[文書名] 対談「調和の国日本に」(大平内閣総理大臣)
内閣総理大臣 大平正芳
上智大学学長 ヨゼフ・ピタウ
自由で秩序のある国日本
ピタウ 外国で、日本について、講演とか、あるいは記事を頼まれる時に、経済発展とか経済成長について、私は、あまり話さないのです。なぜかというと、全世界で日本の経済的な成長のことはみんな知っているんですが、しかし、私は、経済成長よりももっと大きな奇跡が行われたと思うからです。
十八世紀のイギリスの国会議員で、また政治思想家でもあったエドモンド・バーク氏は、次のような言葉を言ったんです。政府をつくるのには、これという慎重な思慮深さは必要としない。なぜかというと、権力の座を確立すれば、また服従を教え込めば、それで行政的なことは十分だ。また、自由だけでも確立しようと思うならばなおさら簡単だ。勝手気ままにさせておけばそれでいい。しかし、自由と政府をともに確立するのは、この世でいちばん難しいことだ。制約と自由、行政と自由、相対立するこの二つの要素を調和的に一貫した制度に合わせるのはなかなか難しい−−と。
そこで、私にいわせれば、日本は、ほんとうに成功しました。
大平 二つを調和させるという意味ですね。
ピタウ ええ、日本は、この自由と秩序を一緒に合わせた国です。全世界を見回しても、おそらく、この二つのことを、こんなに調和的に合わせた国はたぶんないかもしれません。ただ、自由の要素だけを取るならば、たぶん、アメリカは日本よりも自由であるかもしれない。しかし、秩序はそれほどでもない。秩序だけを取るならば、ソ連とか共産圏、あるいは独裁的な国家では、たぶん日本よりもまとまっているかもしれない。しかし、この二つを調和的にきれいに合わせた国は日本だけだろうと。
その意味で、私は、外国に日本を紹介する時に、いつもこの奇跡から始めるわけです。
大平 なるほど。
ピタウ 私も、外国人で二十八年間、日本にいて、一回も不愉快な体験をしたことはありません。夜でも昼でも歩いて、まあ危険はございません。また、全国を何十回も回ったんですが、一人でも、あるいは他の人と一緒でも、たとえば身分証明書を出さなければならないことは一回もございませんでした。
外国へいったら、国内便に乗るためにも、いつも身分証明書を出したり、あるいはパスポートを出させたりしますが、ここはそんなことはありません。その意味で、政治社会としても、日本は、ほんとうにすばらしい発展成長したんじゃないかと私は思っています。
大平 うん、うん。
ピタウ もう一つ、言うなれば難しい点は、自由と平等で、自由を強調するところで平等は弱くなる。平等だけを強調するところでは自由は弱くなる。しかし、日本はちょうどうまいぐあいに自由を守りながら、社会福祉的な平等も図ってきた。
二年前のことでございますが、私の母校であるハーパード大学の学長がきて、「日本はふしぎな国ですね」とおっしゃるんです。みんな、日本は社会福祉は遅れているといっているのに、「平均寿命はもう世界一ぐらいですね。幼児死亡率も最低、また犯罪の面でもいちばん少ない」と。
総理は、長い間、日本の国の運営にご参加なさって、大きな貢献をなさったんですが、この“自由と秩序”で、ご意見をお聞きしたいんです。
伝統と変化を同時進行させる民族
大平 日本人の政治的な能力というか、調和を保つ能力に高い評価をしていただいて、たいへんにうれしいやら、当惑するやらでございます。仰せのことは、確かに一面でそのとおりだと思います。日本は、秩序と自由というものがほどよく同居して、あまり摩擦を起こさないでやってきている国じゃないかと思います。
しかし、先生がいまご指摘になったように、自由の点からいうと日本より優れた国もあると。また秩序の点から見ると、日本より優れた国もあるけれども、両方をうまく調和をとっている国は少ない−−ということでございますが、われわれが師と仰いでおるヨーロッパの国々は、生い立ちからいって、環境からいって、協力というよりは激しい対立のなかで、調和というよりは闘争的な状態のなかで生き抜いてきた歴史ですね。
日本の場合、そういうことがなく、海を隔てて大陸から離れた単一の民族が、単一の言語を持って、外からの刺激といえば、仏教でございますとか、儒教でございますとか、明治時代にいろいろ西洋の思想も入ってきましたけれども、日本を土台からやり直すほどの力にならないで、長い間われわれの伝承がどうにか保たれてきたからではないか。つまり歴史の経過がそうさせたのであって、日本人がア・プリオリに、政治的に優れておるといえるのかどうか、私は若干疑問を持ちます。
しかし、人によっては、たとえばオーン・ダモクというような人は、“政治的天才ではないか”というような評価をしてくれる西洋の方もおりますね。確かに、われわれが自覚しないでおるけれども、日本の文化の中には、そうとうすばらしい宝が本来あったのかもしれないなあ、という感じがしないわけではございませんけども。
ピタウ 私も感じているのですが、ヨーロッパは、ある意味において革命によって進歩する。そして断絶があるわけです。日本の場合には、伝統を守りながら改革を行う。あるいは他の言葉でいうならば、保守主義と革命主義を一緒にしたというひとつの伝統があるということですね。その意味でも、“主義”にとらわれないで、国のために必要なものをどんどん受け入れると。
しかも、共同体は生きたものであると考えるから、今断絶して、今までのことを全部捨てるということでなくて、それを活かしながら発展させる。ほんとにすばらしい特徴ですね。伝統と変化を一緒にする。たとえば、明治四年でしたか、官庁で靴をはいて、そして机になった時に、それによって西洋服になったんだから和服は全部捨てたということではないんです。うまく両立して、まあうちに帰ったらちゃんと和服をきて……(笑)、その調和ですね。
大平 そうですね。
ピタウ あるいはパーティに出ると、きれいな着物をきているお嬢さんと、またイブニング・ドレスをきているお嬢さんを一緒にしても決して対立はないんです。その日本人のうまさですか、変化と伝統を合わせるということが、日本の政治の、また日本の社会のひとつの強みであったと言えるでしょうね。
大平 日本には、革命の歴史はなくて、維新があった。エボリューションの歴史はあるけれどもレボリューションはなかったと。言いかえれば、完全な断絶というのはなくて、依然として昨日が今日に継続してますね。それがまあ明治維新もそうだったし、昭和二十年の敗戦の時もそうだったし、溯って大化の改新とみんないいますけども、あれは、少なくとも革命ではなかったということで、これは、日本人の知恵として非常に評価していいことではないかと思うんです。
しかし、人によっては、日本人のなかに革命性がないわけではなくて、そうとう鋭いものがあるのだ、という歴史家もおります。歴史のなかにはそういう動きは見られなかったけども、そうとうあったことはあったのだ、ということをいう人がありますけど、先生はどう考えられますか。今後もこういう断絶を防いで、革命を避けて、日本というのは維新を全うできると思われますか。
社会的平等早くから
ピタウ 私は、そうでなければならないと思いますね。そして今の政治の動きを見ても、いつも弾力的な順応性といいましょうか、それを保つならば……まあ革命で行われることが平和的に行われたら最高だと思いますね。そして、日本人の性質にその弾力性があると思うんです。
大平 なるほどね。
ピタウ ふしぎなことに、外国人が日本にくる時に、最初の印象として、日本人はみんな平等であると。まあ服装も、だいたい同じような着物をきているし、また文化的なレベルもあんまり差はないんですね。そして貧富の格差もそれほど激しくはないですね。まあ日本人でさえも、九〇%以上中間(産)階級であると言っているわけです。その革命は、おそらく明治五年の学制によるものであるかもしれません。政治的な平等の革命はその時まだ行われなかったかもしれないんですが、しかし、社会的な平等の革命は、ヨーロッパよりも早かったんです。その点が日本人の一つの特徴でしょうね。
大平 われわれが小さい時の農村社会で考えてみましても、平等という観点からいうと、地主と小作と言うのは、そうとうの開きがありましたね。ありましたけれども、それでは、生活の実際において非常に違っていたかというと、地主の方々も非常に質素な生活をされて、それからノーブレス・オブリージュというのですかね、公共のために、村のために事あるごとに自分がコントリビューションをやりまして、それで実際は非常につつましい生活をされているのですね。それだからそんなに違和感がなかったのですね。断絶がなかったように思います。
ピタウ 対立はなかったでしょうね。
大平 まあ、私はその当時の都会のことはよく知りませんけども、戦前、若干東京の生活をやってみて、なるほど、資本家というようなものが日本にも若干の芽生えがあったと思うし、一つの財閥ファミリーというような所有の点からいうと、そうとう目立ったものがあったと思いますけれども、しかし、彼ら自身も、どっちかというと田舎の地主さんと同じで、そんなに民衆との間に違和感があったように思いませんね。その点は、比較的よかったように思いますね。
ピタウ たぶん儒学的な影響もあって、金で身分を得られることはないのですね。日本の伝統で、やはり社会に奉仕するということこそ最高の身分である……。
大平 そうですね。だから、日本人は、エコノミック・アニマルだとかいう外国の方々もおりますけど、私どもそう思えないんで、日本人というのは、金をためること、金を持つことをそんなに尊い価値、高い価値、値打ちがあるものとは思っていませんですね。
ピタウ 私も、その印象で、たとえば、アメリカのような資本家、ロックフェラーとか、そのような人は日本にいませんね。
大平 そうですね。
ピタウ 金がもうかったら社会、国のために使うというひとつの伝統があると思うんですが……。
大平 しかし、これは褒めていいことかどうかわからんけれども、たとえば“江戸っ子は宵越しの金を持たん”とかね。あれは貧乏人になるほどまた気前がいいんですね(笑)。それで、明日はどうなるか、まあ明日は明日の風が吹くだろうというようなことで、意外に楽天的なんですね。それで気前よく他人に分かってやりましてね。
そういうところは、先生は、まあヨーロッパのご出身ですけれども、ヨーロッパ人のほうが、生活は非常に手堅いように思いますね。日本人のほうが、比較的そこはぞんざいのような感じがしますが。
ピタウ そのようなことは……(笑)。
世界へ出ていくべき時代に
ピタウ 話題を変えて、私の一つの希望として、これからは、国内のことを考えないで、ほんとに広い心で世界のことを考えなければならない時代がきたと思います。明治維新から今まで、追いつき追い越すという政策で、たいへんだったですね。しかし、もう追いついて追い越したんです、周りの国々を。
そして、こんどは、先生が前におっしゃったノーブレス・オブリージュ。それは今まで日本人に対するノーブレス・オブリージュだけだったと思いますが、これから積極的に(世界に対して)身分から出てくる役割を果さなければならないんです。ただ、経済大国ではなく文化的な大国と。あるいは援助の面で、ほんとうに積極的に、政治あるいは経済援助の大国にもならなければならない時代にきている、という気持ちですが……
大平 それはそのとおりですね。私、今ちょうど自民党の本部で青年の講習会があって、一時間講演してきたんです。だいたい今までの世界が、まあ今でも、主流派というか、やっぱりヨーロッパ系統の方々がリードするというか指導するか、そういう世界で、われわれは、いわばアウト・サイダーですね。中国のようにもう超然として“われは世界である”という、余人を寄せつけない、ひとつの主体性をすでに身につけておった民族もありましたけれども、日本民族というのはだいたいヨーロッパ人の世界のアウト・サイダーとして、まあいわば蚊屋の中に入れないで、蚊屋の外で、世界はヨーロッパ人がやっておるんだから、そんなところへわれわれがあまり口ばしを入れなくてもいいんだということ。また、だいたい皮膚の色も違うし、脚は短いし……。
ピタウ いや、今は長くなりましたよ。
大平 不器用だし、言葉はへただし、もうあんまりそんなとこへ出しゃばらないでもいいではないか、という気持ちが一つ。それからまた、事実そういう力もなかったんです。世界に対して与える力−受けるほうはそうとう貪欲に勉強しましたけども、まだ与えるなんていう力はないものと思っていたけれども、私は戦後、とりわけこの十年余りの間に、日本は、自分でそうとう力を持ったと思いますね。
経済小国ではなくて、経済大国になった。それで先ほども数字でもって示したのですけども、一九六三年に、自由世界だけを見ても、アメリカ経済の持つシェアが四〇・二五から、一九七七年に三六・九、日本は五・四八から九・一四になったんですね。二倍近くになりましてね。アメリカは少しシェアが落ちてきましたし、ヨーロッパ各国は、押しなべてシェアが微減しているのです。日本と第三世界だけが上がっているんです。
これは、棚ぼたではない。日本という国は、世界にとって、世界の経済を支えている大きな力になったということだから、これは、その力量にふさわしい責任を果たさないと……日本がそうなったというのは、諸国民の理解と信頼と協力があったからそうなったんだから、今後はいっそうそうでなければならない。日本は、世界のルールをまず率先して守るべきだし、それから世界に事ある時には、真っ先に奉加帳に一筆書かなければならない責任があるのではないか。そういうことを、今、若い青年たちに話してきたところでした。みんな、へえー、そんなになったんですか、というような顔をしていましたけどね……。
ピタウ 今まで国の発展、そして戦争の失敗があったんだから、二度とそのようなところに入りたくはない、という気持ちもあったでしょう。しかし、もう西洋の世界は終わったと思います。もちろんまだヨーロッパ、アメリカは大きな影響を及ぼすでしょうが、しかし、だれかが西洋と非西洋との間の橋渡しの役割りを果たさなければならないと思うんです。日本は、そこで自発的に独得の政策を打ち出すならば、これからの国際人は、たぶん日本人だろうと思います。西洋のこともよくわかっている。場合によっては、私たち西洋人よりもヨーロッパの歴史とか、アメリカの歴史をよく勉強なさっているわけです。
大平 アハハ、そうでもない……。
ピタウ 反面に西洋人ではない。非西洋文化圏のこともわかっておられるわけです。そこで、もう少し積極的にその媒介の役割りを果たせると思います。私は、ほんとに大きな期待をそこにかけているわけですがね。
大平 そうですね。もうそろそろ出ていってちっともふしぎでない時代になってきたと思いますね。
対外援助と国際化教育
ピタウ そしてみんなから信頼されると思います。積極的に一つの政策を打ち出したら、日本は、もう軍事力で他の国を侵略したりとか、そんなことは全然ありません。そして防衛のことでもいろいろなことを論じられているんですが、「いや、私たちは防衛にあんまり金をかけません。しかし、対外援助のために金をかけます」と、強い声でいっていいと思うんですね。
そして、日本は、今の難民問題を見ても、あるいは国際文化交流を見ても、そんなことをどんどんやっておられるわけですから、こんどは世界に向かって積極的に「いや、これから私たちの番だ」と言っていいかもしれませんね。
大平 このごろ難民問題でも、国連の難民対策に日本はそうとう出しゃばって、「半分ぐらいは持ちましょう」ということで、気前よく出しておるんですがね。ところがこれに対して、国内でそう批判がないんですね。少しやりすぎじゃないか、出しゃばりすぎじゃないか、という声は、どこにも出てこないんですね。これは、やはり、日本人は国際的な責任を果たさなきゃいかん、という自覚は、だんだん出てきておるんじゃないでしょうかね。
ピタウ そうですね。日本人は、初めてこの難民問題を自分の問題にして、政府をはじめ、また民間ベースでも積極的に援助を出すようになったわけですね。
私は、これからたとえば文化の面でも、いろいろな公立大学あるいは私立大学は第三世界の大学と協定を結んで、そして今までの日本の体験をそのまま向こうに伝えるということはできないんですが、しかし、向こうの国々の発展のために役に立つような講座も設けたらいいと思うんですね。
大平 そうですね。
ビタウ そこは、教育の問題になるんですが、教育の面で、もちろん日本は、世界で最高の成長を示していると思いますね。九年間も義務教育で、そして高等学校に進学している者は、九四パーセントですから、もう最高ですね。そこは、これからもう少し国際化時代のための教育……言葉の面で私はあんまり心配しません。英語の力はわりあいにすばらしくなってきましたね。
大平 そうですかね。
ピタウ 他の国と比べても、全然劣らないんですね。
大平 そうですかね。われわれは、これ、もう本質的にだめかなあと思った。
ピタウ いやいや、とんでもない。ほんとうに大きな進歩がございました。だから、言葉よりもこんど意識ですね。日本と世界ということではなくて、私たち日本人も世界の中だと。私たちの文化も世界に紹介しなければならない、と思う若者たちがたくさん出れば、国内だけではなく、世界的な役割りも果たせるんではないでしょうかね。
パターンを世界に示せ
大平 日本の文化というのも、これは、世界の特異な一つの財産ですわね。
ピタウ ほんとうですね。今までおもしろい言葉で“日本には日本文学はない”と言われているんです。国文学があるんです。国語、国技−−いつも自分の国のものとして考えているんです。これからは、やはり、日本の文化も世界的な文化遺産の一つの部分であるのだから、そのよい点を世界に紹介しなくてはならないという気持ちを持った若者たちが出れば、もう少し外交の面でも積極的な面が出るのではないかということですね。
大平 率直にいって、日本が国際的に世界に出ていかなければならない。もう少しお役に立たなければ、もっと溶け込まなければという意味でね。
日本人は国際人
ピタウ 国際性の面でも、大きな進歩、発展がございました。たとえば、日本にこんなに多くの外国人がいて、日本語が全然できないのに生活がどうしてちゃんとできるか。まあ日本人がやはり英語もできるし、また国際人だからですね。そうしないとできませんよ。
大平 親切で温かみのある民族ですね。
ピタウ たびたび言われるのですが、外国旅行に出ると、盗難事件とかいろいろな問題があって、日本に帰ると、もうほんとにいいなあと、外国人もそのような気持ちで日本を褒めているんですね。結局、誠実で、そしてほんとうにオネストですね。
大平 ただ留学とか海外旅行も、もう少し準備をして行けばいいんだけども、すぐもう「それじゃちょっと行ってこようか」というわけで……。
ピタウ まあ、連休などにはね。
大平 スーツケースを持ってすぐ飛び立つから、あれちょっと行く先を少し勉強されて行くと、よほどいいんじゃないか。せっかく貯金ためて(笑)、外貨を払って海外に行く以上は、それだけのものを身につけられたらいいと思うんです。
ピタウ それほんとうですね。もう一つ、帰国子女を活かすということ。
彼らもほんとに国のためにすばらしい貢献ができるんですね。これから主に高等学校、大学は、その帰国子女の問題も真剣に考えるべきでしょうね。
大平 そうですね。そして外国の人々とごく自然に、素直な気持ちで付き合って、“友遠方より来たる”というようになって欲しいと思って……
ピタウ 今日はほんとにありがとうございました。