[文書名] 高崎高等学校における講演,政治を志す若い諸君へ(中曽根内閣総理大臣)
<はじめに>
きょうは母校の高崎高校へ参りまして、皆さんにお目にかかることを大変楽しみにしておりました。私の在学中もときどき中央の偉い人や先輩が来て話をしたのが非常に印象深く頭に残っておりますし、私も代議士になりましてから、何回かここへ来て皆さんの先輩にもお話を申し上げ、漫談をしたことがあります。それを今、東京で働いている諸君の先輩は非常に印象深く聞いてくれたようで、京浜同窓会があると、よくその話がでます。
そういう意味で、一回ぜひ皆さんのところへ伺いたいと思っておりました。大臣をしておるときにどうかと思ってお願いしたら、どうも大臣じゃだめらしい。総理大臣なら大丈夫らしいと。総理大臣になりましたから、どうだと言ったら、ぜひいらっしゃいということであります。なかなか、高崎高校というところは格式の高いところだなと、そう思った次第です。
そこで、私は今、内閣総理大臣という重職を拝命して、私なりに一生懸命やっておりますが、自分で過去を反省してみて、どういうふうにして中曽根康弘というものが形成されたかということを、今、学生である諸君に、と思って申し上げたい。
【文化と学問と政治】
それは、結局文化と学問と政治という関係になります。ここの先輩で井上房一郎という人がいますね。皆さんもよく知っておられる。バラを作ったり運動を奨励したりしてくれている大先輩。その大先輩がブルーノ・タウトの拓本を私に下さった。その拓本にはドイツ語でブルーノ・タウトの言葉が書いてある。イッヒ・リーベ・ディ・ヤパニッシュ・クルトゥール、我れ日本文化を愛す。その拓本を私はおりにふれ何回も見ている。ドイツ人が日本文化を愛する。よほど日本をよく知った人であり、味わいのわかった人だなと、そう思っている。
日本人が日本文化というものを知らずして、またそれを体得せずして政治ができるはずがない。そういう意味で私は学校のころから文化の問題、教養の問題について相当深く勉強をした。そういう日本の文化論で一番私に影響を与えたのは、和辻哲郎とか、あるいは『三太郎の日記』を書いた阿部次郎とか、あるいはもう少し西洋的なものも入ってきた河合栄治郎先生とか、そういう人であった。その河合栄治郎先生には『トーマス・ヒル・グリーンの思想体系』という膨大な本がある。それはどちらかといえば社会民主主義的な本です。その本を耽読した。一方、そういうバタ臭いヨーロッパ的なもののほかに、やはり日本古来から来ているいろんなもの、道元であるとか親鸞であるとか白隠であるとか、そういうものもずいぶん耽読した。その二つが私の中に入っていて、私自身は融合していると思っている。その自分の考えを晩年になったら一回ものの本に書いてみたいと、そう思っている。
私は、土曜日の夕方はホテルへ行って水泳をやり日曜の晩はお寺へ行って座禅をやっておりますけれども、西田幾太郎先生が座禅という境地を哲学的に足場を組んだ。それが西田哲学です。つまり無という概念、空という概念、そういうものを哲学的に分析し組み立ててみると、それが純粋経験、つまり主客未分の状態、汝本来の面目、父母未生以前の汝本来の面目、お前のおとっつぁんやおっかさんが生まれる前のお前の本来のものというのは何であるか、それは主と客がまだ分裂する以前の融合している本源状態を意味する。座禅をじっとやっていると、空とか無とかいう世界に入ってくる。それが猛烈なエネルギーに富んだ、そして物をつくっていく創造力の原動力になると私は思っておる。そういうものが私の中に生まれ、燃え、それを自分で意識し、分析し、組み立てている。そのるつぼの中には、道元とか親鸞とか日蓮とか白隠とか、というような日本の本来のものと西欧的なものとがやはりそこに組み合わさっていると思っている。だから、学生時代は、特に旧制高校まではほとんどそういう勉強をやった。
【大切な中学・高校時代の基礎】
それからもう一つ、非常にありがたいと思ったのは、この高崎高校、昔の旧制中学に英語のいい先生がいました。たとえば藤本純助先生とか栗原重吉先生とか。この先生の発音が非常にいいんですね。恐らく中学や高校時代の先生の発音というものが学生に移っていって、それがそのまま大人になってからの発音になってくるように私は思う。
私は外国へ一年、二年と留学したことはない。一番長かったのは、ハーバード大学のインターナショナル・サマー・セミナールに、キッシンジャーがアシスタント・プロフェッサーでおったころ、そこへ出ただけです。あとは独学です。しかし、高崎中学時代勉強したその基礎というものがしっかりしておって、たとえば以前ニューヨークへ行ったときも、お前はどこの大学を出たと言われて、東京ユニバーシティだと言ったら、いやアメリカのどこの大学を出たかと言うんです。いやおれはアメリカの大学は出ていないと答えたが、それくらい私の英語はニューヨーカーに近いと。自慢じゃないけれどもそう言われた。それは藤本先生や栗原先生のイントネーションがニューヨーカーのものをそのまま持ってきたのではないかと思う。
私は心臓が強いから、アメリカへ行って英語で演説したり、外人が来れば大体英語で話をしたりしております。それは全く独学であります。しかし、それは高校時代の力が根になっている。恐らく高校時代の英語以上の力にはなっていない。ほとんど文法は忘れていますから、あとは八百屋の符丁みたいに知っていることを言うだけの話であります。そういう意味において、中学から高校のときの英語の力というものは非常に大事である。そういうふうに思った。
発言が非常に大事で、はじめてアメリカへ行ったときに、タクシーに乗って、ロックフェラー・センターへ連れていってくれと言ったら、何回言ってもわからない。それで、一体お前はどこの国の国民だと言うんで、黒人運転手に当ててみろと言ったら、まずタイランドかと言った。私はタイ国人に見えたらしい。それからコリヤン、パキスタン、インドネシアまで来て、もうほかにないんじゃないか、ああチャイナがあった。そうじゃない。みんなノー、ノーと言ったら、もうないじゃないかと運転手が言うんで、ザ・ストロンゲスト・エネミー・イン・ザ・ワールド・ウォー[[undef12]]と言ったら、ああジャパン、とそう言ったね。
そういう思い出があるが、そのときにロックフェラー・センターへ行けと言ったってわからない。そこで、アメリカのミリオネアの名前の付いているビルだと言ったら、ああロックフェラー・センターかと。私がロックフェラー・センターと言うと向こうには通じない。RとLの発音の節回しが非常に難しい。それでそのときに、なるほどこれはRとLというものの使い方は難しいんだなとつくづくわかった。
ハーバード大学へ行ったときに、私の友人が、おれがアイスクリームを注文してやると言った。英語使いで有名な男だ。それが、おれはチョコレートだ、お前何にする、おれはバニラだ。それでバニラとチョコレートのアイスクリーム持ってこいと言ったら、バナナとチョコレートを持ってきた。バナナじゃない、バニラだ、ともう一回言った。またバナナ持ってきた。私の友人が怒っていろいろ説明したら、それはバ{前1文字に傍点}ニラではない、バニ{前1文字に傍点}ラだと言うんですね。マ{前1文字に傍点}ニラじゃない、マニ{前1文字に傍点}ラと言う。そういうイントネーション一つで通ずるか通じないか境が出てくる。そういうようなところは、中学・高校時代の基礎的な先生方の力、自分の勉強というものが非常に響いてくる。
【語学と国際人】
通産省でも農林省でも、外務省はもとよりそうだけれども、近ごろ国際派と言われている官僚たちがいる。国際派というのは、通産や農林は外務省じゃないから、英語なら英語、スペイン語ならスペイン語、ドイツ語ならドイツ語、フランス語ならフランス語、少なくとも一カ国を完全マスターしたのを国際派と十年くらい前は言っておった。今や二カ国語をマスターしていないと国際派とは言えない。英語とフランス語とか、英語とドイツ語とか。大体英語とフランス語、英語とスペイン語が多いね。今それくらいの世界の大きな流れになっておる。昔は一カ国語でオーソリティーだったけれども、今や二カ国語を使わないと国際派とは言えない。日本はそういうふうにどんどん進んでいる。政治家も同じで。同じようなスピードで政治家の教養というものが進んでいかないと、どんどん日本全体がおくれてしまう。私は、そういう意味において日本の政治全体が大分おくれていたのではないかと思う。
私は最近国際会議やら、あるいはそのほかの場所でかなりの心臓英語や心臓フランス語を使っている。やっと何とかかんとか通用しているのは、第一は心臓の力であるけれども、もう一つは、それは発音が悪いにしても、ともかく外国語を使って話をする。それで国際的な仲間入りができる。たとえばサミットにおいて、写真で私がレーガン大統領の隣に立っていましたね。どうして立ったか。その場所へ歩きながら、私はレーガンさんに、こういう話をしていた。じつは私がウィリアムズバーグへ着いたときに軍楽隊が軍艦マーチを演奏した。そこで日本の新聞記者が、あれは軍国主義だとワァワァ騒いで、それでUPIが世界に電報を打った。また中曽根は議会でやられるぞと。そういうニュースが国務省に入った。そこでレーガンさんやみんなが心配しているという話が私のところに来たから、私はレーガン大統領に、「心配しなくていい、軍艦マーチというのは世界の名曲なのであって、その名曲をあそこでやったというんであるから、別に軍国主義でも何でもない、心配しなくてもいい。しかし、それにしてもここのウィリアムズバーグというところはいいところですね。われわれのところには明治村というのがあるけれども、とってもこれには及びもつかぬ。たいへん立派ないいものをロックフェラーは寄付して造りましたね」。そういう話をしているときに写真を撮す場所に着いたから、私が隣に立っていてパチッとやられたという形になっている。もし英語をしゃべれなかったならば、端っこへ立つよりしようがない。話し続けてきたから真ん中へ立った。そういうことになる。もっとも、計画的にやったかやらないかということはシークレットであって、ここでは言わない。
しかし、ことほどさように、今、日本が国際化されて、サラリーマンでも会社の人でも、あるいは役人でも政治家でも、今やそのレベルに入っていかないと一人前になれない。そういうことが言えると思う。
【政治家は文化・学問・芸術の権化】
それから、私がやっている今の政治というものは、高校あるいは大学時代に政治学とか経済学とか社会学というものを勉強した、その知識を最大限に活用してじつはやっておる。私は自分で自負しているんだけれども、大学時代の学問を一番活用している政治家は私じゃないかなと、そう思っておる。これは法律学にしても、あるいは外交史にしても、あるいは経済学にしてもそうです。大学を出てしまうと、あるいは大学時代でもほとんど勉強しないものだけれども、−−今の大学というのはレジャー産業みたいなもんだね−−だけれども、われわれのときはそれでも勉強した。また高校時代も勉強した。それが非常に役に立っている。
私は高校時代は英語とフランス語をやったけれども、フランス語の中では、パスカルの『パンセ』、こんな厚い『瞑想録』という本がありますね、あのパスカルの『パンセ』を字引きを引き引き全訳したことがある。こんな厚いのを訳すのは非常に難しい。しかも、あれは十七世紀の本だから昔の古いフランス語で書いてあるからなかなか難しい。そして人間に対する考察、宗教に対する考察、科学に対する考察、奇跡に対する考察−−パンセ・スュル・ル・ミラークルとか、パンセ・スュル・ロームとか、パンセ・スュル・ラ・ルリジオンとか−−そういういろんな章がある。それをみんな翻訳したことがある。そこで覚えていたのは「人間は一本の葦{あしとルビ}にすぎない」という言葉です。ローム・ネ・カン・ロゾウとフランス語で言う。それを覚えておった。そこで先日のサミットの首脳会談のときに、遺伝子の組替えの話をして、今や遺伝子の組替えが人間の尊厳を犯す危険が出てきた。すでにクローン人間というのがつくられ得る。人間とチンパンジーのあいのこだっていつできるかわからぬ。それはできるが、やらない、やらせない。遺伝子の組替えになるともっと恐ろしいものが出る。そういう意味において、それは一大学や一国の問題ではないから、全世界の賢人が集まってルールを決めよう。人間の尊厳を守る、人間が人間の本質に迫れば迫るほど人間は慄然{りつぜんとルビ}として自己の小さいことを知らなければならぬ。そういうときになった。だからパスカルが十七世紀に、「人間は一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」と言ったその言葉は、現在われわれがもう一回かみしめる必要がある。そういう話を大統領や首相、とくにミッテランさんにした。ミッテランさんはたいへん喜んだ。日本の政治家からパスカルの話を聞くとは思わなかったらしい。ミッテランさんは述懐した。「自分は日本は経済に強い国だと思ってた。しかし昨年日本に行き、京都で寺を見て日本は深い精神の断面があると知った。昨日の中曽根首相の話はその証拠で敬意を表する」と。
われわれがサミットの間でコーヒーブレークとか、会議が始まる前だとか、みんなで立って雑談している。そのときにどんな話をしているかというと、だいたい絵の話とか詩の話とか音楽の話とか神話の話とか、そういう話が多いです。だから西洋の連中がそういう時間の余ったときに、トップレベルの連中が話すときには、そうとう高い教養の持ち主でないと太刀打ちできない。私は今度行ってみてしみじみ感じました。音楽があると、ドイツのコールさんは、あれはモーツァルトですと言うわけです。そういう意味において、ああいうサミットのようなものは各国の文化の饗宴でもある。そういう面からも、日本はもっといろいろ考えるべきところがあるなという気がしてきたのであります。そういう意味において、昔やった学問あるいは勉強というものを最大限に今の政治に生かしている。国際政治に対する見方は東大の外交史で教わったことを今、よく反芻{はんすうとルビ}している。みんなそういうことです。だから、学問を一番生かしているのは私だろうと自負しているのであります。
そういうわけで、文化とか、あるいは学問とか政治とかいうものは別々のものではない。それを渾然{こんぜんとルビ}一体として自分の体の中に体現して、それを余すところなく発散するものが政治である。燃焼し尽くすことが政治である。政治家はそういう意味における文化や学問、芸術のアンカルナシオン、権化である。そういうふうに自分は考えている。西欧の一人前の政治家は、みんなそうだろうと思う。そういう考えに立って政治をやっていきたいと思っている。新聞に書かれることはだいたい面白おかしい話ばかりです。派閥でどうしたとか、おはしが転んだとか、面白おかしい表面的なものばかり書くけれども、しかしそんなもので日本の政治が動いているはずはない。日本の国内だけではそれは通用するけれども、国際的なところへ来ると、根の深さ、根の張り方というものが問題になってくる。それを代表している政治家の資質というものが問題になってくる時代であると、そう思っている。
いずれこの中から総理大臣も外務大臣も出るかもしれないから、今からその要領を諸君に教えておく次第である。諸君のご健闘を祈ってやみません。これで終わりにいたします。
〔この講演は、昭和五十八年七月三十一日、母校の高崎高等学校において行われたものである。〕