データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 物価安定政策会議第4回総会における田中内閣総理大臣挨拶

[場所] 
[年月日] 1973年11月1日
[出典] 田中内閣総理大臣演説集,344−351頁.
[備考] 
[全文]

 物価安定政策会議第四回総会が開催されるにあたり、一言ご挨拶申し上げます。

 今般、委員の改選に際し、各位にご協力をお願いいたしましたところ、快くご承諾いただき厚く御礼申し上げます。

 昭和四十四年七月に物価安定政策会議が発足以来、これまで種々のご意見や有益なご提言をいただいてまいりましたが、政府といたしましては、極力これを施策に生かすようつとめているところであります。委員各位におかれましても、引き続き政府の物価対策について適切なご助言、ご指導をいただきますようお願い致します。

(最近の物価動向)

 最近の物価動向をみますと、昨年末以来卸売物価が急騰に転じ、また四十七年中比較的安定的に推移しておりました消費者物価も、本年に入ってから高い上昇を続けており、物価の安定のために、なお一層の努力を傾注する必要を痛感しているところであります。本日、委員にお集まりいただきました機会に、当面の物価問題について所見の一端を申し述べたいと思います。

(国際収支と物価)

 第一に、国際収支の大幅な黒字との関係であります。昭和四十六年以降、わが国の外貨準備高は四十億ドルから、本年二月のピーク時の百九十億ドルまで、実に百五十億ドル増加しており、その結果、外為会計の外貨買入れに見合う円約四兆五千億円が市中に散布されたのであります。また国際収支の不均衡是正のため、できるたけ早く景気を回復させるとともに、輸出を内需に転換させなければならない、という観点から、金融緩和策により、景気の浮揚を図ったのであります。

 景気の上昇に伴い、円の実質的な切上げの影響も加わり、国際収支不均衡の是正、特に対米貿易収支の改善は、予想以上のテンポで進み、昨年のハワイ会談から一年を経ずして解決の糸口を把むことができました。わが国の対米貿易が米国海外企業との取引を含め、わが国の全貿易量の四〇%を占めている事実を考えるならば、対米貿易収支の調整がわが国経済の発展に不可欠の課題であることをご理解いただけると思うのであります。

 しかし、一方において、このような金融の緩慢現象が、いわゆる過剰流動性の発生となり、土地、株式あるいは一部商品について投機的な動きの原因となった事実は否定できません。また、西欧主要国に比し、立遅れている社会資本あるいは生活環境施設の整備のための公共投資や民間建設活動が鉄鋼、セメント、塩ビ等の需給ひっ迫をもたらした面もあると思います。世界的な規模の穀物の不作、市況商品の高騰も影響しております。およそ過度の需要超過や投機的要素によって生ずる物価上昇については、厳に抑制しなければなりません。政府及び日銀は、本年初頭以来、金融の引締め、公共事業等の執行の繰延べなど総需要の抑制を中心とした緊急物価対策を数次にわたり実施してきたところであります。その効果は市況商品等を中心にあらわれはじめており、更にその浸透が期待されているところであります。

 なお、引締め政策の実施に当たって慎重な配慮を加えなければならないのは中小企業の動向であります。スミソニアン体制前に比し、円の対ドル実質切上げは三〇%を上回っており、輸出関連中小企業をめぐる環境は極めて厳しいものがありました。政府としては、中小企業の相次ぐ倒産というような事態を回避しつつ、引締め政策の浸透を図ってきたことについても国民の理解を求めたいのであります。

(国際的インフレと物価)

 第二に、国際的インフレの問題であります。物価の問題は、先進工業国に共通する現代の悩みであります。先般、わたくしは欧州各国を歴訪し、各国首脳と会談し、特にこの感を深くしたのであります。昭和四十年から四十六年までの実質国民総生産の平均伸び率は、わが国の一一・一%に対し、アメリカ三・一%、イギリス二・三%、西ドイツ四・四%、フランス五・七%でありましたが、この間の卸売物価の平均上昇率は日本が一・七%に止まったのに対し、アメリカ二・八%、イギリス四・三%、西ドイツ三・〇%、フランス三・七%となっております。本年上半期の卸売物価の対前年比上昇率では、アメリカ一〇・九%、イギリス六・二%、西ドイツ六・〇%、フランス一一・五%、日本は一〇・八%となっております。一方、経済成長率について見ると、昭和四十七年度で、わが国の九・二%に対し、これら諸国の成長率は四〜五%に止まっているのであります。

 これらの数字から読みとれることは、インフレ傾向がまさに国際的な問題になっているということであります。このことは、国際的な過剰ドルの存在、ドルの兌換停止、国際的な通貨不安と無関係ではありません。現在、関係国間で国際通貨制度の問題が鋭意検討されておりますが、主要国が相協力して、戦後四半世紀にわたり世界の繁栄を支えてきたIMF体制に代わる通貨体制を創造し、国際的インフレを収束することが急務であると考えます。

 また、経済成長率との関係でみれば、欧米主要国のインフレ問題は、より深刻であります。これら各国は法律に基づく賃金、価格の凍結、あるいはガイドラインの設定など、いわゆる所得政策を実施しております。しかしその施策は必ずしも好結果をもたらしているとはいえず、各国とも物価問題の難しさをあらためて認識するとともに、その解決には国際協調の必要なことを痛感しているところであります。

 所得政策を行なうには国民的合意が必要であります。しかし、わが国の現状においては、まだこのような国民的合意が得られる段階にないと考えますし、政府は、そのような道を選択しないで問題解決に取り組んでいるのであります。むしろ、賃金、物価の凍結のような事態に至らぬ前に国民的な自戒が必要であります。

 公害費用、原料あるいはエネルギー価格の上昇等コスト面の価格上昇要因も少なくない現状において、生産性の上昇を上回る賃金の上昇や適正な価格形成を上回る安易な利潤追求が物価に悪影響を及ぼすことは明らかであります。わたくしは、この際、物価安定の見地から経営者も勤労者も等しくその社会的責任を認識し、節度ある態度をとられることを強く望みたいのであります。

(消費の動向と物価)

 第三に、消費の動向についてであります。昭和四十八年度の給与所得は五十兆円に達しようとしております。本年度の百貨店の売上高が前年比三〇%に近い高水準を維持していることは旺盛な消費を物語るものであります。

 わたくしは先般、昭和四十九年度の税制改正の基本構想を指示致しました。サラリーマンの負担軽減を中心とし、二兆円(初年度一兆六千億円)の大幅所得税減税を行なうこととし、特に課税最低限をサラリーマン標準世帯で百七十万円(初年度百五十万円)に引き上げます。所得税減税は消費を刺激して、物価対策上マイナスであるという意見も聞かれますが、長期的観点から減税が国民生活の向上をもたらすことは明らかであります。

 ここで要請しておきたいのは消費者の節度ある態度であります。今回、西欧主要国を訪問して痛感したことは、国民の生活が堅実、質朴であり、落着いていることであります。資源・エネルギーの節約が叫ばれ、とりわけ物の豊かさとともに心の豊かさが求められている折から、国民生活のあり方において、今なお西欧先進国に学ぶべき点があると考えます。

 このことは「フロー」と同時に「ストック」の厚さと無関係ではありません。政府としても住宅を含め、国民の財産づくりについて更に施策を行なう考えであります。給与水準の上昇あるいは減税による可処分所得の増加分を、できるだけ健全な貯蓄に振り向けることを期待したいのであります。

(公共料金と物価)

 次に公共料金問題についてであります。いわゆる公共料金は安きに越したことはありません。現に諸物価の上昇に比し、低位に抑えられてきました。昭和一一年を一とした昭和四十七年の東京都消費者物価は六四四であるのに対し、国鉄は二六九(改訂後三二七)、消費者米価は五〇四であります。

 しかし公共料金を過度に抑制することは、国民の求める適正なサービスの供給に支障を生ずることにもなります。異常な物価高に際して、一時公共料金の改訂を留保し、時期を調整することはそれなりに意味がありますが、恒常的に公共料金を低位に据え置き、このためコストの一部を財政負担により賄うことは、結果として、より優先度の高い財政支出を困難にすることにもなりかねません。

 地方公共団体の公営企業についても同様であります。赤字補填のための財政負担を行なうよりも、むしろ賃金の上昇や減税の恩恵を受けることのない老人層に対する施策や、難病、奇病に悩む者、心身障害者の療養費の公費負担等に財源を配分すべきであります。このような意味で、社会保障の充実については政府としては格段の努力を致す所存であります。

(地価問題)

 次に、地価の問題であります。

 地価上昇の原因は、基本的には、宅地需給の不均衡にあります。

 未利用地の活用、都市立体化の推進、国土の総合開発による宅地需要の分散と宅地の円滑な供給が、地価問題解決の抜本策であります。

 このため、三大都市圏の市街化農地の宅地なみ課税、特別土地保有税、土地譲渡益に対する特別課税は、すでに実現しました。

 先の国会に提案し、継続審査案件になっている国土総合開発法案は、土地利用基本計画の作成、特別規制地域における土地取引の規制、特定総合開発地域における総合開発を促進するための措置等を定め、国土の総合的かつ計画的な利用、開発保全をはかることを目的とする土地対策の基本法的役割をになうものであり、一日も早い成立が望まれるのであります。

(まとめ)

 以上、わたくしは当面する物価問題について所見の一端を申し述べました。

 先程触れましたように、政府としては物価の安定を現下の最重点課題として、財政の執行の繰延べ、金融の引締め、民間設備投資、建築投資の抑制等に全力をあげて取り組んでいるところであります。

 その政策効果が末端まで浸透し、需要の堅調が一服して物価の動向に好影響を与えるまで、現在の金融引締めは堅持される必要があると考えております。国際的インフレ問題に対しては、国際協調の実を挙げるよう、引続き主要各国に働きかけてまいります。

 また、住宅問題をはじめ、国民の堅実な財産づくりのための施策を行なうとともに、社会保障の充実を図ってまいります。

 この機会にあらためて、国民の理解と協力を求めたいのであります。各界の指導的立場を代表される委員各位におかれては、物価安定のための国民的努力の支柱となっていただきますよう、とくにお願いするものであります。

 以上、わたくしのご挨拶と致します。