[文書名] 日本記者クラブにおける中曽根内閣総理大臣公園「新しい豊かさをめざす経済運営,高度情報社会実現への五原則」
転換期の日本経済と改革の必要性
明治以来百有余年間の我が国の経済的社会的進歩と発展は、世界史の中でも特筆すべき目ざましいい事績でありました。
その要因には、国民の高い倫理性、積極進取の気性、教育の充実等、日本人および日本社会の伝統と特質が大きく寄与しています。
そうした基盤の上に第二次大戦後、さらに新しい要因が加わったのであります。
その第一は、平和憲法のもと民主的社会と平和経済が実現したことであります。職業選択の自由や教育の機会均等の上に、所得の平準化、社会階層の流動化、資本と経営の分離等が顕著に進み、自由かつ平等の社会が実現いたしました。それによって開放された国民の活力と創造力は、専ら平和経済の建設一路に注がれたのであります。科学技術の開発も資本の蓄積も、その目的はすべて民生の安定と繁栄に向けられ、また企業も消費者指向の態勢を徹底し、製品の国際競争力を格段と強いものにしたのであります。
第二に、米国の圧倒的影響力のもと、世界の平和が維持され、国際連合をはじめ、GATT、IMF等の国際的秩序機構が整備され、その上に、自由な国際経済交流が実現いたしました。我が国のような「資源小国」が、国民の高い生活水準を誇る「経済大国」になり得たのも、貿易を通ずる国際的活動の場が大きくひらけていたからであります。
我が国の成功は、こうした諸要因の組合わせの上にはじめて実現し得たのであります。
しかるにいま、我が国経済の骨格を形づくる諸要因の中に変化がみられ、時代は一つの大きな転換期にさしかかっていると考えられます。
変化の第一は、我が国総済の発展そのものに内包されています。明治以来の追いつき型近代化の時代は終わり、われわれは、これまでどこの国も経験したことのない未踏社会を、自らの叡知と努力で形作っていかねばならない段階にきているのであります。いわゆる価値観の多様化、青少年非行といった現象は、我が国を含む先進諸国共通のものであり、そこには高度産業社会全体の価値体系、技術体系さらには生活スタイルにまでおよぶ文明史的転換の動きが感じられるのであります。
加えて我が国の場合、他国に例を見ない急速なテンポで人口の高齢化が進みつつあり、それは費用、年金等にとどまらず、人間の生涯にわたる生き方や社会の仕組みに至るまで、我が国経済社会全般に広汎な影響を与えようとしています。
変化の第二は、我が国をとりまく国際環境に深刻に表れています。米国の影響力の低下、ソ連の軍事力の急増等、国際政治面における不安定性のほか、経済面においては、成熟段階に達した先進諸国が、失業とインフレに悩んで、その発展力と弾力性に衰えをみせ、いわゆる石油ショックは、今後の世界のエネルギーの長期的安定確保を不透明のものにし、それらが発展途上国の経済にも暗いカゲを落としています。各国の懸命の努力の結果、最近やや明るい兆しがみられるものの、世界の経済環境は依然厳しい状況にあります。そうした中で各国間の貿易摩擦が激化し、保護主義台頭の兆しが表れ、自由な国際交流を支えてきた国際的機構、制度にも動揺がみられます。国際秩序は深刻な動揺、摩擦の中で再編成の時代に入っているのであります。
われわれは、先人の遺産を確実に引きつぐ一方、新しい変化に的確に対応し、転換期の諸問題を打開することによって、将来の更なる発展と繁栄の基礎を固め、次の世代に残さなければなりません。そのためには、経済運営における従来の発想、政策を全面的に見直し、新しい視点からする日本経済運営の再構築をはかる必要があります。
それは基本的に、現在の日本経済がおかれた諸条件にうえに、
(1)国際的基盤に立つ新しい豊かさの方向と可能性をさぐり
(2)平和と国際協調を促進する。
ものでなければなりません。このように考えるとき、今後の経済運営の基本原則として次の五つの方向の最大限の実現が不可欠であると確信するのであります。
経済運営の五原則
<自由の原則> あらゆる分野における民間活力の開放
あらゆる種類の個人や企業が市場を舞台として自由に創造力を発揮することが国民経済全体としての活力と効率性を実現する最良のみちであります。自由経済のもつ発展への推力はなお健在であります。
われわれは、こうした民間の活動が最大限に自由にかつ広汎な分野で行われ得るよう、これを保障し鼓舞し、その障害となる制度や規制を是正、撤去することが必要があります。行政改革はまさにそうすることによって、経済発展の新しいエネルギーを発揮させようとするものであります。
したがって、今後、第二次臨行政調査会の答申を基礎とし、行政の各分野にわたる許認可や各種規制の緩和、撤廃、補助金の統廃合を行い、またこれまで国や公共団体が行うものとされていた分野についても、抜本的に見直して、官業の民業への開放を進めなければなりません。これは発想の転換と各種利害の調整を要する大事業であり、国民的基盤に立つ長期的スケジュールのもと、一歩一歩着実に進めて行かねばなりません。
また、絶えざる膨張傾向をもつ、政府機構及び政府活動の長期的抑制に努めていかねばなりません。
<協調の原則> 公正の確保と長期戦略からする行政の補完
経済面における政府の役割の第一は、自由な競争社会における公正を確保し、国民生活の安定、安心、安全を最高に保障することであります。とくに弱者保護に意を用いその自立を助けることに心を配らねばなりません。
第二は、いわゆる社会資本の整備や、科学技術の振興等、市場経済を補完し、国民経済の基盤を整備することであります。
第三は国際経済関係の安定であり、今後この面における政府の役割はきわめて重要なものになってまいりましょう。
行財政改革のもう一つの側面は、以上の視点からする行政の役割の徹底的見直しによって、公と私、中央と地方、家庭、職場、地域等の役割分担を明確にし、自立と連帯、受益と負担のバランスを再構築しようとするものであります。
その際の基本的原則は民間の主体的活動に対する政府の補完であり、その間の協調であります。
<平和の原則> 国際経済社会への積極的参加と寄与
現代は、完全雇用、物価安定、経済成長率の実現をめざす各国民経済の運営が著しい国際的相互影響の下で行われる時代であります。したがって今後の国際経済の原則は「自由」と「協調」とを伴うものでなければなりません。とくに我が国は、「経済大国」「資源小国」として、国際経済社会の中に積極的に融和し、その秩序づくりと繁栄と寄与しなければなりません。
過去において我が国は、国際政治において協調に失敗し、世界に孤立し、ついに戦争の惨禍を招いた苦い民族的経験をもっております。いま経済的側面において、その対応を誤れば、国際的孤立のみちを進む危険なしとしません。
我が国の国際経済運営の第一は、経済協力および文化協力によって、世界人類の平和と繁栄に貢献することを基本とすることであります。「南」の繁栄なくして「北」の繁栄もあり得ません。とくに我が国近隣の開発途上国の自立的発展のための協力を重点戦略的に進めることによって、相互間の経済交流の拡大循環を実現していかねばなりません。
また全世界的な軍縮のための努力を強力に推進し軍備のための人類の負担を、世界経済の活性化に利用することをめざすべきであります。
第二に、協調と調査の安全弁をもった節度ある自由貿易体制の維持、拡大に積極的役割を果たさねばなりません。そのための一層の国内市場開放や、各国間の積極的産業調整が、円滑に行われるよう、きめ細かな配慮が必要であります。
第三に先進諸国と協調して、IMF、GATT体制をはじめ、戦後世界の経済発展と安定に寄与してきた各分野の国際システムのあり方を見直し、新しい経済発展を可能ならしめる国際秩序の形成に積極的に貢献する必要があります。とくに、貿易、通貨、金融、エネルギーの分野は、最近の経験に鑑み、その安定的枠組みの確立が急がれており、また今後の世界経済の長期的発展のためには、科学技術や人的交流のソフト面での国際協力が戦略的に重要であると考えます。
<豊かさの原則> 生活の質向上への多面的アプローチ
高度成長時代の我が国社会を一言で特徴づけるとすれば「移動」でありました。これに対して、今後は「定着」が対置されましょう。定着した人々の心は、周囲をみまわし、そこに生活の快適さと人生の充足を求め、隣人に目をとめ、将来に思いを馳せます。定着した人々の心は、周囲をみまわし、そこに生活の快適さと人生の充足を求め、隣人に目をとめ、将来に思いを馳せます。定着の舞台は、「家庭」であり「コミュニティ」であり「地域」であります。
こうした変化にもとづく国民のニーズは多方面に拡がっており、経済政策もまたこれに対応する多面的なアプローチが、いま求められているのであります。またこれらのニーズの充足は、単に中央、地方の行政府の役割にとどまらず、第三セクターや広く民間の新しい活動の場を提供するものであります。
具体的には、
イ、 地域ごとの経済文化圏に応じた社会資本の整備、地方経済の振興を図るとともに、地方の個性を生かした文化、スポーツ、芸術の発展を図ること
ロ、 都市の再開発、交通、流通、文化施設等の充実による都市機能の整備、質の高い住宅建設を進め、また地震その他の災害の防護策を整えること
ハ、 湖沼や河川等の自然浄化と、緑と小鳥と花の環境を整備してまいります
ニ、 各種のボランティア活動の活発化、身障者、母子家庭等への互助公助システムの整備、ガンその他難病対策の推進等、明るい家庭と心のふれあうコミュニティづくりに努めること
ホ、 学歴社会を打破し、生涯教育を整備することによって、多様な個性の発揮等をめざす教育の改革をめざすこと
ヘ、 人生七十五年に対応する社会経済システムの転換に配慮すること
が考えられなければなりません。
<「時代」先導の原則> 新しい科学技術と産業構造への展開
科学技術の進歩と生産力の発展は、個人の価値観や生活スタイルを変え、社会システムをも変えて行きます。現代日本人の生活を顧みるとき、「手から口へ」の原初的生存ラインから、いかに隔絶した高い水準に来てしまったことでしょう。われわれはいま高度産業社会の中に生きています。
しかし、到達点は新しい出発点であり、いま技術革新の波は、これまでの生産力の上に、二十一世紀に向けて新しい個性豊かな生き方、新しい社会システムの形成を可能にしようとしています。それはエレクトロニクスの飛躍的発達、それにもとづく情報処理技術、コミュニケーション・ネットワークの変革に支えられた経済、社会の急速な情報化の動きであります。またバイオ・テクノロジー、新素材技術、新エネルギー技術等による新規産業の発違や、既存の基礎素材産業、耐久消費材産業の知識集約化、情報化等、革新の波は広汎に拡がろうとしています。
われわれは、こうした動きを積極的に推進し、今後の我が国経済の長期発展の戦略的動因として位置づけるべきであります。そのためには、
イ、 今後の高度情報社会のあり得べき姿と、その実現のみちすじについて、国民的コンセンサスづくり
ロ、 マイクロエレクトロニクスをはじめ先端技術の開発、国際協力の拡大
ハ、 情報技術の広汎な利用促進、とくにコミュニケーション・ネットワークの基盤整備と、中小企業のO・Aの普及
ニ、 健康産業、教育産業、情報産業、レジャー産業等新しいソフト産業の多様な発展
等、時代を先導し、これまでどこの国も経験したことのない未踏社会に向かって、転換のかじとりをしなければなりません。
新しい型の成長のみち
我が国経済は、世界経済の停滞と国内経済の一定の成熟により、従来のパターンによる成長の可能性がせばまり、加えて、巨額の累積赤字をかかえた財政は弾力性を失い、当面経済への調整機能が十分に発揮できない状況にあります。
また、先行きの不透明感が投資機会の減少を招来し、経済に活力を失わせています。
しかし、これまで述べてきたとおり、地域経済圏の整備や大都市再開発、住環境の整備、各種サービスの充足など、新しい豊かな国民生活実現への多面的なアプローチや、高度情報社会への時代的転換を、今後の成長発展の戦略的柱としてとらえ、行政改革によって民間の活力を開放し、こうした分野に傾注させるとき、我が国経済は依然として無限の可能性をもっていると考えます。これが我が国の今後の新しい成長へのみちであります。
財政もまた、その歳入、歳出両面にわたり徹底した改革を進め、あるいは中央と地方の合理的連携によって、国民生活の新しいニーズにこたえ、経済の長期的発展の基盤作りに積極的な役割を果たさなければなりません。
かくして、我が国は、物価の安定と国際収支の均衡を維持しながら、適正な成長を持続することによって、実質的に完全雇用を実現し、二十一世紀へ向けてダイナミックな経済発展のみちを歩むことができると確信するのであります。
{(1)は原文ではマル1}