[文書名] ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所卒業式における中曽根康弘内閣総理大臣演説
本日,伝統あるジョンズ・ホプキンス大学の高等国際問題研究所(SAIS)の卒業式にお招きいただき,皆様の前でお話をする機会をえたことは,私の大きな喜びであります。
この喜びは,奇しくも本大学のパッカード学長が私と同様に,本日誕生日が迎えられたことにより,さらに大きなものとなりました。ただし,我々のうちいずれが年長であるかは,厳重な機密であります。
御列席の皆様
約百年前,このジョンズ・ホプキンス大学で学んだ日本の偉大な教育家,新渡戸稲造博士は「かく米国の勃興と勢力の増大とは鏡にかけてみるがごとく明であって,而して世界はこの消息を無視するわけにはいかない」旨述べて,国際社会の未来は,米国がいかに行動するかに大きくかかっていると予測し,我が国における米国研究の急務を訴えました。
新渡戸博士のこの予測はまさに的中しました。
米国は第一次大戦後に世界の主要国家となり,第二次大戦後には,世界の最強の指導国家となったのであります。
マーシャル・プランや対日復興援助にみられるように,世界の多数の人々は,米国国民の勤労と英知の果実から,少なからざる恩恵を享受したのであり,わが国は,その最も幸運な受益国の一つであります。日本国民は,その事実を忘れておりません。
今や両国は,世界における第1位及び第2位の経済大国であり,両国の生産は,世界の総生産の約三分の一に達しております。また,両国は,相互に最大の海外貿易相手国であり,その経済動向は,世界経済の消長を左右するといっても過言ではありません。
しかし,私は,日米関係の重要性は,こうした経済規模の次元もさることながら,何よりもまず,日米両国が,自由と民主主義という基本的価値を信奉し,共有しているところにあると考えます。もとより,これだけ広範かつ多岐にわたる交流のある両国間で,折にふれて問題が生じるのは,ある意味で当然と申せましょう。しかし,かかる基本的価値を共有するが故に,我々はその解決に基本的には楽観できると確信しています。
また,日米間では,誤解や理解不足の故に,問題が一層複雑化する事例もままみられます。であるがこそ,100年前に新渡戸博士が,いみじくも述べたように,相手国の事情をお互いに十分学び,理解を深めることが極めて重要であると考えます。
我々が相手理解と協力の精神に立脚することにより,日米関係は真にゆるぎないものとなりましょう。
御列席の皆様
今日の国際社会の特色の一つとして,国家間の相互依存関係の深まりがあげられます。各国は,多くの事態に対し,一国のみでは有効に対処することができない時代に移行しました。この結果生じたのが,西側諸国間におけるさまざまな分野での国際協力の枠組みを創造する試みであります。
明日からウィリアムズバーグで開かれる主要国首脳会議も,その一つの例といえます。この会議は,1975年に発足してから今回で9回目を迎えますが,常に連帯と協調の精神に基づき,世界的な問題を討議し,多くの難題に取組んでまいりました。
私は,激動する時代において,この会議の存在自体が,西側先進国間の協力と,相互の安定的関係を象徴するものとして,無言にして大きな機能を果してきたように思います。サミットを支えるものは,われわれは,対話と協力によって問題を解決できる,という協調と連帯に対する確信であります。
2度にわたる石油危機以来,世界経済は長期の停滞と不況に見舞われました。最近ようやく数ヵ国に景気回復の兆しが表れ,雨が止み,薄陽が差してきた感がありますことは喜ばしいことであります。
我々は,ウィリアムズバーグにおいて,このチャンスをつかみ,今次サミットが世界経済回復への転機を作る結果を生むよう,すなわち,ウィリアムズバーグが世界の希望の街となるよう努力しなければなりません。我々が考えなければならないことは,いかにして世界経済を回復から長期的,持続的な発展,成長に乗せるための政策を生み出すかであります。
そうして,西側世界が再び活力を取戻し,これにより,自由市場経済システム,議会制民主主義といった我々の選択が最良のものであることを世界に示すことであります。
このためには,もはや従来の通常採用されてきた経済対策や,国内的または国際的制度に安住していては,それは不可能であると考えます。
第二次大戦後,科学技術の偉大な発展,石油等資源の安定供給,国際金融協力制度の創設とその巧みな運用,さらには一貫した自由貿易の推進によって,世界経済は驚くべき発展を生みました。
しかし,2度の石油危機を経て,各国は国際的協調を心がけつつも,ややもすれば,自国の国益擁護に志向を走らせる向きもでてきました。
今この時こそ,先進国サミットは,その真価を発揮し,世界経済全般について,自信と希望をよみがえらせる責任があります。
我々は,今や東西南北,すなわち,全地球的に視野を広げ,疲労しつつある国際経済運営のルールや制度を改善し,我々の伝統的確信である自由と公正による国際経済活性化の道を見い出し,貿易,通貨,金融,資源等の各方面において,全地球的な新たなる協調体制を創出すべき時に来ているのではないでしょうか。もとよりそれは,例えば南北間においても対決や団体交渉的ムードによって行うべきものではなく,我々は世界経済という一つのボートにあるパートナーとして円滑な交流と循環の増幅を図るべきであります。我々は一部の発展途上国の現在当面している試練をみるにつけ「南の繁栄なくして北の繁栄なし」と考えるものであります。
御列席の皆様
次に,我々の努力を集中すべき今日の課題は何でありましょうか。それはいうまでもなく,いかにして世界の平和を確保するかであります。そして,今日,細い糸でつり下って我々の安全を脅かしているダモクレスの剣は核兵器であり,その究極的な廃絶は世界人類の悲願と申せましょう。
唯一の被爆国としての我が国が,これまで自らの使命として,核兵器がもたらす悲劇について,その事実を世界に伝えるべく努力してきたのもこのためであります。
しかしながら,危機の深淵について叫ぶだけではこの問題は解決されません。また,一方的軍縮を進めることは,今日危うく保たれている平和を脅かす危険があります。歴史が示すように,世界政治における急激な力関係の変動は,侵略を誘い,戦争への引金を引くことになるおそれであります。従って,我々はまず,東西の軍事バランスを長期的に安定させつつ,実効ある軍縮を実現する道を求めなければなりません。
この観点からレーガン大統領は,一方では国防努力に依って,軍事力のバランスを維持しつつ,他方では軍備管理,軍縮の話し合いを進める両面的アプローチを実行しつつありますが,このレーガン大統領の政策選択は,極めて現実的,建設的であり,私はこれを高く評価いたします。
現在,米ソ間で進められているINF交渉の成否は,1980年代全体にわたっての東西核軍備管理交渉の動向を左右するものであり,その意味で,本1983年は,世界にとって重大な意味を持つ年となると考えられています。
私は,西側諸国が一致して結束し,米国の努力を強力に支援し,INF交渉及びSTART交渉において,一日も早く実効ある解決が図られることを期待しております。さらに交渉が合理的かつ建設的に進展して,将来米ソ首脳会談開催の日が一日も早く訪れることを強く希望するものであります。アンドロポフ書記長をはじめ東側の指導者も,一歩誤れば,核の均衡は人類にとり未曾有の惨禍となること,従って,合理的な核軍縮の達成と適当な時期の首脳会議が必要であることについては,我々と考えを同じくするものと信ずるものであります。
なぜならば,政治指導者は,地位が高く責任が重ければ重いほど,人類の運命に思いを至し,平和を願う気持も人並み以上のものがあると考えるからであります。
かかる中で我が国としては,西側諸国の一員として,世界の平和と安定の維持と発展途上国等に対する福祉の向上,民政安定に応分の努力を引続き誠実にはらうつもりであります。我々は,かかる努力は単に我々自身の利益に沿うゆえんであるのみならず,人類の共通の福祉に対する我々の責任の一端でもあると信ずるものであります。
御列席の皆様
科学技術は,核兵器という究極の闘争手段を与えました。同時に核エネルギーを解放して,人類の未来に大きな可能性を開きました。今日,科学技術は,情報革命,材料革命,光革命,生物革命など,様々の分野にわたって展開し,人類にとって限りない幸福と福祉を約束しております。その恩恵は,これまでの人々の想像を越えた域にまで広がるでありましょう。
しかし,例えば遺伝子の操作技術は,新たな可能性を開くと同時に,人間の存在とその尊厳にかかわる重大な問題を提起するところまで到達してきております。遺伝子の組み換えによる,生命の根源の操作の進展は驚くべきほどの速さをもって進みつつあり,その推進や規制について,これを各個人や各国別の判断のみにゆだねるべきことではなくなっております。従って,本問題については,遺伝子組み換え等の研究を進めている諸国が中心となり,これを人類共通の最大課題としてとらえていかねばなりません。かかる観点より,私は,単に本件についての知識のみならず,広幅かつ深遠な英知と将来に対する洞察力をも併わせもった,世界各国の賢人の会議招集を呼びかけたいと思います。彼らは,人間の存在と人類の尊厳を守るために,遺伝子の操作による生命の想像,自然の摂理への挑戦といった問題につき十分に討議し,人類としてのなんらかのコンセンサスをつくるべく検討を行うこととなりましょう。その過程で,必要とあれば,本件技術の使用に関する国際条約の締結を含め,なんらかの協力の枠組みを設けることの是非についても検討することになりましょう。
御列席の皆様
我々は今や,まばゆいばかりの科学技術のもたらす成果に幻惑される危険に立たされております。科学技術をもって生命の根源に立ち入り,これを操作することの恐しさが我々の目の前にせまればせまるほど我々は人間の本源的な貧しさと,つつましさについて語らなければなりません。それは一言でいえば神をおそれるということではないかと思います。
かつてフランスのパスカルは,その名著パンセの中で「人間は考える葦にすぎない」といっております。17世紀に思慮深きフランスの哲人が,科学と人間と神との関係について訴えたことは,今日科学が生命の根源につき進めば進むほぼ痛烈に現代の胸に応えてくるのではないでしょうか。
御列席の卒業生の皆様
お祝いの言葉が最後になりましたことをお許し下さい。こうして皆様のお顔を拝見すると,皆様は,米国の大学におられるわけですが,同時に世界中から集まった国際的なクラスをつくっておられることに気がつきます。皆様は,数年後には国際機関,多国籍企業,皆様の母国政府,あるいは研究機関等において,政策決定を行う責任ある立場につかれることとなります。日本では,学校時代の友人関係は社会において非常に重要な要素となっています。皆様が夫々の進路を歩まれるにつれて,その道は再々交わることでありましょう。それ故私は,皆様がどんな地位にあっても,より広い国際社会の一員であることを常に念頭においていただきたいと思います。我々のもつ諸問題を解決するのは,究極的にはこの幅広い仲間意識にほかならないのですから。
御卒業おめでとうございます。