データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 地方の時代(東京12チャンネル「総理と語る」の一部)(大平内閣総理大臣)

[場所] 
[年月日] 1979年4月25日
[出典] 大平内閣総理大臣演説集,402−409頁.
[備考] 
[全文]

内閣総理大臣 大平正芳

神奈川県知事 長洲一二

評論家    高原須美子

高原 統一地方選挙でも地方の時代という言葉がさんざん言われ、これは、長洲知事が言い出されたということなんですけれども、何か言葉の方がひとり歩きしてしまいましたね。地方の時代とかけてUFOと解く、心は正体不明ということなんだそうですが、そこで、まず元祖の長洲知事から地方の時代というのは一体どういう意味でおっしゃったのか、その辺を簡単にご説明いただきたいわけなんですが。

長洲 ネーミングは、確かに私かもしれませんけれども、そういう言葉がはやる雰囲気というか、総理も田園都市というふうにおっしゃっているように、火をつければばっと燃え広がるガスは、日本中に充満していたと思いますね。それで、言い出した私自身か驚くくらい、言葉だけ上滑りする心配もありますけれども、地方ということを私なりに言えば、都会に対して田舎ということもあるかもしれませんけれども、人が現実に働き暮らしている現場という意味では、東京のここも地方だと思うんですよ。そういうものをもっと大事にしなければいけない。

 明治この方、百年余り欧米に追いつこうというので、追いつき型近代化をやってきて、富国強兵とか戦後の高度成長とか、そういう時代は、集権体制でエネルギーを中央へ集めるということで、うまくいっていたと思いますが、ウサギ小屋じゃありませんけれども、もう少し自分たちの暮らしをしっかり見詰めると、そういうことになってきたんじゃないか。

 ですから、私は決して統一地方選挙だから言っているんじゃなくて、日本の社会全体のあり方の問題として、したがって、国政の場でもぜひ考えてもらいたいのですが、これから二十一世紀へ向かう日本国のあり方として、地方ということをもっと大きな軸に入れる必要があるんじゃないかと思うんです。これは一つの仮説ですが、日本のいまの大きな問題としては、国際問題がありますね。やれ資源がどうかというすべて外からのショックで動く世界の問題。もう一つは、都市とか農村とかの地方の問題ですね。だから、国家という物差しだけでそれにすべてを収斂させて考えていたのではもうだめで、世界、国家、地方、あるいは人類、国民、市民といいますか、この三つの物差しを絶えず意識しながらやっていままでの集権的な仕組みを直していくというのが、われわれに課せられた歴史的課題じゃないかと思うんです。

 決して地方自治体が金に困っているから金が欲しいというような狭いことじゃなくて、これから二十一世紀へ向かう日本社会全体のあり方の問題として、したがって、これは、ぜひ国政の段階でもマスコミュニケーションでも、全国的な問題として、一種の新しい文明モデルを日本の中につくる、それくらいの広い視野で地方の時代ということは考えていただきたいと思っているんです。

高原 非常に歴史的・哲学的に考えていらっしゃるわけですね。大平総理の田園都市構想というのも、拝見しますと、そういうかなり長期のしかも哲学的なお考えのようなんですが、いまの長洲知事の地方の時代と大平さんの言われる田園都市構想は同じと思ってよろしいでしょうか。

大平 全く同じですね。さらにもう少し補充して言えば、地方というのは長洲さんも言われたとおり東京にもあるわけで、つまり地方というのは地域的に中央から離れているという意味じゃなくて、一般に対する特殊というか、普遍に対する個性というか、そういうものですね。そういうものをわれわれがものを考える場合には必ず考えて、個性あるいは特殊性を生かすということにならんと本物にならんわけですね。

 長洲さんが言われたように、明治以来、百年余のこの近代化の過程で、特殊とか個性とかいうものにしばらく遠慮してもらって、中央の都合でやってきましたわね。それは、ある程度許されたことだけれども、もうそういう時代は終わったということと、それから戦後大きな民族移動がありましてね、神奈川なんか、ばかに人が集まって困っておられるんでしょうが、その人間の移動に伴って、応急的にいろいろな措置を講じなければならなかったこともよくわかるけれども、ここで本来の姿で一遍この地方の個性なり特殊性を生かして、本当の意味の政治あるいは行政をやるにはどうしたらいいかということを考えなければいかん時期がきたと、そう思って私は田園都市の構想というものをいま提示したんです。

 ただ、これは何か新しい政策をやれというんじゃないんです。いま現にいろいろなことを国もやり地方もやっておりますけれども、そういうようなことを一遍とらわれない立場で見直して、もう少しこの点は進めなければいかんとか、これはやめたらよかろうというようなことを考える考え方の観念をちょっと整理して、それで物差しをきちんとこう持って、それでいまある状態を一遍見直してみようじゃないかと言っているんです。

 だから、みんながいろいろやっておるところへ、今度、新しく大平がまたこんなものを持ち込んできてということでは絶対ない。そんな私は大それたことをやろうとしておるんじゃないので、みんなが一所懸命やっておられる中で、しかし、皆さん物は相談だが、ここは一つこうする方が本当の個性を生かすゆえんになるんじゃないですかと、こんなことをやりおると地方を殺してしまうんじゃないですかと、そういうことを、もう少しみんなが考え直す時期がきたんじゃないですかということを言って、まず、スタートラインに立っておるところですから、いまから進めていかなければならんことです。

長洲 まったく総理のおっしゃるとおりだと思います。やはりそういうひとつの文明観に基づいて、歴史的課題として、ぜひ、地方のあり方をとらえていただきたい。一遍にできるとは思いませんけれども、いままでのように画一主義じゃなくて……

高原 そうですね、日本どこへ行ってもまったく同じということでは……

長洲 ミニ東京、プチ銀座みたいでつまらないですから、やはり、個性と多様さと自律というのを中心にした社会の仕組みを、これから十年、二十年かけてつくっていくという、そういうことをぜひ考え方として確立したいと私は思います。

 それともう一つは、今回、これだけ地方の時代という言葉が普及したわけですからね、みんな政治家も言いますし、マスコミュニケーションも全部いっせいに取り上げてくださった責任があると思うんですよ。私も責任がありますけれども、総理も責任がある。だから、一歩でも具体化へのステップをやはり踏み出さないと。これCMソングみたいに消えてしまっては困る。

高原 そうですね。キャッチフレーズだけで終わってしまってはね。

長洲 そういう点で考えますと、私はやはり総理にもよくお伺いしたいんですけれども、田園都市といっても、それは何かこう工場と緑があると、それは大変結構なんですけれども、そういう物の面よりもそういうものをつくり出していく仕組みですね、行政なり政府なり経済なりのソフトウェアというんでしょうか、仕組みを直さないと、何か田園都市づくりというので中央の政府がプランを立てて、どこに何カ所つくると、そうすると、自治体の方は早く指定してもらおうというので、東京に陳情に馳けつけて補助金をつけてもらってやるというのだと、つまり、列島改造論にちょっと植木をつけたという形になっちゃいますね。私、地方のエゴで言っているつもりはありませんけれども、地方の自発性が生きるような仕組みですね、これを何かの形で制度としてつくらないと、かけ声だけで終わるんじゃないかと思いますね。

大平 それは、仰せのとおりで、京に田舎ありと言いますが、東京に、このごろ外国の方々がみえても、私も大勢お目にかかってますけれども、非常に東京に魅力を感じると言われるんですね。クリーンで、あまり騒音が激しくなくて、緑が多くてすばらしいと言われるんですね。この良さというのは、やはり守っていかなければいかんし、情報であれ、文化であれ、都会の持っておる活力をどうすれば田舎に身につけてもらえるようになるのか、そのあたり、田舎は田舎で考えてもらわなければいかんが、いまやっておることはそういう方向から言うと逆行しておるんじゃないか、これはもっと見直さなければいかんのじゃないか、そういうことをいま選別をする時期じゃないかという点が、先ほど申しましたところですね。

 同時に、要するにそれは実行しなければいかんわけですから、実行するにはそれだけの財源が要るし、それだけの行政力も技術力も情報収集力も全部考えてやらなければならんわけで、それは、私の方の責任でして、とりわけ、中央・地方を通じての財政のあり方については、財源の徴収の仕方から始まってその配分のやり方まで、これはそういう観点から、まず見直して改善にかからなければならんことだと思います。それだけの用意をした上で、これはやはり一つ一つ改善に取りかかっていくという壮大な、これはいまからの仕事ですから、それをどこまでできますかね。まず、ここまではやり遂げたと、その次は長洲さんにしても、私にしても、次の方々に、ここまではやったからその次はひとつ頼みますよと言いたいものだと思っているんです。

長洲 私の知事としての体験から申しますと、国家の財政が地方のそれ以上に、非常な危機だということは、私は経済学者だからわかりますから、ただ、金よこせということだけ言ってても、説得力がないと思うんですよ。ただ、いまあるお金でも、もう少し使い方を地方の時代的にやればもっと生きるんじゃないか。たとえば、よくわれわれは議論するんですけれども、国からの補助金ですね、これをただ増額してくれ、増額してくれと言うだけでは、国民も納得しないと思います。ただ、補助金の使い方をいちいちいまみたいに一件一件審査して、しょっちゅう東京の役所に日参して……。

高原 全部中央のひもつきでくるわけですね。

長洲 だから、私よく冗談に言うんですけれども、多少誇張ですが、百万円の補助金をもらうために、人件費が五十万かかって、交通費がニ十万かかって、紙代が十万かかって、残るは二十万だと、こういう仕組みですね。これは知事会のある調査があるんですが、ある県で国道の改良事業を県が引き受けてやるのに、協議会数が一年間で九十七回、県の職員の出張が県内二百六回、上京のため三十八回、こうなんですからね。だから、本当にこういうのをたとえばひもつき一件審査じゃなくて、枠にして総合補助金制度にすると言えば、同じ百万円がそのまま生きてくる。こういう仕組みの改善は、これは別に増税しなくてもできるわけです。こういう点で、これは私たち自身もその気になりませんとね。口ではえらそうに補助金を整理しろと言いながら、実際には総理のところなんかへいって補助金下さいよと頼み込む、そういう矛盾した行動を自治体側もやってます。それから、中央官庁にも縄張りがあるし、国会議員もやはり補助金を取ってくるということが地元へのサービスになっているし、それから、団体といろいろ抵抗があって一挙にはいかないでしょうけれども、漸次総合補助金化していくというようなことで同じ金をもっと効率的に使い、総理のおっしゃるようにチープガバメントにしていく。私はかなりそれは改善できると思いますね。それをやっただけでも、これは画期的なことになるんじゃないかと思います。

大平 やらなければ申しわけないと思ってます。私たちこれをいつまでにこうやります、ああ、やりますと言うて、いままだ大きな口たたくほど自信ありませんけれども、早速取りかかっておりますので、漸次やるところを見ていただいて批判もしていただき、また、相当われわれを鞭撻していただくというようにお願いしたいものだと思ってます。

長洲 それと、総理にこんなところでお願いしちゃ申しわけないんですけれども、私どもの方でも、県から市町村に少し権限を移譲したいと思っておりますが、これも県が一方的にやったんじゃ受け皿の市町村の方が困りますから、協議しながらいまやっておるわけです。お互いに理解し合って、じゃあ、この仕事は現場の市町村におろしましょうと、そのかわり必要なお金はみましょうという形ですね。ですから、国と地方との関係についても、私はぜひ話し合いの場所が、テーブルが欲しいんですよ。

 今度、地方制度調査会が秋に国と地方との事務配分について、大変いい答申をお出しになるそうで、これは、ぜひ総理に実現していただきたいと思いますが、実際に法律なんかでも地方に影響あるのが、全然私ども口を出す暇なしに国会で決まっちゃって、仕事だけおりてくるということがありますので、もちろん自治省はしょっちゅう相談に乗ってもらいますが、自治省というんじゃなくて、政府と地方、知事会をはじめとして地方六団体でも結構ですから、内閣と地方団体の代表が、ときどき相談をするテーブルがあると、私どもわがままを言うつもりはありませんので、かえってもぐって陳情するみたいなことじゃなくて、そういうオープンの場でやるテーブルをつくっていただくと、大変進むんじゃないかと……。

大平 地方のためばかりでなく、国全体としてもチープガバメントになるようにしないといけないし、それは、国民にこたえなければいかんわけで、地方と中央とでキャッチボールしておるだけではいけないので、国全体がやはりチープガバメントというか、行政経費がうんと節減になるような方向にもっていかないと相済まないと思ってます。