[文書名] ニューヨーク日本協会における中曽根康弘内閣総理大臣の演説
インガルソ会長マッケクロン理事長並びに御列席の皆様
今夕,日米関係に格別の関心を寄せられている皆様にお話しする機会をえたことは,私の深く喜びとするところであります。
およそある国が,世界のリーダーとして各国に受入れられるためには,単に軍事力や経済力の優越性のみならず,文化の力,すなわち,その国のもつ理念や価値観が卓越していなければなりません。米国社会のもつ自由と民主主義は,まさにそういうものとして第二次大戦後の世界の国々に受入れられ,米国は自由世界の盟主として,戦後世界の平和と繁栄を保証してきたのであります。
第二次大戦後すでに40年,国際的政治・経済情勢には大きな変化がありました。しかし,我々の目指す文化的価値としての自由主義,政治的価値としての民主主義の崇高性と正統性には,いささかの変化もありません。変った最大のことは,あるいは変わるべき最大のことは,我が日本が,単にその受益者である立場から,それを守り,より発展させていくための米国の協力者となったということであります。
御列席の皆様
顧みますと,1960年代までは,なお前途に希望をもった時代でありました。米ソの平和共存の期待のもと,世界の国は成長マインドにあふれ,人々の生活は,今年よりは来年,来年よりは再来年,さらによくなっていくという確信がありました。しかし,70年代に入ると,環境問題の顕在化は人々の科学技術に対する信頼を揺がせ,いわゆる石油ショックは,無際限の経済拡大の楽観主義に一大打撃を加えました。また,ソ連の拡張主義は,米ソ間の雪解けの夢を再び凍らせてしまいました。
全世界は米国の圧倒的役割の下につくり上げられてきた戦後秩序の変質の中で,ある種の方向感覚の喪失に苦しんでいるようにみえます。しかし,そのことが自由主義と民主主義が本来持っている活力の喪失につながっていくとすれば,事態は極めて重大であるといわなければなりません。
われわれは,80年代を再出発の時にしなければなりません。21世紀にむけての世界人類の繁栄の基礎固めをする時期として,この10年が位置づけられねばなりません。
それには,第1に,米ソ間の関係の再調整が必要です。私は,レーガン大統領の平和を求める熱情と,そのための賢明な戦略的判断を,全面的に理解し,支持いたします。完全な相互理解に基づく自由世界の結束が,この問題解決の基礎であると確信いたします。
第2に,IMF,ガット等,戦後の世界経済秩序を支え形成してきた制度,機構の再活性化が必要です。この分野で私が最も憂慮している問題は,国際貿易における保護主義抬頭の兆しであります。現在,先進諸国にあふれる失業者の群れをみるとき,為政者として誠に胸痛む思いがいたします。しかし,目前の困難の安易な解決を保護主義に求める時,経済は活力を失い,世界は縮小均衡の道をたどらざるをえません。ダイナミックな変動の中にこそ経済の発展がありえます。
勿論自由貿易は,それが経済合理的であるからといって,当然に実現されるものではありません。その維持,発展のためには,各国の不断の努力,強い政治的リーダーシップが必要です。私は米国とともに,この分野における最大の努力を傾けることが,日本の果すべき役割であると確信しております。
第3に,自由先進国の発展のためには,発展途上国の発展が不可欠であります。南北間の経済交流の拡大循環が実現されはじめて,北の先進諸国の経済発展も可能であります。南の繁栄なくして北の繁栄もないといいうると確信します。
この関連で,私はいわゆるNICs(新興工業国)の出現に注目したいと思います。こうした国々の出現こそ,先進諸国が待ち望んでいたことであり,米国を中心とする先進諸国の南への長期にわたる援助が,決して無駄になっていない証拠ではないでしょうか。
私は,つい3週間前ASEAN諸国を歴訪し,各国指導者と率直に話合い,その経済社会の実情をつぶさにみる機会を得ました。その時私が得たものは,この地域こそ世界のグロース・センターとして,今後発展途上国の希望の星になりうるという確信であります。そして日本の,これら地域に対する政府べース,民間べースでの経済的・技術的・人的交流の努力が,いささかでもその発展に貢献しえたことの喜びを感じました。この地域の平和と繁栄に貢献していくことが,今後の日本の大きな責任であると痛感しております。
それと同時に,私は,米国,日本をはじめASEAN諸国やオーストラリア,ニュージーランド,カナダ等,太平洋をめぐる諸国が,一つの新しい経済文化圏をつくり上げる可能性を,21世紀に向けての一つの人類の歴史的夢として描いているのであります。
御列席の皆様
私は昨日までウィリアムズバーグにおけるサミット会議に出席して参りました。そこで中心的な論議は,世界経済回復への強い期待と,そのため先進民主主義諸国が果すべき役割と責任についてでありました。このように,先進民主主義諸国の首脳が一堂に会し,十分な意思疎通と政策調整を図ること自体が,現代の特質を象徴しており,その背景にある「我々は同じボートの中にいる」という実感は、我々の共有する貴重な資産であります。
過去10年の先進諸国の政策運営をみるとき,我々はやや内向きの姿勢になり勝ちました。それは外向きの姿勢を続けることに疲れたからでもありましょうし,国内問題がそれだけ深刻になったからでもありましょう。特に為替の変動相場制への移行が,各国の内外均衡の接点を離れさせ,各国の国内政策がややハーモニーを欠く結果になったことは否めない事実だと思います。しかし,今再び先進諸国は,各国経済の運営が,強い国際的影響の中でしか行われえないことを確認し,世界経済の拡大に向って共同歩調をとることに合意いたしました。南北問題の解決,世界経済秩序の強化,東西関係の調整等,山積みする問題を全世界のGNPの50%以上を占めるサミット参加国が,結束して解決に努力することによって,80年代の世界は再び活力を取戻すでしょう。
実際,今後の国際関係を律する基本原則は「協調」でなければなりません。そこでは,依然米国に強力なリーダーシップが期待されていますし,日本もまた「責任ある協力者」として,最大限の寄与をする用意があります。
日本の経済発展は,自由で積極的な民間企業の活動によって,かつダイナミックな構造変化を遂げながら実現されてまいりました。
1955年に全体の36%を占めていた農業人口は,いま僅かに9%を占めるにすぎません。その間,農産物の輸入は15億ドルから185億ドルに増加しています。
1955年に28万人いた石炭産業従事者は,今2万人弱を残すにすぎません。一頃わが国輸出の花形であった繊維製品の輸出は,1982年において56億ドル,一方輸入が31億ドルに達しています。繊維製品の輸出は,多様性のゆえに,そこには微妙な分業関係が成り立っているようにみえます。そして今,鉄鋼,自動車,音響機器といったものが,その輸出力を誇っています。しかし,世界で最も競争を誇る鉄鋼においてすら,近年200万トンの日本への輸入が始まっていることを付け加えておかねばなりません。
このような変化の中には,明らかに労働集約的なものから資本集約的なものへ,そしてさらに知識集約的なものへという一貫した発展方向がみられます。
日本の産業政策において成功したことがあるとすれば,それはこうした産業の発展,盛衰の方向について政府,経営者及び労働組合等の関係者間にコンセンサスがつくられ,その転換が円滑に行われたところにあると思います。しかもそのための政府の直接介入は意外なほど少ないことは,少し実態を解明すれば明らかになることであります。政府は民間の先見性と意欲を尊重し,これを激励したということであります。
私は,このように歴史的に実証された日本の民間企業の活力に最大の信頼をおきたいと思います。そしてその活力をさらに解放,鼓舞することが,今後の日本経済の発展の鍵だと考えております。私の内閣の最重要政策の一つとして,デレギュレーションを標榜し,実行しているのもこういう考えに基づくものであります。
では,その民間の推進エネルギーは,今後どの方向に向けられるべきでありましょうか。
それは端的にいって,エレクトロニクスとコミュニケーション技術の発展に支えられた高度情報社会の実現を目指すことだと思います。むろん,既存産業の知識集約化や,バイオ・インダストリー,ライフサイエンス等の新規分野の発展も重要であります。しかし,高度情報社会の実現は,これまで経験した単なる産業構造の変化をこえた,社会構造の変革をめざすものであり,これまで人類が到達したことのない文明史的な発展段階を画すものであるといえます。その実現には20年,30年かかるかも知れません。しかし,このような新しい長期的目標を我々が明確に意識し,それへ向っての広域な努力を始めることが,かつて,電気の普及や,自動車の普及が果したと同じような,あるいはより以上のインパクトをもって,長期的な経済発展の新しいうねりを起させる途であり,また,現在の高度情報社会における人々の新しい価値観の多様化や,ライフスタイルの模索といった社会思潮の変化に応えるみちだと考えるのであります。
こうした変革を実現できるものは,科学技術の発展であり,その発展を受入れることのできる社会のダイナミズムと精神的余裕であります。米国と日本は,そうした能力と適性をもっている数少ない国であります。
そしてこのような社会構造の飛躍を実現したとき,自由と民主主義も新しい生命を吹きこまれ,豊かな発展が可能になると確信するのであります。
御列席の皆様
日本と米国の太平洋をはさんだ隣人としての地理的位置は未来永久に変わりません。そして,ニューヨーク日本協会は,過去4分の3世紀にわたって,この舞台の上に展開された両者の歴史的運命の移り変わりを,その厳しい冬の時も,明るい春の時も,常に変わらぬシンパシーをもって見守ってこられました。
いま世界史の流れは,この地域を,その名の通りの太平の基盤の上に,自由と民主主義の明るい繁栄の文化の地域として形づくるべく運命づけられているようにみえます。日米両国はその新しい文化の形成に主体的な役割を果すことになるでしょう。
日米間には当面色々な問題があります。しかし,私は,そのような両者の対立をこえて,日米両国が果すべきこのような歴史的役割を考えるとき,そこに新しい協力と連帯の関係が生まれてくると確信するものであります。