[文書名] 故石橋湛山氏葬儀における田中内閣総理大臣弔詞
元内閣総理大臣自由民主党総裁従二位勲一等石橋湛山先生のご霊前に謹んで弔詞をささげます。
先生は明治十七年東京に生れ,早稲田大学文学部哲学科を卒業後,直ちに毎日新聞社に勤務の後,明治四十四年には,東洋経済新報社に入社されました。その後,主幹となり社長とらな{前2文字ママ}れてからは,わが国財政経済の指導者として又自由主義経済論者として,一貫して政治,経済,言論,教育等各界に於て縦横の敏腕を発揮され,斯界に多大の貢献をされました。戦後,昭和二十一年五月第一次吉田内閣の発足にあたっては,鳩山元総裁の強い推薦により大蔵大臣に就任されました。先生は,敗戦によって壊滅的な打撃をうけたわが国経済に立ち直りのきっかけを与え,〃世界の奇跡〃といわれる復興と繁栄の緒口をつけられるなど数多くの歴史的な業績を残されました。
その後,衆議院議員として当選六回,十一年四月にわたる在職中に,通商産業大臣となられ,昭和三十一年十二月第三回自由民主党大会において総裁に選任され,内閣総理大臣の指名を受けられました。全国民は,石橋内閣に対して絶大なる信頼と期待を抱いたのでありますが,政務多忙による過労のため,健康を損われ,就任二ヵ月にして辞職せられました。これは,国家のため,党のため誠に痛恨のきわみでありました。石橋内閣の後を受けた歴代の自由民主党内閣は,先生の御意志に添い,御指導を賜りながら,時代の要請にこたえて,日ソ,日中の国交正常化の問題をはじめ数多くの問題を解決してまいりました。
いま,わが国経済は,国際収支の大幅な黒字をかかえ,流動的な国際通貨情勢のなかにあって,国民福祉の向上,社会資本の充実をめざして成長パターンの転換を行うというきわめて難しい局面を迎えております。われわれが,解決を迫られている諸問題は,きわめて多いのであります。このようなときに,人間性豊かなスケールの大きい得難い人を失ったことは,国家のためにも,実に大きな損失であり,また,惜別の情,切々として禁じえないものがあるのであります。
このうえは,先生の残された偉大なご功績とご遺志を心の糧として,物心ともに豊かな新しい時代の創造のために,あえて困難に挑戦し,議会制民主主義の確固たる基盤にたって,全力を傾注してまいる決意であります。
ここに在りし日の先生をしのび,心からご冥福をお祈りしてお別れの言葉といたします。