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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 東西センターにおける鈴木善幸内閣総理大臣の演説

[場所] ハワイ
[年月日] 1982年6月16日
[出典] 外交青書27号,406ー411頁.
[備考] 
[全文]

(はじめに)

 本日ここに,その独自な,研究業績をもって知られるハワイ・東西センターにおいて,各界の指導的立場にある方々を前にしてお話しする機会を与えられましたことは,私の最も光栄とするところであります。

 当地ハワイは,6月3日に東京を出発した私のやや長い旅における最終の訪問地であります。この間,私は,ヴェルサイユ・サミット,次いでニューヨークにおける第2回国連軍縮特別総会に出席し,その後,ラテン・アメリカに赴いて,ペルー並びにブラジルの両国を訪問いたしました。

 ヴェルサイユにおいては,現在重圧にあえぐ世界経済をいかにして立て直すかについて先進国首脳と胸襟を開いて語り合い,世界経済の再活性化と自由貿易体制の維持・強化に,各国が力を合わせて真剣に努力すべきことを訴えました。

 ニューヨークにおいては,核軍縮を始めとする実効性のある軍縮の促進,軍縮により生み出される余力を相互援助の精神に立脚して世界経済の発展に振り向けること,国連平和維持機能の強化・拡充の緊急性を訴えました。

 また,ラテン・アメリカにおいては,世界経済の困難な局面の下で,経済建設に向かって懸命な努力が行われている姿を目のあたりにし,先進工業国と開発途上国との間の互恵的協力関係を深めていくことの重要性を痛感いたしました。

 私は,この旅を通じて,世界中の国々が未来にわたる平和と繁栄をめざして,困難や危険との戦いに立ち向かっているひたむきな努力を,あらためて強く認識させられました。私は,我々人類が直面しているこれからの厳しい現実に思いをめぐらせつつ,本日,当地に降り立ったのであります。

 ハワイ,そこには,私が幼い頃から慣れ親しんできた太平洋の白波が寄せては返す岸辺があります。海の香りを運んでくれる潮風があります。燦々たる陽光のもとにおけるこの風景は,いつ見ても心が洗われる気持ちになるものでありますが,とりわけ,本日の私には,それが,多難な時代を乗り越えて我々が切り開くべき洋々たる未来を象徴する輝かしいものと映ったのであります。

 こうした感慨をこめて,私は,これから「太平洋時代の到来」と題する私の講演を行いたいと思います。

 (太平洋時代の到来)

 太平洋地域の歴史を尋ねてみると,我々の祖先は,太古に,風や海流にまかせてこの荒波を越えて移動した形跡があることがわかります。大洋をはさんだ地域において,言語,住居,道具,民話伝承等に共通の起源を持つものも少なくありません。その意味では,これらの地域の人々の間には以心伝心ともいうべき共感の土台があるといえるのかもしれません。しかしながら,このあまりにも広大な太平洋が自由な交流を妨げたこともまた事実であります。各地域には,言語も宗教も生活様式も全く違う民族が,それぞれ独自に,その風土に合った多様な文化を育てあげていました。人々が近代文明の所産である交通機関によって大洋を航行するようになった後にも,この地域の諸国は,依然として互いに「遠い国」だったのであります。

 ところが,近年の科学技術の進歩に支えられた交通通信手段の飛躍的な発展により,今やジェット機は約10時間で太平洋を横断し,通信衛星は瞬時にして人と人との会話をつなぎ,大型コンテナ船は短時間で大量の貨物を輸送するようになりました。太平洋諸国の国民にとって距離による隔絶はまさに過去のものとなりました。その結果,もともと進取の気性に富んでいた諸国民は,堰を切ったように交流を増大し,太平洋地域の諸国は,その政治的,経済的,文化的多様性にもかかわらず,加速度的に相互依存と相互理解を深めるにいたったのであります。

 我々は,まさに,諸々の文明がこの太平洋地域で遭遇し,結合する歴史的瞬間に際会しているとも申せましょう。それは,多様性に富むがゆえに豊かな発想と創造力を生む活力ある文明の誕生であり,21世紀を開く「太平洋時代」の始まりであります。

 地球上の海洋面積の約50%を占める大洋で結ばれたこの広大な地域には,豊かな人的資源が存在し,その国民総生産も世界の中で大きな割合を占めるに至っております。また,豊富な食糧や天然資源にも恵まれ,いまでは太平洋そのものが無限の資源の宝庫とみなされるに至っております。そして,この地域は,世界で最もダイナミックな成長を遂げつつあります。

 これらのことは,太平洋地域が将来へ向けての大きな可能性を秘めていることを示唆しており,その可能性を現実のものとなし得るかどうかが,この地域のみならず世界全体の発展を大きく左右すると言って過言ではありません。

 (太平洋連帯を推進する原則)

 この地域における巨大な潜在力を最大限に引出し,その成果を一層確実なものとするには,何よりもまず,この地域の各国が一致協力しなければなりません。各国が,太平洋時代到来の認識の下に,今日芽生えつつある協力の気運を連帯の域にまで高める努力が必要であります。

 私は,この連帯を実現していくための原則は,次の五つであると考えます。

 第1に,太平洋は,その名の通り「平和の海」でなければなりません。平和は各国民の存立と繁栄の基盤であり,我々は,相協力して平和維持の努力を強化していく必要があります。

 第2に,太平洋は,「自由の海」であるべきであります。この地域を発展させるのは,人的・物的に自由な交流であり,我々は,それを阻害するような傾向を厳に戒めなければなりません。

 第3に,太平洋は,「多様の海」であります。各国の独自性,自主的なイニシアティヴを尊重し,これを認め合う精神が肝要であります。

 第4に,太平洋は,「互恵の海」でなければなりません。政治・経済・文化等あらゆる手段の積極的な活用を通じ,相互依存と相互理解を深め,もって各国の発展を図っていかなければなりません。

 第5に,太平洋は,「開かれた海」であるべきであります。太平洋が他のどの大洋ともつながっているように,連帯の輪は他のどの地域にもつながり得るものでなければなりません。

 この五つの原則は,我々の前に青々と広がる「大洋」そのものの性格を表したものであります。古くから海に親しみ,しかも,その起源に共感の基盤を持つこの地域の諸国民は,この原則の下に,偉大な太平洋時代の前進のため協力し合えるものと信じてやみません。

 (平和の海)

 まず第一の平和の原則について申し上げます。

 「南を愛する者は平和を愛する」と言われております。太平洋地域の諸国民の願いが,戦争と紛争のない地域をつくることにあることは疑いを容れません。この地域は,過去幾度かの試練にさらされましたが,今日,人々の努力によって太平洋には平和と安定が保たれております。

 この平和と安定の維持については,米国が,太平洋国家として,政治,経済及び安全保障の面で果たしてきている大きな役割を忘れてはなりません。また,わが国がこの地域の先進民主主義国家として大きく伸長し,米国との間に揺るぎない関係を築いて,この地域の重要な安定勢力として存在していることも挙げさせていただきたいと思います。この日米の両国に,カナダ,豪州,ニュー・ジーランドを加えたこの地域の先進民主主義諸国間の協力,ASEAN諸国の連帯の強化,韓国の着実な発展,中国の穏健な対外路線の推進等が,この地域の平和と繁栄の増進に大きな役割を果たしてきております。

 しかし,こうした反面,この地域には,いまなお緊張をもたらす要因が存在していることも遺憾ながら事実であります。

 とりわけ,近年ソ連がアジア・極東方面において軍事力を増強してきていることは憂慮にたえません。我が国にとってみても,固有の領土たる北方領土にソ連が軍備を増強し,わが国周辺海域においてその活動を活発化させていることに国民は懸念を高めております。私は,ソ連がこの地域の平和と安定に共に寄与したいと願うのであれば,実際の行動でこれを示すことを訴えたいと思います。

 また,インドシナ半島における紛争,朝鮮半島における南北対立の継続も緊張要因として存在しております。私は,当事者間の努力によって,1日も早く平和裡に紛争が解決され,対立が緩和されるよう望んでおり,我が国としても,そのためにできることがあれば,関係諸国と協力しつつ,貢献してまいりたいと考えております。

 (自由の海)

 第2の自由の原則についてであります。私は,ここで特に,太平洋地域の経済がその活力とダイナミズムをより一層たくましく発展させるためには,各国間の自由な交流の保証が必要であることを強調いたしたいと思います。石油危機以来,国内経済不振に悩む世界各国に,保護主義的傾向があらわれ,この地域にもその影響を及ぼしつつあることは,看過し得ぬところであります。

 私は,まず太平洋地域における人的・物的交流を推進し,技術の移転,投資の促進,産業の高度化,経済体質の強化等を通じて各国の活力ある発展が図られるなら,地域としての繁栄のみならず世界経済全体の再活発化に資するものと確信しております。

 我が国としては,世界経済の再活性化を図る目的で,既に一連の市場開放措置を実施いたしましたが,今後とも国力にふさわしい貢献を行っていく所存であります。

 (多様の海)

 第3は,多様性の原則であります。

 この太平洋地域には,多種多様な民族,言語及び宗教があり,生活様式も風俗習慣もまったく違う人々が集まっております。まさにこの多様なものの交流こそが,この地域に豊かな創造力と活力をもたらす源泉であり,この地域が未来に向かって脈々たる生命力を持続するには,多様性の保証こそ大切なのであります。

 多様な価値観の存在は,時として相互間の誤解を招いたり,理解を阻害したりすることもあるでありましょう。しかしながら,我々は,そうしたことを克服して相互理解を深め,連帯のための共通の基盤を確立することに努力すべきであります。

 さらに,独自のイニシアティヴにより形成されたこの地域における既存の地域協力機構の一層の発展が図られることが望ましいと考えております。

 私は,ASEAN諸国が相互依存と相互信頼を深めつつ,独自の政治的安定と自立の達成に取り組み,強靱なASEAN域内協力の枠組みを形成することに成功していることを高く評価いたしております。私は,昨年ASEAN諸国を歴訪し,自助の精神に横溢したこれら諸国の指導者及び国民の国造りの気概に感銘を受けたのであります。ASEAN諸国が,この地域の重要な核として,その団結を固めつつ自主的な発展の道をたどることは,太平洋地域全体の発展にとって大きな意義を有するものであります。

 また,私は,既に独立を達成し,あるいは現在独立の過程にある太平洋島嶼諸国が,人口,面積の過少,あるいは海外市場からの隔絶にも関わらず,民主主義体制を選択して,南太平洋フォーラムなどを通じて対話と協力を強化しつつ,国造りに励んでいることに大きな関心を抱いております。

 さらに,太平洋の東に位置するラテン・アメリカにおいても,各種の地域統合の試みがなされていることは,新しい時代への対応として注目に値するものであります。

 (互恵の海)

 第4は,互恵という原則であります。

 太平洋地域における協力は,あくまでも一方的なものではなく,相互に裨溢するものでなくてはなりません。そしてそのような協力は,経済面におけるものだけに限らず,文化協力,学術協力等各般にわたるものでなければなりません。

 経済面におけるこの地域の互恵的相互依存関係の進展については,改めて申し上げるまでもありません。多くの太平洋地域諸国がその貿易の半分以上をこの地域で行っていることは,これを如実に物語るものであり,我が国としても引き続きこの地域諸国との経済関係の発展に尽力してまいります。

 また,我が国としては,この地域の開発途上国の経済社会発展と民生の安定に資することを目的として,政治開発援助の約5割をこの地域に向けてまいりました。今後とも,この地域に対する経済協力を重視し,とりわけ技術移転や人造りなどの分野において,この地域の多様性に留意しつつ,開発途上国の実情とニーズに対応した協力を実施していきたいと考えております。

 また,我が国は,先進科学技術国として,人類共通の財産である科学技術をこの地域全体の経済発展と福祉の向上に役立たせるため,他の諸国との間の各層にわたる協力が推進されるよう努力してまいります。

 さらに,文化面の交流を活発にすることは,各国間の相互理解を深め,それぞれの国の文化を豊かにするため極めて大切であります。特に私は,今後の太平洋時代を担う若者の交流が重要であると信じています。日豪両国間において,「ワーキング・ホリデー」,すなわち,労働許可の付いた観光査証の制度を設け,両国の青少年が働きながら相手国を旅行し,交流を活発に行っていることは,この一例であり,我が国としても,各層にわたる人的交流に一層力を入れてまいりたいと考えております。

 (開かれた海)

 最後に,太平洋地域の連帯は開かれた関係でなければならないという,第5の原則について申し上げます。

 過去の閉鎖的なブロック主義が,一方で経済の衰退をもたらし,他方戦争へ至る道をたどったことは,記憶に新しいところであります。太平洋連帯は,地域の発展を通じて世界の平和と繁栄につながるものでなければなりません。例えて言えば,それは,太平洋を回る海流が,求心力でその周辺地域の国々を引き寄せ,また同時に,遠心力で太平洋につながる海域にそのエネルギーを伝播していくようなものであります。

 全地球上の諸国が密接な相互依存関係を結んでいる現在,多様性を前提とした協力関係の推進以外には世界の平和と繁栄をもたらす途はありません。その意味で太平洋連帯の構想は,これからの地球的協力のあり方に一つのモデルを提供することができるのであります。

 (21世紀に向けての展望)

 私は,太平洋地域の多くの知識人が,21世紀をめざす長期的展望に立った太平洋連帯のあり方を探究しておられることを承知しております。

 長く政治生活を共にし,かつ,私の前任者である故大平正芳総理は,環太平洋連帯構想を提唱されました。それが一つの契機となって太平洋協力の問題に関するこの地域の人々の関心と活動の高まりが見られるようになりました。

 私は,経済人を中心とする太平洋経済委員会が,この分野において活発な活動を展開され,着実な成果を収めつつあることに印象付けられております。また、近年この問題に関心をもつ民間の人々により種々の研究活動が行われ,国際セミナーが開催されていることは,この問題に対する関心が次第に増大していることの現われでありましょう。

 今月初めバンコクにおいて,一昨年キャンベラで開催されたセミナーに引き続き,太平洋協力に関する第2回セミナーが開催されました。このセミナーにおいては,太平洋協力の必要性が強調されると共に,今後の活動に関する合意も為されたと聞いており,私は,我々の共通の目標である太平洋連帯に向けての建設的なステップとしてこの成果を評価するものであります。

 私は,このような民間のイニシアティヴと活力によってすぐれた英知が結集され,各国がその土台の上に地道な努力を積み重ねるならば,必ずや太平洋連帯に至る道が開かれるものと確信します。

 1961年この東西センターが創設された翌年,当時のジョンソン副大統領は,「東西センターは世界に奉仕するために存在する。我々は,このセンターに,西方の賢者と東方の賢者を招聘するであろう。我々は,幾世代もの若き研究者たちが,これらの賢者達によって,ここに統合される二つの世界の知恵を学び,平和と公正と自由に対する人類の至高の願望を達成するためにその知恵を役立てることを希望する」と言われたと聞きます。

 これは,私の提唱する太平洋連帯の原則とその精神を同じくするものであります。そして,東西センターは,その使命にふさわしい場所,ハワイに建設されました。この島は,太平洋の中心にあって,アメリカ大陸,アジア,大洋州諸国の中心に位置するだけでなく,そこでは太平洋を取り巻く諸民族が互いに手を携えて活気のある共同体を造り上げ,民族的多様性に基づくダイナミズムが今日脈々と息づいております。このハワイ社会のあり方は,まさに太平洋連帯の将来の象徴であると言って過言でありません。

 今こそ,21世紀を目指す太平洋時代に船出の時であります。帆は風をはらみ,潮は満ちてきました。壮大な未来を目指して同じ船に乗り組む我々は果敢な精神に溢れています。

 共に手を取り合って,この偉大な世紀の共同事業に参画し,世界の歴史に名誉

ある地位を占めようではありませんか。

 御清聴ありがとうございました。