データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ネルソン・マンデラ平和サミット 河野太郎外務大臣ステートメント

[場所] 国連総会議場
[年月日] 2018年9月24日
[出典] 外務省
[備考] 仮訳
[全文]

 議長

 ネルソン・ホリシャーシャ・マンデラ氏は,信念の人,和解の推進者,未来への希望の星でした。

 100年前の1918年,歴史を変える不屈の闘士が誕生しました。その翌月,アフリカ大陸で最初の日本外交使節として,ケープ・タウンに日本領事館が設置されました。

 70年以上が経過し,マンデラ氏は日本主催のレセプションに出席されました。それは,1990年の解放後初めてとなる外国主催の行事への参加となりました。同じ年,マンデラ氏は日本を訪問され,アフリカの指導者として初めて日本の国会で演説されました。演説の中で彼は,交渉を通じてアパルトヘイト問題を解決し,そして必要な資源を提供することで南アフリカの人々の努力を後押しするため,南アフリカの団結だけでなく,国際社会が団結する必要性を強調しました。

 かつてマンデラ氏は,こう言いました。

 「一人の傷みは,万人にとっての傷みである。」

 「一人で行動しても成功は勝ち得ない。だから我々は,国家の和解のため、国家の建設のため、新しい世界の誕生のため、一丸となって行動しなければならない。」

 マンデラ氏は,日本を3度訪問され,日本の国造りと発展の歴史に強い興味を示されました。この歴史は,人間の安全保障の考え方につながっていきます。人間の安全保障は,人間中心で包括的かつ予防的なアプローチであり,脆弱な個々人の能力を強化するもので,マンデラ氏の信念と軌を一にするものです。

 議長

 我々は,未来への希望をどれだけマンデラ氏に託したのか思いを巡らせます。しかし,彼の意思と行動は,彼が未来への希望を託したのは我々自身であることを示しています。日本は,マンデラ氏が我々に託した希望を満たす決意を持ってきました。来年,日本は,四半世紀前に始まったアフリカ開発会議(TICAD)の第7回会合を主催します。その準備として,日本は,アフリカの平和,安全,

安定について更に理解を深めるため,アフリカの元大統領の方々と議論を始めました。TICAD7は,アフリカのオーナーシップと国連や他の国際機関との幅広いパートナーシップに基づく平和構築を推し進める重要な機会となるでしょう。

 マンデラ氏の生誕から100年,国連の創設から70年以上の時を経て,我々は,万人の利益のために,より迅速に,そして,より効果的に行動する必要があります。そのためにも,安全保障理事会を含む国連は改革されなければなりません。日本は,国連の平和活動の焦点を「対処」から「予防」に移そうとする国連事務総長のイニシアティブを支持します。

 日本は,国際社会,とりわけアフリカと共に,より良い世界を目指して,マンデラ氏が歩み,そして今や我々一人ひとりに引き継がれた道を着実に歩み続けていきます。

「何事も,達成するまでは不可能に見えるものである。」我々は,マンデラ氏の言葉を決して忘れることはないでしょう。

 ありがとうございました。