データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 岸田大臣の対中南米政策スピーチ 「中南米と共に新たな航海へ」

[場所] メキシコシティー(ハイアット・リージェンシーホテル)
[年月日] 2013年4月29日
[出典] 外務省
[備考] 18:25〜18:50 メキシコ国際関係審議会(COMEXI)主催講演会
[全文]

1 400年の時を経て{前10文字囲み線あり}

 セプルベダ国際司法裁判所副所長,サブルドフスキー代表を始めとするメキシコ国際関係審議会のみなさま,本日はこのような貴重な機会をいただき,ありがとうございます。

 本日,ここメキシコで皆様にお話をさせていただくことに,私は特別な感慨を抱いております。一つは,日本の外務大臣としてメキシコを訪問させていただくことは6年ぶりであり,日本の対中南米政策について外務大臣がスピーチを行うことも6年ぶりであります。そして,ちょうど今から400年前の1613年,ある日本の使節団がメキシコに向けて日本を出港しました。

 総勢180人あまりの一行を率いていた人物を支倉常長{はせくらつねながとルビ}といいます。日本の北部,伊達藩の侍でした。支倉は,メキシコとの交易と伊達藩内におけるキリスト教の布教活動への許可を求めてメキシコを目指しました。

 日本からメキシコは,今でこそ直行便で13時間ですが,当時は3か月もの月日を費やし,太平洋を越え,一行はメキシコに到着します。彼らはメキシコで4か月滞在,キューバを経てその後スペインに渡り,交易の許可を懸命に働きかけます。

 残念ながら,支倉一行はその目的を達成することができず,失意のうちに帰国することとなります。しかし,支倉一行の試みは,東アジアの側から歴史上初めて,太平洋を横断して外国と交易関係を開こうとしたものであり,彼らの壮大な冒険は,日本外交に新たな地平を切り拓くものでした。

 支倉一行がこの地に向かってからちょうど400年。この記念すべき時に,私は,日本と中南米との長年の友好関係を更なる高みに引き上げるための対中南米外交の2つの柱についてお話したいと思います。一つ目は,日本と中南米が互いに補い合い,助け合って共に発展するための新たな協力関係を築くことです。そして,二つ目は,日本と中南米が共に同じ方向を向き,グローバルに手を携えてルールに基づくより良い国際社会を作っていくということです。

 さて,支倉の冒険の後にも中南米を目指す日本人は続きました。中南米に様々な可能性を感じ,この大陸に移り住んだ日本人の歴史は100年以上前にさかのぼります。そうして移り住んだ日本人の子孫は,現在,中南米全体では約165万人,ここメキシコでも約2万人に上ります。日系人は,それぞれの社会に溶け込み,様々な分野で活躍し,各国の発展に貢献しています。日本と中南米は,物理的な距離を超えて,家族の絆を育んできたのです。

 私は,彼ら日系人を非常に誇りに思います。約150万人の日系人が暮らし,各界で活躍するブラジルでは,「Japonês garantido(ジャポネス・ガランチード:日本人は信頼できる)」という格言があると聞きました。

 長い歴史を共有した仲だからこそ,文化的なつながりも非常に強いものがあります。日本と中南米の国民が共に大好きなスポーツであるサッカーと野球。これまで日本と中南米との間では様々な名勝負が繰り広げられてきました。昨年のロンドン五輪で我が日本代表サッカーチームがメキシコ代表を前に涙をのんだことは記憶に新しいところです。五輪王者であるメキシコに敬意を表しつつ,この借りは是非リオ五輪でお返ししたいものです。

 2年前の東日本大震災の際,母国日本への震災復興支援として,パラグアイの日系人農家から提供を受けた大豆で作られた豆腐が,被災地に届けられました。そのパッケージには,「心はひとつ」と大きく書かれていたそうです。また,日本に住む多くの中南米の方々が,何度も被災地を訪れて復旧活動を助けてくれました。その温かいお気持ちを,私たちは,決して忘れません。

 逆に,1985年のメキシコ大地震の際,日本は緊急援助隊をいち早く派遣しました。このように,お互いの協力関係には長い歴史があります。私たち日本人は,この長年にわたる中南米との絆を,これからも大切にしたいと思います。

2 変わる中南米,変わる日本{前13文字囲み線あり}

 ご列席のみなさま,

 ここ20年の中南米の政治・経済を振り返ると,私はその変革に驚かざるを得ません。

 2,30年前まで,中南米は今とは違った意味で注目を集めていました。内戦や不安定な政情は,日本でも大きく報道され,通貨危機や債務不履行に陥る中南米の国々から撤収する日本企業が相次ぐ時期もありました。

 しかし,今や中南米は,民主主義と法の支配が根付く地域に変貌を遂げました。ほぼ全ての国で,政権が民主的に選ばれており,武力ではなく,法で国が統治されています。

 経済においても,中南米は,良い意味で世界中の注目を集めています。近年の中南米に魅力を感じる企業は,後を絶ちません。二年連続二桁成長を遂げているパナマを始め,中南米の経済は,過去10年間のGDP成長率が平均4〜6%と力強い成長を続けています。その高い成長率から世界経済におけるアジアと並ぶ成長センターとも評される中南米のGDPは,既にASEANの約2.5倍の規模です。

 経済成長の一方で負の側面が残っていることも事実です。中南米においては,依然として大きな貧富の格差が存在します。

 しかし,中南米は変わりました。メキシコのペニャ・ニエト大統領が目指す「包摂国家」,ペルーのウマラ大統領が推進する「社会的包摂」,つまり,貧困を削減し,格差を是正していくという理念に,より良い経済発展の形を探る中南米の新しい姿が見えます。

 一方,中南米が繁栄の道を歩み始めた90年代,日本経済は不況に陥りました。それから20年,日本はデフレと低成長に苦しみ,前例のない少子高齢化に直面しています。東日本大震災後,日本のエネルギー政策の見直しが迫られています。

 人口減少,高齢化,エネルギー問題。困難な課題であることは間違いありません。しかし,苦境をチャンスに変え,世界の発展をリードする。これが,日本が今目指していることです。安倍政権は,大胆な金融政策,機動的な財政政策,民間投資を喚起する成長戦略の三本の矢を掲げ,日本経済の再生に取り組んでいます。デフレを脱却し,高齢者や女性の労働力を積極的に活用した新たな成長モデルを確立していきます。エネルギー不足に対応するため,省エネ技術の開発を進め,世界のグリーン経済への移行をリードしていきます。安倍政権の経済政策は国民から幅広い支持を受けており,株価も上昇するなど効果が出てきています。日本は今,元気を取り戻しつつあります。私たちは,こうした21世紀社会の問題に真っ先に直面し,解決することでも,先頭を走りたいと考えています。

 共に苦しい時期を乗り越えて,新たな発展を遂げる日本と中南米。日本は,中南米と協力しあい,共に豊かでより良い世界を築いていきたいと考えています。

3 共に発展する日本と中南米{前13文字囲み線あり}

 新たな協力関係の姿はどうあるべきでしょうか。先ほど私は,中南米は世界経済の成長センターであると述べました。日本と中南米が互いに助け合い,繁栄を実現するとともに,そこに住む人々の幸福を共に実現する道を考えなければなりません。これが私が考える日本の中南米外交の第一の柱です。

 日本の企業の中南米への関心は,以前にも増して高まっています。過去5年間で中南米に事務所を置く日本企業は,約200社も増加しました。

 日本にとって不可欠な鉱物資源や食料を多く生産しているのは,中南米です。銅,リチウム,モリブデン,大豆や鶏肉など,日本は多くの資源・食料を中南米に頼っています。過去10年で日本と中南米との貿易額は,倍増しています。

 日本企業はただ中南米でモノを売り,モノを買うだけではありません。各企業が持つ高い技術を現地の方々にも伝え,一緒に製品を作り,共に成長するモデルを追求しています。

 先日,日本のある企業の社長がブラジルを訪問し,ルセーフ大統領と会談しました。その席で,大統領は社長に対し,こう言ったそうです。「あなたの会社はただモノを売ろうとするのではなく,ブラジル市場に根を下ろそうとしているので全面的に協力する。」と。

 このような,日本企業と中南米企業との今後の協力を一層促進することを目的として,今年11月には東京において,米州開発銀行(IDB)が「日本‐ラテンアメリカ・ビジネスフォーラム」を開催し,日本企業と中南米企業に出会いの場を提供します。日本と中南米の貿易・投資が促進されるよう,ODAも効果的に活用しながら,日本政府としても最大限協力する考えです。

 日本の優れた科学技術を中南米と共有するのは,企業だけではありません。政府も尽力しています。私もかつて日本の科学技術大臣をつとめたことがありますが,日本政府は近く,中南米の大学と協力して,中南米におけるロボット・コンテストを開催することを発表します。学生が自ら作り上げたロボットの性能を競い合うロボット・コンテストは,科学技術の面白さを広く国民に伝えることができるものです。日本は,中南米の将来を担う科学者育成のお手伝いをします。

 先ほど,私は,「社会的包摂」に言及しました。引き続き課題である格差や貧困を解消するためにも,私たちは中南米と共に取り組んでいきたいと思います。

 日本の国際協力の枠組みに「草の根・人間の安全保障無償資金協力」というものがあります。人間一人ひとりの生存,尊厳を守ることを目的とした「人間の安全保障」の理念に基づき,日本は,上下水施設の整備や小学校の建設,病院建設や医療機器の提供など,中南米各国の国民が日々の生活で必要としていることに協力を提供します。

 中南米のことを一番理解しているのは中南米諸国自身との考えの下,日本は,メキシコ,ブラジル,チリ,アルゼンチンと協力し,他の中南米諸国に対し三角協力を実施しています。例えば,日本政府による地震対策の研修を受けたメキシコ人の専門家が,ハイチで地震対策に携わっています。10年以上にわたって実施されてきたこのような協力は,中南米の開発に大きく貢献してきました。日本は,中南米のパートナーとして共に地域の発展に尽力していきます。

 中南米との経済関係は,二国間関係にとどまりません。グローバル化が進む世界経済において,自由貿易に積極的な国が多い中南米と日本は,考え方を共有するパートナーです。

 日本は現在,外交政策の三本柱の一つに経済外交の強化を掲げています。貿易を増やし,日本企業の海外進出を支援するためには,各国との間で国益に適う経済連携を推進することが重要です。

 日本が締結した最初の経済連携協定(EPA)の一つは,メキシコとのEPAでした。その後,日本はチリ,ペルーともEPAを締結し,現在コロンビアと交渉中です。自由貿易を志向する中南米の国々と更に経済関係を強化したい。この考えの下,日本は太平洋同盟にオブザーバー参加し,高級事務レベル会合を開催することとし,同同盟との関係を強化していきたいと考えています。そして,自らがアジアと中南米との経済連携のかけ橋となることを買って出ています。

 アジア太平洋地域に経済連携のネットワークを構築するという壮大な構想である環太平洋パートナーシップ(TPP)協定。日本も近々交渉に参加します。中南米からメキシコ,ペルー,チリが参加しています。400年前に支倉がなしえなかった,太平洋をまたいだ自由貿易を今大胆に構築していきたい。この思いを胸に,日本はTPP交渉に積極的に参加したいと考えています。

4 グローバルに手を携える日本と中南米{前18文字囲み線あり}

 次に,日本の中南米外交の第2の柱である「より良い国際社会作り」に触れたいと思います。

 私が考えるより良い国際社会,それは,平和であること。その平和が武力ではなく,共通のルールによって保たれる世界です。

 冒頭で述べましたとおり,中南米では法の支配が確立され,ほぼ全ての国で民主主義が根付いています。民主主義と法の支配,国家における基本的な理念を日本と中南米が共有していることを,私はとても喜ばしく思います。

 私たちの国家が法律によって治められているように,国際社会も共通のルールによって治められなければなりません。残念ながら,世界においてこの「法の支配」が完全に確立しているとはまだ言えないようです。国際社会が直面している問題を解決するに当たり,世界におけるルール作りを共に主導していきたい。これが,私が追い求める中南米との協力の姿です。

 世界で唯一の戦争被爆国である日本が力を入れている軍縮・不拡散。私は,核兵器による惨禍を経験した広島の出身者として,ここメキシコでトラテロルコ条約を結んだ中南米諸国に大いなる敬意を表します。今から40年以上前に非核化条約を結んだ中南米地域は,まさに核廃絶における世界のパイオニアと言えるのではないでしょうか。

 4月2日,国連で通常兵器の国際的な移譲の管理の強化を目的とした武器貿易条約が採択されました。この画期的な取組のイニシアティブをとり,共同提案国になったのは,日本及びメキシコ,アルゼンチン,コスタリカを含む12か国でした。

 このように,中南米は,日本にとって国際社会における頼もしいパートナーです。最近では,国際社会での影響力を高めている様子をひしひしと感じています。先般,私はメキシコ出身のグリアOECD事務総長にお会いしましたが,その精力的な活動には敬服をいたしました。これに限らず,2010年のCOP16の成功,2012年の国連持続可能な開発会議(リオ+20)などを通じて,中南米が今や世界全体をリードする地域の一つであることが示されたと思います。

 気候変動や環境問題,新たな国際開発目標の策定,軍縮・不拡散や国連改革など,国際社会には取り組むべき課題が多々あります。日本は,中南米との協力関係をこれまで以上に強化したいと思います。こうした問題の解決に中南米と共に取り組むために,私は今年中にラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC:セラック)の代表との間で外相会談を実施することを発表したいと思います。

5 中南米と同じ船で新たな航海に乗り出したい{前21文字囲み線あり}

 ご列席のみなさま,

 400年前,支倉一行は中南米との交流を目指し,太平洋横断という壮大な航海に出ました。それは新たな未来を切り拓くという信念であり,想像を絶する困難に挑戦する冒険でした。支倉が強く志したのは,今の言葉で言えば,まさに地域と地域をつなぐグローバリゼーションの試みです。私は,その壮大なビジョンと勇気を引き継ぎ,今回の中南米訪問を通じてみなさんに呼びかけたいと思います。日本は中南米と同じ船に乗って新たな航海に乗り出したいと。

 支倉一行はメキシコからスペインに渡り,任務の遂行を図りました。スペインでは,「日本(ハポン)」という姓の人たちがおり,支倉一行の子孫だろうと言われています。メキシコにも一行のうち残った者がいると言われています。日本と中南米の間の長くて深い絆は,しっかりと生き続けていると思います。これまで培った絆をさらに深め,助け合いながら,共に繁栄を築きましょう。そして,共に同じ方向を向き,グローバルに手を携えて,ルールが支配するより良い国際社会を目指しましょう。

 ご清聴ありがとうございました。