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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 「核兵器のない世界」に向けた国際賢人会議 開会セッション 岩屋外務大臣挨拶

[場所] 
[年月日] 2025年3月30日
[出典] 外務省
[備考] 
[全文] 

 賢人会議委員の皆様、モゲリーニ学長、訪日を歓迎します。本日は「核兵器のない世界」に向けた国際賢人会議第6回会合に御参加いただき、誠にありがとうございます。

 本年は、広島・長崎に原子爆弾が投下されてから80年の節目の年に当たります。現下の厳しい国際情勢を踏まえれば、あのような惨禍を二度と繰り返させないため、「核兵器のない世界」の実現に向けた歩みを進めることが、今ほど求められている時はないと思います。唯一の戦争被爆国である我が国は、そのような国際社会の取組を主導していく決意です。私自身、市民社会の皆様や同僚議員などから、核軍縮が思うように進まないことへのもどかしさ、そして、核兵器の悲惨さを知る日本にこそ「核兵器のない世界」に向けたリーダーシップを取ってほしいという切なる想いを、繰り返し伺ってまいりました。

 今月初めの核兵器禁止条約の締約国会合に関し、政府は、オブザーバー参加をしないという判断を行いました。唯一の戦争被爆国としての歴史的使命と、国民の生命と財産、我が国の独立と平和を守り抜く責任を考え抜いた上での、非常に難しい決断でした。

 我が国として「核兵器のない世界」の実現という理想に向けて一歩一歩前進していく姿勢が全く揺らぐことはありません。

 そして、政府としては、核兵器国と非核兵器国が広く参加する核不拡散条約(NPT)こそが、「核兵器のない世界」に向けた唯一の普遍的な枠組みであり、国際的な核軍縮の取組はその下で進めていくことが現実的かつ効果的であると確信しています。

 来年には第11回NPT運用検討会議が開催されます。来年は我が国がNPTを批准して50年という節目の年でもあります。日本政府としては、今回国際賢人委員の皆様がとりまとめてくださる提言を受け止め、「核兵器のない世界」に向けた現実的かつ実践的な取組を継続していきたいと思います。

 私の地元である大分県別府市には、かつて、別府原爆センターと呼ばれた、世界初の原子爆弾被爆者のための温泉療養施設がありました。当時、深く傷ついた被爆者の方々が、柔らかな別府の湯でその傷を癒やされました。別府を第二の故郷のように思ってくださった方々が多くいらっしゃったと伺っています。しかし、そうした被爆者の方々の高齢化が進んでいます。このセンターも既に閉館し、当時の様子を御存じの方々も年々少なくなっています。

 そうした中にあって、昨年、日本被団協がその貢献でノーベル平和賞を受賞されました。被爆者の方々が長年にわたり、被爆の実相に対する理解の促進に努められたことは、「核兵器のない世界」に向けた確固となる礎となっており、大変感謝をしております。我々は、皆様の協力を得ながら、「核兵器のない世界」へ続く道を、一歩一歩着実に進んでいきたいと思います。その決意を述べまして、私の挨拶とさせていただきます。

 (了)そして、政府としては、核兵器国と非核兵器国が広く参加する核不拡散条約(NPT)こそが、「核兵器のない世界」に向けた唯一の普遍的な枠組みであり、国際的な核軍縮の取組はその下で進めていくことが現実的かつ効果的であると確信しています。

 来年には第11回NPT運用検討会議が開催されます。来年は我が国がNPTを批准して50年という節目の年でもあります。日本政府としては、今回国際賢人委員の皆様がとりまとめてくださる提言を受け止め、「核兵器のない世界」に向けた現実的かつ実践的な取組を継続していきたいと思います。

 私の地元である大分県別府市には、かつて、別府原爆センターと呼ばれた、世界初の原子爆弾被爆者のための温泉療養施設がありました。当時、深く傷ついた被爆者の方々が、柔らかな別府の湯でその傷を癒やされました。別府を第二の故郷のように思ってくださった方々が多くいらっしゃったと伺っています。しかし、そうした被爆者の方々の高齢化が進んでいます。このセンターも既に閉館し、当時の様子を御存じの方々も年々少なくなっています。

 そうした中にあって、昨年、日本被団協がその貢献でノーベル平和賞を受賞されました。被爆者の方々が長年にわたり、被爆の実相に対する理解の促進に努められたことは、「核兵器のない世界」に向けた確固となる礎となっており、大変感謝をしております。我々は、皆様の協力を得ながら、「核兵器のない世界」へ続く道を、一歩一歩着実に進んでいきたいと思います。その決意を述べまして、私の挨拶とさせていただきます。

(了)