データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 座談会(日本テレビ「総理と語る」),大平さんの東京サミットレポート(サミットに関する部分)(大平内閣総理大臣)

[場所] 
[年月日] 1979年6月30日
[出典] 大平内閣総理大臣演説集,219−226頁.
[備考] 
[全文]

内閣総理大臣    大平正芳

日本商工会議所会頭 永野重雄

服飾デザイナー   森 英恵

 −総理は、今度の各国首脳、それぞれ印象をお持ちだと思うんですけれども、ひとつそれを紹介していただけませんか。

大平 元首が二人おられましたね。ジスカールデスタン・フランス大統領とアメリカのカーター大統領、二人とも五十三、四歳ですわね。分別盛り、働き盛り。そして、その二人にドイツのシュミット首相が加わって火花を散らす大激論を拝聴させてもらいましたが、おもしろかったですね。全然遠慮しないで、ファーストネームで呼びあって、その場にいたたまれないような勢いでやっておるかと思うと、その問題が済むとまたけろっとして、ヨーロッパ人のああいう慣行というのはすばらしいと思いました。

 −総理にはファーストネームでは向こうは呼びませんでしょう。

大平 それは呼びませんね。

 −やはりプライムミニスター大平……

大平 そうです。

 それからサッチャー首相は非常に美人でもあるし、すばらしい頭脳の持主ですね。おっしゃっておることに全然むだかない。立て板に水を流したようにお話しになるけれども、あれはそのまますばらしい文章ですね。イントネーションもびしっと決まっていて、鉄のような強い意志をもった方だと言われておりますけれども、女の宰相と言われるのを非常にきらって、大英帝国の総理大臣であるという誇りと自信をもっていて、すばらしいですね。

 それからクラークという四十歳のカナダの宰相は大変魅力がありましたね。非常に素直な人で、みんなに好意をもって迎えられたんじゃないでしょうか。

 イタリアのアンドレオッチという人は、非常に謙虚であまり出しゃばらない方ですけれども、しかし、主張するところは主張し、イタリアの国益をちゃんと守っておる。限界を心得た人ですね。

 −どうですか、永野さん、このサミットを振り返られて大平総理評を一つ。

永野 私、正直言いまして、お世辞でなしによかったと。今度参加されたのは、日本にとってよかっただけじゃなくって、アジアにとってよかった。今度あれだけの大国のトップの人たちを日本の東京にきてもらって、堂々と意見を主張したというのをアジア人全体から見ても、われわれの仲間である日本人の大平氏がやったんだというので、決して色の区別などはなくて、ここまでやれるんだという自信をもってくれたであろうし、その意味で喜んだんじゃないでしょうか。だから、いろいろな意味で、私は、非常に良かったと思いますがね。

大平 おいでになった方々は、日本人というもののもつデリカシーというもの、出される食事の味、それからいろんなことに関する細かい配慮、警護も非常に厳重で過剰警備だと言われましたけれども、まあそこは非常に安心しておられる。その日本人の持つすばらしさ、それはみんな一様に評価していましたね。

 それから、皇居においでいただいて両陛下にお目にかかられて、一緒に写真もとられたりお食事も召し上がっていただいたわけですけれども、陛下にお目にかかったということが非常に感激だったようですね。陛下もまた非常によくお勤めいただきましてね。二、三時間、皇居ですばらしい時間をもつことができたということを非常に喜んでましたね。だから、日本というのは、全体として捨てがたい良さをもった国じゃないでしょうか。

 それから皇居のつくり方が清潔で、あまりごたごたつくってないんですね。非常にこう簡素なつくり方でしょう。清楚という感じね。それからそこに置いてある置物とか額とか生花とか、そうたくさんはありませんが、実に清楚な感じ、清潔な感じ、それがたまらなく魅力的だったようですよ。

 −私は二十九日のお昼でしたかな、昼食に皆さんをお誘いになられるときに総理の様子を見ておったんです。二十八日の日は背広がきちっとしていまして、まあ正直言うと大平さんらしくなかった。二十九日の日は本当に大平さんらしかったですな。相当にやはり乱れてましたよ。後からわかったんですが、二十九日の日というのは大変だったそうですね。ひょっとすると日本が孤立するんじゃないかというような状態だったように聞きましたが、その辺はいかがですか。

大平 それは孤立するというか、つまり各国とも一九八五年の輸入目標を数字であらわすと言うんですよ。私どもは、そんな余裕はありませんし、今年、来年どうするかが大変なんでしてね。そして、八五年をいまの水準で押さえ込まれるというようなことになると、この日本は成長盛りの子供みたいなものですからね、これから相当大きくなるのに、そのときに着る着物はこれだぞと示されるようなものですから、それではぼくの内閣もたんと、そんなことでは日本に経済的な混乱が起ころかもしれないと、下手なことをするとパニックみたいな状態が起ころかもしれんというようなことをいろいろ考えておりましたが、みんな自信を持って一九八五年のところでどれだけと言うでしょう。こっちだけが何か蚊屋の外なんですね。

 それで、私は、彼らにどうしても数字を出せと言うなら相当大きな数字になると、日本だけがよけいやられたんじゃ困ると言うに違いないし、出さないとならば、この東京サミットはもう失敗でここでもう壊れてしまうので、実はいまもうここで皆さんと一緒にご馳走食べているんだけれども、それどころでないんだよというて話しおったんですよ。そうしたら、そう心配せんでまあ適当な数字出しておきなさいよというようなことですね。しかし、どこまであなた方が承知ができるかなあ、そこを見きわめるので、いままだ非常に胸がつかえておるんだがなと言ったわけですよ。

 しかし、一応日本の置かれた状態というのを分かっておってくれたんでしょうね。それで、本会議になりまして、私がいよいよもうこれで日本はいくと決心したからご理解を求めるとやったら、真っ先にカーターさんが賛成してくれて、ジスカール大統領もシュミットさんも、皆それでわれわれは異存ないと、こう言うてくれたんですが、ほっとしましたね、私は。あれが確かに一日当たり五百四十万バレルとか五百五十万バレルとかと出したら大変だったと思う。

 つまり、いまの水準で押さえ込まれてしまうと、日本は石油の生産国じゃないんだから。ECには北海油田というのがある。サッチャーさんの足元にあるわけで、あれがクッションになってリザーブになっておるわけですからね。アメリカ、カナダは、まあ老いたりといえども油田をたくさんもっておるわけですからね。それから、ほかの代替資源も石炭はたくさんもっておるし、オイルサンドとかたくさんあるでしょう。日本は全く何もないんだから。

 それで、石油から脱却してほかのエネルギーに頼るだけの時間がないと困るし、その間にそれを必ずやり遂げていく自信がなければならんのに、八五年はこれだぞと決められてしまうと、これは全く動きがつかないよと思ってね。

 それで、あの日はサミットと言うけれども、二十八日の昼ね、三時間ほど昼食を食べながら、ごくお粗末な食事であったんですけれども、それをいただきながらホットな議論が始まっちゃって、それで時間がたって、もう本会議に行きましょうと言っても、いやここでやればいいというので、それで四時までやって、それと翌二十九日の日本料理を差し上げた、日本間の方でやったのと、この二つが山だったような感じがするな。

 −まあとにかく日本の必要な分量・具体的に言えば新経済七ヵ年計画の量は確保されたということですが、産油国も油がなくなれば非産油国になるわけで、これと先進国が一緒に代替エネルギーの開発をやるというような議論はなかったですか。

大平 いや、それはやるんです。OPECの方に代替エネルギーの開発で協力してますわね。サウジなんかでも原子力の開発その他始めていますわね。だから、それはおっしゃるとおりですよ。もう全世界的な課題だから。

永野 世界的な共通の大問題を論議する性格のはずのサミット会談というので、石油問題にあれだけのウェートが置かれ時間がかけられ、それからいまおっしゃったような激論があったということは、結局将来の子孫の時代まで含めてこのエネルギー問題がこれだけ大事なんだと、そのための対策をこれからスタートするということだったと私は思うんです。そこで総理にお願いしたいんですが、技術の研究のために予算をそれに十分に裏づけをするとかいうような問題も、ぜひ一つ指導を願いたいと思うんですがね。

大平 それはね。一つは石油のエネルギーというのをだんだん減らしていってほかの方で代替させていく。石炭で、あるいは原子力で、まあ水力、地熱なんかは限度がありますけれども、いろいろな手だてを講じてやることと、それからエネルギーの節約と効率的な使用、そういうようなことをまずやることが第一だが、やはりわれわれの生活が石油の中にどっぷりつかってしまっておること、石油がいつまでたっても安かったために、これが問題だと思うんですよ。

 この間調べてみますとね、石油価格は、一九三〇年から全然変わってませんね。二ドルニ、三十セントでずっとついこの間まで、およそほかの物価は上がっておるのに石油だけは不思議に安定した値段だった。それだから、みんなこれなら大丈夫だというので、石油依存に産業も生活も変わってしまったんです。

 ところが、これは、空気みたいなもので、おとなしいときには空気なんか気がつきませんけれども、嵐になると、これが急流のようになるのと同じように、こうなってくると、石油というのはえらい問題になる。困りましたね。

 −森さんのデザインの中には、かなり化学繊維を基礎にしたアイデアが多いんでしょう。

森 化学繊維は、もともと自然繊維を補うためにつくられたものですけれども、安いということのほかに、しわにならなかったり、扱いが楽だったり洗濯が簡単だったりということで、すっかりとっぷりと私たちの生活の中に入っております。

 ですけれども、化学繊維でなくてもいいものもたくさんあるわけですから、もう一度このあたりで自然の繊維というものを見直して、化学繊維の丈夫さが必要なものにだけ化学繊維を使って、もう少しどんどん着捨てていくという生活から……

大平 その切りかえですが、これは、産業界も一般の消費者も同じなんですけれども、あまりこれはえらいことだと思わないで、ちょうど夏が過ぎて秋になれば、秋に応じた着物を着るように、世の中が変わってきたら、それに対してわれわれも生き方を変えるんだと、これは当然のことだけれども、やる以上は明るく愉快にやろうじゃないかと、そういうふうにぼくはやりたいと思うんです。

永野 私はね、今後、論議され、決定された八五年の日本の数字、これでやりようによってはやれると思うんです。これ幾らよこせという交渉のときは、先ほど来ほかの元首の例が出ておりましたけれども、それは大平総理にまだまだこの方法でと言うことがあるかもしれませんけれども、これで決まったら、今度は、国民に対して、これでやろうじゃないかという決意をお述べになればよろしい。

 いまおっしゃるように、私は、数年前に石油がいまの値段になったときに、これはもう日本の経済は破域だと、えらいことだと思った。しかし、かなり苦労はしましたけれども、とにかくあの苦難を三年ぐらいのところで克服しましたね。今度の問題は、あの克服した苦難のことを思えば、腹を決めればやれると思いますがね。また、やれなければいかん。

 −永野ドクターのご診断がありましたから、総理、これは安心していいですね。

大平 この前、石油が四倍の値段になったときに、私は、世界はこんなに石油が四倍にもなっては大変だと、日本のような国はみずからの石油資源を持ってないんだから、これはもう恐らくまいってしまうんじゃないかと日本人自身も考えたし、よそから見ている方々も世界の諸国民がそう考えただろうと思うんですよ。ところか、この四年間の経過を見てみますと、ちゃんとできたんですね。えらいものだと思うんです。