データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 「田中総理を励ます県人の集い」における田中内閣総理大臣挨拶

[場所] 
[年月日] 1974年5月13日
[出典] 田中内閣総理大臣演説集,450−460頁.
[備考] 
[全文]

 新潟県人のみなさん!! すっかりご無沙汰しております。日頃から、私のために、ご支援、ご鞭撻いただいているみなさんが、このような形で、私を励ましてくださることは、本当にありがたいことであります。私がこんなに晴れがましい席で公の形での激励を賜わることは、今から三十五年前、それは昭和十四年春、私が現役兵として入営したとき以来、初めてのことであります。

 私は、心暖まるふるさとの心に接し、しみじみたる思いであります。

 私がみなさんの支持を得て、内閣を組織いたしましてから、二年間の月日がたとうとしております。内閣総理大臣に就任した際「前線にむかう一兵卒のような気持ちだ。」と言ったことがありますが、それは、つい昨日のような気がいたします。そしてその時の心境は二年後の今日も全く変わっておりません。国民のみなさんと手を携えて歩み、国民のための政策を勇断をもって実行していく事には、極めて重い責任を伴うのであります。私は、すぎこし方をかえり見ながら、その重みをあらためて、心にきざみつつ、前進を続けて参る決意であります。

 二年間は、人類悠久の歴史の中にあっては、まばたきする程の時間にすぎません。しかし、世界が、新たな転換の時代を迎えている時だけに、かつて私共が経験した事のない激動が、相次いでおこった長い二年間であったともいえるのであります。世界は、緊張緩和の方向に進みながら、新しい国際秩序の確立にいわば産みの苦しみを味わっております。西欧先進工業国は、いずれも、転換期の困難に直面していますが、わが国も例外ではなく、物価、公害、エネルギーなどの諸問題の解決を迫られていることはご承知の通りであります。みなさん。私も人の子であります。国の運命にかかわる大問題を前にして、いかにして国民生活の安定をはかるかを思い悩み、眠られぬ夜をすごしたこともまま、あったのであります。

 昨年末には、顔面神経炎という病気にもかかり、口が曲がりみなさんに随分ご心配もかけました。しかし、ご覧のとおりすっかり元通りとなりましたし、健康は、最良の状態にあります。

 いかに難しい問題にぶつかろうとも、いますぐに「新潟へ帰りたい」などと泣き言は申しません。現在新潟県に在住するもの二百四十万、全国に、私と同じく出かせぎに出ておられる方々二百六十万、合計五百万人ものみなさんが、私と共にある事に勇気づけられて、新たな問題に精力的にとりくんでまいります。そして、私は、理想の旗を高々と掲げつつ、当面する問題を一つ一つ、現実的に解決し、国民みなさんの負託にこたえてまいる決意であります。

 これまでの日本は、先進諸国に追いつくことを目標に、「成長が成長を呼ぶ」という成長追求型の経済運営を行なってまいりました。政府の政策も、重化学工業化を中心に経済成長の維持と拡大に重点をおき、企業も経営の規模拡大をおもな目標としてきました。この結果、日本経済は、世界有数の実力を持つにいたり、企業は、経営基盤を拡大し強化することに成功し、国民の所得もふえ生活水準も向上しました。これまでのわが国経済の歩みは、疑いもなく成功の歴史であったのであります。

 これは、自由民主党が、長期間にわたって政権を維持し、政策にあやまりなかった結果、といささか自負するところもございます。しかし何よりも、国民みなさんの努力と英知のたまものといわなければなりません。

 しかし、経済社会をとりまく諸条件は、大きく変化いたしました。こんごは、成長のみを追求するのではなく、成長によって拡大した経済力と成長の果実を、国民福祉の充実と国際平和の推進に積極的に活用してゆくことが強く要請されているのであります。すなわち、公害の防除、土地、水、資源の有限性に対する配慮、労働時間の短縮、定年延長、社会保障費用等福祉コストの負担、省資源・省エネルギー化の促進、消費者主権の尊重、経済協力の推進など、国民の量質ともに高度化した社会的ニーズにこたえて各般の施策を展開してゆかねばならないのであります。私は、これまでの成長追求型の路線追求をやめて、「福祉と平和」を軸とする経済社会の運営方式に切りかえてまいります。これまでは、私たちの前には、先進諸国に追いつくという目標が厳然と存在していたのであります。ようやくにして先進諸国群の一角にたどりついた今日、私たちは、みずからの目標を樹立し、それに向かって挑戦しなければならない地位に立たされております。いわば、日本民族が独自の実験を行なうべきときが来ているわけであります。私は、日本民族のもてるエネルギーを活用し、潜在的エネルギーを引き出し、これを有効に組織化し、誘導すれば、必ずやこの実験に成功できると信じて疑わないのであります。

 私的消費から社会的消費へ、フローからストックへ、量か質へ、物から心へ、効率から・バランスへ等……転換を求める声は各方面に高いのであります。私の「日本列島改造論」をきっかけにして、わが国が内政の時代を迎えたといわれるのは、私にとって望外の幸せでありました。私が、国土改造に取り組み実現しようと願っているのは、失われ、破壊され、衰退しつつある日本人の“ふるさと”を全国的に再建して、私たちの社会に落着きとうるおいを取り戻すことであります。今日の日本を築いた私たちのエネルギーは、地方に生まれ、都市に生まれた違いはあったにせよ、ともに愛すべき“ふるさと”のなかに不滅の源泉があったのであります。

 このため、二〇〇〇年までを展望した長期にわたる国土改造のビジョンを樹立するとともに、それに沿って国土改造の十カ年計画を早急にスタートしていきたいと考えております。この新しい計画は、人口、食糧、水、などの長期展望のうえに、美しい自然に恵まれ、人間性の豊かな“新しいふるさと”=高度福祉社会を建設してゆくプログラムを明らかにするものであります。これは、難しいことを言っているのではなく、ふるさとに住む親のところへ息子達、娘達をかえし、都会に出稼ぎしている人達をふるさとで暮らせるようにすることなのです。産業構造は、資源やエネルギーをたくさん使う重化学工業から、人間の知恵や知識をより多く使う産業、つまり知識集約産業へと産業のウエートを移してゆくこととなります。他方、農業およびそれが営まれている農村は、福祉社会形成の基盤ともいうべき根本的な役割をになうこととなります。第一に、食糧を安定的に供給いたします。第二に太陽と緑のある快適な生活空間を提供いたします。第三に自然を保存し管理いたします。したがって、農工両全のバランスのとれた開発をすすめてゆく場合には、町にも、村にも、工場の周辺にも豊かな空間と色こい緑地を設け、新しい鎮守の森を復活させてゆきたいと考えます。

 ふるさとには、家族や隣人を愛する心が残っております。戦後、封建的な村落社会や伝統的な家族制度から解き放たれた人間性は、いま都市化と工業化の流れのなかで再び失われようとしているのであります。カサカサした現代社会を救うのは、正しい自己意識の上に立脚した温かい連帯感であります。私は、ふるさとに温存されている連帯意識の輪を広げて、新しい地域社会や職場環境を形成してゆくべきものと考えます。

 “ふるさと”を愛し、“ふるさと”を豊かにする運動を新潟から広げてゆこうではありませんか。日本列島全体を、人間と太陽と緑が主人公となる人間復権の新しい文明社会をつくりかえ、心のふるさとをよみがえらすことが、私の政治目標であります。

 「民族の魂」「国家の顔」ともいうべき最も重要な国政の課題は、教育の問題であります。

 すでに学制百年を過ぎ、戦後あしかけ三十年を迎えた現在、今の教育制度は、定着してきました。しかし、新しい時代と社会の要請に対応して、常に“教育の原点”に立ち返って反省するとともに、改善の努力を続けていかねばなりません。その意味で、とくに最近、私が強く感じるのは、徳育、知育、体育が三位一体となったバランスのとれた教育の必要性であります。確かに知育と体育の点では、戦前と比較にならないほど高水準に達し、四人に一人は大学に進む状態となっております。しかし、その半面、いまの教育は、知育偏重のきらいがあり、いわば「知恵が太っている」割りには「徳がやせている」青少年を育てる教育風土が定着していると考えられます。

 両親を大切にし、兄弟は仲よく、共同生活の中にあっては、市民として、日本国民として、アジアの一員として、人類の一員として自分中心の考えでなく、常に相手の立場に立って考える。−−そういった基本的な「教育」は戦前、戦後を問わず、また、資本主義とか、社会主義とかの体制の違いを越えた普遍的な原理だと思います。

 私自身のことを振り返ってみても、人生を処する考え方は、いずれも初等教育段階に身にしみこんだものであります。当時、私の通学した西山小学校の校訓「至誠の人、真の勇者」は、いまだに脳裏に鮮やかであります。学校にあっては、先生の、家庭にあっては母の教えが、まさに私に対する「徳育」であったと思われます。

 そこで、私は、「五つの大切」「十の反省」をあえて提唱したいと思います。義務教育段階における子供たちの生活規範として、たとえば、「人間を大切にしよう」「自然を大切にしよう」「時間を大切にしよう」「モノを大切にしよう」「国、社会を大切にしよう」という「五つの大切」を教えようというわけです。そして毎日の生活のなかで、「友達と仲良くしただろうか」「お年寄に親切だったろうか」等々と自省する「十の反省」を設定してはどうでしょうか。

 次に大切なのは、義務教育をしっかりやる「先生」の問題であります。教師、教育者という仕事は、他の職業と違って、育ち盛りの子供を親や世間に代わって正しい人生観をもつ、しっかりとした人間に育てあげる大きな使命と責任をもっているのであります。

 それだけに、小・中学校には、最も優秀な人材、教職意識に燃えた情熱的な人物を必要といたします。そのためには、身分や報酬なども他の公務員より安定し、かつ手厚いものでなければなりません。同時に、先生は、子供の先生としてたけではなく、親達や社会の先生として尊敬されるような存在でなければなりません。社会全体から尊敬されるためには、先生の教育に対する真摯な情熱もまた求められてしかるべきものと考えます。その意味で、今回「教員人材確保法」が成立したのであります。また、教育の資質向上のため教員養成大学の設置、身分の確保、待遇改善についての施策等を一層拡充推進してまいります。

 次に、大学の運営に関する臨時措置法について一言いたします。この法律は、今年の八月で期限切れになりますが、私は本来ならあのような法律はいらないと思っております。罰則規定はないとはいえ、大学を対象にあんな法律があるということ自体日本の教育行政の恥部をさらけ出しております。しかし、大学の中で、たとえ一件でも白昼堂々と殺し合いか行われている状態が続いているかぎりは、政府として、何らかの責任を持たなければなりません。

 学校の管理にあたって、学問の自由と学園の自治が確保されなければならないことは言うをまちません。しかし大学が教師だけのものでないことは当然でありますし、また学生だけのものでもありません。国民全体のものなのであります。その意味で、次代の望ましい国民を教育するためにふさわしい大学はどうあるべきかを、真剣に考える必要があると考えます。その一環として、地方の高等教育機関の充実は、国土改造の文化的な核ともいうべきものであります。これからは、大都市における大学の新増設の抑制と地方における大学の拡充によって全国的に均衡のとれた大学の配置を行なってまいります。同時に諸外国の大学にみられるように、地方の環境のよい都市に大学を整備し、あるいは、全く新しい視野と角度から環境のよい湖畔、山麓など山紫水明の地に広大な敷地を確保して新学園を建設してまいりたいと考えます。このほか医学部未設置県の解消、新構想の教員大学院大学、放送大学などの創設も促進してまいります。

 次代をになう日本人を育成する教育の任務は、重かつ大であります。それだけに、私は、教育問題をタブー視することなく、全国民的立場から問題を提起し、広く国民の声を聞きながら真正面から取り組んでまいる決意であります。

 私は、内閣を組織して以来、アメリカ、中国、西ヨーロッパ、ソ連、そして東南アジア諸国を歴訪し、各国首脳とキタンのない意見交換をしてまいりました。そして、わが国にとって最も重要な盟友であるアメリカとの関係の調整を行ないました。また極東の安定にとって不可欠な日中の国交正常化を実現しました。さらに、疎遠であった欧州との緊密化をはかり、また忘れることのできない隣国ソ連との関係改善のための第一石を投じたのであります。また本年初めには、東南アジア諸国を訪問して、これらの国々の国造りに貢献することを改めて約束してまいりました。今後、さらに大洋州や中南米カナダを訪問する予定にしております。

 現下の国際情勢はいっそう多様化の度を加え、わが国をとりまく情勢は、戦後かつてないほどに複雑かつ厳しいものとなっております。

 米ソは、依然軍事超大国ではあるもののその影響力は相対的に低下してきております。自由陣営を支えるものとしては、米国のほかに、ヨーロッパ共同体、それに日本が台頭してまいったのであります。社会主義圏においては、中ソの激しい対立が解消をみないまま、分極化は恒久化しようとしております。これに加えてアラブ世界は、石油を外交戦略の武器として立ちあがりました。社会主義圏における農業の不振は、食糧危機として世間を騒がせました。戦後の国際経済を支えてきたドルの地位の下落は、世界経済の先行きに不安をなげかけています。開発途上国の国造りは、遅々として進まず、人口、食糧などの悩みは、深刻であります。これらの問題は、いずれも「自分さえよければ」という利己的な態度では、決して解決できません。すべての国は、新しい連帯感に立ったすそ野の広い協力・協調関係を打ち立てることが必要であります。とくに、資源に乏しく狭い国土に一億一千万人をかかえるわが国は、四方の海をこえて資源を輸入し、それに付加価値を加え、製品として海路をわたって輸出するという貿易形態をとっております。海洋国家日本は、世界の平和なくして生きていけないし、日本経済は、自由な国際経済環境のもとでのみ発展することができるのであります。その意味で私たちは永続的な世界平和の創造と新しい世界経済秩序の再建のために、積極的な国際協力を推進してゆかねばなりません。

 ところが、ここで私が強調したいのは、これらのことが理くつではわかっていても、肌ではまだわかっていないということであります。

 特定の国に個人的な親近感をもち関心を有することは、好ましいことですし、また必要でもありましょう。しかしながらそれが万事であとは一切まかりならないというのでは、健全な外交にならないのであります。物ごとを一面的、近視眼的にとらえることなく、最善をつくしながらも次善、三善の策を考究することが必要です。白か黒か、南か北か、戦争か平和かという単純な思考方式は、もはやできないのであります。私は、観念的な独善を戒め、国際経験の未熟に由来する極論を排しつつ、国民的基盤に立って根気強く、きめ細かく、誠実に、国際協力の実をあげてまいりたいと考えます。

 私は、さき頃五十六歳の誕生日を迎えました。会社でいえば定年を過ぎたわけですが、定年なんて言ってはいられない。国と国民のために果たすべき責務は、内政、外交両面にわたって数多く残されているのであります。しかし、高い理想をかかげ、しかもあくまで現実に立脚し、勇気をもってことの処理にあたれば、政治の理想は実現できるのであります。

 しかし政治は、一政府一政党のものではありません。国民全体のものであります。当面するどの課題をとってみても、国民の参加と協力なくして解決できるものはありません。

 私たちは、後代の日本人のために、あしたの日本のために、親が私たちのためにかいた汗以上のものをかこうではありませんか。みなさん。私たちの生活は、忽然として今日ここに存在するのではありません。何十万年、何万年の歴史の上に今日があることを知らねばなりません。同時に私たらの今日を一コマとして未来永劫に日本人の生命は続くのであります。私たちの祖先が日本人の歴史の一コマを切らなかったように私たちも、これから未来に続く民族の一コマを切ってはならないのであります。私は、そういう意味で、その責任を果たさねばならないと考えているのであります。

 新潟の“ふるさと”も、次第に青葉をまし緑濃くなっておりましょう。鮮やかな新芽が柳色を新たにするように、私は、日々決意と希望を新たにしつつ、国政に取り組んでまいります。私は、私に与えられた公の責任を果たすため全力投球いたします。最後に、重ねてご参集の県人のみなさんのご好意、ご声援に心から感謝しつつ、みなさんのご自愛ご健勝をお祈りして私の挨拶を終わります。