいますか、民間経営につきまとうその種問題をカバーしていくことも、日本のような国の場合、外交の大切な仕事になります。そこを本日は、内外からご参集の皆様に、ご理解賜りたいと思っております。

 先を読むというのは、もともと容易な業ではありません。10年、20年先のことはなんびとも予測できない。・・・これは、20世紀が人類に教えてくれた教訓の一つであろうと思います。

 ソ連がアフガニスタンに侵攻した1979年の時点で、それから10年後、ベルリンの壁が崩壊し、20年も経たぬうちソ連は地上からすっかり姿を消しているだろうなどと予測できた人は、全くいなかったのではないでしょうか。

 「グローバリゼーション」という言葉からして、25年前の新聞や雑誌には全く出てきません。

 これが世界の流行語になったのは、1983年、Harvard Business Reviewのテッド・レビット氏‐昨年鬼籍に入りました‐が、「The Globalization of Markets」という論文を書いて以来です。

 しかしグローバリゼーションとインターネットが合体すると何が起きるかとなりますと、今から15年ほど前、まだインターネットがなかった頃には、当然ですが誰にも読めておりません。

 結果は、中国が世界の工場となり、インドが世界のバックオフィス兼リサーチラボになったわけです。こんな未来が訪れるとは、日本とインドの勃興を予見した具眼の士、Herman Kahn(Rand研究所)といえども、想像すらできなかったでしょう。

 未来は所詮、読みにくい。それなら企業経営というものは、あたかも暗闇の中を行く如き業なのかといいますと、まさにそうならぬよう微力を尽くすのが、私は責任ある大国の外交であろうと思っております。

 思いますに外交の要務とは、1つにグローバルなリスクマネジメントです。リスクには、言わば大文字のリスクと、小文字のリスクと両方あります。そしてもう1つ、日本のような国が手がけるべき外交とは、グローバルな「ネットワークの効果」というものを、なるべく大きくすることです。

 そこでまず、海運に携わったり、保険を手がけておられる方に馴染みの深い、「フォース・マジュール(force majeure)」という概念をご想起ください。

 契約不履行について責任を問えない、不可抗力のことを言います。戦争とか、内戦による資産の接収とか、民間企業のリスク管理手法では手に負えない状態を指します。この場合、契約は守れなくても仕方がない、ということになる。

 しかし、民間企業であれば、大変だ、フォース・マジュールだ、とサジを投げそうなところ、まさしくそこに備えを怠らぬのが、私は責任ある大国の外交だと思うのであります。

 既にお察しでしょう。戦後アジアの交易環境から、「大文字の」リスク要因、フォース・マジュールの要素を着実に除いてきたのは、まずは米軍のこの地域におけるプレゼンスでした。そして、それを支えた日米同盟であったと言ってよかろうと思います。近年これに、豪州ですとか、民主主義友邦諸国の連帯を加えるべき状況となっています。

 このように、我が国外交は、アジア経済の安定と発展を支える最も広義の安全インフラを、日米同盟を主軸としつつ提供することによって、ビジネス環境の予測可能性を高め、リスクを低減しているのだと、そうご理解をいただきたいと存じます。

 もっと身近な「小文字のリスク」としては、投資に伴うリスクをどう下げるべきかという日々悩ませられる問題があります。実は、これまた外交の出番になります。

 Foreign Direct Investment(対外直接投資、FDI)が成長のエンジンとなり、アジア経済は離陸を果たしました。貿易や、それからポートフォリオ・インベストメントの場合と違い、FDIは投資の相手国に資金を張り付かせるものです。

 それだけに、投資の受け入れ側は、民法や会計、監査、知的財産権の保護や競争政策について、頼りがいのある制度をもつ必要がある。ここで先を見通しやすい、公平で透明な仕組みを作ることができますと、FDIの出し手、受け手の双方を満足させるwin-winのシナリオになります。

 アジア各国がこのような制度的インフラを自国に築けるようお手伝いをするという、これこそは、日米パートナーシップ強化の一環として、いま日本と米国がともに手がけつつある事業にほかなりません。

 経済の安定性、予測可能性をどう高めるかということは、日本の場合、ODAや、それからFTAの進化型といえるEconomic Partnership Agreement(経済連携協定)を進めていくうえで、常に重視している点です。

 一例はカンボジアです。日本はカンボジアでODAの一環として、民事訴訟の法律づくり、制度づくりを手助けしてきました。

 法律ができたら、次に専門家を育てたり、運用に関して助言することが必要で、日本はそのためのエキスパートも送ってきています。偶然ですが、全員が若い女性の法曹スペシャリストでした。

 いま日本は、米国と、互いのFTA、EPA政策についてもっと情報と知見を共有していこうとしております。いまご紹介申し上げたような日本の実績が、米国自身の取り組みとシナジーを発揮できますと、これまた日米同盟に新しい意義をもたらすはずです。

 さてお話を、「ネットワークの経済効果」というものに転じます。これの極大化というのは、外交の場合、何を意味するでしょうか。

 3人のネットワークですと、互いを結ぶ回線の数は3通り。しかしここにたった1人加わるだけで、回線数は6通りになります。加入者個々は労せずして付加価値に浴せるわけで、これをexternality、外部効果と言いますが、逆に言うと、1人欠けるだけで、ネットワークは本来発揮すべき効果を大きく削がれることになります。

 さてここで、北朝鮮が国際社会から自らを閉ざし続けていることを考えてみてください。

 即ち本来ネットワークの構成員となるべき国が、不在である。一見これは私どもの側に被害を生じていないかに見えますが、われわれみな、実は不利益を被っている事情がご理解いただけますでしょう。

 本来享受できるはずの、ネットワークの恩恵に浴せずにいる。これは経済学的にいうと、ネガティブな出費を強いられているのと同じことだからです。

 この際北朝鮮には、六者会合の約束に忠実に、核問題に加え、拉致やミサイル問題を解決し、日本とまともな関係を結ぶよう改めて呼びかけたいと思います。

 六者会合のメンバーについて名目経済規模を見てみると、中国が、大きくなったとはいえ日本のほぼ半分。韓国とロシアが、それぞれ20%弱ですから、中国、韓国、ロシアを合わせても、日本経済の規模に及びません。

 つまり日本との関係抜きに、北朝鮮の経済発展はあり得ない。アジアン・ネットワークの成員たろうとするのも、無理な相談です。

 ところで張り巡らした回線の数は、多ければ多いほどよい、どこかでそれを詰まらせていると、システム全体が逸失利益を被るという‐。

 ここからご理解頂きたく思いますのは、太平洋の向こう岸、セントラル・アメリカ(中米)に対する我が国の政策です。

 昔からパナマ運河の幅によって船腹の大きさが決まり、ひいては物流に人為的限界が生じていたことは、皆様ご承知の通りです。幸い、パナマ運河の拡張が決まり、先行き問題が緩和されそうな塩梅となって参りました。

 いわゆる「第二パナマ運河構想」に、随分前から関心を示してきた日本の銀行がありまして、それがかつての日本興業銀行、今日のみずほコーポレート銀行です。ここが、このたび総事業費50億ドルを超す運河拡張事業の資金調達アドバイザーに選ばれました。15倍の競争を勝ち抜いたとかで、ある種、執念の賜物かもしれません。パナマ運河の取り組みはそんなふうに、「オールジャパン」の仕事となります。

 加えて日本は、ODAを通じた中米のインフラ統合支援として、いわゆるドライ・キャナル、「乾いた運河」構想というものを後押ししています。海から陸、そして海、とモーダルシフト(異なる輸送形態の使い分け)で接続すると、大西洋と太平洋をつなぐ太い輸送路ができると期待できます。

 このように、世界経済の物流面におけるボトルネックになりそうなところへODAなり、外交資源を集中投下し、ネットワーク効果を極大化することは、我が国外交に課せられた一大使命の一つと思う次第です。

 一民間企業にはできぬ仕事です。いわゆる「カウベル効果(呼び水効果)」をもつ先行投資をする役を、我が国の外交は進んで務めるべきである、と。

 それによって、世界経済がネットワークの効果を存分に享受できますと、これはみんなにとって良い話です。世界経済の1割以上を占める日本は、当然、多くの恩恵を被ります。

 以上本日は、日本外交の重要さについて、皆様の企業経営に即した角度から照明を当ててみました。私どもの仕事が間接的ながら、極めて重要な貢献を果たしております事情をご理解いただけましたでしょうか。ご清聴、有難うございました。