[文書名] 日本記者クラブにおける福田内閣総理大臣の講演
<内外ともに経済の年>
去年の今頃でしたか、この席で「今年は内外ともに経済の年である」と申し上げたのですが、その時の私の気持は、国際的にも国内的にも経済を安定させる、という願いをこめていったわけであります。さて、一年たってみますと私の願望どおりにはいかなかった。大体一年はずれてきていると思うのであります。今年も、「内外ともに経済の年」だと思います。
いま、私が一番心配しておりますので、国内のこともさることながら、それよりも国際経済を実は昨年から真剣に考えているわけであります。すなわち、五年前の石油ショックの傷がまだ治っていない、特に発展途上国がひどい状態にあります。その上、援助をしなければならない立場にある先進工業国の多くが、戦後初めて経験するようなインフレ、失業、更には国際収支の赤字などで悩んでいる状態であります。こういう状態を放置しますと世界はどういうことになるでしょうか。すでに保護貿易への動きもささやかれるような状態になってきております。
<前者の轍を踏む勿れ>
私どもは戦前にも苦い経験をしているのであります。第二次世界大戦の背景を考えて見ると、一九三〇年代の世界の指導者達が世界の行くべき方向に対する方途を誤まったと思うのであります。そういう過ちを再び犯してはならない。経済不安が世界的に急増するという中では、どうしても社会不安が起こってくる。それが爆発して、あっという間に戦争という悲劇につながってくる。これをわれわれは今日、繰り返してはならない。ところが現在の客観状勢はあの当時と比べ非常に良く似ているのです。
私は、今日の状況は非常に深刻であると見ております。それは一つは戦前になかった東西関係という問題が、今日現実の問題として存在しておることであります。
戦前においては、ソビエトだけが社会主義体制であったが、戦後、社会主義体制の国が相当増えている。今日、東西が相対立し、その均衡の中で平和が保たれています。勿論経済的混乱は社会主義圏内にもありますが、深刻な状況は主として自由主義社会にあります。もしこの状況が続き、経済的混乱から政治的混乱に発展していくと、東西のバランスに非常に大きな影響がある。世界平和を本当に脅やかす状態になってくるのではないか、という事を私は恐れるわけであります。
また、戦前にはなかった事でありますが、今日、南北問題という新らしい問題が出て来ております。南北問題を度外視して、世界経済、世界政治を論ずることはできない。これが世界情勢を複雑にしている。
更に、南北問題とも深いつながりをもっている資源保有国と消費国との関係が世界の複雑化に拍車をかけております。世界全体がエネルギー有限時代に突入してきている。このエネルギーをめぐる問題は戦前にはなかったことでありますが、今日深刻な問題になろうとしています。
<先づ相互理解から>
このような事態を考えると、ここでまず私は、工業先進国が経済の建て直しをし、これに成功することが世界的に求められていることであると考えます。
ご承知のように、昨年五月、ロンドンで先進国首脳会議が行われました。ここで、保護貿易体制に移行する事に断固反対する決議をしているのでありますが、そのためには、各国がそれぞれ示した経済目標を達成するようにお互いに努力しなければならない、という事を誓い合ったわけであります。
さて、その後の世界の動きを見ておりますと、必らずしもそのような状態には動いていない。特に重要な立場にある米、日、西独はどうか、といいますと、まず、当時、米国は、貿易収支の赤字が百五十億ドル乃至二百億ドルと見通されていたのですが、今日ではそれが二百五十億ドル乃至三百億ドルとなり、百億ドルの違いが出て来ている。これが世界の通貨、ドル不安を惹起し、世界全体に重苦しくのしかかっている状態であります。
また、西独はどうかと言いますと、当時は五パーセント成長と言っていたが、今日では、二・四パーセント成長といわれている。そして、わが日本は、国際収支において米国と裏腹の関係にあります。経常収支の黒字を大いに減少させる宣言をしたのでありますが、それが実現できないどころか、百億ドルを超える黒字になり、ドル不安と並んで、世界経済の混乱の原因の一つとなっている。また、わが国の成長は、六・七パーセント宣言をしたのでありますが、五・三パーセントへ下方修正せざるを得ない状態であります。
それぞれの国が、その掲げられた目標の達成ができなかった。そういう中で、世界経済全体が落ち込み、それがまたはね返って、先進工業国全体の発展を妨げている。このような状態になっているのであります。
そこで今年の経済は一体どうなるか、ということの展望が、盛んに行われているわけでありますが、昨年よりも必らず良くなる、という展望が出来ていないというのが実情です。このまま放置していいのか、というと、そういうわけにはいかない。矢張り、世界全体の建て直しを早くやらなければいけない。
そういうことから、今年もまた、七月にボンにおいて首脳会談が行われることになりそうですが、この首脳会談までの世界経済の動きをよく見つめなければならない、そしてこれから諸外国が、この状態に対応する構えを共通にしなければならない、という結論をこの会談で導き出すことになるでしょう。
<日米会談の意義>
昨年のサミット(首脳会談)は非常に重要な意味を持っていたのでありますが、今年のサミットは、世界の経済の展望が深刻なだけに、より以上に大事な会談であると思います。成功させなければいけない。成功させるためには、事前のいろいろな準備・工作が必要であります。特に、日、米、EC間の連絡・調整が大事であろうと思うのでありますが、そういう中で、ご承知の通り、昨年の秋から今年の一月にかけて、日米間の会談が行われてきたのであります。
この会談について、マスコミでは、牛肉の輸入量がどうなるか、オレンジの輸入がどうなるか、という事が連日大きく報道されていましたが、この会談の性格は、そのようなものではないのです。本当は世界で第一の経済大国である米国と第二の工業力を持った日本の両国が、どのような経済政策をとるかによって、世界経済全体に非常に大きな影響を及ぼすことになるので、まずこの両国間で意見の統一をはかろうという事であります。日米間の問題は話のついでに出てきますが、話の主体は世界をどうするか、という事につき、世界第一の米国と、第二の立場の日本が考え方を調整していこう、という性格のものであり、結論もそれに添ったものになっているのであります。
細かい事は、この共同声明にも書いてありますが、要は、米国は、ドルの価値の安定に努力するということ、その環境を整えるためにエネルギー法案を九十日以内に成立させることを、米国の見解として述べております。そして、わが日本は、世界経済の妨げとなっているところの日本の経常黒字、これを大幅に縮減するということを意図し、これを表明していることであります。
この二つが結論で、これが本当に実現されるということになりますと、世界の通貨不安が本当になくなるであろうし、また、世界の経済の発展のために非常に大きな出来事になるであろうと思います。
<国際協力が必要>
問題は日本が米国との間ばかりでなく、ヨーロッパとの間にもあります。今、ECと日本との間、ECと米国との間で話し合いが進行中であります。これも、日・米間の話しと同様に話し合いによって円満に結着をつけなければならないし、また、つけ得ると思います。話し合いの過程においては、両者の間の食い違いが新聞等に報ぜられると思いますが、結着するところは、両者が世界全体の非常に厳しい事態にあるという共通の認識に基づいたものになると思います。
このようないろいろなチャンネルを通じて、七月のサミットを成功させていかなければならない。これが私は今年の国際社会における非常に重要な問題であろうと考えます。
わが日本としても、偏狭なナショナリズムというような立場ではいけない。世界の繁栄あっての日本の繁栄であり、世界の平和あっての日本の平和であります。世界の中の日本という立場で、世界に対する責任をつくすという立場をつらぬき通すということでなければなりません。わが日本としては、かなりの犠牲をはらい、痛みも感ずることがあるかもしれない。しかしそれは、わが身のために、どうしても必要なことであるという認識に立ち、国際社会に臨まなければならない。昨年から今日に至るまで、国際社会の中の日本は、いろいろの出来事に遭遇して来ましたけれど、その中から、世界の中の日本の立場ということを十分汲み取って、これからの行動の指針としなければならないと考えております。
<わが国の努力・十五か月予算>
さて、そういう中で、わが国の経済は一体どうなって行くのであろうか。
先程申しましたように、私が考えております展望は、確かに一年遅れた。しかし、今年は何とか曲がりなりにもトンネルの出口が見えるところまでもっていかなければならない、と考えております。そのトンネルの出口とは、一体何であろうか。
石油ショック以来、わが国の企業の稼働率は非常に下がっております。それが次第に回復してはおりますが、今日においては、大体製造業稼働率指数で八六−八七、企業全体の操業度で七七−七八パーセントという辺りで低迷しております。これを操業度で八五パーセント位のところまで是非もっていきたいのであります。また、製造業稼働率指数で言えば九五−九六のところには是非もっていきたいと思います。
それにはどうするか、というと、需要の増大をはからなければならない。需要の増大は一体どういう具合に造り上げていくか、という事になると、先程申し述べたように、国際環境から輸出の増加に期待することは全くできません。あとは、国民の消費、政府の投資、企業の投資、つまり設備投資に期待することになるのでありますが、さて国民の消費というものは政策によって大幅に増えたり、減ったりするわけにはいかない。多少の凹凸はあっても大体平均的に動いている。凹凸の有り得るものは企業の投資と政府の投資であります。
企業の投資は、操業度が惨憺たる状態にある今日においては、あまりこれに期待することはできない。電力のように、二−三年先には需要が逼迫しそうだというものについては、今日この瞬間において投資していかなければならないという先行投資もありますが、概して企業投資は今日の操業度の状態からみると、多くを期待することはできない。そうなるとこの際は、どうしても政府が財政の力によって需要を創造する他ないであろう。
そういう様なことで、ご承知のように非常に異例な財政措置をとることにし、しかも四月から始まる新年度で実行に着手したのでは遅い。できす限りすみやかにやろうというので十五か月予算つまり、この考えを実行するには、五十二年度の補正予算と五十三年度の本予算の両方を使うという考え方の財政政策を打ち出すということにしたのであります。
さて、トンネルを抜けるというのはどういう状態か、と言いますと、只今申し上げた様な望ましい操業度へ大方の企業がくるという事であります。ご承知のように、構造不況業種はそう簡単にいきません。しかし平均的な企業においては、望ましい操業度というところに来れば、まあまあと考えるのであります。
<トンネルの出口が見える>
今年は財政であれだけのことをやり、企業側にも出来るかぎりの先行投資等をお願いしてどこまでいけるであろうか。宮澤経済企画庁長官は、製造業稼働率指数は九五−九六パーセントまではいかない、九二位までしか動いていかない。これは操業度では八三パーセント位になり、八五パーセントにもう一息というところまで来る。こういう状態を展望しているわけでありますが、そうなると、そこにすぐトンネルの出口が見える状態ではないかと考えております。
五十三年度はこの辺を見当としてにらんでやっていきますが、矢張り、トンネルの出口が見えても、出た先にいろいろ問題がある。
それは、構造不況業種対策という問題、若干の操業度の不足する産業を残しているという問題等でありますが、特に、非常に深刻な問題は財政であります。財政は今年のこういう異例な措置の結果、来年ばかりでなく、ここ数か年間はかなり窮屈な状態になります、また、この財政措置を誤まると、わが日本は大変深刻な社会になっていくだろうと思います。この財政をどうするかという問題が残っているわけです。
さらに国際社会を展望すると、五十二年度の経常収支百億ドル以上の黒字が五十三年度一年間で全て解消するというわけにはいかない。黒字の減少傾向は五十三年度に或程度は出てきますが問題は五十四年度以降にも残ります。
こういう事情ではありますが、五十四年においても或程度水準の高い成長政策をとっていく必要があるだろうと見ております。政府は国会に対しても、今後五か年間の経済展望、財政見通しを提示しているわけでありますが、大体この五か年間は六パーセント成長をにらんでやっております。特にその中でも五十四年度、五十五年度は高い成長を目指しております。五十四年度は今申し上げたいろいろな要因を考えると、七パーセントに近い六パーセント台成長を考えざるを得ないのではないか。そしてなるべく早く企業の操業度を望ましい水準にもっていく事を実現しなければならないのではないか、と考えるわけであります。
そういう経済政策を日本がとることについて、国内でも勿論望んでおりますが、特に国際社会においては強く期待しております。
私は国際社会のことを踏まえる時に、わが国のとるべきこれからの施策は、只今申し上げた線をはずれるということはできないのではなかろうかと考えております。
<善隣友好が外交の基本>
今年は経済の年ではありますが、また、同時に外交の年でもあります。
私は、昨年、ASEAN・ビルマ等をひと巡りした。そして東南アジアの首脳と戦後初めて一堂に会する事ができ、更に一つ一つの国を訪問することもできました。私は、わが日本が戦後初めて本当に実質的なアジア外交に一歩を踏み出した感じが致しました。しかしながら私は、あの東南アジア諸国歴訪は、相互理解に基づくアジア諸国との友好親善のために、一本の苗木を植えたに過ぎないと思います。これを育てることがこれからの問題だ、ということを帰国後、国会にも報告しているわけでありますが、私は本当に良い苗木を植えたと思っております。問題はこれからその苗木をどうやって育てていくかということだと思います。これについては、わが国は国際社会において特にアジアに関心を持たなければならない国であるという立場において、フォローアップを十分にやっていこうということであります。物の面ばかりではありません。文化というか、心というか、そういう面において、できる限りの努力をしていきたいと思っております。五十三年度予算では、これを実現するための十分な予算措置、財政措置を致しております。
もう一つの問題は、大陸の問題であります。大陸方面では二つの大きな未解決の課題が残っているわけであります。即ち、日中、日ソの問題であります。
日ソについては、先般、園田外務大臣が訪ソし、両国間のいろいろな問題を話し合ったのであります。両国間には不幸にして北方四島問題が存在している。その関係で平和条約の締結にまで、まだなかなかいかない状況にあります。
他方、日中関係は、五年前の共同声明以来順調に動いてきております。しかし、共同声明にもある日中平和友好条約の締結はまだ残っております。日中共同声明が出来てから五年五か月になりますが、この条約が出来ないで今日に至っております。この間いろいろ難しい問題がありました。三木内閣の時に、当時の宮沢外務大臣、喬外務大臣が国連総会に出席するという機会に、両大臣の間で条約交渉の問題の話し合いがあったのですが、それ以来中断されて、何等の話し合いがなかった。
私は何とかして早く平和友好条約を締結したい。双方に各々事情が有るのだから、双方が満足し得るような状態において早く締結したいと考え、一年余りの間、精力的に、そのための環境づくりをやって来たわけであります。国会においても、私は日中平和友好条約の交渉再開の機は熟しつつある、と申し上げております。率直に申して、そういう動きになって来ております。
北京に駐在する佐藤大使に、いろいろな方面と接触させ、中国側との間でこの話を再開する段取り、タイミング等をよく観測しておくように指示をしております。まだ佐藤大使からどういう感触であるという具体的な報告に接しておりませんけれども、交渉再開の機は熟しつつあると見ております。佐藤大使の報告がいつ来るか、それを聞かなくてはならないが、その他の状態を踏まえて、条件が整えば、即ち、交渉開始という具合に持っていきたいと考えております。
<協調と連帯で平和に貢献>
わが日本は、こういう流動的な世界情勢の中で、とに角、非常にユニークな立場をとっている国だと思います。経済的には米国に次いで、自由世界第二の工業力を持つような国になった。しかし、軍事的には日米安全保障条約によって、その安全の一半を米国の力に頼っている。経済的なパワーにはなったが、軍事的なパワーにはならない、というコースを辿って来ている。私は、そういう選択をしているわが日本の行き方というものは、決して誤まった選択はしていないと思う。これから先々を展望すると交通、通信などの進歩に象徴されるように、矢張り世界は大変化の時代です。しかも資源、エネルギーは有限化しようとしている。そういう世界情勢の中で、一国がその一国だけでは生きていけない。相互連帯の意識が人類の間において、これから高まって行くであろうと思うのであります。そういう相互連帯の考え方の高まりの中で、一国が強大な軍備を蓄えて、他国と相対峙しようというような事はどうであろうかという反省が必ずや出て来るだろうと思う。当面、事を現実的にとらえて見ると日本の行き方については厳しい見方もありましょうが、長期的に見ると、私は、日本のそういう行き方の選択というのは、誤まりのないものと考えております。
今年は国際社会でも、国連軍縮会議など平和をめぐって、いろいろな会合、動きがあるが、日本は日本なりの立場で、また、やり方で、世界の平和、世界経済の繁栄、発展に寄与して参ります。
わが日本は、とに角日本だけで存在するわけにいかない。世界の平和と共にある、世界の繁栄と共にある、という考え方を国内においても強く押し出して参りたいと考えております。