データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 佐藤栄作内閣総理大臣の外人記者クラブにおける演説

[場所] 外人記者クラブ
[年月日] 1969年6月19日
[出典] 日本外交主要文書・年表(2),855ー857頁.佐藤内閣総理大臣演説集, 237ー242頁.
[備考] 
[全文]

ハルツエンブッシュ会長並びに御列席の各位

 本日はお招きにあずかり有難うございました。日夜世界各地へわが国の真の姿を報道しようと努めておられる本クラブの会員各位に折にふれて所感を述べる機会を与えられますことはまことに欣快とするところであります。従来私がこのクラブでとりあげたのは、主としてわが国内外の情勢と、これに対する私の取り組み方といつたテーマでありました。本日は、多数の外国使臣も見えておられますので、特に「社会変革による不均衡とその克服」というテーマのもとに若干所感を述べてみたいと思うのであります。

 最近わが国において、ピーター・ドラッカー氏の「断絶の時代」という本がベスト・セラーになりました。私も一読の機会を得たのでありますが、確かに現代は「断絶」という極端な表現をしてもおかしくない程、過去との間につながりの少ない面があります。このような現象は世界先進国に共通であるとはいえ、日本のような特殊な風土のもとにおいては、断絶の度合はとくに深いのであります。

 これは、現在日本が直面している大きな課題、即ち国の安全保障とか大学問題とかのすべての根底に流れている重要な要素であり、一九七○年代の日本は、内政にせよ外交にせよ、この非連続性の克服によつてのみ真に健全な発展を行いうると考えられるのであります。

 最近われわれ日本人には、まことに耳に快い賛辞が方々から寄せられます。曰く、日本の戦後の業績は奇蹟である。曰く、日本は経済的巨人の列に伍した等々の賛辞であります。ハーマン・カーン氏の「二十一世紀は日本の世紀である」という予言は、国民に対して日本の未来図を描き、そして日本の責任を訴えるに際して私自身も愛用させて貰つている言葉であります。事実、最近発表された経済企画庁の集計によれば、一九六八暦年の日本の国民総生産は一、四一九億ドルに達し、自由世界第二位、一人当りの所得も一、一一○ドルでイタリアを凌駕したと推定されています。

 また、先日東名高速道路も全通し、東海道新幹線と並ぶ日本経済の今一段の飛躍のためのもう一つの大動脈がここに完成しました。巷にはビルや工場、地下鉄などの建設工事が各所にめまぐるしく進められ、自動車の普及はいかなる予想をも上回る急ピッチで進行しており、加えて民衆の家庭生活の向上も著しいものがあります。かかる物質的繁栄のみならず、高等教育の普及、情報量の増大、都市への人口集中など日本は近代的社会の特色をあますところなく備えるに至つております。分野によつては、近代化とか近代性とかいつた呼称はすでに時代遅れとすら言うことができ、日本は部分的にはいわゆる「ポスト・インダストリアル・ソサイアティ」へ一歩踏み入れているとすらいうことができましよう。

 しかし、仔細に観察してみれば、交通の著しい渋滞、公害の激増などの現象は急速に深刻の度を加えており、また消費生活の華やかさと対照的に住宅の不備など経済社会の発展の不均衡が目につきます。そして、かかる歪みは、単に現象面に現われているのみならず、わが国民一人一人の深層心理にも及んでいるかに見うけられます。一言にしていえば、物質的発展、科学技術の進歩のためにいわゆる人間疎外の現象が起つている訳であります。現在最も大きい社会問題になつている大学問題の原因についても、種々の角度からの分析が可能でありますが、最も重要な要素はこのような高度工業社会に対する個人の適応の問題があるのではないでしょうか。

 青年はいずれの時代でも自我の確立を欲し、周囲の社会体制に反発してきました。しかも、わが国の場合には、戦争及び敗戦という動乱の時期を経たことと、他のいずれの国よりも社会変革のテンポが速かだつたことの結果、世代間の意識の断絶が特別に大きいのであります。こうした背景で育つてきた青年、そして既成の倫理感{前1文字ママ}、価値感{前1文字ママ}を認めない青年達は、個人の生き方を制約するものとして現体制に反発し、しかも他面個人に優先する価値観を見出したいという欲求をもちながら代案もないまま、一部分子の煽動により最も非民主的な手段たる暴力に訴えている、これが現在の大学紛争の本質であると思います。

 要するに、日本は一面において著しい近代化を達成しながら、物質的にも、精神的にもこの近代化に即応しえない問題をかかえているということであります。ここに日本の「断絶」があるわけであります。

 日本の二重構造ということはよくいわれて来ました。しかし、過去においては、この二重性とは、近代的な重化学工業の傍らに、極めて生産性の低い中小企業や農業が併存しているという事実や、民主主義的教育を受け世界の最先端を行く科学技術を駆使しながら、日本人一人一人が、なおかつ西欧人と較べて非合理な行動をとつたり、場合によつては封建的とも呼びうるような精神構造を温存していることを指していました。

 しかし、今日の日本は、すでにこのように二重性を一歩超えた課題に直面しています。

 勿論程度の差こそあれ、すべての先進工業国に類似の現象が起つております。しかし、私には欧米諸国はこの現象をはるかに巧みに処理する能力をもつている。換言すれば欧米諸国では社会的な変革にかかわらず人間性の保全や回復が、より賢明に行なわれているという風に見うけられます。ここに西欧文化の一つの強靭性があるのでありましよう。

 明治百年、わが国は多くのものを西欧から学んできました。ある分野については、すでに、西欧に追いつき、あるいは追い越した面も少なくありません。しかしその学び方は、戦前にあつては富国強兵、戦後にあつては生産力の回復を主たる目標として行なわれ、必らずしも日本の古い伝統や価値感{前1文字ママ}に基づく自信をもつた学び方とはいえませんでした。そのため、産業や消費生活水準で近代化が進んだ今日、かえつてそれに伴つてくる現象に対処する姿勢がぐらついている面があります。このような問題に対する取組み方こそ、これからわが国が西欧を範とすべき点であります。

 わが国は、二十四年前、一時的ではありますが当時保有していた物質的価値も精神的価値もすべて失つてしまいました。その廃墟から今日の繁栄を築き上げたものは、やはり日本民族の若さであり、能力でありました。今日までこの資質が主として生産力の再建に向けられたとすれば、私は一九七○年代においては、この資質が私のいう断絶の克服に向けられるべきであると思うのであります。

 この断絶の克服は、単に個人の不満の解消、社会的不均衡の是正といつた目標に向つての政策のみによつて実現するものではありません。より広く、日本民族のエネルギーを昇華し、自国の経済建設の次元を越えた高い目標に結集することが必要であります。巨大な核戦力が世界をおおっている中にあつて、このような目標を見出すことは容易ではありません。単に自国の安全のみをこととする消極的平和主義のみでは、もはや国民は満足しないことは明らかであります。しかし他方現代社会における個人のあり方と調和しないような国家目標をかかげることもまた誤りであります。新しい時代の特性をふまえ乍らも、価値ある創造を行いたいという人間の本来的要求を満たすような目標でなければならないと思うのであります。私は、日本の場合には、日本民族の創造力を人類の福祉、就中、アジアの平和と安定のために発揮するということこそかかる目標として最もふさわしいものであり、国民のエネルギーをこの方向へ導くことが一九七○年代の日本の政治の最大の課題であると考えるのであります。日本が外に対しては限られた防衛力しか持たない国でありながら、経済力ならびに一億の国民の高い知的水準と良識とによつてかかる目標を実現しつつ国際社会における安定勢力になり、内にあつては独自の思想、文化の創造を行なつてゆく国になれば、初めて日本は名実ともに世界の一流国と呼ぶに価する国となるものと考えております。

 日本国民が新しい目標を模索していることは、すでに自主性、独自性をもつ外交政策への要求が国民各層に澎湃として高まりつつあることにも見られます。例えば、先日川奈におけるASPAC会議でも見られたアジア諸国の地域的連帯感の高まりに応じ、日本がアジアの国としての責任を果すこと、就中、アジアの経済開発のために日本の知力、財力、生産力をふりむけることがこれであります。又、日本の軍縮委員会参加を実現し、世界の期待に応えて、軍縮の分野において国力と国柄にふさわしい貢献を行なうこともこれであります。

 安全保障政策、即ち、日米安保条約についての態度、あるいは自主防衛力の整備、さらにはより広く核に関する政策も、先に申し述べましたような課題の克服、そして国民の自主性への指向と切り離して考えることはできません。幸いにして、ここ二、三年安全保障についての国内の論議は著しく現実性を帯び、実証性を尊ぶようになつてきました。日本のおかれている国際的地位なり日本の国力なりを前提とした政府の安全保障政策についての考え方は、徐々に国民各層に深く浸透しつつあるように思われます。

 いうまでもなく、七○年代を前にして、まず取り組むべき課題は沖縄返還であります。先年私は、沖縄問題の解決なくして戦後は終らないということを述べたことがあります。しかし私は、沖縄返還の実現は、単に戦後という一時代の終焉のみではなく、日本国民が自らの真の姿を確認し、進んで世界の中に日本にふさわしい地位を見出すための一つのきつかけとなるべきものと考えるのであります。

 御静聴ありがとうございました。