データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 英国王立国際問題研究所における鈴木善幸内閣総理大臣演説−新たな日欧関係を目指して

[場所] ロンドン
[年月日] 1981年6月17日
[出典] 外交青書26号,400ー405頁.
[備考] 
[全文]

ハーレック卿並びに御列席の皆様

本日,トインビー博士の名とともに世界に知られているこの王立国際問題研究所にお招きを受け,数多くの著名な方々にお話しする機会を得ましたことは,この上ない光栄であります。

この建物は,18世紀の大政治家ウィリアム・ピットに因んでチャタム・ハウスと呼ばれ,その後,ダービー伯及びウィリアム・グラッドストーンの二人の首相も住まわれたことがあるとのことですが,そのように由緒ある場所でお話しする機会に恵まれましたことも,この上ない光栄であると存じます。

去る9日以来,私は,ドイツ連邦共和国,イタリア,ベルギー,EC委員会,そして英国を訪問し,日本と西欧諸国が共に関心を抱く国際問題について,指導者の方々と忌憚のない意見交換を行ってまいりました。このあと,オランダ及びフランスを訪れた上で帰国する予定となっております。

 旅の途次ではありますが,折角の機会を与えられましたので,ここに,今日の国際情勢下における日本と西欧との関係について,私の所信の一端を申し述べたいと存じます。

 ユーラシア大陸の東の端にある日本に西欧の船が訪れるようになったのは,16世紀も中葉のことでありました。我が国の国民は,これまで馴染んでいた東洋の文明とは全く異質の西欧文明に新鮮な驚きを覚えましたが,すぐに持ち前の進取の気性を発揮して,その長所と利点を吸収しはじめました。しかしながら,17世紀に入るや,我が国は鎖国政策を実施し,その後200年余りにわたって外国への門戸を閉ざしました。その間,わずかにオランダのみに開かれていた通商の窓口を通じて,西欧の医学や天文学など近代科学の知識を吸収したのであります。

また,この間に,西欧では産業革命が起り,近代文明は大きく発展致しました。19世紀中葉,日本が明治維新によって開国したときには,彼我の格差はあまりにも大きいものとなっておりました。我が国の国民は,畏敬の念をもってこの西欧文明に接し,直ちに,新しい国づくりを目指して近代化のみちに乗り出したのであります。

日本国民は,この過程で西欧諸国が我が国に対して惜しみない理解と支持を与えてくれたことを忘れてはおりません。西欧諸国は,数多くの我が国の使節団を受け入れたのみでなく,我が国の招請に応じて,政府各省,教育機関等に多数の顧問を派遣してくれたのであります。このような西欧人顧問の数は,1875年に500人前後に達したとのことでありますが,これは,我が国の近代化意欲の強さと,西欧諸国のそれに対する協力の大きさを物語るものと言えましょう。こうして,明治以後の我が国の立法,行政,司法機関の諸制度,教育制度,商業制度,そして科学技術,芸術などは,英国,フランス,ドイツ等の先進西欧諸国から多くを学んで育ったのであります。

その中で最も価値あるものは,自由と民主主義でありました。

ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」は明治維新後間もない1871年に,ジャン・ジャック・ルソーの「社会契約論」は1876年に翻訳され,多くの共鳴者を得ました。西欧社会に発芽し,近代文明発展の原動力となったこの自由と民主主義の思想が我が国に根づいたのは,明治維新に先立つ江戸時代に培われた市民社会と市民文化がその土壌となりえたからだと思います。当時の市民生活の自由闊達さにつきましては,今年10月下旬から当地で開催される「大江戸展」をごらんいただければお解りいただけるでありましょう。

我が国における自由と民主主義は,1930年頃から不幸な後退を経験致しましたが,第2次世界大戦後の新憲法のもとで,しっかりと我が国社会に根をおろし,国民の血となり,肉となって,何ものにも換えがたい価値となっております。この自由と民主主義を活力の源泉として,かつ独自の文化と伝統を維持しつつ,我が国は,世界の先進民主主義国の仲間入りをすることができたのであります。

戦後順調に発展してきた世界経済は,1970年代以降2度にわたる石油ショックに触発された深刻な諸困難に直面しております。これに加うるに,極めて最近では,世界の平和と安定にとっても憂慮すべき情勢が生じております。さらに,人類の大多数を占める第三世界諸国の間でも,経済困難と社会・政治不安が今日の国際社会を一層不安定にしております。私は,今回の訪欧を通じて,西欧諸国の指導者たちがこれらの諸問題の克服のため日夜辛苦しておられる姿に接して深い感銘をおぼえました。これらの諸問題は,自由と民主主義,そして市場経済体制という価値観を共有する先進民主主義諸国のすべてが,緊密に協力し合って対処すべき問題であります。

 先般,この王立国際問題研究所は,ドイツ連邦共和国,フランス,米国のそれぞれ著名な国際問題研究所と合同で,日,米,欧三者間の協議,協力の必要性を強調する報告書を発表されました。その考え方の方向には私も賛成であります。日米,欧米関係はそれぞれ従来緊密なものでありました。したがって,三角形のもう一つの辺である日欧関係の緊密化こそ,今日の急務と言わなければなりません。そのためには,日欧双方のさまざまな努力が必要であり,わけても,相互理解について力を尽くさなければなりません。日本と西欧は,交流の歴史が長いため,互いに相手をよく知っていると思いがちでありますが,かつての認識が今日の事実に当てはまらなくなることがしばしばであります。したがって,絶えざる接触,絶えざる話し合いの努力が必要であり,日欧の指導者は,もっと頻繁に,もっと気軽に交流をはかるべきでありましょう。

 このような観点から,私は,各国首脳と今日まで腹蔵ない意見の交換を行ってまいったのでありますが,この機会に,本日御列席の皆様に対して,相互理解を深める一助として,我が国外交の基本姿勢について私の考えを申し述べたいと存じます。

 まず,国際社会の平和の維持と我が国の対応について申し上げます。

 日本は,平和憲法を口実に,専ら米国の軍事的抑止力に依存し,防衛努力を怠って,この分野での国際的責任を果していないのではないかという見方がありますが,これは決して正しいものではありません。

 我が国が平和憲法を採択したのは,第2次世界大戦において世界最初の核兵器被爆国となり,2度と軍国主義の過ちを繰り返さないことを深くかつ厳粛に決意したためであります。我が国は,専守防衛に徹して近隣諸国に脅威を与えるような軍事大国とならないこと,さらに非核三原則を堅持することを国是としており,これは,我が国民の悲願であります。このような我が国の安全保障政策は,第2次世界大戦の不幸な経験を持つ我が国の近隣諸国によっても,高く評価されております。

 もとより,我々は,近年の軍事力増強やアフガニスタンへの軍事侵攻,さらには中東情勢等が何を意味するかについては,西側諸国と認識を共有しており,このような厳しい国際情勢のもとで,我が国自身の防衛力を着実に整備しつつあります。このことは,我が国の1971年から1979年の間の防衛費の年間均実質伸び率が7%程度となっていることにも示されており,我が国としては現在取り組んでいる財政再建という困難な事業の中ではありますが,今後も防衛力充実のための努力を着実に行っていく考えであります。

また,我が国が,米国との間で日米安全保障条約に基づく関係を維持し,在日米軍に施設,区域を提供していることも,極東の平和と安全に大きく貢献しております。さらに,我が国が,自由と民主主義,そして自由主義経済体制を堅持する安定勢力としてアジアに存在していること自体も,我が国が国際社会で果たしている役割の一つであると申せましょう。

 戦後の我が国が,国際社会における平和と安定の受動的享受者であったのは事実であります。しかしながら,もはや世界のGNPの10分の1にも達せんとする生産力を持つようになった我が国は,その国力にふさわしい国際的責任を自ら進んで果たさなければなりません。私は,先般,我が国は,この受動的享受者の立場から能動的創造者へと外交姿勢を転換することを表明いたしました。我が国としては,西側先進民主主義諸国の一員として,世界の平和と安定のために,我が国の国力と国情にふさわしい貢献を行って行く決意であります。

 この関連において,最近のポーランド情勢については,日本国民のひとしく注目しているところでありますが,私は,このたびの旅行の間に,ポーランドをめぐる情勢がきわめて緊迫化していることをしばしば耳にして,あらためて憂慮の念を深めております。

 ポーランドの問題は,外部からのいかなる干渉にもよることなく,ポーランド国民自身により解決されるべき問題であります。万一,アフガニスタンに続いてポーランドで,民族の独立と主権を無視するような介入が行われた場合には,我が国は,西側先進民主主義国と協力し,協調した政策を遂行する決意であることを,ここにあらためて明確にしておきたく思います。

 第二に,第三世界に対する政策について申し上げます。

 この地域の政治的,経済的基盤の脆弱性は,今日の世界の不安定化を促進する要因となっております。我が国としては,先程申し上げた世界の平和と発展の能動的創造者という立場から,開発途上国への協力を強力に推進する考えであります。我が国は,昨年,政府開発援助(ODA)3年倍増の中期目標を,かなりの余裕をもって達成し,その後においては,新たな中期目標のもとに,その充実をはかりつつあります。

 経済協力の対象地域については,我が国の置かれている地理的,歴史的,政治的関係もあり,アジア地域に二国間援助を重点的に配分してきております。この地域においては,ASEAN各国が近年政治的にも経済的にも安定度を増しつつあり,その発展は,アジアにおけるのみではなく,世界全体における平和と発展のためにも大きな意義を持つものであります。

 また,西欧諸国が特に力を入れている中東,アフリカに対する援助も,大幅に増額しつつあり,なかでも世界の平和と安定の維持のために重要な諸国,例えば,トルコ,エジプト,そして南部アフリカ諸国に対するものが強化されております。極めて最近には,ジンバブエのムガベ首相の来日を機に,同国へ援助を供与する旨表明致しました。これらの中東,アフリカへの我が国の援助が,西欧諸国のこの地域における外交努力に対する理解と支持を示すものであることは,言うまでもありません。

 第3に,日欧経済関係の問題について申し上げます。

 すでに申し述べましたように,エネルギー制約に端を発するさまざまの問題が,世界を大きな困難に陥れております。このような事態を背景に,今回の私の西欧諸国訪問においては,日欧経済関係の諸問題につき意見の交換を致しましたが,現下の西欧諸国のかかえている経済的な諸困難につき,一層理解を深めた次第であります。このような事態に懸命に対応しておられる各国首脳の御苦心についても,充分にこれを理解するものであります。同時に,私は,困難からの脱却を保護主義に求めようとする傾向が一部にあることに,深い憂慮の念を抱くものであります。

 申し上げるまでもなく,保護主義の行きつくところは,結局は西側民主主義経済体制の活力の低下と停滞を招く自殺行為にほかなりません。今日,日・米・欧の経済力は,これを総合すれば世界の経済規模の半ばを越えるものであり,もしこれが崩壊するならば,人類は塗炭の苦しみに陥るのであります。これを維持し,発展させる我々の責任は,重かつ大と言わねばなりません。

 いわゆる先進国サミットは,このような認識に立ち,過去6年間,日・米・欧の7ヵ国の首脳がともに協力して,自由な創意に基づく経済の活力を取り戻し,将来の展望に対する信頼を強め,建設的,長期的見地から,保護主義を防する決意を明らかにしてきたのであります。この決意を無にしてはなりません。

 たしかに,現在我々が遭遇している困難には,即効性ある万能策はないかもしれません。しかし,西欧諸国も我が国も,第2次大戦後の疲弊の中から,額に汗して祖国を再興してきたたくましい国民を持っております。その力を信じ,その力に依拠しつつ,技術革新,投資促進,研究開発に取組,経済の体質を変えて行くことこそ,我々の進むべき「王道」ではないでしょうか。

 さればこそ,我が国は,相互投資,研究開発,第三国における日欧間の産業協力を積極的に奨励することとしております。また,日欧貿易を拡大均衡に導くとの観点から,西欧諸国の対日輸出拡大努力に対しても,できるだけの協力を行なう態度をとっております。我が国の輸入促進ミッションの西欧諸国への派遣も,その一環をなすものであります。他方,西欧諸国の側におかれましても,対日輸出増大のために一層競争力のある製品を生産し,我が国の市場に進出すべく大きな努力を払われることを希望する次第であります。

ハーレック卿並びに御列席の皆様

 私は,これまでの訪問国において日欧関係の強化,緊密化の必要性,重要性につき意見の交換をして参りました。サッチャー首相をはじめ,シュミット首相,フォルラーニ首相,エイスケンス首相及びトルン・EC委員長より温かい歓迎を受け,私の所信につきご理解を受け,日欧諸国の展望につき確信を深めたことは誠に有益であったと思います。日本と欧州諸国の基本的立場には幅広い共通面があり,今回の一連の会談を通じ各般の分野において積極的に協力関係を推進すべきことが確認されましたが,このことは,私の訪問の成果を極めて大きなものとしたと確信しております。

 私はまた,この度の訪欧を通じて,日欧間の相互理解の増進が一層必要であることを痛感いたしました。伝統や歴史,言語や宗教のちがう国民の間では,相互理解は口で言うほど容易なものではないかもしれませんが,交流を積み重ね,対話を深めることによって,信頼と協調と揺ぎないパートナーシップが構築されるものと確信いたします。

 この意味において,チャタム・ハウスが4年程前から1980年代における日本の国際的役割についての研究プログラムを手がけておられることに対し,深甚なる敬意を表するものでございます。日欧間の相互理解の前進のためにも,かかる研究が進められることは喜ばしいことであり,関係されている皆様の御努力を高く評価致します。

最後に,この席をお借りして,3年来好評裏に実施されている「欧州青年招待計画」に加えて,教育関係者等招待計画を来年度以降EC全域からの招待に拡充し,これをEC諸国全体における我が国に対する理解の促進と日欧関係の一層の緊密化のための努力の一助と致す考えであることを,御披露指せていただきます。また,同様の観点から,EC諸国における現代日本研究の諸事業に対し,従来以上に積極的に協力してまいる所存であることを,ここにあらためて申し述べさせていただきます。

 ありがとうございました。