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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 「国政に関する公聴会」における佐藤内閣総理大臣の演説

[場所] 栃木県宇都宮市
[年月日] 1970年9月21日
[出典] 佐藤内閣総理大臣演説集,11−17頁.
[備考] 
[全文]

 本日は、大都市周辺地域の諸問題を中心に第九回目の「一日内閣」を開くことといたしましたが、この機会に政府の考え方を明らかにすると同時に、国民の皆さんの率直なご意見をうかがつて政治の指針にしたいと思います。

 かえりみれば、戦後すでに四分の一世紀を経過いたしましたが、その間わが国は着実な進歩を遂げ、とくに、経済社会の発展は目ざましいものがあります。長い間経済政策の大きな目標であつた完全雇用もほぼ実現し、外貨か不足がちであるという困難も克服いたしました。また、都市と農村、あるいは大企業と中小企業との間の格差もかなり縮小されたのであります。そしてこのような経済力の充実を背景にして、わが国の国際的地位もいちじるしく向上いたしました。貿易の規模、工業生産の水準、あるいは発展途上国に対する経済協力の大きさなどの分野においても、きわめて重要な地位をしめております。こうしたなかで、われわれは戦後長きにわたる国民的願望であつた沖縄の祖国復帰を決定し、また、日米安全保障条約を延長することによつて平和と繁栄の基盤をいつそう強固にしたのであります。

 しかしながら、これからの十年すなわち一九七〇年代を展望するとき、われわれの前には解決を迫られている多くの課題が横たわつております。

 物価、公害、交通、住宅などの諸問題、さらに総合農政の問題などは、急激な経済社会の変化のなかで生じた新しい事柄であり、一九七○年代において重点的に解決しなければならない課題であります。

 わたくしが、かねがね「一九七〇年代は内政の年である」と申しているのは、まさにこの点であります。

 こうした内政の課題のうち、とくに国民の大きな関心を集めているのは物価と公害問題であります。政府は、物価と公害についてはとくに重点をおいて施策を進めておりますが、物価問題については他の機会に譲り、ここでは主として公害問題について申し述べたいと思います。公害問題といえば、ご当地の皆さん方は、すでに明治時代において、足尾銅山による渡良瀬川鉱毒問題を経験されており、先覚者田中正造翁の血のにじむような努力は、いまなお記憶に新たなところであります。最近では、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、悪臭などの公害が、健全な国民生活に対して大きな脅威となつております。ことに、産業廃棄物、生活環境廃棄物、農薬などか汚染源となりつつあることはまことに重大な問題であります。

 われわれは、心身ともに豊かな生活を享受するため、新たな勇気を奮い起こしてこれらの諸問題を克服しなければなりません。

 「福祉なくして成長なし」という理念のもとに、国民の健康を保護し、生活環境を保全することによつて、真に豊かな社会の実現を目ざすことが、公害問題ととりくむわたくしの基本的姿勢であります。

 まずこの点を国民の皆さんにご理解をいただくようお願いいたします。

 公害問題は、今日、わが国のみならず国際的にも大きな問題としてとりあげられておりますが、わが国の場合、特異な様相を呈しており、これを解明することが公害問題解決の方途を示唆するものでありますから、まずこの点について考えてみたいと思います。

 それは第一に、わが国の経済成長のスピードがきわめて早かつたこと、第二に、人口が過度に都市に集中したということがあげられると思います。

 たとえば、昭和三十四年にわが国の国民総生産は米国の四千八百三十七億ドルに対し、その十分の一にもならない三百五十九億ドルでありました。それが十年後の昭和四十四年には、米国の九千三百十四億ドルに対し、日本は千六百六十四億ドル、すなわち米国の約六分の一になつたのであります。そして、現在の経済規模の半分近くは昭和四十一年以降に実現されたものであり、この一事をみてもわが国の経済発展がいかに急速なものであつたかおわかりいただけると思います。

 日本経済研究センターの統計によりますと、昭和五十年には、米国の一兆三千八百億ドルに対し、日本はほぼ三分の一の四千二百億ドルになるだろうとの予想すらあります。

 一方、わが国の国土面積は約三十七万平方キロメートルで、そのうち海抜百メートル以下の平地は十一万平方キロメートル、すなわち平地は国土総面積の三分の一以下であります。しかも、この平地のなかでも国土の一・二%にすぎない市街地面積に人口の四八%が集中し、典型的な高密度社会が形成されているのであります。このままの傾向がつづけば、昭和六十年には、総人口一億二千万人のうち実に七〇%が都市に集中することになるという推定も行なわれております。

 このように、短期間における爆発的といつてもよいわが国の経済発展と、人口の都市集中を背景として、廃棄物の増大、モータリゼーションの普及などによつて、今日、いろいろな公告が発生するにいたつております。古くからのいいつたえにも「川は三尺流れて清し」といわれておりますように、河川にしろ海洋にしろまた大気にしても、本来自然の浄化作用があつて人間はその恩恵をこうむつてきたのでありますが、日本人のエネルギーが旺盛なため、経済活動が急激に行なわれ、かつ膨張し、自然の浄化能力をこえ、その結果自然と人間の調和が破壊され現在の公費現象となつているのであります。

 したがつて、公害問題を解決するためには、日本人のエネルギーを福祉の面に方向つけつつ、社会開発をいつそう推進しなければなりません。さらに、産業構造の転換をもふくめて国土の総合的利用という見地から、長期的な展望に立つて対策をたてることが必要であります。

 われわれは、戦争によつて国土の四割を失い、必要とする資源のほとんどを海外から輸入しなければならないという大きな逆境に立たされました。そしてこの逆境を乗りこえるためこれまでいろいろ工夫をいたしました。海洋国家としての利点を生かして、海岸沿い、とくに太平洋岸沿いに工場群をつくり、マンモスタンカーを利用して諸外国よりも安く石油、鉄鉱石などを入手することによつて発展してまいりました。

 しかしながら、これからは、国土をもつと広く使うことを考えると同時に、これまでの主導産業であつた鉄鋼、石油、化学、機械等の産業のほかに、頭脳集約型の新しい産業を発展させなければなりません。

 われわれは、一九五〇年代から全国的な交通投資をし、すでに青函トンネル、全国的な鉄道新幹線、国土開発幹線自動車道など新しい交通体系を整備しつつあります。また、学校教育の普及と情報網の発達によつて、地方の文化水準もいちじるしく向上しております。

 日本の国土は、約六八%が山林、約一八%が農地であります。この山林と農地の一部を利用することによつて、われわれは再び自然と人間の調和を取りもどすことができるのではないでしようか。

 このように国土を総合的に利用するという面における社会開発の素地は十分あるわけでありますから、これまで比較的利用度の低かつた内陸にも、新しい産業を興してゆくことができるのであります。

 もちろん、国土の総合的利用が公害の分散にならないよう、産業の配置にあたつては基本的な社会資本の整備を、あらかじめ行なわなければならないことはもとよりであります。

 そういう意味において当北関東は、公害と関係のない新しい性質の頭脳集約型の工業を展開していくのに適した地域であり、同時にこのことは大都市周辺のすべての地域にあてはまることであります。

 つきに、具体的な公害対策をどのように進めていくかについて述べてみたいと思います。

 公害現象は、大気汚染にしても水質汚濁にしても、あるいは土壌汚染にしても、最近では複合的な原因によつて深刻化していることが特徴になつています。また公害の範囲が地域的に広かつていることも大きな特徴であります。以前は一工場一地区を中心におこつていたものが広域化して、点から線、線から面へと広がりをみせているのであります。このような特徴をもつた現代の公害に対処するには、一貫した調査、分析、対策が必要であり、異なつた分野、異なつた地域の人々の総合的視野に立つた密接な協力にまたなければなりません。政府は、人間尊重を第一義として、公害対策基本法をはじめ各種公害規制立法の整備、公害罪新設等の立法措置を行なうとともに、企業の無過失責任を早急に検討したいと考えております。

 先般、内閣に公害対策本部を設置し、わたくし自ら本部長となつて各省庁の機能を一元化し、迅速かつ強力な対策を推進することといたしました。これによつて、とかく遅れがちであつた公費対策に先手をとり、発生の予防を中心とした対策を軌道に乗せてまいりたいと考えております。

 また企業の公害問題における社会的責任は重大であります。したがつて、公害防止のため必要な費用を負担することは当然であります。

 今日国際社会においては、環境改善、公害防止のために適正な措置をとらない企業は、公正な競争の立場をとつていないという考え方が高まりつつあり、このような企業は国際社会の仲間入りを拒否されることをも覚悟すべきであります。そして同時に、そのような企業は国内的にも優秀な人材を集めることかむずかしくなり、やがては衰退する結果となるでありましよう。各企業においては、地域住民にとつて「良き隣人」としての存在を維持するためにも、さらにいつそうの努力を強く要請するものであります。

 またわれわれは、公舎を克服するために新しい技術と組織をもつことを早急に検討しなければなりません。そしてこの問題はこんご大きな国際協力の課題となるものと信じます。国際連合が一九七二年に環境に関する会議の開催を予定していること、さらには、先般わたくしがニクソン・アメリカ大統領と書簡を交換して、両国が相協力して公害問題の解決に努力することといたしましたのもこの趣旨にほかなりません。さらにわたくしは、公害対策のための技術開発が、いまや国際競争の課題となりつつあると思います。きれいな水と空気をとりもどすための新しい技術の開発は、高度産業国家日本が真正面からとりくむべき課題であり、その成果は国際社会に大いなる貢献をすることになるものと信じます。

 終わりに、国民の皆さんに申し上げたい。戦後われわれは、荒廃した国土に豊かな社会を建設することを念願し、その目標に向かつて国民の総力を結集してまいりました。そして今日、その目標はほぼ達成されつつあると思うのでありますが、その反面、生活にうるおいがなく心にゆとりがなくなつたというのが、われわれすべての実感ではないかと思います。それは、公共に奉仕するとか、他をおもんばかるといる心が少なくなつて、個人個人があまりにも自己中心になりすぎているからではないでしようか。

 しかし、心の豊かさは、経済の発展や社会の進歩にともなつて、それにふさわしい倫理感や社会連帯感がなければ得られないものではないかと思います。国民の一人一人が、このことを自覚したとき、われわれは、はじめて精神的にも物質的にも健康で豊かな社会に住むことができるのであります。その基本になるものは、なんといつても教育であります。子供に対する家庭のしつけからはじまつて、学校教育、社会教育を通じた、いわゆる全人教育がなによりも大切であります。そして、この全人教育を通じて、自主性のある情操豊かな人間が形成されたときこそ、日本が真に豊かな社会となるときであると確信いたします。これこそ、一九七〇年代におけるわれわれの最大の目標ではないでしようか。

 わたくしは、国民の皆さんと力をあわせて多くの困難な情勢に対処し、これを乗りこえていく決意であります。心から国民の皆さんのご理解とご協力をお願いして本日のわたくしの話を終わりたいと思います。