[文書名] ナショナル・プレスクラブにおける三木武夫内閣総理大臣演説—平和への創造的協力
日米関係は,今日,きわめて友誼にみち協力的なものであります。私は今,フォード大統領,キッシンジャー国務長官等米国政府要人との2日間にわたるまことに実り多い会談を終えて,このことを自信をもつていうことができます。
このように円満な両国の関係は,昨秋のフォード大統領訪日の際にも如実に示されたところであります。日本国民は,大統領の訪日を喜びと誇りの念をもつて懐しく想い起しております。本年10月に天皇・皇后両陛下が米国を訪れられる際にも,政治を超えたこのような両国民の間の親愛の情があらためてよびおこされることでありましよう。
現下の世界において両国が直面している困難な諸問題を考えますとき,日米間の相互の善意と信頼はますます重要な意味を持つてきているといえましよう。アジア及び世界の平和と安定は日米両国民の熱望するところであります。その達成のためには,われわれがより一層緊密で創造性に富んだ協力を行つていくことが必要なのであります。
私はまず,平和の建設のためにわれわれが是非ともたどつていくべき道について,広く世界的な観点からお話ししたいと思います。
第1に,超大国間の緊張緩和を中心とするデタントの道を地道にかつ忍耐強くたどつてゆくことが重要であります。この点,これまでにも歓迎すべき進展がみられてきているとはいえ,未だ限られたものであります。また,デタントと同時に,相互に利益となる協力関係を拡大していくための不断の努力を進めるべきであります。すなわち,危険な対決を回避するための自制のみならず,対決を引起すもとになる要因を交渉によつて取除く努力が必要なのであります。また,核軍備拡張競争を制限するにとどまらず,均衡による安定に配慮しつつ核軍備の縮小をはかるべく努力していくことも必要であります。
第2に,世界の平和と安定をおびやかすおそれのある地域的及び局地的な紛争を解決していく努力が必要であります。中でも,アラブとイスラエルの対決は最も危険な起爆剤といえましよう。このように緊迫した情勢下で,貴国の大統領と国務長官は,この複雑な問題の解決のために,細心で独創的な外交を展開しておられます。日本政府はかかる米国の努力を多とするとともに,これを心から支持するものであります。
第3に,世界平和のためには,社会体制,イデオロギー,民族主義などの面で多様化している今日の世界において,このような相違を乗りこえて,融和と協調をはかる外交を促進すべきであります。このためには東西間だけでなく,北の先進諸国と南の発展途上国の間での利害の調整が必要であります。
今日の国際社会では,種々のひずみや緊張がみられます。これは,経済及び政治の両面において国際間の力関係が著しく変化してきていることに起因するものであります。同時に,世界の諸国間の相互依存関係がますます深まつてきている今日,われわれは人類の生存という共通の課題のため,新しい均衡を探し求めなければならないのであります。
ヴィエトナム後のアジアにおいても,以上のような基本的動きがみられます。悲劇的なヴィエトナム戦争が突然終熄したことにより,戦争が終つたという安堵の念がアジアにも広まつております。人々は,今や,米国民,そしてインドシナの人々の高価な犠牲が終り,東南アジアにようやく平和が訪れたと感じているのであります。
闘いの双方において生命というもっとも高価な犠牲を払つた人々を再び地上に呼び帰すことはできません。しかし,生き残つた人々に対して希望を与え,力づけることは,今は亡き人々へのはなむけとなるのであります。
今や,和解の時がきているのであります。
今日,東南アジアの諸国が,自らの発意により,各々の立場を認め合い,共通の問題や関心事について平和的に協力してゆくための政治的条件を作り出してゆく機会が到来しているのであります。
東南アジアの一部の国々がすでに行つたか,あるいは現在検討しつつある政治的決定をみてこれらの国々が「米国離れ」を志向しているのではないかと考える向きもありましよう。しかし,私は,そのような結論を引出すことは当をえていないと思います。現在東南アジアで進行している和解のための対話は,同地域に安定した平和をもたらすために必ずたどらなければならない道程の一つなのであります。それは,軍事的というより,むしろ政治的な基盤に立つ均衡を追求するものであります。そうすることによつて,東南アジアの人々が国造りに専念し,自立的に存立しうる経済を築きあげることができるのであります。
アジアにおいては緊張緩和はようやく始まつたばかりであり,その進展のためには先進的な工業諸国,とりわけ日米の理解と協力が必要であります。
事実,これら諸国民が熱望する平和の建設とより良き明日への夢は,日米両国の協力なしでは現実困難であるといえましよう。今こそ,米国がアジアにおいて,一層多様でかつ柔軟性に富んだ役割を果たしていく好機なのであります。
日本もまた,アジアにおける先進的な工業国家として,アジアの経済及び社会の発展に一層幅広く参画していく機会を歓迎するものであります。
私は,このことは日米両国の共通した責任であると確信しております。日米両国の運命は,この広大なアジアの平和的な発展に不可分に結びついているのであります。
両国の共同責任のなかには,それぞれが日米相互協力及び安全保障条約の下においてアジアの平和と安定のために貢献していくことが含まれております。日本は憲法上,非軍事国家であり,これはまた国民の間に深く根ざした信念に基づくものであります。われわれは攻撃用兵器を保有しないとの誓いを固めておりますし,また,将来にわたり核兵器は一切持たない決意であります。私は,わが国のこの姿勢は,アジアの平和の建設に積極的に貢献するものであると信じます。わが国が再軍備を行つたり,核兵器を保有する場合には,周辺の国々の間に恐怖と不安を呼びおこすことでありましよう。
私は,現在衆議院において審議を継続中である核拡散防止条約の批准のための承認ができるだけ近い時期に得られることを期待するものであります。
このような制限の範囲内で,わが国は,日米両国間の安全保障上の取極に基づく義務を引続き十分に履行するとともに,自衛隊の質的向上をはかる考えであります。
わが国は,朝鮮半島の平和的統一がすみやかに達成されるように南北間の対話が促進されることを強く希望しており,この地域の緊張を緩和し,その平和と安定に寄与するためあらゆる努力が払われるべきであると考えます。他方,現在の情勢の下では,われわれは,米軍が引続き韓国内に駐留することが朝鮮半島の平和,そしてアジアの安定にとつて重要な貢献をなしていると考えており,この米国の政策に急激な変化はないものと信じております。
安全保障上の取極は戦争への抑止力として必要であります。しかし,われわれが戦争の抑止をはかるのは,平和の建設に積極的に取組もうとするからであります。
われわれは,平和を建設していくにあたり,前の障害物や危険にとらわれず,目を地平線の彼方に向けて,将来のため建設すべき国際秩序のすがたにつき思いをいたさなければなりません。アジアの諸国民は,この広大で人口稠密な地域の開発の潜在的可能性を創造的かつ精力的に活かしていくことにより,新しい世界の形成にきわめて重要な貢献を行うことができるのであります。
私は10年来,アジア・太平洋諸国は,この地域の発展途上国の経済開発のため貿易,経済援助等の面で協力し合うべきことを主張してきました。
今日のアジア情勢においては,イデオロギーや社会制度の相違を超えてこの問題に精力的にとり組む好機が存在すると思います。私は,ここで,アジア・太平洋諸国間の経済的協力を一層活発化させる具体的方策につき若干の示唆を行つてみたいと思います。
まず第1に,東南アジアにおいて着実にその成果を挙げつつあり,地域の政治的,経済的安定に重要な役割を果たしている東南アジア諸国連合(ASEAN)に対する協力の強化をあげることができます。わが国は,ASEAN諸国のイニシアティヴ及び自主性を尊重しつつ,ASEANの活動を積極的に支援していく用意があります。
第2に,発展途上国の一次産品の開発,輸出促進のため,特定産品に関する輸出所得の補償を行うという方式をグローバルに適用し,アジア・太平洋地域の発展途上国が関心を有する産品を含めていくことも十分検討に値すると思います。私は他のアジア・太平洋諸国とともに,このような問題に積極的にとり組むことを呼びかけたいのであります。
われわれがともに手を携え構築すべき国際関係の構造は,力の均衡の概念のみに基づくものではありません。文明社会が生存するためには,われわれが21世紀にたどりつくまでに,相互依存の地域社会の中でいかにしてともに平和に暮らしていくべきかを学んでいかなければなりません。
この目的に向つて今われわれは歩みはじめたのであります。人類生存のためのこの進路を歩むにあたり,日米の友好と協力のきずなは強じんで積極的な力であります。私は,両国がこの力を十分に発揮していくためには,両国間の協議を一層拡大していくことが必要であると考えます。
日米両国が常に同一の立場をとるとは限りません。また,日米両国にはそれぞれの特色に基づく相違点もありますが,それだけに,不断の緊密な協議が必要なのであります。また,両国の優先的な関心事とそれを達成する能力が個々の場合に異なることもありますので,両国が常に同一の立場をとる必要もないのであります。しかしながら,両国は根本的な価値観と理想をともにするものであり,お互いの利益は多くの場合一致しております。従つて,お互いに常に協議を行つてゆくことにより,両国の協力関係は最も創造的かつ効果的なものとなるでありましよう。
米国民は独立200年祭を迎えようとされています。米国の力と世界に対する影響力は米国の特徴である多様性と同一性のユニークな融合に由来するものであると思います。米国は過去200年の間にかくも偉大な国家となり,今後とも偉大な国家であり続けるでありましよう。その力の根源は,米国が単一の民族,宗教,文化から成立つているのではなく,世界の各地からきた幾多の民族が,自由,正義,平等,友愛そして民主主義の理想実現にともに邁進してきたことに由来する国家としての同一性にあるのであります。
今日,民主主義は試練に立たされているといわれています。これは現代の世界の複雑でかつ多様な社会の諸々の力にある程度の統合をもたらすには,民主主義は非能率でふさわしくない制度であるとの批判によるものであります。私はこのような考えには組みしません。民主主義は多様性から生れ,多様性を基として栄えるものであるとの私の信念はいささかも変つていないのであります。
日米関係も,また,両国の同一性のみならず多様性に基礎をおくものであり,そしてこれこそ世界に対する良き例証となるのであります。
相互に依存し,協力し合う世界社会は,すべての人が同じように考え,行動することを要請するものではありません。多様性に対する寛容の心と,異なる信条に対する敬意と,われわれの生存のため協力すべき分野において相互間の相違を克服することを要請するものであります。
米国独立200年祭を祝う者は,米国民のみに限られません。
それは,米国の内外を問わず,自由と民主主義を享受し,また,これを希求する人々にとつて,大きな意義を有する出来事なのであります。
私は,かかる米国建国の精神を祝して,200年祭に際し,わが国より米国民に対し,2つの記念品を差し上げることとなつたことをお伝えしたいと存じます。
その1つは,日本国民より,ここワシントンのケネディ・センターに対するもので,具体的には同センターの小劇場の建設を完了するための協力であります。
もう1つの贈り物は,まだ具体的な場所は決つておりませんが西海岸のいずれか適当な地に,日本の桜の木の記念林をつくろうというものであります。
このような日本からの友情のしるしは,今後幾世代にもわたり,米国民の心の中に,太平洋をはさんだ永遠の友である日本国民の米国民に対する尊厳と親愛の念を想い起させることを期待するものであります。
これで,私の用意した演説は終りますが,草稿を離れて短い時間,私の個人的感慨をつけ加えることを許していただきたいと思います。
明年は,アメリカデモクラシーが声高らかに建国の宣言を行つてから200年を迎えようとしています。そのアメリカが今から45年前に当時日本の一大学生としての私が訪れ,そして学んだはじめての外国でありました。
そこで学び,かつ,強く印象づけられたものこそ,アメリカ社会のもつ自由と民主主義でありました。今,私はその私の心のふるさとに帰つてきて,こうして皆さんとお話しています。私の感慨ひとしおなるものがあることを理解していただけるでありましよう。
1929年—皆さんの多くはまだ生まれなかつたかも知れませんが—当時,一大学生であつた私に,父は遺産前渡しの形で,私に世界一周をさせてくれました。1年3カ月の旅行でありました。
私は最初の訪問国,アメリカから,ムッソリニーのイタリア,ヒットラーがまさに台頭してこようとするドイツ,革命後10数年たつたスターリンのソ連をみました。私の母国,日本も軍国主義の暗黒の日が近づこうとしていました。
当時,まだ22歳の多感な青年であつた私は,各国の政治体制を比較する機会をもちました。そして私が心をひかれたものこそ,アメリカ社会のもつ自由とデモクラシーの精神でありました。その後,4年間カリフォルニア州の大学で学びました。その自由とデモクラシーへの信仰こそが,過去38年間の絶え間なき私の議員生活を支え導いた指導原理であり,力であつたのです。
同じ長い議員経歴を持つフォード大統領とも,この点を胸襟を開いて話合いました。ともに,民主主義政治体制に対するゆるぎない信念をもつ2人であることを確かめ合つたことは,私の最も喜びとするところでありました。これは,2人を結びつける太いきずなとなり,密接なる協力の励ましになることを信じます。
しかし,今や,その民主主義が重大なる試練に直面しているといわれております。
なるほど,世界が共通に抱えている問題—たとえば,エネルギー,資源,環境,人口,食糧,スタグフレーション等々の問題—に世界中が手こずつており,民主主義の統括能力が問われています。
しかし,私はデモクラシーが,時代とともに歩むリベラルな精神と,改革の精神を失わぬ限り,また,他の異なつた政治,経済制度,イデオロギーと共存する寛容な配慮を失わぬ限り,民主主義は決して賢明に働く力を失うことはないと思います。今のところ民主主義以外に個人思想と自由を制度的に保障する制度はありません。
たとえ,独裁的政治体制で一日できめられることが,民主主義体制の下に1カ月かかつても,私は民主主義をとります。
民主主義は,暴力主義や無法主義と戦わねばならぬ。しかし,どんな困難があろうとも私は自らの信念をゆるがすことはありません。
むろん私は民主主義の将来が決して容易なものでないことを知つています。ただここでアメリカ国民にはつきり約束できることは,アジア太平洋地域における自由と民主主義を守るために,われわれ日本国民が盟友でありつづける,ということであります。
最後に,若い私の魂に深い感銘を残した2人のアメリカ建国の父祖の言葉を引いて,私の話をしめくくろうと思います。
トマス・ペインはいいました。「いまや人間がためされている時代である。」現代の民主主義もまたためされているといえましよう。
一方トマス・ジェファソンはいいました。「もし新聞のない政治と,政治のない新聞のいずれかを選ぶとすれば,私はためらうことなく後者を選ぶであろう。」
このジェファソンの言葉こそ,いまにアメリカの新聞の行動原理であることを私は知つています。自由と民主主義のとりでとしての皆さんの健闘を心から願つてやみません。