データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 新聞協会主催全国編集者会議における佐藤内閣総理大臣の挨拶

[場所] 
[年月日] 1969年6月27日
[出典] 佐藤内閣総理大臣演説集,243−252頁.
[備考] 
[全文]

 本日はお招きにあずかり、ありがとうございました。故ケネディ大統領の新聞報道官だつたサリンジャー氏が回顧録のなかでケネディ大統領が「大統領という職業は新しい友人をつくるには不向きな職業だ」としばしばこぼしていた旨を書いておりますが、日本の総理大臣も同様に、新しい友人をつくるのにはなかなか不便な職業でありまして、ことに日進月歩の新聞、報道界のみなさんと個人的に話をし、友情を暖ためる機会はまことに少ないのであります。今日は「情報革命」の時代といわれ、政治もいろいろな意味で多業化しておりますが、政府が国民にたいする義務と責任を遂行するためにはことごとにみなさんのご協力を得なければなりません。

 本日は折角の機会を与えていただきましたので日頃のご協力にたいしてお礼申し上げるとともに、最近のわたくしの考え方を二、三お話し申し上げて、ご理解を得たいと思います。

 先般、経済企画庁がわが国の四十三歴年の国民総生産を五十一兆九百二十億円、前年比一八・七%の伸びと発表いたしました。これは自由世界第二位であります。しかしながら、一位のアメリカと二位の日本とでは、まだまだその間にかなりの距離があることを認識しなければなりません。そこで、まず、国力という問題をとりあげてみたいと思うのであります。わたくしが機会あるごとに申しのべているのは、国力はその国の政治的安定度、経済力、軍事力、国際世論を動かす力、文化的伝統の力などさまざまの力の総合であり、またその背景となつている国民の人口、知力、創造力等を併せてはかるべきものであるということであります。従つて、例えば軍事的な側面だけで国力を規定することは誤りであるというのが私の考え方であります。

 しかも二十世紀の後半、核均衡の時代にあつては、核はその破壊力が余りに巨大なるが故に、かえつて政治力には還元し難いものとなつております。また、核以外の通常兵器による軍事力も、国の安全保障の上でなお重要な役割りを有してはいるものの、国際政治上の手段としての軍事力にはすでに大きい限界があることは明らかであります。むしろ、今日の国際社会においては、平和裡に世界を変革し自国の影響力を拡大する手段としての経済力の比重が著るしく{前4文字ママ}増大しており、かつ同じ経済力の中でも、いわば静的な力ともいうべき地下資源等よりも、新しい物資と知識を創造してゆく能力、即ち生産力、経営力、技術開発力などの方がより重要となつているのであります。

 わが国が国民総生産において自由世界第二位となつたことは勿論重要でありますが、われわれが真に誇りうるのは、この数字だけではなく、むしろ戦後のゼロからここまで巨大な生産力を築き上げてきた国民のエネルギーであり、よりいつそう発展するための基礎となる民族のヴァイタリティーであります。

 しかしながら、今後の経済成長の在り方については、この際あらためて考えてみる必要があります。何故ならば、経済的生産力が不均衡な形で伸長し、国民生活にとつて大きいマイナスが生れるならば、わたくしが先程申し上げた総合的な国力は、必ずしも増大するとはいえないからであります。

 そこで、わたくしは戦後政府がとつてきた具体的な政策を簡単に分析し、それが今後どのように変化し進歩しなければならないかを経済問題と、そのうらづけをなす人的資源力の問題を中心に述べてみたいと思います。

 戦後の政策目標は復興と建設であり、そして経済成長でありました。一口でいえば先進国に追いつくことにありました。かかる政策がとられた所以は、国民生活の向上が至上命令であつたからにほかなりませんが、さらに、日本が再び国際的な影響力を行使しうるためには、まず主として経済面における国力を充実するのが先決であるという考え方もあつたわけであります。従つてわが国は、国の基本たる安全保障については、その少からざる部分を米国の協力に依存し、ひたすら経済復興にはげんで来たわけであります。しかしながら、今後の政策目標は、まず第一に日本の特質に応じた環境づくりに向けられなければならないと思います。人口が多く、国土は狭いという制約の中にありながら、光と水とにめぐまれた海洋国家としての日本の風土的特色を生かして、いかにして独創的な高密度社会を形成して行くかということこそ、こんごの最重要課題であると考えます。

 まず経済力という点から、今後の課題を考えてみたいと思います。

 これを技術と産業という面からみると、これまでは輸入した技術を国内的に開発することに重点がありました。また重化学工業の育成および基礎資材技術の購入、研究に重点が置かれてきました。

 今後は自主的、選択的技術の開発に重点が向けられなければなりません。オリジナリティのある技術の開発が必要であります。そして、それは住宅や公害防止、し尿廃棄物の処理、情報産業など、環境整備のための産業育成および技術開発に向けられるべきであります。

 また投資という問題を考えると、重化学工業を中心とする設備投資と輸出に重点が置かれ、その性格は短期効率的投資でありましたが、今後は環境整備のための投資と低開発国の経済開発など国際協力に重点が置かれ、その性格は長期研究開発的投資でなければなりません。

 さらに資源の面からみると、わが国は常に重要資源を海外に依存しているという事情には変りはありませんが、将来、ますます自らの力による開発、即ち空間や水や空気を国土保全という目的と調和しつつ、活用することが現実的な政策目標となつてくるのでありましようし、すでに一部で着手されはじめている海洋資源の開発が大事なテーマとなることも明らかであります。

 次に、総合的国力という点からみた人口問題でありますが、今日わが国の出生率は先進国としては世界で最低であるといわれています。人口の増加を示す指標である純出産率、すなわち女子が何人の女子を出産するかの率は、わが国の場合、かなり長期にわたつて一を割つております。これは戦後の風潮にもよりますが、ひところのフランスがそうであつたように、わが国も人口構成の面からみると、老大国化している面もあるのであります。ドゴール前大統領が「フランスの人口を倍増して一億にしないと真にフランスの栄光は望めない」といつて、出産率の増加に心を砕いたという話は有名でありますが、わが国の場合も一億のすぐれた総合力によつて、このような経済発展を遂げることができたという事実からみて、今後は標準的な出生率を回復することが重要な政策目標であることはご理解いただけると思います。次に、数に劣らず重要な、人間の資質、能力の開発について申し上げます。日本が戦後、資源も資本もゼロから出発してめざましい発展をとげたのは、日本人一人一人が国際的にみてもいずれの国にも劣らない教育水準をもち、勤勉、忍耐、柔軟性といつた資質を備えていたからであります。今後の国力の伸長を考えるに当つて、教育が果す役割りが重要な所以もここにあります。ことに、わが国は、今やいわゆる「情報社会」に入りつつありますが、かかる社会においては新しい物質的、あるいは精神的価値を創造するために増大する情報量を整理し、消化し、そして活用する能力をもつ人材がますます必要になるわけであります。本日は時間の関係もありますので、ここでは教育のもつ一般的重要性を指摘するにとどめ、わが国にとつて現在もつとも身近な大学問題について若干ふれておきたいと思います。

 わたくしが先日、自民党の幹部にたいして新しい大学の検討と私学の大幅助成の問題について指示したことにたいし、わたくしの真意をはかりかねているような論調も見受けます。教育問題、殊に大学問題は国家の将来を律する大事な問題であり、もとより軽々に扱うべきものとは考えません。大学紛争の原因についても種々な角度から議論がなされておりますが、一口でいえば大学のあり方が時代の進歩に適応できなかつたということではないかと思います。

 第二次大戦中によくいわれた言葉でありますが「将軍たちは前の戦争をたたかう」というのがあります。人は自分の経験によつてしか物事を判断しないものだということのたとえでありましよう。今日の学生運動について、或いは学校紛争について、年輩のものといえども多くの人が心情的には理解しているのではないかと思います。しかし、若いエネルギーに正しい方向を与えるにはどうしたらよいのか、という点については、みんなが模索している段階ではないかと思います。

 今年の東京大学の入試中止問題の前後から大学改革について多くの意見が出ております。東大廃校論をはじめ、各学部の分離独立、或いは大学公社論に至るまで数多くの提案がなされております。しかしいずれにしろ問題の中心は、いかにしてわが国の学問研究を進め、教育の向上をはかるかということにあります。わたくしは、率直にいつて最近若手の学者の間で、中心的な意見となつている、いわゆる“新幹線大学”構想に魅力を感じているものであります。

 大学問題は、ひとりわが国だけの問題ではなく、世界の先進国共通の問題でありますが、とくに英国においてはいち早くその洗礼を受けております。オックスフォード、ケンブリッジという世界的な名門校がその伝統と古さの故に危機にさらされたことがあります。

 そのとき英国は直接この両大学の改革という手段を用いず、ロンドンの南と北にあるサセックス、エセックスにそれぞれ新しい大学を建て、時代の要請にこたえました。このことは、結局英国に新しい血を注入することになり、オックスフォード、ケンブリッジの伝統を破壊することなく、この両名門校を蘇生させる役割をも果したのであります。

 今日、学生数二万、三万というようなマンモス的な総合大学は管理運営の面からいつても社会の実情に合わなくなつているともいわれます。そこで、いわゆる“新幹線大学”構想というのは英国の故知にならつて、在来の大学とは別個に教育環境に適した地域に適正規模の、それぞれ特色を盛つた大学を新設するというもので、現代的な表現をもつてすれば“開かれた大学”にするというものであります。

 政治の次元で考えれば、大学問題というのはしばしば管理や規制の問題であり、治安の問題と考えられがちであります。しかし、わたくしは二十世紀の後半は国際的に教育競争の時代であり、この競争に耐え抜いた国こそが二十一世紀において価値ある地位を獲得することができるものとみております。したがつて、いまの時点で学生運動が混迷しているからといつて、教育政策の長期展望を忘れるべきでない。

 むしろ、今だからこそ発想を転換し、勇気をもつてこの問題に取り組むべきであると考えるのであります。またそういう意味で今日、教育行政において官公私立の間にいまのような財政面の格差を継続することは実情に合わなくなつていると考えます。わたくしが自由民主党の幹部に相談したことは、当面の大学紛争問題とは別個に、注目すべき種々の意見を参考にして、長期的展望に立つて新しい発想で大学の新しいあり方という問題を考える一方、財政面での格差是正、すなわち私学にたいする助成について、これまでとは角度を変えて取り組んでほしいということであります。

 次に、日本の国力との関係で申し上げたいのは、わが国の外に対する立場、即ち、日本国民の情熱を傾けるに価する国際的目標の設定と、国際的義務の遂行であります。個人の場合と同様、国家関係においても、豊かな国家はそれに相応する責任をもつております。

 また個人が、公民としての立場から社会的に奉仕することにその生きがいを見出すのと同様に、わが国も、国際社会の安全や繁栄のためしかるべき分野で貢献することによつて、民族の生きがいを見出しうると思うのであります。幸いにして戦後の国際社会では、軍事力の比重が低下し、経済力や知的能力に裏づけされた政治力の比重は相対的に増大しております。まさに、日本国憲法によつて戦前とは全く異つた国家として一歩を踏出したわが国が活躍するのにふさわしい条件がつくられつつあるといつても過言ではありません。

 わたくしは、今後は経済力のみならず、より総合的な国力を結集して、世界の平和、ことにアジアの安定のために献身することを国民に訴えるとともに、このような目標を実現するための具体的施策を展開して行きたいと考えております。

 そこで、以上のような新しい課題に取り組むにあたつて、必要な心構えについて一言申しのべたいと思います。わが国では、転機という言葉が好んで口にされ、また現在は「断絶の時代」であるとの説も行なわれています。

 しかし、真に価値あるものの創造は、常に過去を土台とし、連続性を失わない発展によつて達成されるのであります。わたくしは、戦後ここまで国力の復興を達成したという実績の上に立ち、その優れた点は今後も生かし、過去において足らざる点は現時点においてきびしい自己批判を加え、そういう連続性の上に明日の日本の内政と外交を築き上げたいと考えるのであります。

 国政にとつて最も重要な問題である安全保障問題といえども、その例外ではありません。国力の増大にともない、わが国の国際的責任も増大しつつあります。国の安全保障についても、新しい外交、新しい自衛力のあり方が要請されます。しかし、それは政策の一八○度転換というものではなく、過去の実績を尊重しつつ、従来安全保障政策の大きい柱であつた日米安保体制にも、国力の増大や沖縄返還の実現と併行して今日的意義を見出してゆくことであると思います。

 最後に、わが国のオピニオン・リーダーである皆さんに、とくにお願いしたいことがあります。日ごろご協力いただいている皆さんに、欲ばりすぎた注文をすることになるかもしれませんが、私の率直な気持をお汲みとりいただきたいと思います。

 われわれ日本人は、戦争という貴重な試練を経て、世界でもまれにみる広汎な自由を獲得いたしました。自由競争のもと、人間の能力を最大限に発揮しうる体制の中で、今日の発展と繁栄をかちとつたのであります。その間、あらゆる情報を提供し、国民に選択の余地を与えた新聞、放送の役割りはまことに偉大なものがありますが、メデアとしての新聞や放送の役割りはむしろ、こんごさらに重要なものとなつてくるものと思います。そこで、私は、これからの新聞や放送は、単に事実を報道するにとどまらず、今まで以上に国家利益の追及という面にその重点が置かれて、しかるべきではないかと思うのであります。と申しますのは、先ほども申し述べたとおり、わが国はすでに「情報社会」に突入しております。このような社会にあつては、政府だけの力で総合的な国力をすすめてゆくことには限界があります。私は新聞、放送界にも自主的にその責任を分担して頂くときがすでに到来していると考えるものであります。

 もとより政治を批判し、社会悪を追及してゆくという新聞、放送の基本的姿勢は、とくに民主主義社会においては必要欠くべからざるものであります。しかして、その認識のうえに立ちつつ、民族の資質を最大限に発揮し得る社会をつくるため、その強大な力を、より建設的な方向に向けて頂きたいと心から念願するのであります。例えば、安全保障の問題にせよ教育の問題にせよ、新聞、放送界の皆さんが、真に正しいものは正しいとする勇気をもつて公正な世論の形成につとめ、政府を鞭撻していただくならは{前1文字ママ}、必ずや将来にナショナルコンセンサスが得られるものと確信いたします。ご協力を切望して私の話を終わりたいと思います。

 ありがとうございました。