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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 国政に関する公聴会における佐藤内閣総理大臣の演説

[場所] 松江
[年月日] 1969年9月25日
[出典] 佐藤内閣総理大臣演説集,260−271頁.
[備考] 
[全文]

 一日内閣も回を重ねること八回目であります。国民のみなさんから政府の施策について直接ご意見を承り、またお話し申し上げることは、きわめて有意義なことであります。折角の機会でありますから、わたくしの所信の一端を申し述べて、国民各位のご理解を得たいと思います。

 わたくしは、十一月中旬にワシントンを訪問して、ニクソン米大統領と沖縄の祖国復帰問題について話し合いを行なう予定であります。

 ご承知のように沖縄は、北方領土とともに、さきの戦争によつて失なつたわが国固有の領土の一つであります。とくに沖縄には約百万人の同胞が住んでおり、アメリカの施政権下において二十四年の歳月が経過したわけでありますが、この不自然な状態を一日も早く解消することは、沖縄百万の同胞とともに日本国民全体の念願であります。

 わたくしは、日米関係の友好と信頼の基礎に立つて米国との間に返還交渉を進めることが沖縄返還を実現する最善にして、かつ最短の道であることを確信して、これまで話し合いを重ねてまいりました。幸いにして、一昨年の訪米以来この話し合いは軌道に乗り、米国世論もまた米国政府も沖縄問題に対する理解を深めつつあります。もちろん、わたくしはこの交渉が容易なものだとは考えておりません。ヴィトナム問題、朝鮮半島の緊張をはじめわが国を取り巻く国際情勢は依然としてきびしく、沖縄の米軍基地がわが国はじめ極東の安全確保に果たしている役割の重要さは、いまなお高く評価されているからであります。

 しかしながら、アジアの平和と繁栄の基礎は日米両国の協力関係にあります。日米両国が相互信頼に基づく強固な協力関係を維持することは、アジアの安定にとつて不可欠の要因であります。したがつて、わたくしは、沖縄の早期返還こそ、日米間の相互理解を深め、そのパートナーシップをさらに強化して、アジアの進歩と発展を促がす所以であると確信しております。わたくしはこの信念と国民世論を背景に、ニクソン大統領と話し合い、沖縄の早期返還を実現する決意であります。国民各位のご声援、ご鞭撻を心からお願いする次第であります。

 領土は民族生存の基盤であります。固有の領土回復のために全力をあげるのは、政府の当然の責務であります。なかには「佐藤訪米反対」という一部の無責任な声もあるようでありますが、米国には米国の立場があり、とにかく話し合いなくして沖縄の返還はありえないのであります。この点については、国民のみなさんの良識で判断していただきたい、そして交渉の結果を見ていただきたい、とこのように思うのであります。

 北方領土については、外務大臣の訪ソなどあらゆる努力を積み重ねておりますが、いまだ交渉の手がかりをつかみえないことはまことに遺憾であります。今後とも、ソ連に対し忍耐強くわが国の正当な要求を主張していく決意であります。

 そこでわたくしは、沖縄返還が実現した場合、それが日本民族の将来にとつて、どのような意味をもつのかということを、この機会に国民のみなさんに考えていただきたいと思います。

 戦後われわれ日本人の生活は四つの島に限定され集約されてきました。明治の近代化以来、日本人の生活がこれほど求心的内向的に行なわれたことは、戦後がはじめてであります。好むと好まざるとにかかわらず民族の活力が四つの島に凝集されたことと、すぐれた国民的資質を必要とする戦後の国際的技術革新の要請が融合して、われわれは輝かしい経済発展を遂げることができたのでありますが、その反面、日本人のものの見方や考え方が、ある意味では狭くなつたり、閉鎖的になつている面があることも見のがせません。もちろん、このことは、国民の生活圏の広がりや企業の国際化という問題とは別の次元の話であります。

 しかしながら、沖縄返還とともに、鹿児島からはる遥か一千キロ以上も離れたところに百万の同胞が生活を営んでいるという問題が現実のものとなつてまいります。沖縄の社会や経済や教育を本土並みにするという具体的な問題をはじめ、二十余年間も異民族の支配下に暮してきた同胞を戦後根本的に変つた日本社会に迎え入れるというきわめて心理的な問題に至るまで、国家的にみてもたいへん大事な問題と取り組まねばなりません。このことは、国民生活に有形無形の影響を与えずにはおかないでありましよう。

 これまでは、国の安全を確保するという問題について、これがきわめて重大な問題であるにもかかわらず、国民生活にとつてはそれほど切実には感じられなかつたかも知れません。日米安保体制という大きな枠の中で、むしろ経済発展に国民の関心があり、努力がなされてきたといえるのであります。しかし、沖縄の祖国復帰が実現するということは、名実ともにわが国が一本立ちするということであります。安全保障という問題も、これまで以上により主体的に考えなければなりません。わが国の防衛は、国力国情に応じて自衛力を整備し、その足らざるところを安保条約によつて補完するというのが政策の基本でありますが、きびしい国際情勢に対処し、国家と国民の安全を確保するためには、国民の独立心、自分の国は自分で守るという気概がさらに強く要請されるのであります。

 国際社会における日本の立場というものを展望しても、アジアの安定という問題について、主役を果たすのは、日本であり、米国はむしろ側面的な協力をするということにだんだんなつていくでありましよう。わたくしは、これまでいろいろな機会に国力の増大に伴つてわが国の国際的責任が重くなつている、また世界の国々は日本が相応の役割を果たすことを期待している、と述べてまいりました。それなら具体的にわが国の国際的責任、あるいはわが国に対する期待とは何でありましようか。現在の世界は大きく分けて西側工業国、共産主義国、開発途上国の三つに分類することができます。日本は西側工業国の一員であるわけでありますが、なおかつ世界的にみて独自の立場にあるのであります。とくに多数の開発途上国が経済的な自立を求めて苦悩しているアジアのなかにあつて、日本がつとに先進工業国家として存在することは、それ自体きわめて意味のあることであり、日本が自主的な立場で、これら開発途上国の自立を援助することに、わが国の最大の役割があり、責任があることは明らかであります。「アジアは一{いつとルビ}なり」という明治の先人の旨が今ほど痛切に想起されるときはありません。

 沖縄問題というのは、返還までは主として外交問題であります。しかし、以上申し述べたとおり、いつたん返還が実現すれば、国民の生活態度、ものの考え方、ひいては世界における日本の位置づけにまで影響を及ぼすことになるのであります。戦後四分の一世紀を経た今日、わが国は内政、外交ともに自らを振り返つてみる時期にさしかかつたということであります。すなわち国際社会において独自の役割を果たすべき新しい共同体としての日本国家を再発見するとともに、国家と個人の関係についても新しい角度から見直してみる必要があると思うのであります。

 二十世紀の後半において、わが国のように一定の水準に達した国家は、個人の自由と尊厳を保持しつつ、しかも高度産業社会、情報社会の管理と発展のため重要な役割を果たす組織であります。国家と個人は分離され対立するようなものではなく、国民全体の参加による協力体制がすなわち国家に他ならないのであります。

 このような国家の成員として、日本国民にはいかなる心構えが必要なのでありましようか。単に現状の不備を批判し、国家にサービスを要求するだけではなく、社会連帯の精神に基づく個人の社会に対する奉仕という面を正しく認識する必要があります。また日本の経済力がさらに伸長しても、それだけでは国民としての自信は生れてこないでありましよう。すなわち経済的発展が心の豊かさに結びつくとともに、伝統と新時代にふさわしい価値観とを結びつけるものが必要となるのであります。そして、この結びつきを与えるものこそ新しい共同体としての国家であるとわたくしは考えるのであります。

 ここでわたくしは、最近の最も大きな社会問題であり、政治問題である教育問題に触れたいと恩います。大学紛争の頻発によつて教育の重要性が一層認識されてまいりましたが、まずわたくしの基本的な教育に対する考え方を申し述べたいと思います。

 わたくしは、幼稚園から大学までの流れ作業的な学校体系による教育のみが本来の意味の教育のすべてではないと思うのであります。家庭で親が子に、職場や地域で先輩が後輩に、あるいは親方が弟子に教えることもまた本来の意味の教育であると思います。情報化時代といわれ、人間の生活圏が絶えずひろがる今日、学校教育だけを教育と考えていたのでは進歩する時代に対応できなくなるばかりでなく、日本固有の文化的伝統とか、美しい風俗や慣習も失なわれて行くことになります。このことは一見ささいなことのようでありますが、実はたいへん重要なことであると思います。国民の一人一人が学校教育だけが教育ではなく、教育は、日常生活の中にもあるということをはつきり認識すれば、世代間の断絶もかなり埋めて行くことができるのではないかとわたくしは考えております。制度の問題も重要でありますが、まず家庭における言葉づかいや基本的な礼儀作法の問題に国民のみなさんが着目していただきたいとお願いする次第であります。

 そこで学校教育の問題でありますが、戦後の教育制度は、いろいろの点でほころびが出はじめていると考えますので、このあたりで根本的な見直しが必要ではないかと思います。その際まず考えなければならないのは、教育の目的であります。戦後のわが国の教育においては、人格形成の面が軽視されて、技術的知識の習得に重点がおかれ、個人の自由を守る面が強調されすぎて、民主主義の他の重要な側面である市民生活における社会的責任という面がなおざりにされがちだつたため、国家社会に対し求めることのみ多い人間が形成されてきたきらいがなかつたとはいえないのであります。国民がそれぞれの立場にふさわしい社会的責任を果たしてこそ、個人の自由が守られ、豊かな生活が確保されるのであります。したがつて、国家、社会に建設的な貢献ができる人間をつくるためには、日本の若い世代に良識と創造力と豊かな情緒を開発する教育を行なわなければなりません。

 この点については、目下、中央教育制度審議会を中心に、幼稚園から大学まで、教育制度全般について検討が加えられておりますが、まず重視しなければならないのは、制度や内容の多様性と多様化だと思うのであります。型にはまつた画一的な教育でなく、社会の変革に応じ個人の個性を伸ばしてゆくため、思いきつて新しい手法を導入することが必要であると考えます。いずれにしても、各界各層の英知を結集して、新時代にふさわしい改革を行なう決意であります。

 つぎに、大学紛争に触れたいと思います。青年はいつの時代にも周囲の社会体制に反発してまいりました。しかし、国際的視野がひらけ、人生を見る目が開くにつれて、常に新しい時代のにない手として登場してきたのであります。わたくしは、現代の青年たちがつぎの時代をになつて行くであろうことに対していささかの疑念も持つておりませんが、目下の大学紛争を掘り下げてみると、そこには良識、自主性、情緒といつた素質の欠如を、見のがすことはできないのであります。政治社会体制の変革を叫んで学園を封鎖し、ヘルメット、角棒で武装し、大衆団交に訴え、あるいは学外において直接行動に出るというようなことは、もはや学問の自由や学園の自治のらち外であることは申すまでもありません。

 このように果てしなく紛糾を続ける学園の状態を、これ以上放置することは許されないのであります。政府はさきの国会で大学運営に関する臨時措置法を成立せしめ、大学当局ならびに学生の自覚を促がすことといたしました。わたくしはこれに先だつて、各野党との党首会談を行ない「大学が自らの手によつて紛争を収拾するために、必要最少限度の時限立法を行ないたい。」との政府の真意を説明し、党派をこえた国民的な課題を解決するために、各党の協力を求めました。

 しかし残念ながら超党派的な合意を得ることはできませんでした。なかには、なんらの対案もなく、ただ徒らに反対に終始した政党のあつたことは、みなさんご承知のとおりであります。

 わたくしはこの際、はつきり申し上げたい。最近において、過激派集団の主導権争いから、ついに死傷者を出すに至つておりますが、このようなことはもはや論外であり、絶対にこれを許すことはできません。またこれら学生の行動を容認するばかりでなく、これを煽動するかの言辞を弄する教官のあることはきわめて遺憾であり、国民のきびしく批判するところであると信じます。

 わたくしは、あらためて学校当局者と学生の自覚を促すとともに、不法行為はきびしく取り締る方針であります。そして子を持つ親たちが安心してその子弟を任せられるような正常な教育環境をつくつて行くつもりであります。そうしなければ、これから展開される国際的教育競争に打ちかつことはできません。しかしながら、このことは政府の力だけでできることではありません。国民の一人一人が自分のこととして考え、力を合わせて行かなければならない問題であります。心からご協力をお願いする次第であります。

 最後に、こんどの一日内閣のテーマである過疎問題に触れたいと思います。戦後わが国の社会的、経済的特徴の一つは、人口の都市への集中であり、農村からの流出であります。この人口移動は、わが国の持続的な経済成長を可能ならしめた要因の一つであります。わが国は、昨年、ついに国民総生産で自由世界第二位を占めるという発展を遂げるに至つたのでありますが、反面、この入口移動がもたらした過密と過疎という現象は、ともに社会的に大きな弊害をもたらしております。そもそもこの二つの現象は、本来経済原則に基づいて生れたものでありますが、経済発展の結果、人間生活の基本が逆におびやかされる面が出てきた現在の事態においては、経済原則だけに任しておいて調和ある発展をはかることは困難であります。といつて、自然原則に逆らつて、流出、流入に歯止めをかけるといつたような政策はとうてい成功するとは思えません。大切なことは、この際、日本の国土全体の再発見とも呼ぶべき積極的な姿勢に立つて問題を考えることにあると思うのであります。政府が、新全国総合開発計画のもとに、長期的な展望に立つて国づくりを進めているのも、まさにかかる理由からであります。

 過疎地帯においていちばん切実な問題は、中学や高校を出た若い働き手が故郷を離れてしまい、農漁村の労働力が老齢化することであります。また農家では現金収入を求めて、農閑期を利用した季節労働、つまり出稼ぎに行く人が多くなつており、さらに山間部の小部落では部落全体が都市へ移住するという現象もしばしばみられるところであります。

 この現状の上に立つて政府は、無計画な自然の破壊を防ぎつつ過疎地帯の生活環境を整備することと、思いきつた近代化によつて農業の生産性を向上することを基本的な政策とし、豊かな農村を建設してまいりたいと思います。

 このためには、まず、基幹となる集落を形成する一方、農地の流動化を促進して、経営規模の拡大をはかる必要があります。また、分校の統廃合などによつて小中学校の教育水準の向上をはかり、医師の確保や巡回診療等によつて医療の充実を期することが大切であります。そして、過疎地帯と過密地帯との交流を潤滑にするために交通網をすみやかに整備しなければなりません。道路がよくなれば、産業を誘致しやすくなり、農家の現金収入の道が確保され、出稼ぎの必要はなくなります。さらに、生産地と消費地の交流が容易となつて、たとえば、土のかおりのする新鮮な野菜を都会地家庭の台所に直接届けることができるようになります。このことは、国民のいちばん大きな関心事である物価にも必ず好影響を与えるでありましよう。

 このような施策によつて、これまで過疎地帯のマイナス面とみられていた点をプラスに転化することができれば、わが国の国民生活全体を大きく変えることも不可能ではありません。

 人間が人間らしい生活をするための基礎が、大自然にあることは申すまでもありません。幸いにして、わが国は世界に誇る美しさと多様性に富んだ自然に恵まれております。現在、就業の機会やあるいはより高い収入を求めて都会に集つている人々も、心の奥底には強い自然へのあこがれをもつているのであります。また収入が増え勤労時間の余裕が出てくるにつれて、自由な時間を太陽に接し、土に親しむといつた目的のために使いたいという欲望は今後さらに増えてくるでありましよう。かつては、国民一人一人が出生した町や村がその人の郷土であつたわけであります。しかし今日、大都会で住む人には郷土という意識がきわめて稀薄になつております。でありますから、自然の保全や、交通、情報網の整備を並行して行なえば、都市生活者にも自然に戻る機会を与え、やがては、国土全体が一億国民の郷土であるとの意識が芽ばえてくるでありましよう。そして、ここに、日本国土の精神的な意味における再発見が行なわれると思うのであります。

 つぎに地域開発の問題であります。地域開発といいますと、ともすれば地方への工場誘致といつた面に重点がおかれやすいのでありますが、国土の総合的開発という見地からみれば、決してこれだけに局限されるものではありません。

 たとえば従来、学校が都市に集中する傾向があつたのは、主として情報の伝達手段が未開発だつたからであります。すでにテレビの普及によつて、日本中至るところにあらゆる情報が公平迅速に伝達されるようになりました。今後学問、研究や教育の分野、あるいは日常生活に付随する意思伝達の面においても、東京に住んでいても、松江市に住んでいても文明から受ける恩恵はあまり変らないということになれば、あえて大都会で勉強する必要はない、むしろ空気のよい、自然に恵まれた、いわゆる過疎地帯の方が教育環境に適しているといえるわけであります。

 このようなことは全体の中における一つのポイントにすぎませんが、すでにわれわれの目の前には情報化社会といわれる新しい時代が開けようとしているのであります。社会の進歩がわれわれの予測や想像を飛び越えて進む現代においては、創造力を十分に発揮して、問題の打開と解決に当らねばなりません。明治以来、われわれの先輩は多くの困難な課題を克服し、今日の繁栄の基礎を築いてまいりました。われわれもまた戦後の苦難に耐え、世界にも稀な経済の発展を遂げることができました。日本民族には、それだけの資質と能力があることを実証しているのであります。沖縄返還を機に、北方領土問題を除いて戦後は終わるのであります。時代の進歩に遅れることなく、むしろ世界の先頭に立つて新しい社会の建設をめざして、お互いに努力しようではありませんか。国民各位の一層のご協力をお願いして、わたくしの話を終わります。

 ご静聴ありがとうございました。