データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ナショナル・プレス・クラブにおける田中角栄内閣総理大臣演説

[場所] ナショナル・プレス・クラブ
[年月日] 1973年8月1日
[出典] 外交青書18号,23ー26頁.
[備考] 
[全文]

(世界的視野に立つ日米関係)

 ララビー会長,ご列席の皆様

 ナショナル・プレス・クラブの会員の皆様にお話しできることは,私の光栄とするところであります。

 このたび,私は,当地で,ニクソン大統領と実りある会談を重ね,また,議会,言論界の有力者と率直な意見交換の機会をもちました。また,明日からは,ニューヨーク,シカゴ,サンフランシスコを訪問し,各界の指導者にお目にかかることにしております。ニクソン大統領と旧交をあたため,そして数多くのアメリカの友人をつくることができることに深い意義を見出しております。事情がゆるすなら,新しい活力に満ちた南部と南西部,更には,中西部の大平原や山岳地帯までも訪問し,できるだけ多くのアメリカ国民に接したいところでありますが,限られた時間でありますので,本日は,世界的に知られたこのナショナル・プレス・クラブにお集りの皆様を通じて,アメリカの国民の皆様に,ご挨拶を申し述べたいと思います。

 第二次大戦後,すでに,四半世紀余の歳月が流れました。その間,国際政治は,戦後の荒廃と冷戦的対立の試練を克服して,ようやく,平和的な共存の門口に立つております。世界の経済も,ガットとIMFの体制に支えられて,史上かつてみない拡大と発展を記録することができましたが,今や,その転機を迎えているのであります。

 かかる戦後世界の歩みに主導的な役割を果してきたのは,他ならぬアメリカでありました。私は,アメリカのこの偉大な貢献を高く評価し,かつ,深い感謝の気持を率直に表明いたします。

 今日,国際政治は,戦後最大の転換期を迎えています。この時期において,人類の英知に課せられた課題は,力の抑止による均衡以外に,軍備の縮小・管理,政治,経済,文化面での国際協力の強化により,真に永続する平和を創造することであります。世界が,当面する永続する平和の創造という仕事は,今や取り組むべき時がきた壮大な事業であります。また,世界的な通貨不安と慢性的インフレの克服,さらには新たな緊張をよんでいる資源や食糧問題の解決も,世界的規模をもつた難事業であります。これらの課題の解決は,アメリカがいかに強大であつても,アメリカだけの力で遂行できるものではなく,また期待すべきでもありません。世界の各国,とりわけ,日米欧三者の密接な協力を必要としております。

 今日,主要工業国の一員として,応分の貢献と寄与をなし得る立場にある日本国民も,平和の享受者たるにとどまることなく,平和の創造と世界経済秩序の再建に,すすんで参画し,その責務を果すべきものと考えます。その意味においては,私は,アメリカ政府が日米欧を始めとする先進民主主義諸国間の協力の仕組みに新しいガイドラインを設けようとする意図を,十分理解することができます。そして,それが,関係各国との十分な協議を通じて,実りある成果を生むに至ることを希望しております。私は,これからの日米関係も,そうした文脈の中で,見直され検討されるべきであると考えております。つまり,単に,二国間の関係という問題意識にとどまらず,「世界的視野に立つ日米関係」という新しい視角を加えて,日米の協力関係を見直す必要があるのであります。

 日米二国間の関係は,両国の政府及び国民のたゆまぬ努力の結果と相互の多面的な補完関係の故に,多大の成果を生むことができました。しかし,濃密な間柄であつても,不断の注意と努力を払う必要があります。私が,日米安保体制の維持と運営に,細心周到な配慮を加えているのも,そのためであります。しかるに,最近においても,繊維品の対米自主規制問題,貿易収支の大きなアンバランスの是正問題,さらには為替平価の問題等をめぐつて,日米間に,緊張した空気が醸成されたことは,ご承知のとおりであります。

 私は,1971年7月通商産業大臣に就任していち早く,日米関係の不協和音となつていた三年越しの繊維問題の解決に,全力を注いだのであります。米国の繊維業界と同様に,強力な政治的社会的集団である日本の繊維業界の良識に訴え,私なりに政治生命をかけて,深刻な日米繊維交渉に終止符を打つたのであります。私と同様に,政治に携わるアメリカの上下両院の友人諸君はこの種の問題を解決することが,如何に困難な事業であるかを,容易に,ご理解いただけるものと思います。

 次に,日米間の貿易収支問題ですが,両国間の貿易収支は長い間,日本側の入超であり,1965年を境にして,日本の出超に転じました。そして,昨年は,日本側の黒字が,40億ドルを超えました。そこで,私は,昨年8月ハワイでニクソン大統領と会談した際,「わが国がグローバルな経常収支の黒字を,両3年の間に,GNPの1%位にしてゆく考えであり,その過程で,対米収支の不均衡も大巾に縮小するであろう」と述べました。その後わが国は,社会資本や国民福祉に重点を置いた大型予算と金融緩和政策により,輸出の内需への転換を進めるとともに,関税の一括引下げ等を通じて,輸入の促進に努めた結果,日本の対米輸入は激増し,わずか1年にして,40億ドルという黒字が半減しようという,世界貿易史上例の少ない大きな変化が起りつつあります。本年におけるわが国のグローバルな経常収支の黒字は,GNPの1%以内に止まるものと予想されるのであります。

 また,円の対米ドル相場については,ここ20カ月間に,実質30%を超える切上げとなつており,わが国の外貨準備高は,190億ドルのピークから,半年を経ずして,150億ドルに激減しているのであります。さらに,私は,本年5月に画期的な資本自由化措置をとりましたが,これはわが国経済を一層開放化し,日米両国間で,相手国への健全な投資を活発化することを意図したものであります。ところが,最近,世界の各地には,経済的,社会的分野において,閉鎖的ないし保護主義的な傾向がみられております。それは,人類のために大きな損失であることを憂慮するものであります。

 幸いに,自由な経済を基調として,より開放された世界経済の拡大をはかることにより,人類の平和と繁栄に貢献しようとする点で,日米間の見解は,基本的には一致しております。私は,日米両国が,一層の理解を深め協力を進めることによつて,永続する世界の平和の創造と経済秩序の再建に,大きく寄与しなければならないし,また寄与し得るものと確信しております。その意味で,9月に東京で開始が期待される多数国間の貿易交渉は,これらの目的を達成するための絶好の機会となると考えます。

 わが国産業の国際競争力と生産力は,飛躍的に伸長し,労働者の賃金も,欧州諸国をしのぐに至りました。しかしながら,カリフォルニア州よりもせまい国土面積の1%にすぎない東京,大阪,名古屋の三大都市圏に,総人口の32%にあたる3,300万人の人口が,集中しており,公害,物価,土地,住宅等の問題が発生しております。また,社会資本の蓄積は,アメリカの4分の1であります。これらの問題を解決するため,私は,地方中核都市の建設,工業の全国的再配置,及び交通,通信のネットワークの整備などを内容とする日本列島改造論を提唱するとともに,経済政策を成長第一から福祉優先へ,輸出偏重から輸入重視へ転換させております。このような政策は,日米間の補完関係を創造的に拡充することに寄与するものと確信しております。

 このように今後日米間においては,政治,経済の分野での関係は,益々緊密の度を加えてまいりますが,このように開けゆく両国関係の要請をみたすに十分なコミュニケーション・キャパシティーは,両国間に存在しないのであります。

 これは,日米両国が欧米の場合とは異なり,文化,歴史の背景を歴然と異にし,言語の障壁もこえがたいものがあるからであります。しかしながら,お互いが,共通の目的をもつて理解に努め,努力をおしまないならば,その相違を克服できないはずはありません。

 そのためにこそ,私は,さきに「日米の間断なき対話」の必要性を強調したのであります。そのことは,1人首脳同士だけではなく,政府,言論人,民間経済人,学者など各界各層の間に,コミュニケーションの道が,広く深く定着することを念願してやみません。

 私は,このような見地から,アメリカの大学における日本研究を促進するためのささやかな貢献として,国際交流基金を通じて,米国のいくつかの大学に対して合計1千万ドルの基金の贈与を行ないたいと思います。

 貴国の建国200年記念は,3年後に迫りました。私はアメリカが,第3世紀への夜明けを前にして,その建国の理想のもとに,真の大国として引続き,全世界の平和と繁栄に寄与されることを,心から希望いたします。

 日本もまた,自由で公正な社会の創造のため,平和と繁栄にみちた世界建設のため,ダイナミックに,かつ,責任をもつて取組むことを決意しております。

 今や日本と米国は,新しい世界における共通の目標を目指しているのであります。相互にもつとも信頼できる盟邦として,人類の明るい未来に向つて,ともに前進して行こうではありませんか。