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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 大阪における佐藤内閣総理大臣の経済講演

[場所] 大阪
[年月日] 1966年1月20日
[出典] 佐藤内閣総理大臣演説集,85−94頁.
[備考] 
[全文]

 本日、当地経済界の大方の皆様にお集り頂き、一言御挨拶を申し上げる機会を得ましたことは、私の深く喜びとするところであります。

 私は、政権担当以来、一年有余の間わが国の平和と国民生活の安定を求め、あらゆる努力を傾注して参りました。

 もとよりわが国をとりまく国際環境とくにアジアにおける政治、経済の情勢はきびしく、また国内情勢も多事多難をきわめております現在、私の企図する理想実現への途は決して坦々たるものでないことは十分覚悟しておりますが、私としては今後とも一層の勇気をもつて邁進して参るつもりであります。このような秋にあたり、わが国経済界の中核をなす皆様方が一堂に会されたこの機会をはかり、私の所懐の一端を申し上げるとともに、これに対する皆様の御理解と御支援を戴く一助といたしたいと存じます。

 顧れば昨年は不況とのたたかいの年でありました。改めて申すまでもなく、昨年のわが国経済は、輸出を除き、全般的に停滞のままに推移いたしました。いかにしてわが国経済を不況から脱出させるか、これこそ私に与えられた政治的課題であると考え政府は昨年の七月末以来、諸般の景気対策を講じて参りましたが、今回の不況は、景気循環的な側面と同時に、過去の高度成長において生じたいわゆる構造上の不均衡に起因する面が大きく、かつて例を見ない深刻な様相を示しております。

 しかしながら、昨年末頃からようやく政府の諸施策もその効果を現わしはじめ、同時に経済界における生産や設備の調整、経営の合理化、企業の合併統合等企業体質強化のための真剣な努力も徐々に実を結びつつありますので、今後わが国経済は、不況克服のための足固めの段階に入り、本年末頃までには必ずや次第に明るさを取り戻していくものと期待いたしておりますとともに、又何としてもそうさせなければならないと強く決意致しております。

 とは申しながら本年も、依然としてわが国経済をとりまく内外情勢には依然としてきびしいものがあります。

 私は、従来「寛容と調和」を政策運営の基本方針として参りましたが、本年は、さらに「克服と躍進」の精神をこれに加え、不況を克服し安定成長へ乗り出す年としてこのきびしい環境に対処して参る覚悟であります。

 私は、この意味で、本年の経済運営の重点を「不況の克服と経済立直し」即ち「均衡ある拡大、安定成長」と物価安定を軸とする「国民生活の安定向上」の二点に置いて参る所存であります。

 かかる観点から政府は先頃決定した四十一年度予算案において従来の財政運営について政策の一大転換をはかり、一般会計において七千三百億円に上る建設公債を発行して公共投資の財源にあてるとともに、国・地方を通じて三千六百億円に及ぶ画期的な大幅減税を実施して国民の租税負担の軽減を図ることと致しました。

 従来、わが国の財政は均衡財政を堅持して参りましたが、最近の経済情勢からみると財政の果すべき経済発展上の役割は格段と大きくなつております。国民経済が安定的な成長を続けるためには有効需要の総水準と供給能力とが均衡を保ち乍ら拡大していくことが不可欠であります。ところが、過去における高度成長により国民経済の供給能力が急速に拡充された結果、むしろ供給が需要を大幅に超過することとなつたのが今日の不況の原因であり実態であります。かかる現状では、もはや、これまでの財政の指導原理であつた収支均衡予算主義の原則は既にその使命を終り、これからの財政に課せられた使命は、公債政策の導入により国内の遊休資源を活用し、これまで立ちおくれた社会資本の充実や公共サービスの拡大、はたまた今日の物価上昇の一因となつている農業、中小企業等の低生産性部門等への積極的投資等を行なうことによつて政府自ら有効需要の拡大に努めるとともに、高度成長によるひずみの是正、社会開発に積極的に取組み、更には出来る限り大幅な減税を実施することにより、民間部門の可処分所得を増加させ家計における消費需要を喚起する一方、企業と家計を通ずる蓄積をより一層高め、その体質を改善していくことを通じて、安定した経済成長の上に豊かな社会を築き上げるための基礎を作つて行くことこそ肝要であります。これが今回の政府予算案作成に当つての私の経済運営に対する基本的姿勢であり、かかる経済情勢下において敢て総額四兆三千一百億円(対前年比十七・九パーセント増)の一般会計予算、二兆三百億円の財政投融資計画(対前年度二十五・一パーセント増)という大型積極の財政規模を決定し、更にかねてからの私の公約でありました三千億円を超える三千六百億円にも上る大幅減税を実施した所以もここに存するのであります。

 私は、本年は、この大幅減税を含む積極財政を軸とし、更に今後必要に応じ金融政策その他の面できめ細い所要の手段を講ずることにより、まず何より今日の不況を一日も早く克服し、わが国の経済の再建、着実かつ安定的な拡大のために最善の努力を致す決意であります。われわれは高度成長の過程で経験した身近な教訓を将来に生かさねばなりません。今後の長期にわたる財政運営に当つては、この公債政策と租税政策とを適切に組合せて運営し、即ち好況のときには公債収入を圧縮するとともに租税収入をふやし、不況期には公債収入を増加するとともに租税収入を減らすことにより景気の動向に対処し、この公債と減税を柱として、財政の弾力的な運営を可能ならしめ、もつて景気の安定を図り、これまでとかく後廻しにされてきた個人の生活、企業の内容をより充実したものにする施策を推進して参る所存であります。

 この様に公債政策の目標は当面は経済を安定基調に乗せ、社会資本の充実をはじめ財政の本来担うべき役割を積極的に果してゆくことを可能ならしめるものであり、将来にわたつては、豊かな社会、ゆとりある家庭、蓄積ある企業の基礎を作ることであります。この意味での公債政策の導入であり、このような観点で積極財政により本年の経済の運営を行なえば遠からず不況は克服出来るものと確信しておりますが、ここに「仏作つて魂入れず」忘れてはならない問題があります。それは昨年の財政運営の経験にてらし私共政府として強く反省している点でありますが、折角予算は出来てもその実行がうまく行なわれなければ何にもならないということであります。昨年の予算一割留保の経済界に与えた影響と言い、又七月の景気対策の実行が遅延気味であつた点と言い、何れも苦い経験と尊い教訓を与えてくれております。四十一年度、否これから残り二カ月有半の本年度の財政運営に当つても、その時々の情勢に応じ適宜適切、臨機に有効な手段を講じ、例えば公共事業の実施計画の早期決定、早期支払の実施等、きめ細かく運用して参る所存であります。民間の皆様方におかれても、不況克服、景気回復のため政府において異常な熱意で取組んでおります点を了とされ、官民もろともに力をあわせて、この困難を克服することに御協力あらんことを心より切望致すものであります。若い力、潜在エネルギーの多分に存するこの日本経済が、こんなことで、へこたれることはありません。さりとて政府の施策のみではこれ又十分の効果を期待することは困難であります。皆様方民間経済界が気分的にも強い決意をもつて不況ムードを一掃し、力強く再建に立上られんことを切に切に要望致したいと存じます。

 なお世上、一部には、公債政策の導入をあたかもインフレ政策への転換とみる向きもあるようでありますが、公債政策即ちインフレという風には決して結びつきません。たしかにわれわれは公債の発行について戦時中及び戦後のインフレーションの記憶を身近に持つています。しかしながら物資の極度に欠乏していた当時と今日とを同日に論ずることはできません。公債政策は有効需要の調整を通じて経済の安定に最も効果をあげるものであることは欧米諸国の近年の経験にてらしても明らかでありますし、近代経済学の常識でもあります。公債政策はインフレを押えデフレを回避しつつ各般の財政需要に安定的にこたえて行くものであり、又、そのように運用しなくてはならないものであります。インフレになるかならないかは、公債をかかえた財政がその時々の経済状態に応じて適正規模に維持できるかどうかの一点にかかつており、その歯止めとして、建設公債の原則、市中消化の原則をとつてはいますが、要は政治の姿勢、決断の問題であります。来年度の予算編成に当り、経済界の皆様方の合理化の御努力にあわせて、政府としても未だかつてない勇断を以て行政費の節約を図り、徹底して冗費を削減したのも、又、差当りこの一年間は公団公庫等の新設を一切認めないという当初の方針を最後まで貫いて完全にこの目的を達成し、更に又、所謂、圧力団体と称せられるものの不合理な予算要求も強力に排除し、不況克服物価安定予算としてその性格と規模に大筋を通したのも、みなこの趣旨によるものであります。

 私は一国の総理として九千万国民の生活、日本の経済にすべての責任を持つ身として、必ずや固い信念を以て健全な財政の確立に渾身の勇気を以て対処し決してインフレによる生活不安を招くことのないよう強い政治を推進することをここに固く御約束致します。

 次に私は消費者物価の安定こそは本年の我が国経済の重大な課題であると考え、この問題と真剣に取組んで参る決意であることを申し上げたいと思います。率直に申し上げて今日までのところ政府の物価対策は期待されたような十分の成果を上げるに至つておりません。又、政府の姿勢についても十分反省しなければならない点も多々あると思います。

 均衡がとれ安定した経済の基調が確保されない限り、消費者物価の真の安定を期待することは出来ません。成長が余りに急激な場合には労働需給が不均衡となり、賃金の平準化現象を通じてコストを押し上げ、低生産性部門における価格、料金の上昇を招くこととなります。今日不況下においても消費者物価の上昇が著しいのは過去の高度成長過程に生じたこの様な不均衡が大きな要因となつているからであり、やむを得ない面もありますが、それだけにこの是正は一朝一夕に簡単には参らず相当の期間を要するものと考えられます。

 政府はこの様な観点から経済を安定成長路線に導くことを物価対策の基本とし、同時に中小企業等低生産性部門の生産性向上、流通機構の合理化、労働力流動化等の消費者物価安定のための諸施策を地道に推進する考えであり、四十一年度予算においてもこれらの点に重点的に配意致し、物価安定対策のために未だかつてない大幅の予算を計上致しました。

 とくに家計に直接つながる生鮮食料品については、生産体制の近代化を図り、安定した供給の確保に努め、緊急輸入の手段も考慮するなど各種の対策を積極的に進めております。又、来年度予算においては公正取引委員会を強化し、消費者保護の立場から、管理価格的なものについても厳重にこれを監視して行く体制をととのえました。

 又、この度の減税案において二百億円に上る物品税の減税を決定致しましたのも、関連企業対策というより、むしろ、これにより、消費価格の引下げを図りたいという真剣な政策意図からであり関連業界におかれても、減税分を価格引下げに充当されるよう特にお願い致したいと思います。

 公共料金等についてはこのたび、米価、国鉄、私鉄運賃、郵便料等について最少限度の値上げを認めることと致しましたが、これはそれぞれの分野における健全な運営を確保し均衡のとれた経済成長の一つの基礎を整えるためやむを得ず認めたものであり、基本的には公共料金等に関し経営の合理化等によりコスト増加要因をできるだけ吸収してその値上げを極力抑えていきたいと考えており、国鉄、私鉄、郵便等今回値上げを認めたものについては今後当分数年間はその値上げを認めるべきでないと考えております。

 この様にして、政府は昭和四十一年度の消費者物価の上昇率は、概ね五・五%程度にとどめるべく各種施策を綜合実施して参りますが、この度、企画庁に物価問題懇談会を設け、その対策につき国民各層の有識者の参集を求め、さきに第一回の御討議をお願い致しましたが、この御意見を、これも新に設けられた臨時物価対策閣僚協議会に反映し、更に物価対策の前進を図つて参る所存であります。物価対策は非常に難しい速効性の薄いものでありますが、どうか、民間の皆様方におかれてもよろしく御協力戴きたいと存じます。

 特に最近の物価上昇が低生産性部門の賃金の上昇、各分野相互間における賃金の平準化傾向に起因する点が大きいことに鑑み、これら分野における生産性向上に政府として十全の施策をとることは勿論でありますが、皆様方産業界の各位におかれても、この点に留意され、各種手段による企業の合理化により生産性の向上に努めて、コスト低下を図られるべきことは勿論、高い生産性の企業はその生産性が向上したために生ずる利益を、賃金や利潤の引上げのみに分配することなく、価格引下げにもあて、消費者にもその利益を分配することが望ましいと思います。経済利益の最終受益者が健全な消費者であつてこそ、はじめて真の経済の繁栄がもたらされるものと考えます。生産性の向上を超えた無理な賃上げの抑制とともに、消費者保護の立場も十分に理解されて、物価対策を、政府だけの問題とせず自らの問題として十分の関心を持つて頂くようお願い致します。

 以上、今後の経済運営に当り、景気回復と物価対策の二点にしぼり、特に、公債政策の導入と減税による財政政策の転換につき、抽象的ではありましたが所感の一端を申し述べました。この他、当面の外交問題、更には先の日韓諸条約の批准にあたり経験した国会の混乱に関して議会制民主主義の下における今後の政治のあり方等についての私の信念等、申し述べたいことは山積しておりますが、本日は時間の制約もあり、これらについては、何れ国会の施政方針演説において所信を表明させて頂くこととし、最後に当地大阪で昭和四十五年に開催されることとなりました万国博覧会についてのみ簡単に申し上げたいと存じます。

 万国博覧会は、常にその時々の人類文化の成果を示し、新しい技術の開発、普及に貢献することによつて、世界の産業の発展と諸国間の相互理解に大きな役割を果して参りました。

 万国博覧会は、しばしば産業界におけるオリンピックに擬されておりますが、その影響力といい、その規模といい、オリンピックをはるかに上回る大事業であります。

 この国際的大事業を成功させるため政府といたしましては、今後、全力をあげて行く所存であり、先頃決定した明年度予算案においても二億六千万円余の準備予算を計上致しました。この他万国博開催地を中心とする周辺の道路、港湾等公共施設の整備にも格段の配意を致してまいります。とくに地元大阪を代表される皆様の絶大なる御支援をお願いする次第であります。

 以上をもちまして、私の御挨拶を終り度いと存じますが、先程来再三繰返しましたように、先ず本年、国を挙げて取り組むべき現在の不況の克服のためには、単に政府の施策のみならず何よりも経済界の皆様方の積極的な意慾と努力が不可欠であります。私は先に申し上げました政府の積極的な姿勢にこたえる民間の皆様の、年頭にあたつての御決意に特に期待してお話を終わります。有り難うございました。