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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 自由民主党青年部総決起大会における三木内閣総理大臣の講演

[場所] 
[年月日] 1976年9月26日
[出典] 三木内閣総理大臣演説集,448−455頁.
[備考] 
[全文]

 <日本の将来と自由民主党の使命>

 今も、私が控え室にいると、深谷青年局長がやってこられて、「もう超満員です。青年のエネルギーが一時に爆発した姿です」という喜びを、私に伝えられました。私も大変、頼もしい感じがいたしました。いま自民党は結党以来、最大の試練期を迎え、青年の声がもりあがってこなければうそである。このときに、全国の総決起大会に若者がこれだけ万場を埋め尽くし、自民党の改革について論じ合うということは、未来の自民党を一身に背負っていかねばならぬ諸君の改革の意欲を示すものであり、大きな期待を寄せるものであります。どうか今日は、大いに自民党の自己改革に対して若者の意見を出していただき、深谷青年局長を通じて、それを聞きたい。

 今日は、「日本の将来と自民党の使命」ということが、テーマになっていますが、日本の将来というものを考える場合、私は世界人類の未来というものをあわせて考えなければならんと思います。世界は狭くなってきたといいますか、各国の相互依存関係が密接なものになってきました。一国だけでは、安全保障の面からいっても、あるいは経済、貿易の面からいっても、やっていけない時代であります。相互の依存性というものはますます深まります。だから日本の将来を考える場合に、あわせて世界人類の未来を考えなければ、非常に視野が狭くなるということです。ことに今日お集まりの諸君は、二十一世紀に向かって自民党をになっていかなければならない人々です。まあ、ひと口にいえば、二十一世紀の世界というものは人類が“宇宙船人類号”の同じ乗組員ということを、ますます自覚せねばやっていけない時代だと思う。こういう二十一世紀を展望しながら、日本の将来というものを考えることが必要である。こういう二十一世紀のにない手としての自民党の政治理念、政治感覚というものをしっかりもたねばならぬということです。その使命感の上に立った燃ゆる情熱が必要であります。

 <三つの精神革新>

 日本の将来−−内に国民と共に歩む民主政治、外に世界平和の基礎づくりの国際協調ということだと思います。この使命感のもとに、諸君が挺身できる自民党はどうあるべきかということを、しっかりと今日は考えてもらいたい。そうすると結局、“自民党をいかに改革するか”ということになる。私はその場合に三つの点を強調しておきたい。ひとつは、自民党の精神革新である−−精神革命といったほうがいいかもしれません。ひとつは、粛党、ひとつは、やがてくる総選挙を自民党の再生の第一歩たらしめなければならんということだと思う。この三つの点を、私はとくに皆さんに強調しておきたい。

 この精神革新というのは、ひと口にいえば自民党は公党としての倫理を確立しなければならない。目的のためには手段を選ばずというのでなくして、目的のために正しい手段を選ぶという、この精神、この生活の態度が政治倫理であり、政治道義だと、私は考えています。目的を達成するためには、どんな手段でもいいんだという考え方のもとに、民主政治が成り立つわけがない。やはり、選挙を例にとれば、当選することが目的でしょう。だからといって、それにはどんな手段でもいいんだということになれば、公正な選挙はできるわけがありません。目的達成のために、あくまで正しい手段を選ばなければならんという公党の倫理の確立か必要である。これがみんなの精神の中にしっかりと植えつけられていくことが政治倫理であり、政治道義というものだと私は考えておるわけです。

 また党員は、ひとつの公人としての倫理感というものを持たなければいかん。そのためには、常に自粛、自戒する謙虚な態度が必要である。“李下に冠を正さず”と古くからいわれておることばの通りである。

 もう一つは、精神の革新の中には立党の精神に返るということがある。二十一年前に自民党が発足したときの立党の宣言は、“政治は国民のものである。国民とともに進歩的国民政党たらしめる”ということであった。これがわれわれ自民党の出発点である。たえず改革を怠らない進歩的な国民政党たらんことを誓って自民党は発足したわけだ。今こそ、その立党の精神に戻るということが必要である。いろいろものが混乱したときには、原点に返って考えるということが、われわれには必要である。私が、立党の精神に立ち戻るという所以であります。

 また、粛党という問題を考えるとき派閥の弊害というものを打破しなければならないという問題がある。派閥の党員であってはいけない。自民党員としての各議員は、自己の信念と良心に基づいた言動をしなければいけない。そういう点で、今日のように派閥単位の人事とか、派閥が党の運営に対して干渉したり、あるいは派閥単位で選挙資金というものを集めたり、こういう派閥政治の弊害というものを除去するということが、自民党再生のために、必要な要件だと、私は思う。

 もう一つは、自民党の総裁選挙のあり方というものを改正しなければいけない。この点は、青年の諸君からもたびたび提起されている。去年でしたか、粕谷代議士からもこういう問題を提起されたと記憶している。今までの総裁選挙のあり方を私は諸悪の根源であるといった。私は総裁選挙にいちばん多く、三回出た。そのいちばん多い経験者が語るのだから間違いない。−−自民党は、総裁選挙の今の規程を改めなければいけない。

 <政治の粛正>

 私は、政治の粛正ということで三木内閣の発足のときに三つの点をあげた。一つは、公職選挙法の改正。もう一つは、政治資金法の改正。もう一つは、総裁公選の規程の改正。前の二つは、ご承知のように国会で成立したわけです。これは何を目的としたのかというと、一つは、なるべく金のかからないような選挙をしようということです。選挙に多額な金がかかって、次第に中央も地方も同じような憂うべき型の選挙になっている。もし国会議員の選挙が粛正されるならば、地方議員の選挙にも大きな影響力を与える。選挙の粛正は先ず国会議員の選挙から始めるべきだというのが、私の意見である。そのために公職選挙法はできるだけ金のかからないような選挙にしようという目的で、相当の改正が行われたわけです。

 また政治資金の規正法にしても、今まではやるやるといってきたが、一回も行われなかった。初めて行った政治資金規正法の大改正である。私の願いは、政治資金というものが国民の目に明らかになるということである。闇から闇のものではいけない。しかも政治資金は、一つの企業から無理しても、もらえるだけもらえというものではないと思う。節度がいる。即ち集め方、使い方というものが節度があり、明瞭なものでなくてはいけないということで、大改正を行った。

 一つだけ残っておるのが、総裁公選の規程の改正である。これは、私自身の案も出したわけです。その案というものは皆さんも考えておられるように、全党員に対して、総裁公選に対する予備選挙権を与えるということです。党員のいちばん大きな関心事である総裁の選挙に、地方党員の意思がなんら反映できないという総裁選挙のあり方というものが、今日の時代に適当したやり方だとは思わない。民意が反映されなければならん。その結果として、責任と名誉を持った党員の全国的な組織が拡大されるに違いない。政党の組織の主なるものが、議員の後援会であるという現状ではいけない。自由民主主義を支持する全国の同志が、進んで入党してくれる国民的な組織というものができなければ……立党の宣言にいう“進歩的国民政党”にはならないわけです。中選挙区制の下においては個人個人の議員の後援会の組織の必要性を否定はしないが、自民党員としての組織を拡大しなければ国民政党とはいえぬ。そのためには総裁選挙に、党員が均しく予備選挙の投票権をもつということは、組織拡大にも大きく役立つ。また結果的には、党の経常収入にも貢献することは明らである。党費は引き上げていただかなければならない。党員として責任の自覚、民意の反映、党の組織の拡大、党の経常収入の増加そういう点でもまた、すべての支配される世間の疑惑を払拭する点からも、総裁公選の規程というものは改正する必要がある。どうか、こういう面の改革に向かっても、青年のエネルギーというものが結集されることを切望してやまない次第であります。

 また、金にまつわる問題というものが、政治不信の大きな原因の一つになっている現状からして、党の資金というものに対しての集め方に改革を加えなきゃならん。私は、みんな努力すれば、裾野を広くした集め方で今より政治資金が潤滑になることが可能だと信じておる。自民党に対して何千万人の支持者があるわけですから、その中には自由と民主主義を守っていこうという自民党に対して、政党の活動には多額の資金がいることも、よく理解して、政治資金を寄附してあげようという層は非常に厚いに違いないと思う。だから、すそ野を広くして資金を集め、大企業と癒着などと国民に非難されない“進歩的国民政党”というにふさわしい政党に、自民党は成長していかねばならない。

 それからもう一つは、やがて総選挙がくるわけですが、この総選挙というものは、日本の民主政治の将来に重要な意味を持っていると思う。一つには、ロッキードの試練を経た後の総選挙であるということ、また先ほどいった公職選挙法、政治資金規正法の改正された第一回の選挙であるということです。そういう意味から、総選挙の結果は重要な意味をもっている。だから、自民党が来たるべき総選挙を党の再生の第一歩にするというだけの心構えを持って、金に頼らないで、直接、候補者が有権者に訴えて、体当たりというか、捨て身の選挙を皆がすることによって、自民党というものの再生の第一歩を踏み出すことにしなければいけない。総選挙を自民党再生の第一歩たらしめなければならんと強く考える次第であります。

 <守ろう! 自由民主主義>

 以上、皆さんが自民党をどう改革すべきかという点で論議されるご参考にと、私なりの考え方を述べたわけでございます。私が皆さんに訴えたいと思うことは、いろいろな主義、制度がありますが、わが国としては、自由民主主義による制度を育てることが、一番わが国に適しているということです。すなわち議会制民主政治の維持発展ということです。人間の自由とか意思とかいうものを制度的に保障している制度というものは、これ以外にない。民主政治は、開かれた社会の開かれた政治制度から、いろんな不正が起こっても、それを自ら摘出して自己改革することのできる能力を持っている制度が、私は民主主義の制度だと思う。しかも、われわれの自由民主党は、急激に世の中を変革さすというんではなくして、漸進的に世の中を改革していこうという、安定の中に改革を求める政党である。継続の中に改革を求める政党である。だから改革によって一時、混乱が起こってもいいんだという手段はとらない。やはり安定した中で、漸進的に改革していこうというわけです。革命の政党ではなく、改革の政党である。古き良き伝統は守りながら不合理なものは改革しようという政党である。こういう自由民主党の考え方に多数の国民が共鳴してくれた結果として、今日まで自民党は長く政権を担当することができた。

 そういう意味で、われわれは改革の精神を失ってはいけない。それを失って、現状維持に汲々とする政党になれば死滅を意味する。ロッキード事件でも、それを、包み隠すことは許されない。自民党は進んでロッキード事件の真相を糾明して、それに対して自ら改革する能力を示すことが自由民主主義政党の真の姿である。そうすることによって、この不幸な事件は災いを転じて福とすることが、できると私は信じている。ロッキード事件も暴露することだけが目的ではない。そういうことを明らかにすることによって、自民党も日本の政治ももっと健全なものになり、もっと強固なものにする再生への転機にするということが、ロッキード事件の教訓だと思う。

 どうか、若い諸君が、自由民主主義に対するゆるぎなき確信を深めて、その擁護発展という大きな使命を待った自民党としての自覚、しかもその自民党が広く国民の支持を得て、二十一世紀に向かっての政党になれる自民党にする政治理念、感覚というものを身につけた政党に脱皮するために挺身して下さい。そして国民と共に歩む、国民に信頼される自民党にするために共に力を合わせようではありませんか。

 ご清聴を感謝いたします。