[文書名] 経団連第三十五回定時総会における田中内閣総理大臣挨拶
経団連第三十五回定時総会にあたり私の所信の一端を申しのべたいと存じます。
これまでの日本は、先進諸国に追いつくことを目標に、「成長が成長を呼ぶ」という成長追求型の経済運営を行なってまいりました。政府の政策も、重化学工業化を中心に経済成長の維持と拡大に重点をおき、企業も経営の規模拡大をおもな目標としてきました。この結果、わが国経済は、世界有数の実カを持つにいたり、企業は、経営基盤を拡大し強化することに成功し、国民の所得はふえ、生活水準も向上しました。これまでのわが国経済の歩みは、疑いもなく成功の歴史であったのであります。これは、何よりも、国民各位の努力と英知のたまものであり、ご同慶のいたりであります。
しかし、その結果、東京、大阪などの太平洋ベルト地帯へ人口、産業か過度に集中し、世界に類例をみない高密度社会を形成するに至りました。巨大都市は、過密のルツボで病み、公害、土地、住宅、ゴミ、物価などの問題を抱えております。他方、農山漁村では、若者が減って高年齢化が進み、進歩のエネルギーが失われようとしております。
しかも、わが国人口は、昭和六十年までに一千五百万人程度増える見通しであります。大都市の人口集中をこのまま放置すればそのときまでに、東京圏で新設の必要な教育施設は、幼稚園三千五百九十、小学校二千六百七十、中学校千九百、高等学校九百五十となります。さらに、発生する廃棄物を処理するためには、トラックを延べ千三百四十万台、清掃工場を新たに六十ヵ所必要といたします。また、六十年時点における野菜の需要量五百四十五万トンに対し、三百八十八万トンは、東京圏外から供給をうけなければならなくなります。また、利根川、淀川に代表される大都市地域では、水不足が一般化しており、それ以外の地域では、年間約百億トンの余力があるのであります。
このような数字からみても、これ以上の都市集中は、都市機能の破壊につながるのであります。しかも、大都市だけを改造すればその便利さを求めて、地方からさらに人口が集まり、都市人口は、とめどもなくふえ続けることとなります。だからこそ、都市集中の奔流を大胆に転換して、失われ、破壊され、衰退しつつある日本人の“ふるさと”を全国的に再建して、地方も大都市も、ともに人間らしい生活が送れる状態につくりかえることが必要なのであります。
経済政策も、成長のみを追求するのではなく、成長によって拡大した経済力と成長の果実を、国民福祉の充実と国際平和の推進に積極的に活用していくことが強く要請されているのであります。
このため、このたび土地政策の基本法ともいうべき国土利用計画法案か成立する運びとなったのを契機として、二十一世紀を展望した長期にわたる国土改造のビジョンを樹立するとともに、それに沿って昭和五十一年度を初年度とする国土改造の十カ年計画の策定に着手してまいりたいと考えます。国土総合開発審議会等の場における検討を通じて、国民各層の意見を十分聞いてまいりますが、この新しい計画は、人口、食糧、水、土地、環境などの長期展望のうえに、美しい自然に恵まれ、人間性の豊かな“新しいふるさと”を建設していくプログラムを明らかにするものであります。とくに、新しいふるさとの文化的な核ともいうべきものは、高等教育機関の充実であります。そのため大都市における大学の新増設の抑制と地方における大学の拡充によって全国的に均衡のとれた大学の配置を行なってまいります。同時に諸外国の大学にみられるように、地方の環境のよい都市に大学を整備し、あるいは、全く新しい視野と角度から環境のよい湖畔、山麓など山紫水明の地に広大な敷地を確保して新学園を建設してまいりたいと考えます。また、“新しいふるさと”づくりのなかで、私のかねてからの主張である住宅・宅地一千万戸構想も、国民の財産づくりの一環として具体化していきたいと考えております。
産業構造は、資源をたくさん使う重化学工業から人間の知恵や知識をより多く使う産業つまり、より働きがいがあり、労働環境もより安全で清潔な産業へウエイトを移してゆくこととなります。他方、農業およびそれが営まれている農村は、福祉社会形成の基盤ともいうべき根本的な役割をになうこととなります。そして、農業と工業のバランスのとれた発展をはかり、町にも村にも工場の周辺にも豊かな空間と色こい緑地を設け、インダストリアル・パークなど新しい鎮守の森を復活させてゆきたいのであります。
しかも、ふるさとには、家族や隣人を愛する心が残っております。戦後、封建的な村落社会や伝統的な家族制度から解き放たれた人間性は、いま都市化と工業化の流れのなかで再び失われようとしているのであります。カサカサした現代社会を救うのは、正しい自己意識に立脚した温かい連帯感であります。私は、ふるさとに温存されている連帯意識の輪を広げて、新しい地域社会や職場環境を形成していくべきものと考えます。
各位に申しあげるまでもなく、今日の日本を築いた私たちのエネルギーは、地方に生まれ、都市に生まれた違いはあったにせよ、ともに愛すべき誇るべき“ふるさと”のなかに不滅の源泉があったのではないでしょうか。今こそ、“ふるさと”を愛し、“ふるさと”を豊かにする新しいふるさと運動を全国的にくり広げていく時機を迎えております。私は、少なくとも各県に一力所ずつの新しいふるさと−二十五万人単位の生活圏をそれぞれの地域の特性を生かしつつ、つくりあげてゆくべきものと考えます。ふるさとの創造は、なによりもまず、それぞれの地域社会の発意のうえに推進することが必要であります。企業および企業経営者も、狭い企業内の経済計算に固執することなく、新しい視野と立場と角度から、事務所および事業所の全国的再配置を検討していただきたい。政府も、公園、上下水道などの生活環境の整備、道路、鉄道、港湾等の建設、整備の面で積極的に協力してまいりたいと考えます。
このように、“ふるさと”を創造し、高度福祉社会を建設してゆくことは、緊急の課題でありますが、インフレを起こしたのでは、その目的は達せられません。こういう大事業は、国家百年の大計という長期的展望に立って総需要の動向などを勘案しながら、適度なテンポで着実にことを進めていくことが肝要であります。
次に、当面する物価問題について一言いたします。
中東紛争を契機とする石油の供給削減と価格の大幅引上げによって加速された物価の上昇は、総需要の抑制をはじめとする官民あげての努力により、沈静化の兆を見せております。しかし、物価の抑制は第二段階にはいっております。コストの問題がそれであります。石油製品価格の引上げに続く電力料金の値上げによって、わが国経済と国民生活は、高価格エネルギー時代を迎えることとなりました。しかも、今次春闘では、三〇%をこえる超大幅の賃上げが行なわれました。
春闘による賃上げのコストプッシュ要因は卸売物価について九・五%、消費者物価で一〇%程度という試算もあります。また、今回の電力料金の改訂は、卸売物価について一%程度の上昇要因になるといわれております。
これらの新しいコスト要因を安易に価格に転嫁することなく、できる限りこれを吸収することが産業界の当面する緊要な課題であります。
従来、わが国の卸売物価が西欧先進国に比べ優れて安定してきたのは、高度成長経済の過程でわが国の企業がたゆまぬ技術革新と設備投資によって生産性を高め、コスト要因を吸収してきたからにほかなりません。資源問題、環境問題等の制約によって従来のような高度成長が許されない現在、企業経営者は、自由経済のヴァイタリティと創意工夫によって、コスト要因の吸収に全力を傾けてほしいのであります。また、企業に働く者も生産性向上があってこそ、はじめて賃金が実質的に上昇するという自明の理を自覚することをのぞみたいのであります。
政府としても、物価と賃金の悪循環を断ち切り、賃金問題と国民経済全体との調和をはかってゆくために、国民の衆知を結集して経済成長、物価、賃金、生産性等の諸関係について研究を深めてまいりたいと考えます。
政府は、適正な需給バランスを維持し、需要面からの物価上昇要因を抑えるため、引き続き総需要抑制策を堅持してまいります。とくに金融面については、引締め政策を継続するとともに、選別融資、中小企業金融に配慮してまいりたいと考えております。
また、生産性の向上を刺戟し、最も効果的に進めるための条件は競争の促進であります。「市場の力」により、自由な競争を通じて価格形成が行なわれることが望ましいことは言うまでもありません。いやしくも管理価格の批判を招かぬよう、競争促進政策を重視してまいります。
このような基本的な物価対策を臨時的に補完する形で政府は、基礎物資や日常生活に大きな影響をもつ一部の物資の価格について標準価格を設けたり、行政指導による価格の抑制を行なっております。しかし、これは、あくまで緊急の事態に対処するための例外的な措置であり、物価動向を十分見極めながら徐々に撤廃してゆくべきものと考えます。
自由主義経済体制の下において、企業は、自発的な創造力と節度ある企業家精神を発揮することが基本であり、これが福祉国家日本を支える経済的な基盤であります。企業及び企業経営者は、深い洞察と的確な判断力に基づいて企業レベル、産業レベル、地域レベル、国家レベルのそれぞれの領域において、物価問題はもとより、労使問題、“新しいふるさと”問題、国民福祉、国際協調の問題など広い分野の問題について、積極的に対応することを求められております。
本日ご参集の経営者各位は、その責任の重大さを自覚して当面の問題に対処されるとともに、長期的には、国土全体を人間と太陽と緑が主人公となる人間復権の新しい文明社会につくりかえ、心のふるさとをよみがえらせることに協力されることを心から期待いたします。最後に、各位のご健闘をお祈りして私の挨拶といたします。