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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日本の対ASEAN政策に関する茂木外務大臣スピーチ −「ゴトン・ロヨン」の精神と共に,新たな協力のステージへ−

[場所] 
[年月日] 2020年1月10日
[出典] 外務省
[備考] 
[全文]

1 日本がASEANと共に培ってきた「包容力」と「力強さ」

 本日は,私が外務大臣として初めて国外で行う政策スピーチを,ここジャカルタのASEAN事務局において行う機会をいただき,誠に光栄に思います。

 この講演を行うに当たりまして,事務総長をはじめASEAN事務局の多くの方々にお世話になりまして,感謝申し上げます。

 はじめに,年末年始にかけてジャカルタとその周辺地域で発生した洪水により,多くの尊い人命が失われ,大きな被害が出ていることに,心からお見舞いを申し上げます。

 今からちょうど15年前,2005年1月,ここジャカルタに,29にのぼる世界各国・地域,国際機関の代表が集まりました。前年末にこの地域を襲ったスマトラ沖大地震・インド洋津波という大きな悲劇を受けて,ASEAN主催の緊急首脳会議が開催されたのです。

 日本は,地震・津波の発生を受け,直ちに5億ドルの緊急支援を発表するとともに,のべ2000人近くの国際緊急援助隊や自衛隊の部隊を被災地に派遣しました。日本とASEANの連帯が,世界に向けて示されたときでした。

 2005年は,今やこの地域の主要な協力枠組みへと成長した東アジアサミット(EAS)が発足した年でもあります。この15年間のEASの歩みは,ASEANが原動力となり,地域諸国が等しく利益を得る協力のあり方を追求してきた歴史でもあります。

 日本は,ASEANと対等の友人として,アジアのあるべき姿を真剣に考え,提案することによって,EASを地域の主要な協力枠組みへと育てていこうとするASEANの努力を,最大限支援してまいりました。

 私は,常々,外務大臣としての日本外交の基本姿勢を「包容力」と「力強さ」という2つの言葉で表しています。この姿勢が最もあてはまるのが,ASEANとの関係だと思います。

 日本は,歴史,文化や民族,宗教など豊かな多様性を持つASEANに対し,決して特定の考え方を押しつけるのではなく,皆さんが育んできた歴史・文化を尊重し,皆さんの発展のために何が必要かを一緒に考えるという姿勢を貫いてきました。

 2015年にASEAN共同体の設立が宣言されると共に,その具体化の指針を示した「ASEANビジョン2025」が合意されました。本年は,このASEAN共同体最初の10年の折り返し地点であり,共同体の成功に向けた大きなモメンタムがあります。

 そこで,本日は,共同体として,また地域協力のハブとして,新しいステージに向かおうとしているASEANが新たな歴史の1ページを書き記す上で,日本が皆さんと一緒に何ができるか,考えてみたいと思います。

 本題に入る前に,ここで,中東地域の情勢が緊張していることに対する深い憂慮を,ASEANの皆様と共有したいと思います。日本は,すべての関係者に,緊張緩和のための外交努力を尽くすことを求めてきました。事態のエスカレーションは避けるべきであり,日本は,ASEANを含む関係国と緊密に連携しつつ,中東地域の緊張緩和と情勢の安定化に向け外交努力を継続してまいります。

2 インド太平洋のハブとしてのASEAN

 話をこの地域に戻します。昨年6月のASEAN首脳会議において,「インド太平洋に関するASEANアウトルック」(AOIP)が採択されました。日本はAOIPで示された方針を全面的に支持すると共に,この方針の作成においてインドネシアが発揮したリーダーシップを,心から賞賛いたします。

 なぜ日本がAOIPを支持するのか。それは第一に,AOIPが示す将来のインド太平洋のあり方が,日本が描くビジョンと共通しているからです。

 そのインド太平洋において,我々が,安定した,予見可能性の高い経済・社会環境を実現し,繁栄を謳歌するためには,地域の秩序が,力の恣意的な行使によってではなく,明確なルールによって,透明性をもって規律されていなければなりません。

 特に,国際社会の公共財ともいえるこの海洋・海域において,各国が,航行の自由を始めとする国際海洋法の基本原則に従って行動し,権利が認められ,また海をめぐる争いを平和的に解決する,そういう状況が確保されてこそ,この地域は,海上交通路のハブとして真の繁栄を享受できます。

 現在の国際法は,世界の平和,安定そして繁栄を担保するために,二度の世界大戦を乗り越えて人類が到達した叡智の結晶であり,その諸原則に基づく「法の支配」を貫くことは,いかなる地域構想においても不可欠です。そしてAOIPは,まさにこの明確な思想に支えられているものです。

 二つ目として強調したいのは,インド太平洋全体の発展のためには,既にASEAN+1,ASEAN+3,EAS,ARFという重層的な地域協力のネットワークを築いてきたASEANの中心性が不可欠という点であります。

 古来,ヒトやモノの行き交うルートが交差するところ,必ず,豊かで多様な経済・社会が発展してまいりました。東南アジアでは,1500年も前から,自由で開かれた海を通じて交流・交易が行われ,やがてそれが,東は日本から西はヨーロッパ,アフリカに至る世界規模のネットワークを形成する原動力になりました。

 このような歴史を背景に,近年の巨大なグローバル化の波の中で,いまこの地域に,太平洋とインド洋,北半球と南半球をつなぐ巨大な十字路が天空の南十字星のように鮮やかに描かれつつあり,その交差路に位置するのが東南アジアであります。

 ASEANは,まさにインド太平洋全体のハブとなることを運命づけられています。そして,AOIPには,連結性や海洋をめぐる協力など,そうした役割を担うにふさわしい協力分野が明記されています。

 海洋国家,貿易立国として成長してきた日本もまた,自由で開かれ,様々なヒト,モノそして情報が活発に行き交うインド太平洋の存在なくして,繁栄はあり得ません。日本は引き続き,インド太平洋地域の,そしてそのハブとしてますます活力を高めるASEANの未来像を,皆さんと共に描いていく決意です。

3 日ASEAN協力−3つの新たな方向性−

 そのような未来像を現実のものにするために必要な,日本とASEANの協力のあり方として,私は,3つの方向性を示したいと思います。それは,ともに「人を育てる」,ともに「制度を整える」,そして「英知を集める」の3つです。

(1)人を育てる

 まず,第一の「人を育てる」―豊かで活力ある社会を支えるのは,まずもって人々の力であり,意欲です。

 私は,政治家として,「人づくり改革」をライフワークとして取り組んでまいりました。私の出身地である栃木県の足利市には,足利学校という,日本最古の教育機関の一つが史跡として残っています。

 この学校は,16世紀にヨーロッパからやって来たイエズス会の宣教師が「日本最大にして最も有名なアカデミーだ」と驚きをもって書き記したほどの規模と教育水準を誇りました。そんな土地柄で生まれ育ったことが,教育・人材育成に対する私の強い思いにつながっているのかもしれません。

 日本の「人づくり支援」として,インドネシアの皆さんに最もなじみ深いのは,市民警察支援の取組でしょう。インドネシアにおいて,日本は,軍とは独立して一般犯罪に対応する市民警察を構築するため,20年近くにわたり様々な協力を行ってまいりました。

 その中で,2017年から開始した新たな取組の下,既にインドネシア全州の半分に当たる17州で,122名の警察指導教官を育成しました。今後,インドネシア警察自身が主体となって,市民警察活動を全国展開できるようになると思います。さらに,日本の知見を受け継いだインドネシア警察は,今度は,東ティモールの市民警察能力向上のための研修を実施しています。まさに「ともに」人を育てる段階に入ったと言えると思います。

 インドネシアにおけるもう一つの取組は,海上保安協力です。これまで複数に分かれていたインドネシアの海上保安機関が,単一機関「バカムラ」の指揮・命令の下に統合されましたが,今年から,日本の海上保安庁が,研修や専門家派遣を通じて,その運用体制や法執行に関する知見をこの「バカムラ」に共有する事業を本格的に開始いたします。

 日本とインドネシアは,共に列島国であり,広大なEEZを有します。今後,「バカムラ」による海上法執行の経験が積み重ねられ,今度は日本がインドネシアの経験を共有し,それを両国が一緒に次世代の育成につなげることができるようになるでしょう。

 今後特に重要となるのは,デジタル経済や「第四次産業革命」の到来に対応した,新たな高度人材の育成です。2018年の日ASEAN首脳会議で日本が表明した「産業人材育成協力イニシアティブ2.0」では,2023年までの5年間で,8万人の産業人材を育成するという目標を設定し,これが着実に進展しています。

 もう一つ重要なのは,ASEAN域内の「人材格差」をなくしていくことです。このため,昨年,ASEAN各国との間の技術協力協定に加えて,共同体としてのASEANとも協定を締結し,ASEAN全体を見据えた人材育成を行うための仕組みを作りました。今月下旬には,さっそく,この新たな協定のもと,今後,益々重要となるサイバーセキュリティに関する研修を予定しています。

 「人材格差」の解消のための取組としてもう一つ挙げるならば,いわゆる「アタッチメント・プログラム」として,カンボジア,ラオス,ミャンマー及びベトナムの若手行政官をここASEAN事務局に招いて,行政実務能力を高めてもらう取組です。本日この会場にお越しのカンボジアのサムナン常駐代表も,このプログラムの卒業生ということであります。まさにこのプログラムの素晴らしさの証人であると,そのように思っております。

 このプログラムは,日ASEAN統合基金の資金により運営されています。ASEAN域内の様々な格差を縮小し,共同体としてのASEANが実質的に深化していけるよう支援するというこの基金の設置目的に,まさにぴったりの取組だと自負しています。

 日本は,アジアでいち早く近代化を成し遂げた国として,都市化現象,環境問題など経済・社会の新たな構造変化にも,アジアで最初に直面するという歴史をたどってきました。日本は,今また,急速な少子高齢化の中で,生産性の高い高度人材を育成しなければならないという大きな課題に直面しています。

 日本は,そうした課題解決の中で得られる経験をASEAN諸国と分かち合い,新たな時代を支える人づくりをこれからも応援していきます。

(2)制度を整える

 次に,そのように育った人材がその能力をいかんなく発揮するためには,それを可能にする社会的制度がなければなりません。

 ここで最も重要なのは,経済活動のルール作りです。私は,外務大臣に就任する前,経済産業大臣や経済財政政策担当大臣として,一貫して,地域及び世界の経済ルール作りに取り組んできました。

 特に,国際社会の自由で公正な経済ルール作りに寄与するため,CPTPP(TPP11協定)や日米貿易協定等の実現に向けた交渉を主導してきました。今は,インドを含む16か国でRCEPが実現するよう,ASEANの国々とも協力を進めています。また,今後の世界経済の鍵を握る自由なデータ流通を担保するためのデジタル経済のルールなど,先進的なルール作りにも力を入れてきました。

 自由貿易が,少し長い目で見れば互いの経済成長,生活の向上にとって不可欠であることは,言うまでもありません。例えば,日本からASEANへの投資額は,日ASEAN包括経済連携協定がすべての署名国において発効した2010年には130億ドル,米国に次ぐ世界第二位でしたが,2018年には,その額は210億ドルに上り,世界第一位となりました。

 さらに,より活力あるASEANを実現するためには,民主的な政治制度を改善し続けることで,国内の多様な意見や利害を吸い上げ,調整する力を確保することも不可欠です。

 インドネシアは,自由な選挙に基づく政権交代の実績が積み重ねられ,また,バリ民主主義フォーラムなどを通じて,その経験を他の国々と分かち合っており,民主的な国造りの一つのモデルを示しています。

 同時に,ASEANの中には,民主的国造りの中で様々な困難に直面している国もあります。日本は,そうした国に対して,ある社会の理想像を押しつけ,現実との乖離を批判するのではなく,どうすれば少しでもよい社会に進んでいくのか,共に考え,共に歩むという姿勢を常に重視しています。

 日本には,当事者間の信頼醸成と,人道状況の改善に地道に取り組んできた,豊富な経験があります。たとえば,カンボジアの与野党の若手政治関係者を一緒に日本に招待して,実際の選挙をはじめとする日本の民主化プロセスについて学んでもらいました。ミャンマーでも,ラカイン州の問題に取り組みながら,少数民族地域における和平の進展を支援しています。

 こうした日本の取組の背景には,一つの強い思いがあります。それは,人間とは,暴力や貧窮から脱して尊厳を獲得することによってはじめて他者を真に信頼することができる,そうした信頼なくして政治的・社会的対立の本質的な解決はないという,私たちの信念であります。

 日本は,この信念に基づく息の長い取組を通じて,一見遠回りに見えても,相互信頼に基づく多様かつ活力ある国家・社会がこの地域で定着するよう,ASEANと共に歩んでいく決意です。

(3)英知を集める

 さて,人が育ち,制度が充実していく中で,それを日本とASEAN,ひいてはインド太平洋地域,国際社会全体の共通利益へとつなげていくにはどうすればよいでしょうか。そのために本日私が最も強調したいのは,日本とASEANが,共通の目的のために「お互いの英知を集める」関係を作り,深めたいということであります。

 自由,公正で活力にあふれた社会を支えるものは何か。それは,一言で言えば「選択肢があること」です。個人における人生の選択であれ,企業における経営戦略の選択であれ,国家における政策の選択であれ,複数の選択肢があることで初めて,望ましい「自己実現」が可能となります。一つしかオプションのない状況では,個人,企業,国家の潜在力を十分に開花させることはできないのです。

 そして,このASEAN,民族・文化・宗教など様々な側面で非常に多様なこの地域は,様々な選択肢を創出していく大きな可能性を秘めています。日本も,ASEANとの関係において,一方的に提案するのではなく,多様性を旨とするASEANの知恵から新たな取組やベストプラクティスが生まれてくると考えています。

 「英知を集める」という点で思い出すのは,インドネシアの皆さんもよく御存じの,母子手帳の取組です。日本の支援により1994年に配布が始まった母子手帳ですが,インドネシアの妊産婦死亡率は,当時の妊婦10万人当たり446人から177人へ,乳幼児死亡率は,出生児1000人当たり84人から26人へと劇的に減少しました。

 2018年からは,インドネシア各地に設けられた中核拠点を通じ,全国規模の普及率向上に向けた新たな取組を実施しています。日本の全国一律の取組とは違って,拠点地を選定し,インドネシア社会の実情に合った母子手帳の普及・拡大を図るという,インドネシアの人々の「知恵」が活かされています。

 日本とASEANは,グローバルな課題の解決のためにも,英知を集めていきます。

 この点において,日本とASEANが知見を共有し,解決してきた最も大きな課題は,防災の問題です。世界におけるマグニチュード6以上の地震の実に3割が,日本からフィリピン,インドネシアに至る地域で発生しています。

 このような自然災害の重大な脅威を共有する日本とASEANは,災害対応に関する知見を共有しながら,2011年に設立されたASEAN 防災人道支援調整センターの役割と能力を強化してきました。

 そして,このセンターは,いまやASEAN域内の災害対応において欠かせない存在となったばかりか,ASEAN域外の防災機関からも「知恵を貸してもらいたい」という依頼が殺到していると聞いています。

 新たな課題である海洋プラスチックごみ対策においても,日本とASEANは,既に「英知を集める」関係を築き始めました。

 海洋プラスチックごみ対策については,日本は多くの経験を有しています。これに加えて,ASEANの各地域社会のライフスタイルや,プラスチックごみの流出や処理の実態など,ASEAN側からの具体的な情報を集め,これらを融合させることで,この地域で真に有効な海洋プラスチックごみ対策が実現していくものと強く期待しております。

 各国の好事例を共有し,「英知を集める」場として,昨年10月,日本は,ここジャカルタにあるERIAの下に,海洋プラスチックごみ問題の情報集約拠点となる「ナレッジセンター」を設立しました。

 さらに,この地域は,世界的に見ても海岸地形が複雑で,海洋環境を保護するには非常に高度な知識・知見と,域内諸国の緊密な協力が必要であります。このような難しい地形の中で,日本とASEANが知恵を出し合い,有効な対策に結びつけることができれば,そこで得られた経験は,世界の他の地域にとっても大いに参考になるものだと確信しております。

 この方式は,インフラ協力においても同じです。インフラ協力において,日本は一貫して,単にお金を出して箱モノを作るのではなく,常に現地の雇用を創出し,人材を育て,自律的経済発展の原動力となるよう,さらには,地域コミュニティの形成にもつながるよう,長期的な視野からの支援を行っています。

 今日この会場に来る際,日本の支援で建設中のMRTに乗ってきましたが,このMRTは,日本のインフラ支援の一つの典型です。日本の鉄道管理のノウハウを学んだインドネシアの人々によって運行されているジャカルタMRTの定時運行率は,実に99.8パーセントとなっています。地震や洪水被害を想定した厳しい災害対策基準もクリアしています。また,地下鉄線を建設するだけではなく,連結するバス路線やパークアンドライド整備の併設により,ジャカルタ広域都市圏全体の活性化にもつながっています。

 質の高いインフラ整備を実現するためには,単に支援する側が資金と技術を出すだけでは不十分です。そのインフラを使い,維持していくことになる当事国や現場のコミュニティから,現場の実情に即したアイディアを積極的に出してもらうことこそ,質の高いインフラ形成の大前提です。

 本日は,このような考え方に基づく英知を集める経済協力の資金として,日本は,本年2020年から2022年までの3年間,官民合わせて30億ドル規模の資金動員を目指し,JICAが12億ドルの出融資を提供する用意があることをこの場で表明したいと思います。

4 結語

 広大なインド太平洋のハブ,結節点に位置するASEANが向かう方向は,インド太平洋地域全体が向かうべき方向に大きく影響します。そして日本は,AOIPに示された方向にASEANが向かうことこそ,ベストの選択肢であると確信しております。

 インドネシア建国の父,スカルノ大統領は,独立を目前にした1945年,新生インドネシアのあり方として,「ゴトン・ロヨン」,すなわち,共に身を粉にして働き,共に汗を絞り,共に助け合って闘う,という精神を提示しました。まさにこの姿勢こそ,日本とASEANが共有するものであります。

 この言葉を胸に,今年,2020年を,自由で開かれ,繁栄するインド太平洋の実現に向けて,日本とASEANが更に協力を力強く進める最初の年にしようではありませんか。

 御清聴ありがとうございました。

 Terima kasih(テリマカシ(ありがとうございました))