データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 故吉田茂国葬儀における佐藤内閣総理大臣の追悼の辞

[場所] 
[年月日] 1967年10月31日
[出典] 佐藤内閣総理大臣演説集,159−162頁.
[備考] 
[全文]

 元内閣総理大臣従一位大勲位故吉田茂国葬儀が執行されるにあたり,謹んで御霊前に追悼の辞を捧げます。

 吉田先生は最近もすこぶる御健勝であり,わたくしは,安んじて東南アジア大洋洲諸国歴訪の途にのぼつたのであります。然るに,異邦の地にあつてはからずも先生の訃報に接し,深い驚きと悲しみとを禁ずることができませんでした。今,御霊前にぬかづき,万感こもごも胸に去来し,言うべき言葉を知りませんが,ここに心から永遠のお別れを申しあげようと思います。

 吉田茂先生は,明治十一年自由党の領袖竹内綱氏の五男として出生,幼にし吉田健三氏の養子となり,同三十九年東京帝国大学を卒業,直ちに外交界に入り,中国,欧州等の勤務を経て,あるいは外務次官として,あるいは駐伊,駐英大使として活躍された後,昭和十四年退官されました。戦時中は権力に屈することなく,あらゆる圧迫を排し,戦争終結のため身命を賭して尽力されたことは周知の事実であります。

 昭和二十年終戦となるや東久邇内閣及び幣原内閣の外務大臣として困難を極める終戦処理業務に挺身されたのであります。昭和二十一年に第一次吉田内閣を組織して以来,二十九年十二月に至るまでの間,五たびにわたり総理大臣の重責を担われたのでありますが,この時代は,われわれ日本民族にとつてまことに忘れることのできない苦難の時代でありました。今日ではもはや想像だにつかない国土の疲弊,民心の混乱のなかにあつて祖国日本は新しい民主主義を生み出さんとする陣痛の苦しみを味わっていました。有史以来はじめての敗戦,占領軍の進駐というきびしい現実に国民の大半が民族的誇りと自信を失なわんとしたとき,先生は内閣の首班として,この事態を冷静に直視しつつその奮起をうながし,卓越した指導力によつて,すべてを国家再建の一点に結集すべく努められたのであります。

 かくて昭和二十一年には新憲法の公布をみ,祖国再建の礎石がうちたてられました。また先生は,戦後最大の課題である講和問題について,筆舌に尽しがたい辛苦を重ねられ,昭和二十六年サンフランシスコ対日講和会議には,自ら首席全権委員として出席され,対日平和条約の締結によつて,国民待望の独立回復を実現されたのであります。

 平和条約の締結とわが国の独立回復は,民主主義国家に生れ変つた新しい日本の門出を意味するもので,戦後史上最大の治績であり不滅の功績であります。

 先生はまた,アイゼンハウアー米元大統領,故チャーチル英首相,故アデナウアー西独首相はじめ各国首脳と親交を結び,わが国に対する列国の認識を深め,わが国の国際的地位の向上をはかられたのであります。

 吉田先生,あなたは国家と国民がいちばん苦しんでいるときに登場され,国民の苦悩をよく受けとめ,自由を守り平和に徹する戦後日本の進むべき方向を定め,もっとも困難な時機における指導者としての責務を立派に果されました。あなたはまさしく歴史が生んだ偉大なる政治家であります。

 吉田先生,あなたはワンマンといわれ,ときには一人孤高を持して妥協を知らぬ人ともいわれました。その半面,花を愛し,人を愛し,こよなく人生を楽しまれたことをわたくしどもは知つております。しかしあなたは,なにものにもまして祖国日本を愛し,誰よりも日本人としての自負心を抱いておられました。

 変転する国際情勢について,鋭い洞察力を持ち,国家の生くべき道を誤らなかつたのも,またいかなる毀誉褒貶にも屈せず,信念を貫ぬきとおされたのも,先生のこのような人生態度によるものが多いと,わたくしは信じております。

 わが国は戦後二十二年にして,国力は充実し,国際的地位も飛躍的に向上しつつありますが,さらに大いなる前進を遂げるべく,内外にわたり数多くの困難な課題に直面しております。

 このような大事なときに先生を失ないました。痛恨のきわみであります。もはや先生の教えを乞うことはできません。

 しかしながら先生の死は多くの国民の心に静かな感動を呼び起しています。先生の祖国愛,視野の広さ,明治人としての気骨,自由闊達さはいまなお国民の間に先生にたいする敬愛,思慕の念として生きております。

 先生の薫陶をうけたわたくしは,これを心の糧として,困難な諸問題に取り組み,いやしくも国家の前途に誤ちなきよう心魂を傾ける決意であります。

 ここに国民各位とともに,偉大な先人の業績をたたえ,生前の面影をしのびつつ心からご冥福をお祈りいたします。

 吉田先生,どうぞ安らかにお眠り下さい。

昭和四十二年十月三十一日

故吉田茂国葬儀委員長

内関総理大臣 佐藤栄作