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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 社団法人 日本外国特派員協会(FCCJ)における岡田大臣講演

[場所] 東京(日本外国特派員協会)
[年月日] 2009年10月7日
[出典] 外務省
[備考] 
[全文]

 先程、すばらしいプレゼント(注:FCCJのロゴ入りTシャツ)をいただいたが、自分(大臣)が気に入ったのはシャツの色(緑)である。エコカラーだという話もあるが、自分(大臣)は有名なカエルの収集家、カエルの置物の収集家であり、すばらしいカエルの色だと思う。本日は、大臣に就任してまだ3週間ほどであるが、考えていることをお話したい。

 まず、外務大臣に就任してその日のうちに一つの仕事をした。それはいわゆる「密約」問題に関する大臣命令である。この「密約」の問題というのは、基本的には4つあるとされている。日米安保の改定時期に出された「密約」が2つ、それから沖縄返還の際に出された「密約」が2つ、合計4つあるといわれている。日米安保に関するものについては、例えば、朝鮮半島有事の際に、日本から米軍が出撃する、本来であればそれは事前協議の対象となるべきであるが、そういうことは必要なく出撃していいという「密約」があるといわれるものである。沖縄の「密約」の一つは、沖縄返還は核抜き、核なしで行われた訳だが、有事の際には核を持ち込んでもいいという「密約」があったとされるものである。これら「密約」はいずれも1950年代あるいは60年代の話である。

 その一部は、米国では情報公開法に基づいて既に公になっているものもある。しかし日本政府は一貫してそういう「密約」はないと国会で答弁し続けてきた。自分(大臣)は野党の時代からこういった「密約」問題で、総理大臣や外務大臣が密約はないと言い続けることは外交に対する信頼感を失わせていると感じてきた。国民の理解とそして信頼がなければ外交は成り立たないと自分(大臣)は思うので、この「密約」問題、与党になった時に解決しようと思っていた。たまたま外務大臣になったということもあり、就任の日に「密約」問題についてきちんと調査をするようにと事務次官に命じた訳である。11月末までに全ての資料についてもう一度精査をして「密約」があるかないか明確にするように言ってある。これは政権交代が行われたからこういったことがやり易くなったというのは事実だと思う。つまり、前任の総理大臣、自分の前任の外務大臣が嘘を言っていたということを言うのはなかなか大変だと思うからである。もちろん事実関係を明らかにするだけではなく、なぜ「密約」をする必要があったのかということを当時の時代状況を踏まえてしっかりと検証しようと考えている。外交を行っていく上で、一定の範囲で秘密というものが必要な場合があるということは、私もそのとおりだと思う。ただ、今回の「密約」のように、明らかに事実に反することを国会で何度も答弁していたとすればそれは決して好ましいことではない。同時に、今後の外交に関する情報公開の基準の見直しも含めてよりオープンな外交というものを実現していきたい。

 お手元の紙の1.(3)のところに記者会見の開放と基本方針という項目がある。このことについてお話ししたい。外務省は政府の他の役所と比べれば、記者会見の際にその記者会見に出席できる人の範囲が開かれたものであった。しかし、いわゆる記者クラブに属する記者以外には多くの場合閉ざされていたということも事実である。実はこの問題は少しもめたが、詳細は質問が出ればお答えしたいと思うが、結果的に新聞、テレビ、外国人特派員協会に属する外国人記者の方、インターネット、それから一定の範囲のフリーランスの方にオープンにした訳である。もちろんこれはそれぞれの省庁ごとに考えていけば良い問題だと思うが、外務省でオープンにしたことが一つの道を切り開いたと思っている。

 自分(大臣)が就任時に、就任後100日間、つまり年内でやらなければいけない課題として3つあげた。1つは日米同盟に関わるもので米軍再編と沖縄の基地問題である。普天間基地移設の問題、この問題について、我が党は従来からこれを移転すべき、現在のプランではだめだと言ってきた。そして沖縄では小選挙区でそういう主張をした議員がそれぞれ当選した。そういうことを受けて、これから米国側と話をしていかなければならない。他方で、日米両国政府ですでに合意をして進めていることも事実である。そういう中で、より沖縄の負担が減らせるようなプランがないかどうかということを今考えているところである。先般日米外相会談をニューヨークで行ったときに、日本も米国もお互いに今の政権ではない時に今のプランができたということで、どういった経緯で今のプランができたのかということをお互いに検証しようということで合意した。今、注意深くその検証作業を行っているところである。

 2番目がアフガニスタン・パキスタン支援の問題である。特にアフガニスタンは日本政府が過去20億ドルの支出の約束をし、すでにその殆どを支出してきた。JICAを通じた農業指導やあるいはカブールの空港や道路の建設、あるいは現在のアフガニスタンの警察官の給料の半分は日本政府が負担している。そういったことに使ってきた。さらに今後、なぜタリバンにいくのかいろいろな動機があると思うが、生活のためにタリバンにいくという人達も多いと思う。彼らがタリバンを離れることができるよう、一定の所得を保障し、職業訓練をし、タリバンにいかなくても自分の家族を養うことができる、そういうプログラムを作ることを考えている。

 3番目は気候変動問題である。12月にコペンハーゲンでCOP15が開かれる。日本の基本的スタンスは国連総会において鳩山総理が述べられたとおりである。高い目標を掲げることで、米国と連携しながら、中国その他のこれから豊かになる国々をこの枠組みの中に取り込んでいこうという考え方である。

 今申し上げた3つの問題は、それぞれ米国との関係を抜きにしては語れない問題ばかりである。こういう問題を、日米が信頼関係に基づいて、協働、ともに働いていくことでより信頼関係を深める、その延長線上に日米同盟のさらなる深化があると考えている。自分(大臣)は30年‐50年、日米同盟を持続可能でより深いものにするために外務大臣として努力をしたいとクリントン国務長官に申し上げた。

 同時に鳩山政権として力を入れているのはアジア政策である。東アジア共同体という大きなビジョンを打ち出している。というと民主党はアジアと米国とどちらをとるのかという質問がすぐ来るわけだが、私はアジアか米国かという二者択一論理はまったく不毛であると、アジアも米国もというふうに考えるべきと考えている。アジアはこれから更に経済的にも豊かになる、そして人口も増える、世界の中でより大きい存在になっていくわけで、そのアジアの平和と豊かさを確保しながら日本自身も平和で豊かになっていくというのが私の基本的な考え方である。その際に日米同盟というものはその前提として必要なものだと考えているわけである。

 その他北朝鮮問題とか核の問題とかお話ししたいことはいろいろあるが、皆様の質問に答える中でお話しした方が良いと思うので、このあたりで私の話を終わらせていただきたい。