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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日本記者クラブにおける田中内閣総理大臣挨拶

[場所] 
[年月日] 1973年6月21日
[出典] 田中内閣総理大臣演説集,174−183頁.
[備考] 
[全文]

 日本記者クラブの会合にあたり、所感の一端を申しのべます。

 現下の最重要政策課題は、物価問題であります。最近の物価動向をみますと、景気上昇の加速度、世界的な悪天候等による海外の食糧、原材料の値上がり、海外インフレの高進に加えて、過剰流動性を背景とした一部商品に対する投機的需要等により、四十七年末以来、卸売物価が急騰しております。他方、四十七年中、比較的安定的に推移してきた消費者物価も、最近上昇を続けております。

 政府は、四十八年度の経済運営の基本目標を、国際収支の均衡化、国民福祉の向上、物価の安定という相互にトレード・オフの関係に立つ三つの課題を同時に解決することに置いてきました。その結果、全世界向け輸出は、一月、一八・三億ドル、二月、二七・四億ドル、三月、三〇・〇億ドル、四月、二八・二億ドル、五月、二八・二億ドルに対し、輸入は、一月、二一・九億ドル、二月、二三・四億ドル、三月、二七・八億ドル、四月、二八・〇億ドル、五月、三二・二億ドルと推移しており、輸出は、一〜五月で対前年比二五・五%の増加であるのに対し、輸入は、四四・五%の増加となっております。この結果、二月一九〇・七億ドルに達した外貨準備も急速に減少過程に入り、五月末には一五八・七億ドルとなっております。

 とくに昨年来、緊張関係にあった対米貿易は、一〜五月で、輪出三五・六億ドル(対前年同期比八・三%の増)、輸入三三・九億ドル(対前年同期比四一・一%の増)となっており、とくに五月は、八百万ドルの入超に転じておりまして、従来の予想をこえるテンポでアンバランスの是正が進んでいるのであります。

 次に「国民福祉の向上」については、ご承知のように四十八年度予算において、社会保障の充実、住宅事情の改善、環境の保全、社会資本の充実等の両で、各般の措置を講じ、国民福祉の向上に努めております。

 これからは、政府は、物価の安定のために全力を投入して、適時適切な対策を講じてまいります。すでに、二回にわたる公定歩合の引上げや三回にわたる預金準備率の引上げ、国債の前寄り集中発行、公共事業の施行時期の調整などを実施しましたが、今後とも財政金融政策の弾力的運用をはかるとともに、輸入の割当枠の大幅拡大、生活関連物資にかかわる特恵関税シーリング枠の弾力的運用などの輸入拡大策を強化してまいります。また、消費者に対して一般物価問題、生活関連物資の需給および価格動向等について正確な情報の提供に努めます。すでに、六月一日から四大都市において、生鮮食料品等消費者情報テレフォン・サービスを開始し、市況、在庫の状況、需給の見通し等についての情報を提供しております。

 さらに、野菜の安定的な供給を確保するため、野菜指定産地を拡充整備し、農家が安心して野菜生産を行ないうるよう価格補てん事業を強化しております。また、野菜の調整保管、緊急輸送に対する助成、消費地における大規模低温貯蔵庫の設置などの事業も行なっております。

 このほか、中央卸売市場の施設整備費補助、公設総合食料品センターの設置費補助などとくに大都市における流通機構の整備について、国としては、格段の予算措置を講じているのでありますから、事業の施行者である地方団体において、国と相協力して問題解決に取り組む姿勢かとくに望まれるのであります。

(公設小売市場についてみると昭和四二年度から四七年度までの補助実績五五カ所のうち、東京部は市街地の改築二、団地の新設五のみ)

 物価の問題は、先進工業国に共通する現代の悩みであり、最近のOECDにおいても論議が行われたところであります。昭和四〇年から四六年までの国民総生産の平均伸び率は、わが国の一一・一%に対しアメリカ三・一%、イギリスニ・三%、フランス五・七%でありましたが、この間の卸売物価の平均上昇率は日本が一・七%に止まったのに対し、アメリカニ・八%、イギリス四・三%、フランス三・三%となっております。特に最近の動向を見ると、対前年比でイギリスは約七%、フランス一〇%台、アメリカは一一%を超えるなどスタグフレーションの様相すら呈しております。幸いにして、わが国はそのような状態にありませんし、今後もあってはならないのであります。

 去る十四日、アメリカ政府は、再び物価凍結などのインフレ対策を発表しました。しかしいわゆる所得政策は、わが国において国民的合意を得られる段階にないと考えますし、政府は、そのような道を選択しないで問題解決に取り組んでおります。この点は、とくに国民各位の理解と協力をえたいのであります。

 次に、勤労者の財産形成政策についてのべます。

 わが国の勤労者生活の現状をみると、資金水準の向上によって所得面では一応の充実をみておりますが、資産性の貯蓄や持家などの資産保有面では、著しく立ち遅れております。さらに、すでに資産を持っている者と、これから資産を持とうとする者との間の格差は、ますます拡大する傾向にあり、これが勤労者の社会的疎外感と不公正感を助長し、一般的には豊かな社会といえるこの世の中で、生活への不満を深める大きな要因の一つともなっております。このため、勤労者財産形成促進制度を改善し、日本列島改造政策との有機的連けいを保ちつつ、勤労者のマイ・ホームの夢を実現してゆかねばなりません。

 当面、健全な貯蓄を増進することは、国民の堅実な資産の形成に資するだけでなく、旺盛な消費需要を抑え、物価の安定をはかるうえで大きな意義を有します。最近、政府短期証券の公募発行を行なうことと致しましたが、更に、金融機関等が預金者に対しより有利な貯蓄手段を提供するよう新たな措置を講じたいと考えております。

 次に税の問題について申し述べます。

 わが国の所得税の課税最低限は、夫婦子二人の標準世帯で本年度一一四万九千円約一一五万円に引上げられました。これはアメリカの一三二万円に次ぎフランスの一〇八万円、イギリスの八四万円、西ドイツの七七万円をいずれも上回っているのであります。また、国民所得に対する租税及び社会保険料の比率を見ますと、わが国の場合二四・一%であります。これに対し、アメリカは三六・三%、西ドイツは四四・二%、フランスは四八・八%、英国は四九・四%、社会保障で有名なスエーデンは実に五三・ニ%であります。

 このように、わが国の税負担率は各国に比べて決して高くはないのであります。それにもかかわらず重税感を払拭できないのは何故か。それは、わが国の租税構造が直接税中心主義だからであります。昭和四十八年度で見ても、直接税が約七割、間接税が三割であります。これに対し、イギリスは直接税のウエートが五七%、西ドイツは四八%、フランスは三三%と逆に間接税のウエートが高くなっているのであります。

 わが国の直接税中心主義は、昭和二十四年のシャウプ税制以降の大原則でありましたが、この間題に抜本的なメスを入れなければなりません。四十九年度の税制改正においてその手がかりをつかもうというのが私の考えであります。所得税の課税最低限を一五〇万円以上に思い切って引上げることとし、法人税を四〇%に引上げたいと考えています。その他、自動車重量税、ガソリン税、印紙税等々についても税調の場などにおいて充分論議されることを期待しているのであります。

 社会主義国の税制はどうなっているか、調べさせて見たら大体次のようになっています。ソ連邦の場合、物的生産国民所得(第三次産業の金融、保険、サービスが除かれているようですが)が一九七一年で約二九四四億ルーブル、ドル換算で約三九〇〇億ドル、円換算で約一〇〇兆円であります。(わが国の四八年度国民総生産を一〇〇兆円とすれば、金融、保険、サービスが約三割ですからこれを除くと約七〇兆円になります。)

 同じく一九七一年のソ連邦政府の歳入規模は一六一〇億ルーブル、円換算で約五五兆円になりますが、このうち約三四%が売上税、国営企業に対する収益税(法人税)が同じく約三四%、個人所得税が八・六%となっております。国柄の差異はありますが、売上税のウエートが高いのは興味があります。

 現在、公営住宅及び公団賃貸住宅の管理戸数は、それぞれ約百ニ十九万戸及び四十四万戸に達しております。

 これらの住宅の居住者の中には、所得が相当程度向上している者もおり(長期居住者の推定家賃負担率三〜四%)、子弟の教育の面等で、同じ住宅に定着を希望している者も少なくありません。したがってこれらの長期居住者の入居している住宅が空家となる可能性は極めて小さく(空家発生率は、公営住宅の場合五・六%、十年を経過した公団住宅の場合五・五%)、これらの住宅は公的賃貸住宅としての機能を必ずしも十分に果たしているとはいえないのであります。むしろ、世論の動向もみきわめながら、居住者の希望により払い下げることも検討に値するものと考えます。勿論、公的任宅に入居できない住宅難世帯に対する適正な住宅供給は、喫緊の急務であります。とくに大都市においては、木造公営住宅の建替えによる立体化などの再開発政策を強力に推進して、戸数の増加を図ることが必要であります。

 次に地価対策について申しのべます。

 地価高騰の原因は、基本的には、宅地需給の不均衡にあります。(1)未利用地の活用、(2)都市立体化の推進、(3)国土の総合開発による宅地需要の分散が、地価問題解決の抜本策であります。

 このため、すでに農地の宅地なみ課税は、実現いたしましたが、今後さらに都市の立体化、高層化を推進してまいります。また、交通・通信ネットワークの整備、新しい視野と角度に立脚する新都市、学園都市の建設、工業の全国的再配置等を軸として、国土の総合開発の施策を展開してまいります。当面は、本国会に提案している国土総合開発法案をはじめとする関係諸法律案の成立に全力を傾注いたします。そのなかで、士地利用基本計画の作成、特別規制地域における土地取引の規制、特定総合開発地域における総合開発を促進するための措置等を定め、国土の総合的かつ計画的な利用、開発及び保全をはかることを目的としている国土総合開発法案は、土地対策の基本法的役割をになうものと考えております。

 ここで、東京の都市問題について一言いたします。

 東京の魅力は、この巨大都市のもつ高度の自由選択性、便利性、快適性にあり、またそれが人間に与える刺戟の大きさ、情報の集中、文化施設の豊かさなどにあります。この魅力こそが東京の欠点を生む原因として作用し、東京の長所こそが、過密に由来する短所を生む原因となっているのであります。したがって、東京の都市問題解決の基本的立場は、東京のもつ魅力を失わせることなしに、いかにしてこれらのマイナス面を巧みに除去してゆくかということにあります。つまり、大都市対策は、国土の総合開発と平行して行なわれることによってのみ、はじめて効果をあげうるのであります。そのための一つの基本戦略と即して、都市二十三区の本格的再開発と高層化を進めて、都市の緑化、オープン・スペースの確保、居住環境の改善等を総合的に実現してゆく必要があります。

 これは、零細な敷地の上に鉛筆ビルを建てて、周囲の環境を破壊することを意味するものではありません。広い敷地に、建物を高層化することによって、生み出される街路、緑地、広場その他のオープン・スペースをその建物のまわりに広々ととって、日照の問題はもとよりすべての面にわたって環境を整備しようとするものであります。

 このような問題を解決してゆくためには、無責任な批判や反対ではなく、問題解決のための具体的提案を行ない、また、各種社会組織、集団相互の利害対立を調整することのできる高い次元のリーダーシップが求められております。

 このような要請にこたえて、政府は、現行制度を改善するとともに、再開発促進地区制度を創設して、一定期限内に、政府の助成のもとに権利者に高層化を行なわせることとし、期限内に再開発ができないときは、公的機関が代わって再開発事業を行なうことを検討しております。また低層木造密集地域等著しく環境が悪化した地域や大震、火災の危険の大きい地域など緊急に再開発を行なう必要がある区域については、従前の権利者に対して地区内ビルへの入居を保障しながら、収用を行なう再開発事業制度の創設も検討してまいりたいと考えております。

 他方、地方においては、工業、流通、学園等を計画的に誘導して、自然環境の保全に配意しながら、かつ地域住民の意思に基づき、魅力ある就業、勉学機会と良好な都市環境を備えた新都市を建設してまいります。

 さらに今後の大きな問題は、エネルギー資源の問題であります。

 エネルギー資源とりわけ石油問題は、(1)需給関係がタイトとなりセラーズ・マーケットとなったこと、および(2)産油国が、石油の供給者として登場してきたことにより流動的様相を示しております。

 アメリカは、エネルギー教書を起点として、石油輸入の自由化をはかるとともに、国内未利用資源の開発に力を入れ、そして、核融合、太陽熱などの部門へ技術開発投資を行なうことによって脱石油政策を推進しようとしております。資源欠乏国であり大消費国であるわが国としては、まずエネルギー供給の安定確保のため、国際協調を維持しながら自主開発、共同開発を進めるとともに、供給地域の分散化、備蓄の強化、エネルギー源の多様化などに努めなければなりません。また、石油のみに依存する経済からの脱皮を目指して広範な分野における経済開発を目指している産他国に対して、わが国は、積極的に協力して、共存共栄、相互補完をはかってゆくことが必要であります。

 さらに、クリーン・エネルギーの確保、省エネルギー化、および新エネルギーの開発に積極的にとり組んでまいります。私は、これらの問題を単に制約条件として、受動的態度で受けとめるのではなく、わが国経済のもつ活力を、産業構造の知識集約化、技術開発、経済協力等の面に積極的に生かしてまいりたいと考えます。とくに、増殖炉、核融合、太陽熱、地熱、潮力、波力、風力などの新エネルギー技術については、十分な研究期間をみこんで先行的に研究開発を行なう必要があります。アポロ計画のように日限を決めたビッグ・プロジェクト、目標管理方式をオーガナイズしてゆくことが急務でありましょう。

 またエネルギー資源の枯渇問題に加えて、地球的な規模で拡がるようになった環境汚染の問題があります。すでに大気や水質が汚染された地域については、環境基準や排出規制を強化、拡充するとともに、総量規制方式を確立してまいります。また、不幸にして公害による健康被害をうけた人々に対する救済措置として、公害健康被害補償法案を今国会に提出しております。

 さらに、美しい国土、豊かな自然は、全国民のかけがえのない資産であり、これを長く後代に守り伝えてゆくことは、われわれの責務であります。環境問題は、「自分さえよければ」という考えでは決して解決されません。山や川は日本全体の共有物であり、海や大気は世界の共有物であり、それを汚染することは、人類の危機につながるという認識が必要であります。われわれ日本人いや全人類は、「宇宙船地球号」の乗組員であり、互いに運命を分かち合って生存しているのであります。公害先進国といわれているわが国は、「公害探知のカナリヤ」となるのではなく、「公害絶滅」の先駆的役割をはたすため、官民の総力を結集して環境問題に真正面から取り組んでゆく必要かあります。

 最後に国会における法案審議の状況について一言いたします。

 現在の特別国会は、百五十日の会期に加えて、会期延長六十五日の約半分、合計すれば百八十日余を経過しております。ところが提出法案百二十三件のうち成立したものは、わずかに三十二件にすぎず、生活関連法案をはじめ、多くの重要法案について審議すら行なわれていない状況にあります。このような現状が、切実な要求を抱えている国民の付託に真に応えている国会運営といえるかどうかきわめて疑問であります。

 議会制民主主義においては、手続問題も大切でありますが、十分な審議を尽くすことが基本的に重要であり、どうしても意見の分かれるものについては「多数決原理」に委ね、次の選挙において国民の審判を仰ぐべきであります。近く、法案の審議状況を国民の前に明らかにいたしますが、国会の良識によって、提出法案のすべてが会期中に議了されることを心から願っているのであります。

 この他、「学園都市」「老人対策」「国立、青少年の家」「看護婦確保対策」等々たくさんの問題がありますが、最初のご挨拶は、この程度にとどめておきたいと存じます。ご静聴ありがとうございました。