データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日本記者クラブにおける佐藤内閣総理大臣の演説,国際的な広がりをもった内政の十年,一九七〇年代について

[場所] 
[年月日] 1970年4月10日
[出典] 佐藤内閣総理大臣演説集,325−335頁.
[備考] 
[全文]

 本日はお招きをいただき、有難うございました。日本記者クラブの発足は、国民の政治への参加意識を高めわが国の国際的な責任の増大についての認識を深めるという面からみて、きわめて時宜に適したものであると思います。ここまで漕ぎつけられた関係者各位のご努力に対し深く敬意を表するものであります。

 さて、本日は折角の機会を与えられましたので、所感の一端を申しのべたいと思います。私はさきの施政方針演説で一九七○年代について若干の展望を試みました。これにたいし問題の指摘と決意の表明にとどまり、具体的政策の裏づけがないとのご批判もありました。しかしながら、わが国で最も遅れているといわれる政治の分野においても、十年単位でものをみるような時代になつたということは大きな進歩ではないか、と私目身はいささか自負しているものであります。少くともこの点に関してだけは、日ごろ点数の辛い言論界の各位も、無言の支持と理解を与えていただいているのではないかと思うのでありますが、いかがでありましようか。

 そこで本日は、私が総選挙中に申しのべた「七〇年代は内政の年である」という発想に基づいて、施政方針演説でふれた事柄を、さらにふえんしてみたいと思います。

 一九七○年代の日本は世界の安定に積極的に寄与する国となるであろうとの大きい期持が国際的に寄せられている反面、一部海外諸国ではわが国の発展が極めてダイナミックであるため、今後の日本は国際的な不安定要因となるのではないかとの観察も行なわれているようであります。もしそうだとすれば、われわれはこれにいかに対処すべきかということを、問題提起の意味でとり上げたいのであります。

 というのは、経済力を中心とする国力が今のような勢いでぐんぐん伸びて行くとすれば、国際的に大きな影響を及ぼし、心理的な意味でも難かしい問題をひきおこすことがあり得るからであります。このことは本日ご出席の各位が一番よく認識しておられることと思います。すでに外国の中には、日本が今後とも国際的な調和を乱さないように振舞つてくれるであろうか、あるいは、増大する国力と日本民族のナショナリズムが相まつて日本が国際均衡に波乱を起すような行動に出るおそれはないであろうかといつた点についていろいろ心配をする傾向が出はじめております。それだけにわれわれは、誤つた大国主義に陥らないよう自らを戒め、国際的にそういう不安を起さない政策を用意しなければならないのであります。

 ご承知の通り、わが国の国民総生産は、十年間で三倍以上になりました。これは予想外の大発展であつたと思うのであります。一九六○年代の経済規模が予想外に大きくなつた理由としては、すでに、さまざまな角度から論議され分析されているとおり、国民の貯蓄率の高さ、重要産業の政策的育成、技術革新の導入、設備投資の積極的推進などがあげられます。また防衛費を国民総生産の一パーセント以下に抑えることによつて、経済成長率を約二パーセント分だけ、他の国よりも上積みすることができたとみている専門家もおります。

 同時に、私は一九四五年から一九六〇年までの間につちかわれた広い意味での民主化の効果が、一九六○年代にあらわれてきたことを指摘したいのであります。即ち、自由の尊重という民主主義の基本原理に基き、個人の創意が十分生かされ、競争の原理が積極的に働いたことこそ六〇年代における日本の発展の原動力であつたのであります。また財閥の解体、農地の解放、近代的な労使関係の確立等の制度上の改革は、それが行なわれた時期より若干の時のずれをもちながらも着実に効果を発揮したとみることができます。

 さらに、このような国内的諸要因と同時にわれわれが忘れてならないことは、過去十年間の世界の政治動向がわが国にとつて有利に推移したこと、及びわが国の発展にとつてのぞましい経済面での国際環境がおおむね維持されてきたことであると思うのであります。

 さて、かかる経済規模の拡大の結集、われわれは、経済政策上の多くの課題を可成りの程度まで解決することができました。

 第一は、完全雇用の実現であります。これは労働力過剰経済に悩んできたわれわれの長い間の願いでありましたが、今やわが国は急速に、労働力不足経済の方へと転換し、たとえば農家では次男坊、三男坊対策どころかむしろ後継者問題が深刻になつている実情であります。これに応じて大企業と中小企業との賃金格差も著しく縮小され都市と農村との生活水準もかなり格差が是正され、日本経済の宿命であるといわれた二重構造が一歩一歩解消されつつあります。

 二番目は、わが国産業の国際競争力の向上と、これに基づく国際収支面での基盤の強化が実現したことであります。かつては、国際収支の赤字が常に成長の隘露となつたわけでありますが、この状態はほぼ克服されたといつてよく、将来は、むしろ外貨の溜り過ぎが問題となろうという状態になりました。

 三番目に、国民の生活水準が著しく向上し、今やわが国は史上はじめて「豊かな社会し、即ち高度大衆消費社会に入つたことであります。まだ、社会的な生活環境について、かなり問題が残つているとしても、十年間にわれわれが身につけた耐久消費財は大きなものがあり、余暇を積極的に活用する手段も身につけました。

 今、のべだような三つの問題は、日本が戦前から長く悩んでいた問題であり、それを現在の程度まで解決することができたという点では、一九六〇年代の十年間は、非常に大きな成功の時期であつたということが出来ると思うのであります。

 それでは、このような成功は今後も継続するか否かという問題でありますが、一九七○年代のわが国経済については、多くの専門家が、労働力不足の深刻化、技術格差、産業立地上の制約、一次産業の構造改革の困難性などいくつかの問題点を指摘しつつも、結論として今後十年間にわが国の経済規模はもう一度三倍位に増大するだろうと予測しています。

 その際指摘されているのは、高貯蓄率をはじめとする基本的な成長要因は七○年代といえども変るところはないことに加え、われわれは過去十年間にすでに新しい成長要因を蓄積し、用意したということであります。即ち一九六○年代が一九四五年から六○年までの民主化の成果をベースに大きな発展を遂げたと同様に、一九七〇年代は過去十年間に用意された新しい要因をベースに飛躍することが期待できるとの考え方であります。かかる要因としては進学率の高まつた結果として、われわれがより高い教養と意欲と能力をもつた大量の人材を擁していること、マスコミュニケーションの発達によつて大量の情報を継続的に利用しうる社会が形成されたことがとくに強調されております。

 この点については私もまつたく同感であります。日本人の九〇パーセントはいわゆる中間層であります。そしてこれらの人々はより一層の向上のため努力しております。その意欲が消費面であらわれる場合もあれば、職業面で、あるいは生き甲斐の面であらわれる場合もありましようが、いずれにしてもこのような基本的エネルギーは一九七〇年代の大きな成長要因となるでありましよう。

 しかしながら、新聞の見出しをみても、黄金の六〇年代と表現したものもなければ七〇年代を輝かしい十年になると断言するものもなく、むしろ、ひずみとか社会的不安定とかいつた活字の方がより多く目につくのはどういう訳でありましようか−。それはとりもなおさず、経済的問題の解決以上に、社会的な問題の方がわれわれの関心の的にならざるを得ない状況が出現しているからであります。また経済規模の大きくなつた日本にとつて、これからの国際環境はかなりきびしいものになるであろうとの見通しもあります。

 われわれが直面しており、七〇年代に解決をはかるべき社会的問題は二つの側面があります。その一つは、住宅、道路等をはじめとする社会資本の整備備、及び社会保障の拡充による国民生活の質的充実であります。これらはすでに他の主要先進国が程度の差こそあれ実現ずみのところでありまして、わが国が過去において生産力の拡充に国の力を重点的に傾けざるをえなかつたために、なおおくれをとつている分野であります。わが国の国力がここまで拡大した以上七〇年代においては国家の経済的資源の相当部分をこれにふり向けることにより、七○年代の末期には社会資本、社会保障の面における国民生活の充実度を他の先進国の水準に劣らざるものとすることを期したいと思うのであります。

 社会的問題の第二は、いわゆる、現代社会の諸問題として現に国際諸機関でもとり上げられ、いずれの先進国も十分解決しえていない分野であります。例えば構造的原因に基く物価の上昇、過密過疎現象に伴う物的心理的諸問題、特に大都会、小都市の混乱、各種公害の発生、世代間の断絶その他いわゆる人間疎外現象とよばれる問題等は、経済規模が大きくなり、かつその成長が極めて急速であるため、財や情報の増大に対し人間生活の社会面、心理面の適応がおくれがちとなつて発生したという意味において、全く新しい問題であります。われわれは、一九六〇年代を通じて十分な対応策のないままそのような悩みに直面したのでありますが、今ではその問題の重要性についての認識も十分あり、いくつかの処方箋も持つております。しかし残念ながらそれを全般的に有効適切に実行するというシステムはまだ十分持つに至つていないことを率直に申し上げます。

 でありますが私は、それは一九七〇年代全体をかけて解決することができる、またそれこそ解決しなければならない非常に重要なテーマだと考えているのであります。

 以上二つの側面においてわが国の内的充実をはかるためには、われわれの眼前に非常に大きな問題が山積しているということであります。例えば、物価の安定であり、大都市の再開発であり、過疎地帯の再編成であり、主導産業の転換であり、公害を絶滅するという戦いであり、若者をもつと生き甲斐のある、もつと健全な方向に誘導する環境を作ることであり、教育における基本的な知情意という三つの能力の総合的開発をいかに進めるかという問題などであります。また、最近世界的現象となりつつある「小暴力」の多発の問題がわが国にとつても看過できないものであることは、さきの大学紛争や今般の日航機乗取り事件が示すところでありまして、これらは治安上の問題のみならず、より根源的に人々の心の持ち方の問題であるという意味において、七〇年代の大きい政治課題の一つであると思うのであります。

 これらの問題は、実は全世界が、とくに先進諸国が今まさに取り組みつつある問題であります。そしてそれは、これですべてうまく行くといつたようなマスター・キイ的な解決策が見出されていない問題であります。多くの国々が努力し、そして失敗し、そして少しずつ成果を収めつつある。そういう問題であります。われわれもまたそういう問題について諸外国に伍して、いや諸外国以上の熱心さと工夫とをもつて取り組んで行くべき状況にきているのであります。

 例えば公害防止は、われわれがすぐれた技術と政策を重点的に集めるべき次の十年間の挑戦的課題でありますが、この成果は日本がやがて外国に輸出できる重要な知識産業だと私は考えています。

 次に国際関係の問題に触れたいと思います。

 すでに超大国時代の終りということがしばしばいわれます。アメリカ、ソ連二極体制が、軍事面ではなお依然として有力でありながら、世界全体としてみれば、さまざまな面で多元化の傾向をたどつているのが現実であります。一九七○年代半ばには日本の輸出が世界市場の一割を占めるにいたると思われますが、多元化の中で日本だけが他の諸国とは著しく異つた速度で経済的に伸びるということは、はじめに申し上げたように、諸外国の目には不安定要因として取る可能性があることを予想しなければならないのであります。

 即ち、問題を経済面に限つても、わが国経済の伸長は必然的に他国市場に対するわが国製品の進出、他国産業との競争の激化をもたらすでありましよう。他方わが国の資源の需要は著しく増大すると予想されますが、七○年代においてもわが国が必要とする資源を六○年代と同機に確保しうるか否かは必ずしも問題なしとしないのであります。海外資源確保のためにわが国は進んで海外投資を行うこととなりましようが、それがわが国の一方的立場からの利益追求と受取られることのないよう十分配慮することが必要となると思われます。ことに資源保有国が開発途上国である場合は尚更であります。また、わが国にとつて最も重要な関係をもつアメリカは、短期的にいえば、現在、比較的不況であり、いろいろな意味での困難な問題に直面しているだけに、日本がぐんぐん伸びるということが、日米関係で、色々難しい問題を惹き起すということがありうることを理解しなければなりません。現に外国の中には、日本についていろいろな心配をする国があります。それは、戦前の軍国主義的な日本の思い出をもつてする場合もあれば、また、日本の新しい大きなエネルギーに対して思い過しをする場合もあるでありましよう。それというのも歴史的にみれば大きな経済力を持つた国が、大きな軍事力や思想体系をもつて世界の秩序を作つていつたというのが普通でありましたから、現在の日本のように、大きな経済力を持つ国が大きな軍事力をも持たず、世界に進出して行くということは、全く新しいケースであり、世界の人々がとまどうのも無理からぬところであります。

 それだけに、われわれは日本自身の国益を尺度としたものの考え方に閉じこもることなく、日本の平和国家としての理念や知識産業を中心とする新しい生き方や、日本列島全体の将来展望を世界の人々に十分理解して貰うよう努力することが必要になつてくるのであります。

 また、わが国の責任についての国際的要請はさらに強まると予想されます。われわれは、ややもするとわが国の生活環境を先進諸国のそれと比較しがちであります。しかし諸外国は、わが国の最新式の巨大な産業設備を自国のそれと比較し、その上に立つて日本についてのイメージを築いているのであります。しかも今日迄、生産設備の拡大に力を集中したことはいわば日本自らの選択といえるのでありまして、このために生じた若干のおくれやひずみの存在の故に国際的責任をのがれるということは許されないことであります。即ち、貿易や資本の自由化、あるいは対外援助の増大は七〇年代のわが国にとり避けることのできない問題であるといえるのであります。

 そろそろ結論を申し上げねばならない時間になつたようであります。

 以上申し上げましたように、わが国は来るべき十年間において極めて大きい国内的課題をかかえております。しかも、これらの国内的課題は、すべて直接または間接に国際的な日本の立場と結びついており、国際的な課題を内政面で解決して行くという必要性もまた高まつているのであります。例えば、援助の増大、あるいは開発途上国からの輸入の拡大は内政と不可分であることを認識しなければならないと思います。七○年代におけるわが国にとつては、国家財政のみならずわが国の経済力を、経済発展のための投資人間優先の原則に基く福祉施策への支出、自衛力の整備、対外援助といつた重要目標に対し、いかに適正に配分するかが最大の問題なのであります。私が七〇年代は内政の十年であると言つた理由であります。換言すれば、わが国の直面する重要外交問題のほとんども、内政の適正な施策をまつて始めて解決されるということを指摘したいのであります。

 つまり、大きくなるということに伴なう責任、それにともなう独自の構想力、こういうものを今、日本入が世界に示すことが待ち望まれていると思うのであります。そこで、私は、内政面で素晴らしい実験を行ない、素晴らしい成功をあげることによつて、逆にそれを外交のためのシンボル、外交のための理念として揚げるべきではないかと考えるのであります。日本人が全体として、世界の問題を自分自身の問題として取り組む、そういうことができるという時点に立つていることをわれわれは、誇らしく思うべきでありましよう。

 一九六○年代が経済の量的拡大によつて問題を解決した十年間であるとすれば、一九七〇年代は量的拡大を背景としながら、その内面の充実によつて、より生活に即し、より人間に即して、もつといい状態を作つていく、そういう競争の十年間になるであろうと思われます。その競争において、日本がいい成果を挙げるために、今われわれは、何をなすべきか、それを皆で考え、討議し、そのために実験をしようという決意を固めなければならないと信じます。

 しばしば申し上げるとおり、これは政府の力だけでなしうることではありません。むしろ国民各位が目的意識をもつて、この問題に取り組み、かつ解決に努力していただきたいと念願するものであります。

 とくに、新聞、放送関係の責任と役割りは重大であると思います。私は国政の責任者として、報道の在り方については常に大きな関心を払つております。昨年六月、新聞協会主催の会合で、今後のわが国の発展にとつてマスメディアの役割りはますます重要であり、事実の公正な報道のみならず、国家利益の追及と総合的な国力の伸長のため、新聞放送界がその自主的な責任を果していただくことをお願いしたのでありますが、本日もまた、まつたく同様のことを申しのべるものであります。

 最近の二、三の事件を例にとつてみて、その報道ぶりがときに興味本位に走りすぎた点があるのではないか、と私自身は感じたのでありますが、いかがでありましようか。

 政治がその責任を果す分野とマスコミがその力を発揮する分野は、一見截然と分れているかのごとく見えます。しかしながら情報化時代といわれる時代にあつて、社会が有効に機能するためには、お互いのフィールドはかなりクロスしてきているのではないか、と私は考えております。

 真に公正な世論を形成する努力がなされてこそ、はじめて国民は共通の目的意識を持ち、進歩する社会の多くの課題に立ち向うことができるのではないでしようか。もつと率直に申せば、報道界の理性的な協力なくしては新しい時代の政治というものは成立しないということであります。

 もとより、私は報道の基本的な使命の何ものであるかは深く認識しているつもりであります。しかしあえてこのことを申し上げる私の真意をご理解いただきたいのであります。

 最後に勝手なことを申しましたが、本日はありがとうございました。各位のご発展とご活躍を期待して私の話を終りたいと思います。