[文書名] 大平正芳内閣総理大臣のメルボルンにおける演説
—太平洋時代の創造的協力関係—
フレーザー首相閣下
御在席の皆様
1 このたび,私は貴国の御親切なお招きにより,8年ぶりに豪州の美しい風物に触れることができました。キャンベラにおいては,フレーザー首相閣下をはじめ豪州首脳とのきわめて実り豊かな友好的な対話を交わす機会を,また,本日,ここメルボルンにおいては,豪州指導者の皆様を前にして,国民の皆様にお話する機会を与えられました。これは私の深く喜びとするところであります。
また,到着以来,私ども一行は,豪州国民の皆様から心のこもつた歓迎とおもてなしを受けました。この場をお借りして,深甚な感謝の意を表明いたす次第です。
フレーザー首相閣下
私は,本日のこの機会に,100年余前に始まり,とりわけこの4半世紀ほどの間に目覚ましい発展を遂げた日豪関係が,1980年代を迎え,さらに21世紀に向けて,いかにあるべきかについて,私見を述べたく存じます。
2 2日前,日本を発つたとき,東京は厳寒の冬でありました。豪州に着いたとき,キャンベラでは陽光のまばゆい真夏でした。私は,この季節の差とともに,いまさらのように,豪州と日本との大きな違いを感ぜざるを得ませんでした。わが国は,1億の人口が狭い国土にひしめいている島国であります。豪州は,1400万の国民がわが国の20倍の面積の国土に住む農かな自然に恵まれた大陸であります。両国は人種,言語,文化,歴史的伝統も大きく異なつています。しかも,両国の間には,広大な大洋が横たわつています。
にも拘らず,この2つの国は,今日互いになくてはならぬ国となりました。すなわち,過去20年間に,年間の往復貿易総額は20数倍という飛躍的な増大ぶりを示しました。鉱物資源,特にわが国が輸入する石炭と鉄鉱石については,その半分近くが豪州からのものであり,食糧についてもわれわれは大きく豪州に依存しています。その結果,わが国は,今日,豪州の最大の貿易相手国となりました。
とくに最近の石油危機によつて,ウラン,石炭,天然ガス等に恵まれた豪州は,今や世界有数のエネルギー資源大国となりました。エネルギー資源の大部分を海外に依存するわが国としては,フレーザー首相はじめ豪州の首脳が,機会あるごとに,「豪州は今後とも安定的なエネルギー供給国としての役割を果たして行きたい」と表明されていることに,非常な心強さを感じております。
3 私は,8年前に第1回の日豪閣僚委員会に外相として訪豪した際,両国間の貿易の急激な発展について「このような急激な変化においては,往々にして摩擦や歪みが生じがちなものである」ことを懸念し,双方の努力が必要であることを申し述べました。幸いにして双方の努力の結果,いくつかの障害を乗り越えて今日の如き成果に達し得たことを心から喜ぶものであります。
この背景には,両国の貿易構造が相互補完的な関係にあつたことにあることは多くの人の指摘するところであります。が,同時に私は,日豪両国が,ともに自由主義経済体制をとり,国民が平和と民主主義を愛する点で共通していたことも重要な要因であつたと思うのであります。そしてまた両国は,科学技術の面でも,教育水準の面でも,ほぼ相等しく,また,共通の価値観を追求する点においても相通ずるものがあつたからだと考えます。
この会場にお集まりのすぐれた指導者の方々は,以上のような事実を十分ご承知のことと思います。しかし率直に申すならば,残念ながら,多くの日本人にとつては,豪州はまだ遠い国であり,また豪州の国民の中にも,日本を未知の国とし,あるいは,過去の不幸な戦争の記憶をお持ちの方も多いと承知しています。私は,この機会に,わが国が戦後,世界で唯一の戦争を放棄した憲法を持つ国であり,いかなる国際粉争の解決も武力によらないことを国是としており,そして国民のほとんどすべてがこの国是を堅持することを望んでいることを申し上げておきたいと思います。
4 国と国との友好関係は,物的基盤のみではなく,国民と国民の間の相互理解を土台にして構築されねばなりません。この相互理解が行き届くならば,多少の経済上の利害対立は,必ず解決できるのであります。この観点から,日豪両国政府は,1974年に日豪文化協定を締結し,これに続いて日豪文化交流計画を実施しました。また,75年には,豪側において豪日交流基金が設立され,77年には日豪友好協力基本条約が結ばれたのであります。
私は,これらの積み重ねをふまえ,80年代においては更に幅広い重層的な交流の一層の強化促進に努力し,良き隣人としての関係のきずなを強めることに全力を注いでまいりたいと思います。
5 フレーザー首相閣下,私は,ここで,日豪両国関係の未来にとつて,本質的なかかわりを有するアジア太平洋地域における多角的な協力関係の展望について申し述べたく思います。一昨年,私は総理就任の際に政治理念の1つとして”環太平洋連帯構想”を提唱致しました。
まず,私は,現代の国際社会を特徴づける最も主要な傾向を”相互依存の深まり”として捉えたいと思います。今日,われわれが住む地球は,共同体としていよいよその相互依存の度を高め,ますます敏感に反応し合うようになつてまいりました。この地球上に生起するどのような事件や問題も,またたく間に地球全体に波及し,地球全体を前提に考えなければ,その有効な対応が期待できなくなつてきました。この傾向は,政治,経済,社会の分野に止まらず,文化や国民心理の次元にまで深く浸透しております。
このような相互依存の深まりの中で,近年,環太平洋諸国間における友好と協力の関係は著しく前進しました。
今日これらの地域には最もダイナミックな経済が営まれ,多彩な文化が華咲きつつあります。
しかも,これらの国々をへだててきた太平洋は,様々な交通通信手段の発達によつて,安全で,自由で,効率的な交通路と変わつたのであります。かくして広大かつ多様な太平洋地域は,歴史上はじめて,1つの地域社会となり得る条件を持ちました。
しかしながら,過去の地域的な協力の多くが,共通の言語,共通の文化,共通の伝統等の同質性を軸として,その絆を強めてきたことを想起するとき,多種多様な文化的,歴史的背景を持ち,経済発展の段階も異なるこれら太平洋諸国の間に,果たして,新しい協力関係,それに基づく新しい文明が創造され得るかと問われるかもしれません。
私は,このような困難な課題を解決しうる手がかりは,次のとおりであると考えます。すなわち,それは,各国の文化的独自性と政治的自主性を理解し,信頼しつつ行われる地域協力であり,かつ地球社会時代にふさわしい開かれた地域協力であると考えます。また,環太平洋諸国の連帯は,そのような意味から言つても,決して排他的なブロックの形成を目指すものではありません。太平洋諸国のためばかりでなく,人類社会全体の福祉と繁栄を最大限に引き出すことこそ,その最終的な願いなのであります。
私は,このような構想を胸に抱きつつ,関係諸国の首脳と接触してまいりました。
フレーザー首相閣下とは,昨年5月マニラにおいて,また今回の豪州訪問において,これからの問題につき意見を交換しましたが,首相閣下は,きわめて深い理解を示され,私は,意を強くしたのであります。
現実に,日豪関係は,もはやバイラテラルな関係のみではなく,アジア・太平洋地域という観点からも論じられるようになつております。私はこのたびの豪州訪問によつて,日豪両国の友好促進による両国の利益が,環太平洋諸国の利益とかなうものとなることを強く確信するようになりました。
6 さらに私は,日豪両国が,太平洋地域の連帯について,とりわけ重要な役割を果たし得るのではないかと考えております。
すなわち,第1に,日本人は,長い間東洋の偉大な精神文化の影響の下に独自の創造性を培い,その力をもつて,明治以後100年余の間に,西洋の文明を十分に消化吸収することに成功した民族であります。
また一方,豪州の国民は,西欧にその人種的,文化的起源を有しつつ,アジア・太平洋地域の新大陸に作られ,そしてアジア・太平洋という新しい環境に対する高い感受性と理解力と創造的な適応力を示してきた民族であります。さらに,豪州は,100カ国以上の国をその母国とする人々によつて成り立つていると伺つております。このような多様な文化と,人種グループの存在が,豪州社会における対立や緊張につながることなく,むしろ多様の中の統一を維持し,豊かでダイナミックな豪州独自の文化創造への推進力となつていることは,刮目すべき事実であります。
わが国も豪州も,国民のたくましい活力によつて,歴史的に見れば,ごく短期間に,この偉業をなしとげました。しかも,両国は,太平洋圏の南と北の枢要な地点にあります。このような両国の特性に鑑みるとき,日豪両国は,新しい太平洋文明の創造の重要な担い手となるべき国であり,その両国の友好の深まりは,必ず,太平洋地域の連帯による安定と平和と発展と充実を促進させるものと信じてやみません。
以上申し述べたことは,一言で言うならば,”太平洋時代の創造的な協力関係”の構築とも申すべく,その実現は1つの世界史的実験と言つても過言ではないと考えます。
フレーザー首相閣下,ならびに,豪州の国民の皆様。
われわれに課されたこの課題に,手をたずさえて挑戦しようではありませんか。もし,ご同意をいただけるならば,私の豪州訪問の目的は十二分に果たされたと考えます。
7 本日,豪州への公式訪問を終えるにあたり,この美しく,かつ由緒ある古都メルボルンを訪れることができましたことは,私にとつて無上の喜びであります。
メルボルンについては,1956年に当地で開催されたオリンピックを通じ,我国国民にもあまねく知られております。また,今からちようど1世紀前の1880年に,この地で開催された万国博覧会にわが国が参加致しましたことは,初期の時代における日豪関係の一里塚として想起されるところであります。本年再び,当地で,この1世紀を記念する国際博覧会が開催される予定であり,我国も参加することを決定いたしております。私はこの記念すべき年に,日豪関係史上重要な足跡を残したこの地を訪れ,この都市の殿堂たるナショナル・ギャラリーにおいてお話する機会を与えられ,まことに光栄に存じております。
数日後,私は,再び,あの広大な太平洋の上空を飛んで,日本へと帰ることになります。この大洋が,文字通り,”平和の海”として,諸国民を平和と調和の中に結びつける紐帯となることを願つて,私の講演を終わりたいと思います。
ご静聴ありがとうございました。