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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 座談会「円熟の時代を考える」(大平内閣総理大臣)

[場所] 
[年月日] 1978年12月21日
[出典] 大平内閣総理大臣演説集,63−77頁.月刊「文芸春秋」,昭和54年3月号.
[備考] 
[全文]

内閣総理大臣  大平正芳

学習院大学教授 香山健一

放送作家    橋田寿賀子

 人間なんて弱いもの

香山 私は、このところ、毎年、鶴岡八幡宮へ初詣{詣にもうでとルビ}するんですが、統計では国民の七割近くが三が日に初詣されるようですね。

大平 国民の約七割、たいへんな数字ですね。

香山 正月は、除夜の鐘で煩脳を洗い流して、日本人が一年中で一番すなおな気持にかえる時なのではないでしょうか。

橋田 そうかもしれませんねえ。

香山 日本人が、自然体に帰って、すなおな心で来し方、行く末を考えるのが、正月だと思うんですが、最近はそれが正月だけではなくなってきたような気もするんです。

橋田 とおっしゃると?

香山 日本の社会が円熟の時代に移行してきたためか、正月だけではなく、ふだんの暮らしでも、風雅とか、すなおさとか、心の豊かさとかいうものを、非常に大切にするような心境の変化が出てきているのではないでしょうか。

大平 なるほど。

香山 例えば、総理はこういうご発言をされている。「人間なんて弱いもんですよ、愚かでもある。力んでみてもしようがない。淡々と平常心でやればいい、という諦観{ていかんとルビ}です。」

大平 そう、そう。

香山 「が、そこにとどまってはいかん、いずれは枯れる朝顔でも、毎日、水をやる−−そういう気持を大事にしたい。」そうおっしゃっておられるわけですね。私は、こうした総理のお考えが、たいへん自然に、国民に伝わっているような実感を抱いておるんです。

 そこで、きょうは、総理の人間観、人生観を軸としてお話を伺いたいのですが、まず新年を迎えられてのお気持はいかがでしょうか。

大平 いま言われたように、日本人は清潔さというか、純粋さというか、そういうものを常に求めていると思うんですね。初詣、斎戒沐浴{さいかいもくよくとルビ}、禊{みそぎとルビ}といった所作を通じて、一応、罪汚れを洗い落して、新しい汚れのない身となって仕事を始めたい。そういうことを繰り返してきている。だから、これは、歴史を貫いて、ずーっとあるんじゃないでしょうか。その意味で、私どもは、今年も新しい意気ごみで、仕事に打ち込まないといかんと考えております。

橋田 どんな年になるんでしょうか。

大平 恐らく今年もたいへん難しい年に違いないし、あるいはあやまちをおかすかもしれんけれど、まず今年は、そんなことのないようにひとつ全力投球してみたい。これは、私だけじゃなく、全国民がそう考えておられるんじゃないでしょうか。

香山 一年の計は元旦にあり…。

大平 この気持が第一です。が、そうはいっても、弱い人間ですし、あやまちなきを期し難いし、政治にもその限界がある。今年も多分、そうだろうと思うんで、あまり高きを望むよりは、何事によらず、現在より悪くしないように心がけながら、少しでも良くなる道はないものか。良くなることができれば、ありがたいと思いますね。

香山 中庸の心ということですね。

大平 過大な期待はもっておりませんが、現在より何とか良くしたい。後退してはたいへんだ、そこは戒めてかからないかんじゃないか−−内政、外交すべてそう思ってます。

 政治は信頼と合意

香山 どうなんでしょうか、最近は、憎悪と不信と対立の政治にあきあきし、政治にもっと信頼と合意とか、総理の言われる“和の政治”を求める気持が強くなってきているような気がするんですが。

大平 和の政治というよりは、もっと気持に忠実に言えは、納得というか、できるだけこなれた理解、そういうものを通してやらなけりゃならん。

香山 目標を設定して、グイグイ国民を引っ張るよりは、むしろ問題を投げかけて国民と一緒に考える…。

大平 そう、そう。私は、政権をあずかる前から申し上げているんですが、政治はやはり信頼と合意だと思う。大きくは国と国との関係、小さくは夫婦、親子、隣近所をはじめ、いろんな人間関係で、信頼の糸が切れたり、弱まっておればまずそれを繕い、修復していく、その中で納得を求めていく、これが和の政治じゃないか。それを日常実践していかなければと思うんです。

香山 橋田さんはテレビで家族関係を扱われ、たいへん評判ですが、この点は?

橋田 私は、政治に全く関心のない主婦でして、ただ物価が上がらなきゃいいなとか、ためてるお金が目減りしなきゃいいなとかそんなことばかり考えているんです。

 なぜ無関心かというと、今までの方はなにかいっぱいおっしゃるが、このへん(頭の上)を通り過ぎていくだけ、という気がするんですね。人間的魅力がなかった。あまり調子のいいことを言われると、どこまで信頼していいのか分かんないで、とても困っちゃう。

香山 こちらのほうが恥ずかしくなる。

橋田 そうなんです。どうせダメだろうって気がするんですね。

 でも、これは、総理になられた方とか、大臣の人間的なもの、お人柄でずいぶん違ってくると思うんです。政治への信頼度が。

香山 それはそうでしょうね。

橋田 あの方がああ言ってらっしゃるんだから、大丈夫だとか。じゃ、私は家庭でこういうふうに将来を考えていけばいい、というメドが立つわけですね。

香山 そのとおりです。

橋田 ところが、こんど、総理の書かれたいろんなご本を拝見して、なにか人間の痛みというんですか、そういうのをすごくご存じの方だな、という気がしたんですね。

 貧しくていらしたし、坊ちゃんが亡くなられて−−。私、あの話を読んで、すごく泣いちゃったんですけど…。そういう痛みを持ってらっしゃる方が総理になられたということは、私たちにたいへん身近な感じがするんですね。

香山 私もその点は共感を持ちました。

橋田 そういう意味で、人間的に信頼できるということをもっと国民の半分に当たる主婦たちに分からせていただくと、安心して政治についていけるという気がするんですね。

 大平総理は、浮気もなさりそうなタイプではないし…。

大平 アハハハ。

香山 私も政治が三度のメシより好きだというような方はあまり好きになれません。その点、総理は、家庭人、あるいは読書人として、時間をおもちの時の方が、心が安らいでおられるようにお見受けするのですが。

 政界へのキッカケ      

大平 それは非常に買いかぶりでして、私はそんなに偉くはないんです。

 政治は、いわば世の中の錯綜{さくそうとルビ}してる利害を交通整理して、一つの秩序というか、まとまりをもたらす力ですわね。

香山 そうです。

大平 これは出来ばえがいい、思いにかかわらず、この世の中、人間社会がある限りそういう役割が必要なわけです。だから、その役割が他の役割より尊いとか、値打ちがあるというようには私は思いません。

香山 控え目な役割ということですね。

大平 が、これはなけりゃならんものであって、宗教、経済、学問、教育、芸能、文学とそれぞれの世界があるように、政治という世界もあって、それにはそういう役割を果たすものが必要となる。

 たまたま私はほかに能がなく、政治へのキッカケがあって、この世界に入ることができたわけです。

橋田 …。

大平 別に鴻鵠{こうこくとルビ}の志があったわけじゃなくて、「どうだ」「そうだな、それじゃあ、ひとつ」ということで入ったまでのもんです。

香山 入ってみていかがでしたか。

大平 二十数年議席を占め、党や政府の役職もやり、同志もできてくると、私の体は私の体ではあるけれど、半ばは私の体でなくなってくるんですね。

 で、自民党総裁への期待を持ってくれる人もできたし、それを断わることもわがままなことになってきて、それでまあ、六年前に総裁選に出たわけ。落ちましたが。

香山 その時、出た方では総理だけが。

大平 ええ、去年まで総理になれず、残りまして、皆さんのお手伝いをしてました。で、もうこのへんで、私もまあひと味ちがったことをやらさしていただいてもいいんじゃないか、という気持もありましてね。

橋田 成り行きに任せて総理におなりになったけど、なったからには、なんとか国民にしてやりたいという、謙虚なお気持を感じますね。で、私は大いに期待してるわけです。

大平 ただ、あまり、日本民族は「乃公出{だいこういとルビ}でずんば蒼生{そうせいとルビ}をいかんせん」というような大それた考えはないんですよ。コンダクターとして、誤りのないようにやっていくのが任務じゃないか、と思っておるんです。

橋田 なんか私たちは、政治家というと、違う色の人に見ちゃうんですね。

大平 いやあ、政治家も別な人間じゃございません。平凡な人間ですよ。

香山 ところで、三十年代の高度成長期と、いまとでは、国民の暮らしとか、豊かさに求めるものが、ずいぶん変わってきたような気がするんですが、そのへんはどうお考えですか。

 土のにおいがする

大平 確かに高度成長の結果、暮らしがある程度豊かになったと思いますが、といって、いま非常に豊かだということは言えないと思うんですね。また国民の大多数も、「豊かになった」という意識をお持ちだとは考えない。昔よりはまあ若干よくなったが、まだ欲求不満は相当あるように私は思うんです。

橋田 おっしゃるとおりですね。

大平 もっと豊かになりたい気持は分かりますが、いままでと経済の成長が違うので、それはなかなか難しい。そこでこのへんでもう一ペん過ぎ来し方を振り向いて、一応、生活らしい生活にはなったから、まあ物は相談だが、その欲求不満のホコ先をもう少し生活の質の改善とか、ゆとりとか、身心の健康とか、そういう方向に向けてくれんか。

香山 豊かさの在り方というか、暮らしの質−−ですね。

大平 そう、給料もむやみに上げられない状況だとすれば、ご満足ではないでしょうがせめて一つの心掛けとして、生活の質、クオリティ・オブ・ライフなんて、ハイカラなことをこの頃いいますが、そういう内容の吟味をお互いにやってみるわけにはいきませんか、というのが、政治が国民に問いかけている相談だと思うんですよ。

橋田 太鼓をたたくんじゃなくて、説得する政治ですね。

大平 ええ。これでなけりゃなりませんぞとか、生活は、水準も内容ももう相当なところにきましたよ。だから…というようにうぬぼれてはいないですよ。

橋田 そういうことを分かりやすくおっしゃっていただきたいですね。難しい言葉で言われても全然わかりません。

大平 だから政治で非常に大事なことは説得力ですね。こなれた言葉で分かっていただけるようになれば、私はたいへんな政治になると思うんですけとね。

橘田 どうもいままでの政治家の発言は、外国の言葉みたいな感じがして。

 もっともそれはやっぱりお人柄だと思うんですよ。言葉の選び方も大切ですが、あの人が言ったら何となく説得されちゃう、そういうお人柄があるわけですね。

香山 とくに日本人には大事なことです。

橋田 土のにおいがするということは、日本人がすごく大切にしていることだと思う。格好{かっこうとルビ}ばかりいいというのはイヤなんですよ、主婦には。その点、総理には土のにおいがするような気がするんです。そういう意味で婦人層に語りかけてくださると分かるんじゃないかと、期待してるんですけど。

大平 そのように努めます。が、日本語というのはまことに難しい。もう本当にしみじみ感じるな。

橋田 私なんかも台詞{せりふとルビ}ばかり書いて商売してますけと、本当に難しいですね。

香山 言葉の表現力と、言葉以外の表現力の問題がありますね。

橋田 演技力といいますか、例えばいろんな俳優さんが総理を演るとしても、やっぱり大平総理が一番誠実な感じがすると思いますね。その点ではたいへんお得な人柄で−−。

大平 いゃあ。あんまり買いかぶられちゃ困るんで…。

橋田 いえ、買いかぶってはおりません。なにかヤボったいところがいい。

大平 アハハハ。

香山 いまのもたいへん自然体のご発言だと思いますけれどもね。確かに、これからの政治には、良くこなれた日本語による、豊かな表現力が求められますね。

 政治家と小説家と

大平 「政治家は、小説家でなけりゃいかん」そんなことを言った外国人がおりましたね。で、小説は、世の中全体の、人生全体のいろんなことを題材にするんでしょう?

橋田 例えば、テーマがありまして、そのテーマを見てくれる人にいかにうまく浸透できるかという、テクニックなんですね。

大平 それが政治なんですよ。政治家は小説を書けるぐらいの表現力を持たんといけないということです。それに演技力も。

橋田 演技力以前のものも大事ですね。

大平 日本ではまあ石原君なんか稀有{けうとルビ}な例だと思いますけと、英国でもディズレリーなんかはそうですね。小説も書きましたわね。

橘田 フランスではアンドレ・マルロー。

大平 チャーチルもドゴールもすばらしい文学的才能をもっておられた。それで立派な水準を抜けた政治家になることができたと思うんですがね。私も小説を読みたいんですが、時間がなくて−−

橋田 小説読んでも何にもなりませんから、お読みになることはない。やはり総理のヒューマンなお人柄が土台になって、それをどう表現するかというのは、小説読んでも何にもならない。

大平 ならないですか。

橋田 はい。

大平 いや、私はそれを心掛けにゃいかんのかと思ってね。

橋田 いえいえ、総理の人間としての言葉で語ってくだされば、それは小説以上のものだと思うんです。で、小説家でなければならないと言ったその方の言葉は、「人間的でなきゃいけない」ってことだと私は思います。人間が分かる、相手の気持が分かる政治家じゃないと、数字だけの理念だけの政治家になってしまうということではないでしょうか。

 「人間宰相」っていう言葉がありますが、そうなったら、すごく安心という気がする。

香山 「人間はすべて一冊の書物である。ただしその読み方を知っている人にとっては」という言葉があります。

 総理のお書きになったものを読みますと、人間を良く読んでおられる。それがにじみ出ていると思うんですね。小説家も実は人間や人の生きざまを読むことから始まる…。

橋田 そうですね。人間が見えないところに何があっても見えないわけですから。

香山 さっき土のにおいの話が出ましたが、田園都市構想について…。

大平 土のにおいというと、地方農村という感じですが、東京でも土のにおいがなけりゃいかんわけです。人間と土との関係を大事にしないといけないと思う。都市は人工的に再開発をやり遂げて、都市と人間との関係を回復しなけりゃいかんじゃないでしょうか。

 田舎は、逆に都市の持っている教育、衛生、情報などいろんな機能を十分に充足する。中枢神経が東京だけにあり、他の地域はすべて手足だという在り方は自然ではないばかりか、安定性を欠いているし、民族の将来からすると非常に危険なものになっとるんじゃないか。

香山 近代化百年、新しい発想が必要ですね。

 田園都市の意味

大平 だから全国にできるだけ平均的な厚みを持った、いろんな機能が一応充足した生活空間をずーっと作りあげていく。

 それもすぐにどうこうというのではなくて、民族の追求すべき相当長期的な道標として、そういう目標を持ち、じっくりとやっていく。そうした頭にまずみんながなる。

橋田 リトル東京がどんどんできて、文化的にも経済的にもみんなが暮らせるというのが、もう一番の理想ですからね。

大平 ヨーロッパは、都市と森とがちゃんと適当に配慮されている感じですが、これは、相当歴史を閲{けみとルビ}してでき上がっているんでしょう。

 日本は、ここ百年ぐらいで泥縄{どろなわとルビ}式につくりあげた国です。ここらで一ペん踏みとどまってやり直さんと、えらいことになるんじゃないでしょうか。

 むろん、いろんな角度からアプローチしていかなきゃいけない政策課題ですがね。

橋田 教育機関の東京集中とか、お役所や企業の採用方法も変えませんとね。

大平 だからこの病いは重い。

香山 東京でも子供たちが自由に運動できるグランドや公園が欲しいし…。

橋田 ところでゴルフはなさいますか?

大平 やります。日曜ゴルファーで。

橋田 私、ゴルフをなさる方が大嫌い。

大平 どうして?(笑)

橋田 うちのオヤジさんが一所懸命ゴルフばかりやってイヤだから。(笑)それにお金がかかるし、私はもっぱらタダの水泳専門。

大平 アハハハ。しかし野球もきらい、テニスもきつい。が、ゴルフは歩くんですから相当高齢になってもやれるんじゃないですか。それにゴルフ人口も一千万、もうエリートのスポーツじゃないと思うんですよ。

香山 生活が便利になって都会っ子が非常にひ弱になっている、という問題もありますが、やはり教育もこのへんで考えないと。

橋田 家庭教育の問題もありますが、学校も荒廃してますしねえ。

大平 教育というのは、まあ人間に備わった潜在的な能力を引き出すというか、一種の型に人間をはめ込むのではなく、人間それぞれの持っている能力を引き出すお手伝いをするというもんじゃないでしょうか

 だから、もう少し自由にしてあげる面と、もう少し親切でなけりゃならん面と、いまやっていることを一ぺん考え直さなけりゃならん面もあると思うんですよ。

橋田 そうですね。今ちょうど反省期にきているんでしょう。「大学は出たけれど」という時代になって…。

香山 いろんな実験のできる学校をもっと伸び伸びとつくったらどうでしょう。人によって個性の相違があるわけですから。

橋田 各種学校が権威づけられてあるといいですね。

香山 政治が「ああせよ、こうせよ」ではなくて、そういう多様な試行錯誤がのびのびと自由にできるような−−。

大平 それで世界がまたそれを受け入れられるような。まあ、非常に曲がり角にきていると思います。これから急速に変わりますね。

橋田 そう思います。こうみてくると、いろいろな意味で戦後三十年の反省期ですね。いい時に総理になってくださいました。

香山 国際化という面はどうでしょう。

大平 これからはますます国際社会に溶け込んでいかなきゃならんので、教育だけでなく何事もそういう立場で行動する時は考えないといけない時代にきていますね。

橋田 女が考えてるのは、くれぐれも戦争の起こらないように。それだけです。

大平 われわれがこれでいいんだと納得しておっても、国際的な物差しがもう一つあって、その物差しで見直してみる日本人にならんといけないんじゃないかと思います。

香山 日本だけで身勝手な行動をするわけにはいきませんからね。それではこのへんで。

大平 どうぞ旦那{だんなとルビ}さんにはゴルフをやらせてあげてください。