[文書名] 前原外務大臣外交演説「アジア太平洋に新しい地平線を拓く」
本日、米国を代表するシンクタンクであるCSISにおいて、外務大臣として講演する機会をいただきましたことに心から感謝致します。この場での講演は、ちょうど5年ぶりです。その間、民主党による政権交代で日本の政治が大きな変化を遂げる中、CSISは日米関係を一貫して重視し、着実な研究を重ねてきました。米国の底力は、CSISのような情報分析や政策提言を行い、国内ばかりでなく国際世論形成の上で、極めて有益かつ建設的な役割を担えるシンクタンクが存在することだと思います。ジョン・ハムレ所長、伝統あるジャパン・チェアーを率いてこられたマイケル・グリーン博士をはじめ、研究所の皆様の日頃の取り組みと社会への貢献に改めて敬意を表します。
私は、京都大学で国際政治学を専攻しました。私の指導教官である恩師・高坂正堯先生が、亡くなられる前に私への遺言の一つとして日米関係は色々と困難はあってもうまくマネージしていかなければならない、ということをいわれました。1993年に国会議員に初当選して以来、私は、毎年米国を訪問し、米国政府関係者や有識者の方々と意見交換を行ってきていますが、それはまさに日米同盟が日本外交の基軸であり、その相手国であるパートナーとの信頼関係を構築することは、国政を担う政治家(ステーツマン)としての要諦と考えてきたからです。日米は様々な個別或いはグローバルな問題に直面してきましたが、その度に両国の信頼関係がチャレンジを乗り越える原動力になってきたといえるでしょう。
1960年に日米安全保障条約が締結され、50年が経ちました。2011年は、これからの半世紀を切り拓く新たな日米同盟の元年と位置づけられます。昨年、北大西洋条約機構(NATO)首脳会議は、「新戦略概念」を採択し、21世紀の新しい協調的安全保障を提唱しました。太平洋関係において最も重要な日米関係もまた、今日の戦略環境の変化に相応しい新しい同盟へと深化を遂げることが必要です。昨年12月に米国務省は、「4年毎の外交・開発政策の見直し(QDDR)」を発表し、シビリアン・パワー(文民力の強化)で米国が世界をリードしていく決意を示しました。QDDRでは、効果的な米外交実施体制のあり方をめぐり、厳しい見直しもされており、不断の向上を目指す米国の本領を感じます。とくに、シビリアン・パワーによって、紛争予防・開発・平和構築・脆弱国家の支援などの安全保障の領域に対する省庁横断的アプローチを強化していくこと等が示されていることに注目します。日米安保条約を平和と安定の礎にしながら、日米が連携してアジア太平洋のシビリアン・パワーの台頭を促していければと望みます。アジア太平洋が、21世紀の平和と繁栄を牽引していく地域になるために、私たちは、シビリアン・パワーのネットワークを強化していき、歴史の中でこれまで人類にもっとも平和と繁栄をもたらしている民主主義や市場経済を根付かせていくことが必要です。
本日は、「アジア太平洋に新しい地平線を拓く」というテーマの下で、変革期にあるこの地域において、日米が新しい秩序形成を促進し、明るい未来を切り拓いていくにはどのような協力をするべきか、について私の基本的な考え方をお話しさせていただきます。
(アジア太平洋地域情勢に関する現状と将来像)
21世紀はアジア太平洋の時代であることは疑いありません。日本、米国に中国を加えた3カ国は、世界のGDPの上位3カ国を占めています。また、米国等太平洋諸国を除くアジアの世界のGDPに占めるシェアは、2009年が25%だったのに対して、2030年には40%に達するとの推計もあります。
しかし、急速に発展するアジア太平洋は、不安定かつ不確実な要素を孕んでいるのも事実です。北朝鮮による核・ミサイル開発問題は、大きな懸念材料です。とくに、昨年5月の韓国の哨戒艦天安号の沈没事件や、11月の韓国延坪島への砲撃事件、そして濃縮ウランの開発など、最近の北朝鮮は地域及び国際社会に対する挑発の度合いをエスカレートさせてきています。日本は、北朝鮮との間に日本人の拉致問題も抱えています。
アジアの新興国の台頭も、アジア及び世界経済の好機である一方で、資源の争奪等を背景にした緊張関係を生じさせています。また、一部の諸国に見られる不透明な軍事費の増大は、地域の緊張を高める潜在的な要因となっています。このように、国際社会の多極化が進む中で、共通の土台が無いまま各国が自国の利益のみを追求する傾向も見られます。
アジア太平洋は、多民族、多文化、多宗教がひしめく多様性に富んだ地域です。その特徴が現在、地域の目覚ましい成長を促しています。この多様性は一歩間違えれば、対立に発展しかねませんが、むしろ一体感を助長しながら一層ダイナミックで開かれた地域にしていくことで地域の豊かさにつなげていくことは大いに可能だと思います。そしてそのための地域の新しい秩序を形成していくべき時にあると考えます。覇権の下ではなく、協調を通じてアジア太平洋地域全体を発展させることが、各国の長期的利益と不可分一体であるとの基本的な考え方に立ち、新しい秩序を形成すべきです。その一環として、途上国の開発と経済成長を支えてきたインフラの整備に加え、法の支配、民主主義、人権の尊重、グローバル・コモンズ、知的財産権の保護を含む自由で公正な貿易・投資ルールといった制度的基盤(institutional foundation)を整備していくことが必要です。
例えば、世界最大のムスリム人口を擁するインドネシアは、大統領を直接選挙で選出し、言論の自由を尊重するなど民主主義国家として政治的に安定しています。この状況は、インドネシアのASEANにおける指導的な役割を一層頼もしいものとしています。また、ユドヨノ大統領の提唱された「バリ民主主義フォーラム」は、アジア発の民主主義へのコミットメントとして注目に値しますし、我が国は地域における民主主義という制度的基盤作りの試みとしても高く評価しています。昨年12月の第3回フォーラムには、私も日本政府を代表して出席し、「多様性の中の民主主義〜アジアの特徴を力にして」と題する講演を行ったところです。
この中で、中国やインドなどの台頭著しい新興国も国際社会の共通利益を見据え、新しい秩序に建設的に関与することが鍵を握ることは言うまでもありません。特に、既に日米両国との経済的な相互依存関係を深めている中国が国際社会と協調しつつ平和的に発展することは日米両国にとっても利益であり、日本は中国がアジア太平洋における新しい秩序の中で果たす役割を注目しています。
(日米が果たすべき役割)
以上のような戦略環境を考えれば日米同盟は、日本の防衛のみならず、アジア太平洋地域の公共財として、地域の平和と安定にとって死活的に重要です。米国が、アジア太平洋地域における圧倒的なプレゼンスを確保することにより、地域の平和と安定に多大なる貢献をしてきたのみならず、オバマ政権下において、アジア太平洋地域への関与をますます深めていることを高く評価します。
今後、変革期の真っ只中にあるアジア太平洋において、私たち日米両国に課せられた最優先の事項(タスク)は、地域における新しい秩序形成に全面的かつ全力で取り組んでいくことではないでしょうか。地域の制度的基盤の整備が急務である今日において、むしろ日米の役割に対する期待は高まっており、私たちの責任は重大だと考えています。
日本は、これまでも貿易・投資、ODA等を通じてアジア太平洋地域の持続的成長に貢献するのみならず、様々な地域協力の推進に努力してきましたし、今後も引き続き努力を続けます。とくに、日本は、米国とともに、ASEANが地域協力において果たす中心的役割を重視してきました。今後も2015年のASEAN共同体構築や、連結性強化を通じたASEAN統合を支援していくことが重要と考えています。また、ASEANを中心に発展する様々な枠組みの中では、東アジア首脳会議(EAS)がありますが、EASへの米国の参加は日本がかねてより呼びかけていたもので、日本は昨年の米国及びロシアの参加決定を歓迎しています。
この地域における新しい制度的基盤の整備として、日米が取り組むべき具体的分野がいくつかあります。EASの役割の拡充・強化もその一つです。EASではこれまでのところ、エネルギー、教育、金融、防災、鳥インフルエンザ対策の5つを優先分野として地域協力が進んでいますが、今後はこれらに加えて、安全保障も視野に入れていくことが重要であると考えます。本年の議長国であるインドネシアの役割に期待するとともに、インドネシアが議長国として十分な成果を挙げられる環境を日米が側面支援をすることが大事です。これらは、昨年の1月及び10月のクリントン国務長官がハワイで行った講演において示された考え方とも基本的に軌を一にするものと認識しています。
第二に、アジア太平洋地域における貿易と投資の自由化に対する環境基盤作りで重要な成果を挙げてきているAPECです。昨年11月の横浜でのAPEC首脳会議での成果である「横浜ビジョン」を踏まえ、本年の議長である米国と日本の間で「横浜からホノルルへ」という考え方に沿って、引き続き緊密に連携していきたいと思います。また横浜では、「アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)への道筋」について、現在進行している地域的な取組を基礎として更に発展させ、そのための具体的な行動をとることが確認されました。その中でもとくに環太平洋パートナーシップ協定(TPP)は、次世代型のFTAと言え、FTAAP実現に向けた重要な第一歩です。日本と米国という世界の経済大国が参加した枠組みが実現することになれば、その意義は経済的にはもちろんのこと,政治的にも大きく、私はこれを日米関係強化の一環としても位置づけています。あえて率直に申し上げれば、日本がTPPへの参加を検討するにあたっては、農業等の改革の必要性があり、困難を伴うことは事実ですが、農業の再生と開国は相反するものではなく、両立するものであるという立場から、関係国との協議を開始することを日本政府として決定しました。
第三に、既に成熟した民主主義や市場経済を共有する国々との連携を強化し、安全保障・経済の両面における協力システムを構築することです。そのための取り組みの一つとして、アジア太平洋地域におけるネットワークの強化があります。ルールを共有する国々のネットワークを広げていくことが、地域の制度的基盤の強化につながります。また、海洋の自由航行、知的所有権、オープン・スカイ等の分野の他、宇宙空間やサイバーといった新たな公共空間におけるルール作りも推進していくべきでしょう。
(日米同盟の深化)
以上に述べた方向性に向かって、日米が中心的に取り組んでいくには、揺るぎない日米同盟が必要不可欠であることは強調してもし過ぎることはありません。昨年、日米両国の間で沖縄の普天間飛行場移設問題をめぐり足並みが乱れました。また、沖縄県民の要望を反映出来ない日本政府に対する県民の不満も高まりました。重要な点は、地元沖縄の理解を得る努力が問題の解決には不可欠であるということです。日本政府は、昨年5月28日の日米合意を履行するということを明確にしながら、普天間飛行場の移設を進めるプロセスの間に、地域の安定のために戦略的な重要性を持つ日米同盟の機能を損なうような事態を招かないようにすることが重要です。そのためには、日米双方が中長期的な戦略環境を見据えて、知恵を出し合い、普天間飛行場の移設について粘り強く取り組んでいくことが大事だと考えます。
また、日米同盟をマネージしていくための環境整備という観点から、在日米軍駐留経費負担(HNS)の包括的な見直しの結果として、日米間で意見の一致をみたことは菅・オバマ両政権の成果です。厳しい財政事情の中、5年間、総額を現在の水準に維持するという大きな政治的な判断を行ったのは、日本政府として日米安全保障体制の重要性を認識していることの表れです。
昨年12月、日本政府は、防衛大綱を改訂し、防衛力の存在による抑止力の確保を基本とした従来の「基盤的防衛力構想」に変わり、防衛力の運用に焦点を当てた「動的防衛力」という概念を打ち出しました。アジアの戦略環境の変化に応じて、よりふさわしい防衛体制を日本自らが努力して築いていくことは日本の責務であると認識しているということも付言致します。
日米同盟の第2の柱である経済については、同盟の発展は力強い経済に支えられているとの考えのもと、先ほど述べたTPPの推進の他、日米両国の新たな成長、雇用、輸出につながり、相互の利益が確保できる新成長分野、新技術に関する協力、具体的には、超電導マグレブも含む高速鉄道や、クリーンエネルギー、環境技術といった分野の協力案件を推進します。例えば、日本の高速鉄道システムは、運行時間が正確であり、かつ安全性にも優れており、過去に死亡事故を起こしたことは一度もありません。これらの特徴は他国の高速鉄道システムには見られないものであり、日本の誇りです。環境に最大限配慮した日本の先端技術を極めた高速鉄道システムが米国に導入されることになれば、日米両国民にとって目に見える日米同盟のシンボルとして残ることになる、と信じます。
日米同盟の第3の柱は、人や文化の交流です。最近、米国への日本人留学生が減少傾向にあるとの指摘をよく聞きます。2010年にノーベル化学賞を受賞したパデュー大学の日本人化学者、根岸英一氏も「若者よ、海外に出よ」と危機感を持って訴えられたそうですが、内向きになっている若い日本人を米国はじめ海外に出るインセンティブを考えなければならないと思います。私自身、ハムレ所長はじめ、ここにおられる多くの皆様との長年にわたる交流から得たものははかりしれません。政府もかかる問題意識のもと、昨年の横浜APECの際行われた日米首脳会談で日米交流の強化に合意しました。大きな業績をあげてきているJETプログラムの継続に加えて、日本人若手教員の米国派遣や、日米双方向の学生交流などが盛り込まれています。
(結語)
最後になりますが、同盟において最も重要なのは、相互の信頼関係です。昨年9月に外務大臣に就任して以降、4ヶ月の間にクリントン長官との間で、今日予定されているものも含め、4度の外相会談を行うなど、外交の責任者同士、信頼関係を培ってきました。信頼関係に裏打ちされた日米同盟が、今後一層深化していけば、アジア太平洋が直面するチャレンジをも必ず乗り越えられると確信しています。
日米は不幸な第二次世界大戦から世界で最も重要な同盟関係を築きました。私を含めて、戦後生まれが両国で多くなっている今日、日米同盟を所与のものとして受け止める傾向があるように思えます。しかし、この不幸な戦争の激戦地であった硫黄島を訪問し、日米双方の英霊に手を合わせる時、また過酷な状態を耐えられた元戦争捕虜(POW)の方々の悲惨なご経験に思いを馳せる時、私は両国の同盟が決して一夜にして築かれた絆ではないとの思いを強くするのです。そしてこの絆をさらに堅固にしていくのが、私たちの使命です。2012年は、東京よりワシントンDCに桜の木が贈られてから100周年記念です。毎春ポトマック川を彩る美しい桜の花が、今後ますます盛んに開花するように日米両国で友情を深めあい、信頼関係を強めていく決意を日米両国で示す年にしたいとの思いを述べて私の講演を終わりたいと思います。
ご清聴、有難うございました。