データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 当面の内外施策(福田内閣総理大臣)

[場所] 東京帝国ホテル
[年月日] 1978年9月26日
[出典] 福田内閣総理大臣演説集,308−330頁.
[備考] 
[全文]

 皆さん、大変しばらくでございます。私がこの会にお招きにあずかりましてお話を申し上げるというと、何か政界で異変が起こるというジンクスがあるようでありますが、今日は何の異変もございませんから、どうかひとつあぐらをかいたおつもりでお聴きを願いたいと思うのであります。

 <世界の平和、繁栄に三点で協力>

 今年は、私は、わが国の年柄といたしましては、経済の年だと申しておりましたが、今日、もう今年になって九か月を経過しようとしております。顧みてみますと、今年は、外交の面でも大きな前進を見た年である、このように申し上げて支障ないかと思うのであります。

 私はこの間、国会の所信表明演説におきましても、明治以来百十年、わが日本民族は西欧諸国に「追いつき追い越せ」、ひたすらそれをにらんで今日までやってきた。そして今日は、すでにもう、追いつきといいますか、わが国の態勢というものは西欧諸国の水準に到達した。これからわが日本国民は、この立場を踏まえまして、進んで世界の平和、世界の繁栄、発展に協力をするという姿勢をとるべき時期にまさに到来している、そのように申し上げたわけであります。

 さて、わが国が、世界の平和、発展にどういうふうに積極的に取り組むかということになりますと、私は、いろいろ問題はありますが、大きく言いますと三つあると思うのです。

 一つは、何といたしましても、われわれの近隣諸国、これはアジア諸国であります。アジアの平和と繁栄、発展、これにわが国が格別な協力をする、貢献をする、こういうことだと思います。

 それからもう一つは、経済国家としてのわが国が、今世界政治の中で一番問題になっているのは何だと言いますと、この当面の経済混乱をどのように打開するかという問題であります。この当面の世界情勢、その中での最大な問題である経済混乱、いかにこれが安定のためにわが国が協力をするか、貢献をするか、という問題であります。

 それからもう一つ。これは当面の問題の処理にも深く関連をいたしますけれども、もう少し長期な展望に立ちまして、世界を安定させるというためへの貢献であります。この三つのことを考えなければならぬだろうと、このように思っておるのであります。

 アジアの問題につきましては、私からくどくど申し上げるまでもありませんけれども、何といたしましても、東南アジア諸国は非常に貧困である。わが国といたしましては、これに対しまして援助、協力の手を差し伸べなければならぬ立場にあると思うのであります。私は、東南アジア諸国に本当に親身に協力をいたしたいという願いを込めまして、昨年の八月、東南アジア諸国を回りました。そうしてマレーシアの首都クアラ・ルンプールにおきましては、ニュージーランド、オーストラリア、これらの国々も含めまして、アジア八か国の首脳会談というものが持たれたわけであります。私は、これはアジアの歴史の中で画期的なことだと思うんです。

 私は、この会談、また東南アジア諸国歴訪を通じまして、わが国はこれからもこれらの国々との間の経済的接触を深めてまいる。しかし、物と金とのつき合いというのは、「金の切れ目が縁の切れ目」となりがちである。アジア諸国とわが日本の関係は、もうそういうことではなくて、本当に心と心との触れ合いといいますか、本当にお互いの立場を理解しての協調、連帯、そういう関係を打ち立てたいんだということを強調してまいりました。私は、大観いたしまして、東南アジアとわが日本との関係、それを通じまして、東南アジアに、ひとつ新しい時代が開けたような気がしてならないのであります。

 また、昨年八月の私の東南アジア諸国歴訪、また八か国首脳会談、これ以後のわが国のこれらの国々に対する協力、貢献というものは、かなり実りのあるものになりつつある、私はこのように見ておるのであります。

 <日中条約で全方位外交守り抜く>

 しかし、東南アジアだけでアジアじゃないんです。つまり北東アジアであります。われわれはこの北東アジアとわが国との関係を度外視するわけにはまいりません。

 私は、そういう意味におきまして、日中両国の関係、これは五年前のあの共同声明によりまして順調に発展しつつありますけれども、その締めくくり、かなめとも言うべき日中平和友好条約がまだ締結されるに至っていない。そこで、慎重に環境づくりに努力してきたわけでありますが、ご承知のように、八月十二日、北京で、わが国の園田外務大臣と中国の黄華外交部長との間に平和友好条約の署名、調印が行われるに至ったわけであります。

 なぜこの条約がそんなに長引いてきたかと言うと、いわゆる覇権条項の扱いにあったわけであります。しかし、今回の署名、調印におきましては、わが国の立場、つまり覇権条項はこの条約の中には取り入れる、取り入れるけれども、わが国といたしまして、これを条約に取り入れることが、あるいはアメリカ、あるいはソビエト・ロシア、あるいはその他の国々に対するわが国の外交姿勢に何らの影響を及ぼすものではない。つまり、わが国の全方位外交の基本方針というものはこれを厳然と守り抜きながら締結するに至ったということなのであります。これを考えますと、いろんな角度で、あるいは積極論もある、あるいは慎重論もある、いろんな立場で国民の皆さんから関心を寄せられ、また協力を与えられましたこの条約が、そういう形で締結されることになった。これによって、日中間に横たわるもやもやしたものが一挙に吹っ飛んだような感じがいたしまして、これは、国民の皆さんとともにこれを喜びにいたしたいと、このように考えている次第でございます。

 大陸諸国と言いますと、中国のほか、わが国は韓国との間に基本条約を持ちまして、親善友好の関係を保ってきております。日韓間には日韓大陸棚協定が懸案として五年間たなざらしになっておったわけでありますが、これも批准書交換というところまでまいりました。

 この日韓大陸棚協定というのは、一大陸棚についての協定のようでありますが、これは非常に大きな問題なんです。と申しますのは、難しい高度の技術を使って、日韓両国の間に横たわるところの大陸棚の資源を開発するわけですが、よほどの相互の信頼関係がなければ、そんなことはできるはずがないわけであります。とにかくわが国といたしまして、韓国はわが国の最も近い隣国である、韓国から見ましてもさようでございますが、その両国の間にそういう非常に重要な協定が批准をされたということは、私はこれまたアジアの平和の一環といたしましていいことであったと思うのであります。

 もう一つの大国、ソビエト連邦があります。ソビエト連邦は、日中平和友好条約の締結に対して不快感を抱いておるということは、私もそれをはだに感じております。けれども、私が先ほど申し上げましたように、日中平和友好条約は、これは本当に日中間のことを決めたわけである、他の国の立場というものに対しまして何ら害するところはない。また、わが国の第三国に対するところの立場というものは、この条約によって何ら影響されるところではないということが、条約上もきわめて明白に、一条を特に設けましてうたわれておるのであります。ソビエト・ロシアにおきましても、わが国のような全方位平和外交の立場を深く理解をされることを期待すると同時に、北方領土問題、北方領土はわがほうに返還して、そうして日ソの間にも平和条約を結ぶというわが国の立場にも理解を示されることを期待して、粘り強く日ソ間の交渉は取り進めていきたいと考えているわけであります。

 <保護貿易主義になれば世界は総沈み>

 アジアの平和、アジアの繁栄、これは相当私は前進しつつあると思いますけれども、いま世界政治で一番大きな問題になっておりますのは、経済の混乱であります。これは一言で申し上げますと、あの第二次世界大戦争の前の状態、昭和戦前の状態、これよりもさらに深刻な状態であります。昭和戦前には不況状態というものがあったわけであります。しかし、今日におきましては、その不況の背景には、さらにいろいろな複雑な問題が絡み出してきております。一つは、東西の政治的対立という問題であります。戦前にはそんなことはなかったわけです。また南北問題という、これまた戦前にはなかった問題が出てきているのです。さらに戦前になかった、またつい最近までなかった資源・エネルギーの有限という世界的認識、これのもとに世界経済が動いておるという問題であります。

 資源有限という考え方の背景といたしまして、五年前に石油ショックが起きたことは皆さんもよくご承知のとおりでございますが、この石油ショックを契機として世界中がいま揺れ動いているのです。しかも、ただいま申し上げましたような、これに南北の問題また東西の問題という難しい政治問題が絡まっておるわけであります。いま、そういう中で一番困っているのは発展途上国、つまり遅れた国々であります。発展途上国の貧困というものは、私のつたない口ではもう説明できないくらいな状態であります。

 さて、そういう際におきましては、これは先進工業国がこれに援助、協力をしなければならぬという立場にあります。ところが、その先進工業国がまだ五年前のあの傷跡からいえることができない。ある国はインフレだ、ある国は国際収支上の大赤字だ、ある国は深刻な失業で悩んでおる、つまり不況でございます。どの国もが非常に大きな痛手をこうむっているのであります。

 そういう中で心配されることは、戦前の世界が経験したように、保護貿易主義というものが起こってきかねないということであります。つまり、皆それぞれの国が非常にもだえている、苦しんでいる、そういう中ではどうしても経済ナショナリズムというものが起きやすいのであります。戦前はまさにそういう過程をたどったわけであります。今日、この経済不況というものを放置いたしますと、経済ナショナリズムというようなものが起こってきかねない情勢である。経済ナショナリズム、つまり保護貿易主義体制ということになれば、世界が総沈みになってしまうのです。戦前を考えてみると、保護貿易体制の中で、たった四年の間に世界の総生産が三割減ったし、世界の総貿易は四割減っておるのです。今日、政治的に非常に問題をはらんだ世界情勢の中で、もし仮に一つの国が保護貿易主義体制をとる、それは一波万波呼んで世界的に保護貿易体制というようなことになったら、これはどういう事態になってくるか、計り知れない混乱の底に落ち込むのではあるまいか、そのように考えられるのであります。

 <ボン会議の公約実行の上に東京会議>

 昨年ロンドンで先進七か国の首脳会談が開かれました。今年は、西ドイツのボンにおきまして同じ会議が持たれたわけであります。今年のボン会議において論ぜられたところを整理してみますと、一つは、失業、それに連なるところのインフレ、景気問題であります。これをお互いどういうふうにするか。第二は、ただいま申し上げました通商上の摩擦、それからこの摩擦をいかに調整して、そうして保護貿易主義というようなものが頭をもたげないようにするかという通商の問題であります。第三はエネルギーの問題であります。つまり、だんだん石油の生産が減ってくるだろう。それに対して、原子力はいま代替エネルギーとして重要視されています。しかし、この原子力エネルギーを野放しにしておきますと、核兵器として拡散する恐れがある。その核兵器としての核エネルギーの拡散を防止しながら、いかにして平和利用を進めていくかという問題であります。それから第四の問題は、先ほど触れました南北問題。第五の問題が、昨年はなかったのですが、世界の通貨不安にいかに対処するかと、このような問題であります。

 この会議は、皆さんもすでにご承知のように、非常に難しい情勢の中で開かれた会議でありました。けれども結局、みんな同じ舟に乗っておるわれわれじゃないか、われわれがとにかくできる限りの知恵をしぼって、そうしてその一つ一つの国ができることを引き受けてやろうじゃないか、こういう結論になりまして、それを最後の締めくくりといたしまして共同宣言に織り込んで、それを実行しようということになった次第であります。

 アメリカはそういう中で、ドルの安定に努力をする。そのためにはエネルギーの節約について計画的にこれを実行する。また、インフレーションの進行に対して効果的な手を打つと、こういう約束をしたわけであります。

 西ドイツは、経済状態がいま非常に微弱でありまして、失業問題が深刻であります。そういうドイツではありまするけれども、この際、国際社会の求めに従いまして、いままで放置しておけばあまり経済は発展しないであろうが、さらに一パーセント程度の成長を実現する、このための有効な財政的措置を早急に講じますという約束をいたしたのであります。

 わが国はこういう中で、とにかく国際収支の大黒字、これを減らします、そのための最善の努力をします。その手段といたしまして、国内においては七パーセント成長を実現いたします、こういう約束をいたしておるわけであります。

 問題は、お互いの国がそういう約束をし合ったわけですが、それでいいということじゃないんです。問題は、おのおのの国がその約束をいかに実行するかということにあるわけでありまして、わが国としては、わが国が国際社会で期待されたその任務、これを精力的に全力を挙げてやっていかなければならぬ、これが世界に対するわが国の貢献となって表れてくると、私はこのように見ているわけであります。

 この会議では、だれ言うとなく、次の会議は日本でということになったのです。正式に決まるのには、会議が開かれる二、三か月前ということになりましょうが、私は、次の首脳会談、これは東京会談となるということは、いまや決定的である、もう内定したと言っても支障がないと思うのであります。

 そういうことを考えますときに、わが国が今年のボン会議において公約をしたというか、宣言に織り込んだ努力、これを完全に果たすか果たさないか、これは大変問題だと思うのです。もし国際社会に対する誓約を果たさないままに日本で首脳会談というようなことになれば、日本の立場は惨たんたるものである。しかし、逆に日本が国際社会に対するそういう誓約を十分果たしまして、これこのとおりでありますというような形において東京会議が行われるということになれば、私は、日本の国際社会における立場は、いまでも相当な立場になってきているわけでありまするけれども、際立って、一段と躍進をするというふうに考えております。私は、今後のわが国の経済政策の運営に当たりましては、この東京会議をにらんで、この会議において胸を張れるような結果になるということを旨としてやっていきたいんだ、というふうに考えているわけであります。

 <新エネルギー実現の展望をかためる時>

 私は、今年のボンのサミットにおきましても、それから五月のカーター大統領との日米会談におきましても強調したのです。強調した点は何であるかと言うと、いまわれわれは、当面の経済混乱をどういうふうにするかということ、これで思い悩んでおり、それをお互いに論議しておるけれども、いま世界は不確実時代と言われておる。この不確実時代に押し流されてしまうというような状態であってはならない。不確実時代に挑戦をし、そうして不確実時代の不確実な要素を一つ一つ切り拓いていかなければならぬ。

 今日、世界の情勢が不確実時代と言われるのは、政治的角度からの東西関係がどうなっていくんだろう、あるいは南北問題がどういうふうに発展するだろうということもあるけれども、しかし、今後の資源有限時代において、一体人類はいかにエネルギー問題に対処するかということ、これについていま確固たる展望を持たないという点が世界経済を非常に暗くしておる。これが不確実時代の大きな一つの要素である。この不確実時代の要素というものは、つまり、エネルギーの問題はわれわれの努力でこれを切り拓くことができるのじゃあるまいか。

 いま、世界の一般的な見方は、あと十年たつと石油をめぐって大混乱が起きるというふうに言われているのです。私もそうだと思います。つまり、石油の寿命というものが三十年、四十年は続きそうだ。しかしながら、三十年、四十年たって石油がもう掘り尽くされるということになっておりますれば、今日の産油国がその石油を出し渋るであろう。その時期が十年後になるか、あるいはもっと早く五年後に来るか、あるいは十五年ぐらいまでもつか、いずれにしても、あと十年前後になると、世界の産油国が石油の生産を渋るという時期が必ずやってくる。これが世界の大方の見方でございます。

 そういう時期になりますと、私は、石油をめぐっていろいろな政治のごたごたが起きてくる。同時に、経済的な混乱というものも必至になってくるのじゃあるまいかと思います。今日、世界は不透明だと言っているけれども、この不透明の一つの要因であるところのこれからのエネルギーという問題について、もっともっと世界の主要国は関心を持つべきであるということを強調してきているのであります。

 私は、カーター大統領との間では、そういう見地から、日米が、石油後のエネルギー、つまり核融合エネルギー……、もう公害がなく、また無限な核融合エネルギー、これはある程度まで展望がかたまりつつあるのですが……。これを本当に実現できるような共同研究をすべきじゃないかということをカーター大統領に提案をしたのです。カーター大統領は、これはもう本当にひざを乗り出して、日本はそこまで考えておりますか、ありがとう、わが国は日本と相談をしますということで、今月の初め、日米のその責任者が相寄りまして、この手続きを一体どういうふうに進めていくかという協議をいたしたわけであります。私は、核融合という新しいエネルギー、これは二十年後、三十年後に実用化することでいいと思うのです。二十年、三十年後でいいが、石油危機がやってくるという今後十年の間にその展望だけは持っていたいと思うのです。石油が掘り尽くされても、あとはこういう新しいエネルギーが控えておりますよ、これは必ず実現をするのだというかたい展望だけは、とにかくこの十年間に固められておりますれば、私は、十年後に、仮に、石油の減産という事態が現実化してきても、これを大きい混乱なく乗り切れると思うのであります。

 ところで、このような世界の今後を決するような重要な技術開発を担うのは、いうまでもなく優秀な、鍛え抜かれた頭脳を持つ人であることはいうまでもありません。ところが、この分野に限らず、数学その他の分野でも、優れた頭脳を持つ人の多くがいまアメリカへ逃げていってしまうというような残念な現象も出ております。出ておりますけれども、この高い水準の中で、高い教育を受けたそういう人の中から、世界の最高の水準、その技術開発というものに貢献する人が必ず出てくるに違いない。私は、そういう展望を持ちながら、世界にそういう道で貢献をいたしてみたらどうだろう、このように考えておるわけであります。

 わが国は、何としてももう軍事力を持つということは考えないことにいたしている国であります。そうすると、何をもって世界に貢献するのか? 日本は平和にただ乗りをしているのじゃないか? ということで、平和ただ乗り論というのが横行するような状態でありますが、日本が当面する国際社会の中で経済の安定に自らの責任を果たす、またそういう中では当然対外経済協力というようなことも積極的にやっていくということはもちろんでございますけれども、同時に、いま外貨が相当ある、そういう際こそ、わが国はもっと遠い遠い将来を見通しての立場で世界に貢献をするということを、私は日本としてぜひやってみたいなと考えるわけであります。新しいエネルギーを握ったら、わが国の立場というのは非常にまた変わってきます。本当に、私は、世界に対して胸を張り、また世界中から、日本は、世界の平和と世界の安定、発展のために協力しているという評価をかち得ることができるであろうと、このように思うのであります。

 <日本経済の対内的側面は順調に推移>

 そういう中で、当面の日本の経済は一体どういう動きをしているか。ここにおられる多くの方が財界の方でおられるようでございますが、私は、日本経済には二つの側面があると分析をしています。

 私は、対内的な側面はきわめて順調に推移している、と見ているのであります。経済を診断する場合には、第一は何と言っても物価です。第二が国際収支であります。第三が景気、この三つの側面をとらえていかなければなりません。

 いま物価の状態はどうだろうと言うと、私は、いま世界第一の安定の水準に来ておると見ているわけであります。これは、オイルショック後、皆さんがずいぶん苦しまれた、同時に労働組合の方がずいぶん陰に陽に協力をしてくださったということの結果が、今日のような状態を導き出しているというふうに評価をいたしておるのでありますけれども、とにかく輸出物価、つまり貿易に関係のある卸売物価のごときは前の年よりも三パーセントも下落しておるという状態です。ところがアメリカあたりはそれが七パーセントから八パーセント上昇するという状態です。そういうことで、わが国の輸出力が非常に強固であるということにもつながっていくわけでありますが、ともかく物価はきわめて安定した状態であります。

 国際収支はどうだと言えば、これは石油ショックのあの前後は、実に百三十億ドルの大赤字を出しました。一体これをどういうふうに改善できるかということに頭を悩ました次第でございまするけれども、逆に、昨年のごときは百四十億ドルの大黒字を出すというようなところまで来ておる。黒字が大き過ぎるので、今日では、世界じゅうから日本は黒字過剰であると言って責め立てられるというような状態になっているわけであります。

 経済成長のほうはどうだと言いますと、昨年度は五・五パーセント成長にとどまりました。けれども、これは国際社会の中では一番高い水準なんです。西ドイツのごときは二・四パーセント成長で、わが国はその倍以上の成長を記録している。そういうような状態でございまして、国際社会全体の中では一番いいほうなんです。

 そういう状態でありますが、その国内的要因が現時点において見てみますと、どういうふうになっているか。物価も、国際収支も、ただ今申し上げたとおりですが、経済活動、景気の側面でも、内需は非常に活発に動いておるのです。たとえば内需の中で最大の要素である国民の消費、これも着実な上昇を示しております。住宅建設も活発に進められているわけであります。在庫調整、これも順調に動いております。それから、特に政府投資、これはご承知の膨大な予算の影響が表れてきつつありまして、非常に高い水準で日本経済を引っ張っているのであります。

 <輸出の減退を内需振興でカバー>

 ところが、対外的な要因、つまり輸出でありますが、これが円高の影響によりまして数量ベースでは漸次鈍化しつつあります。例えば、自動車の輸出は、台数とすると相当減ってきた。ところがアメリカにこれを売ってみるというと、ドルに換算いたしますと、ずいぶん伸びておるのです。上半期のごときは、半年全体を通じての話でありますが、輸出は数量において三パーセント減った。ところが逆に手取りのドルは二〇パーセント多くなっている。これは何を示すかと言うと、諸外国においてインフレが進行いたしまして、私どもの同じその一台の自動車をそれだけ高く買っておるということであります。私は、その点をアメリカ当局には強調しておるのです。われわれはこんなに努力もし、また円高の影響もあって、輸出の数量というものはだんだん減ってきておる。しかるに黒字が減らない。ドルに換算すると高く出てくる。これは何だと言うと、あなた方の問題なんだと。あなた方がインフレを許しておるものですからそういうふうになってしまうので、わが国の国際収支の黒字縮減という観点からも、われわれはあなた方のインフレ対策に期待する、われわれとしては全力をもって尽くしておる、こういうふうに考えているという立場をとっているわけであります。しかし、とにかくそれはドルの話でありまして、円に換算いたしますと、その手取りは、数量が減るのですから、それだけ減ってくる、こういうことになります。これが景気の足を引っ張るのです。デフレ要因として重く日本経済にのしかぶさってきているのであります。

 これが、いまの日本経済の全貌を大きく見たところではないか。つまり、内需はいい、しかし輸出の減退があるということであります。

 こういう状態に対処いたしまして政府は何をしなければならぬかと言いますと、これからも進行していくであろう輸出の減退をさらに内需の振興によってカバーいたしませんと、全体として日本の経済に活気が出てこない。つまり輸出のデフレ的要素、これを特別な内需の振興によって補うという政策をとらざるを得ない。このように考えまして、今度の国会に提出する補正予算、それを中心といたしましていろいろなそのような考え方の施策を打ち出すことにいたしているのです。これを、早く国会で議決をしてもらう、そういうことになり、これが実施に移るということになれば、私は、日本経済は、いろいろ格差が出てきておる、でこぼこができておる、特に構造不況産業というような問題、あるいは円高による中小企業の問題、いろいろ問題をはらんでおり、それぞれそういう問題につきましてはきめ細かな対策はとりますけれども、大局においては、日本経済はまずまず着実に安定に向かって前進をするのではあるまいか、そのようにながめておるわけであります。

 <国民は自由社会がいやになったのではない>

 これからの政治日程はいろいろありますが、あさってから臨時国会の私の所信表明演説に対する質問演説があるわけであります。それから予算委員会が衆参両院において開かれまして予算案を議了する。それが済みますと、日中平和友好条約の承認案件が議題となる。その間、十一日には西ドイツのシュミット首相がわが国を来訪するわけであります。また、二十二日になると思いますが、中国の●{登におおざと/トウ}小平副主席がわが国を来訪する予定になっています。そういうような外交案件もあり、国会が延長もなく会期内には終了するように願っているわけでありますが、そういうことになりますれば、十一月になると早々、自由民主党の総裁選挙ということになるわけであります。

 私は、政権を担当してから一年九か月になるのです。政権を担当する当初に、党の総裁といたしましては、自由民主党の改革を断行することである、また、総理大臣としては当面の経済混乱を安定させることである、こういうスローガンというか、構えて政局に臨んだわけでございます。

 私は、一昨年の総選挙の結果を見て実は愕然としたのです。あれまでは自由民主党がずっと圧倒的多数の態勢で衆議院に臨んできたわけです。少ないときでも与野党間には七十議席の差があった。多いときには実に百五十議席の差があったのです。それが、一挙に転落いたしまして、無所属を入れてやっと伯仲という状態になってきた。これからの政局はどうなるか。一時は大変心配いたしました。

 しかし、私は考えたのです。ああいう選挙の結果が出てくるということは、これは日本国民が自由社会がいやになったのだ、共産主義社会がいいんだ、社会主義社会がいいんだという変化の表れではないんだ、自由社会を守り抜こうという立場の自由民主党の基本的な考え方、これは賛成だ、しかし、いかにしてもお行儀が悪いじゃないか、あのていたらくは何だという怒りにも似たところのとがめ、これがあの選挙の結果となって表れてきたんじゃないか。いわば愛のムチなんだ。われわれはここで自由民主党が本当に出直すというくらいな決意をもって、新しく党をつくり変えるというような決意をもって党の改革に取り組む、そういうことになれば、私は、国民の心は自由民主党に必ず返ってくる、ひとつ党の改革をやろうじゃないかという考え方をずっと進めてきたわけであります。

 党の改革と言いますと、これはいろいろの面がありますけれども、かなめは、いま四つだというふうに見ておるのです。

 一つは、派閥体制、これを何としても弱体化させる。最終的にやめるというところまでいかなければならぬ。

 第二は、自由民主党という政党が一部の専門家の集団であります。プロ政党だ。しかし、そうじゃなくて、国民各層に根をおろした開かれた自由民主党でなければならぬ。そういうことで党員の拡大をする。いままでの県会議員だとか何とか議員であるとか、そういうような方々とか、あるいは特に政治に関心を持っている一部の人々の集団、それから脱皮して国民全体の中に根を張った自由民主党にしなければならぬ。

 第三の問題は、よく国会等でも批判をされるわけでございますけれども、自由民主党の財政体質が企業偏重なんです。企業偏重の態勢というものを改めて、これは党員、党友に依存する態勢に変えなければならぬ。そういう見地から、新たに党友という仕組みを設けまして、自由国民会議という名前でありますが、それに財政の重要部分を依存するという態勢に直しましょう。

 それからさらに第四の点、これは非常に重大な問題なんでございまするけれども、自由民主党の総裁を、いままでのように、衆参両院の国会議員、それから各都道府県から選ばれましたただ一人の代表者、これだけで決めるという仕組みを改めまして、党員、党友こぞって参加して決めるという仕組みにやりかえましょう、こういうことに尽きるわけであります。

 そこで、派閥の問題というのは、私も随分うるさく言うのですけれども、なかなかこれは実績が上がらないで申しわけないと思いますが、これはしかし非常に根本的な問題なんで、私はうまずたゆまずこの問題を推し進めてまいりたいと思います。

 それから党員の拡大、つまり開かれた自由民主党体制、これは党員がとにかく拡大いたしまして、百三十三万人党員を数えるに至っておるわけであります。非常にこれは前進をいたしました。それから財政を支えるところの党友、これはいま十八万五千人を超えるというような状態になってきておるわけでありまして、大体所期の改革目標が実現されつつあります。

 <自民党総裁選挙は正々堂々と>

 そうして最後の問題であるところの自由民主党の総裁選挙は、十一月に予備選挙、十二月に本選挙ということになってきたわけでありますが、これがなかなか難しいのです。と言いましたのは、公職選挙法というものがないのです。党の規律だけでやってのけるという選挙であります。その難しい選挙を公明正大にいかに秩序正しくやってのけるかということになると、これはさまざまの困難に遭遇するわけでございまするけれども、しかし、これは国民にも公約したという問題でもありますので、何がなんでもやってのけなければならぬ。やってのけなければなりませんけれども、ただいま申し上げましたように、これは正々堂々、秩序正しく、あとで問題が起こるというようなことなしにやってのけるためには、これからもなお大変な苦労が要るわけでありまするけれども、万難を排して国民の期待にこたえるように、政党の総裁の選び方は、あの自由民主党の総裁選挙を見習えというくらいな選挙になり得るように、ということを念願しております。

 そのためには、選挙は十一月のことだ、その十一月にもなりもしない、しかも臨時国会を控えている、シュミット首相が来ようとしている、また●{登におおざと/トウ}小平副主席が来ようとしているそういう矢先に、党内でそういう目的のための運動を展開するなどはもってのほかである。こういうことで、いわゆる凍結令というものを出しているわけであります。十一月になったら正々堂々とやりますが、そういうことで、今日は静かに国務、政務を執行する、それが国家国民のためである、こういうふうに考えておる次第であります。したがいまして、この問題につきましてはこれ以上はもう触れません。ご理解のほどをお願い申し上げまして、久々のごあいさつとさせていただく次第でございます。

 大変ご清聴ありがとうございました。