データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 中曽根康弘内閣総理大臣のインド議会における演説

[場所] ニューデリー
[年月日] 1984年5月4日
[出典]  外交青書29号,402ー408頁.
[備考] 
[全文]

−新たな友情・新たな出発−

 首相閣下、下院議長閣下、上院副議長閣下、並びにインド議会議員の皆様。

 私がこのたび当地に参りましたのは、アジアで最も有力な二つの民主主義国、すなわち日本とインドの両国間に、来たるべき世紀に向けて、新たな協力の関係を構築せんがためであります。日印関係の緊密化により両国の発展を促進し、ひいては、アジア及び世界の平和と繁栄に貢献せんがためであります。

 私は、ここにその所信を述べる貴重な機会を与えられた貴国議会および政府の御高配に対して、心から感謝する次第であります。

 議長閣下。

 インドと日本が、国際社会に対して大きな影響力を持ち、そのゆえに重大な責任を有する国となったことは、いまや何びとも否定できません。

 インドは、「多様性の中の統一」をめざし、多民族、多宗教、多言語という諸困難を克服して、人口7億を擁する世界最大の民主主義国家を形成するとともに、外交面においては、いち早く非同盟中立を打ち出し、今日、その議長国として、第三世界の協調と発展のために貢献しています。

 他方、日本は、世界で最も高い工業生産力を誇る国の一つとして、世界GNPの約1割を占める経済大国となりました。そして、永い伝統と独自の文化とを西欧文明に融合させ、東アジアの民主主義国家として、世界の平和と繁栄のため特色のある活動を展開しております。

 いまこそ、この二つの指導的国家が、その国際的地位にふさわしい新たな協力関係を確立し、国際社会に奉仕すべき時であると確信いたします。

 議長閣下。

 日印両国は、千数百年も昔から精神的な交流を有し、また、約百年前からは、インドの独立へのステップと日本の近代化への歩みが相重なり、互いに助け合う仲でありました。

 私的な思い出でありますが、私は、はじめて貴国を訪れた、今から27年前の1957年、ガンジー首相の父君であられる故ネルー首相にお目にかかりました。その折同首相は、まだ30代半ばを過ぎたばかりの私にこう語られました。

 「自分が幼少の頃、日本が日本海海戦に勝って、帝政ロシアを破ったと聞いたときほど勇気を与えられたことはなかった。アジアの開発途上国でも、独立と文化の保持のためには、ヨーロッパの大国を打ち負かすことができる」。

 私は、この時、第二次大戦で敗北し、肩身の狭い、みじめな思いをしていた我々日本人を慰めようとされた、ネルー首相の優しい思いやりに強く打たれましたが、この言葉と同様の趣旨のことは、同首相の『自叙伝』にも記されており、21世紀初頭の日印関係の空気をうかがうことができます。

 第二次大戦後、インドが独立した時、我が国は敗戦国として、世界の厳しい審判にさらされておりました。しかし、インドのパール判事は、日本の過去の行為に対して極めて同情的な論告を行い、深い挫折感と反省の中にあった日本国民は、インド国民の温かい気持ちに対して大きな感謝を覚えました。また、1949年には、ネルー首相が、未だ廃墟にある東京の子供たちのためインド象を贈られましたが、これが現首相閣下のお名前をいただいて「インディラ」と名付けられ、東京の子供たちのみならず日本全国民にこよなく愛されたことは、あまりにも有名であります。

 このように友好的な政治的・国民的関係を背景に、日印間の経済関係も活発化しました。貿易面では戦前の綿花に代わってインドから鉄鉱石の輸入が増大し、我が国工業の復興にとって大きな力となりました。また我が国経済が戦前水準の復帰を果たしたのち、経済協力として、最初に円借款供与を開始したのは、インドに対してであります。

 こうして日印両国の友好協力関係は、順調に発展して参りましたが、その間にも両国はまた、それぞれに、めざましい発展を遂げたのであります。とりわけインドは、国民の創意と活力を生かし、不可能と言われていた食糧自給を、「緑の革命」によってほぼ達成するとともに、産業の高度化に取り組んで、自国の消費物資のほとんどをつくりだす一大工業生産国に発展しました。また、先端科学技術、とりわけ、宇宙や南極といった分野において、数々の見るべき成果を挙げるようになりました。

 しかし、我が国民の間には、貴国の過去及び現在の精神文化に対して高い尊敬心はあるものの、貴国のこうした政治、経済面での輝かしい前進については、残念ながら、必ずしもまだ百パーセントの理解があるとは申せません。また、他方、貴国民の我が国に対する認識にも、時に同様の場合が見られるように思われます。

 強固な友好協力の関係は、正しい相互理解の上にのみ築かれるものであります。

 私が今回貴国を訪問しましたのは、貴国に対して、日本国民の懐く尊敬と友好の誠意をお伝えするとともに、貴国に対する日本人の理解と認識を更に深め、これによって、相互理解を促進し、新たな日印関係構築の第一歩たらしめようとする決意からなのであります。

(平和と繁栄のための世界戦略)

 議長閣下。

 私は、本日午後、ガンジー首相閣下にお目にかかり、長時間、多岐にわたって意見の交換を行いましたが、その際、新たな日印関係に関する私の気持ちを率直に申し上げました。私は、ここで少々時間を頂戴して、この会談に当たって主要な議題となった平和と安全の問題、並びに国際関係の問題に関する私の考え方、並びに我が国の政策について、皆様の御理解を求めることをお許しいただきたいと存じます。

 まず、私の信念の根本は、人類は今後未来永劫にわたって、第三次世界大戦を惹起してはならないということであります。

 我々は、20世紀に入ってすでに2度の世界大戦を経験しました。世界大戦は、権力政治の面から見れば、流量が溢れ、堤が決壊して生じた歴史上の洪水のような現象であります。これに呑まれて生命を失うものは数知れず、辛うじて逃れたものは、その悲惨さを繰り返すまいと、さながら河川工事における築堤や流路の変更のように、さまざまな戦争防止の手だてを講じます。私は、我々人類は2度とこのような洪水をおこしてはならないと信ずるものであります。

 第一次大戦においては、国際連盟や所謂ベルサイユ体制がそれでありました。しかし、暫くは有効に機能するかに見えたこの体制に対して、やがて激しく挑戦する勢力が発生しました。戦う双方は様々な理由を唱えるのが常でありますが、結果的に、独善的な世界観や国家哲学は、またしても世界歴史における痛ましい洪水劇を生じさせたのです。これが第二次大戦でありますが、遺憾なことに、日本もその挑戦者の一員でありました。そして、この第二次大戦の終結後、再び新たな流路が設定されました。

 すなわち戦後は、国際連合という体制とその成立当初における大国の核兵器独占という現実から出発したのであります。

 しかしながら、状況は第一次大戦後とは全く変わっています。まず、かつて植民地だった地域に、多くの独立国が誕生しました。このことは、各地に活発な経済活動、政治活動を生じさせ、これによって目覚めた諸国民は、戦後体制の中の、必ずしも正義と公正に合致していない点について鋭い批判を浴びせるようになり、いわゆる南北問題が生じました。

 また、科学技術の進歩は、核兵器の破壊力をも飛躍的に増大させ、今日地球上に存在する核兵器は、人類を幾度も殺戮しるう能力を備えるに至りました。同時に、その製造の秘密も明らかとなり、少数国の独占体制にピリオドが打たれる状況になりました。そして、人類社会は、核兵器による恐怖の均衡によって核戦争が回避され、辛うじて平和が維持されている現況にあります。

 すなわち世界は、第二次大戦前の状況とは全く一変し、全地球的危機下にあると言わなければなりません。いかなる手段にせよ、核戦争に連なる惧れのある実力行使は全世界破滅の引き金となりうるでありましょう。この意味において、我々は、理性に基づく粘り強い対話と交渉によって、即ち、平和的、民主主義的手段と手続によって、国際紛争や世界体制上の矛盾・不合理を解決して行かなければならないのであります。

 この点に関連して、私は、近年著しく発達してきたマスコミ情報体制や、衛星を利用したテレビの世界的通信システム等に、一つに光明を見ることができるように思います。情報通信の普及は、諸国民間の相互理解を深め、戦争の愚かさを知らせるのに有効なのではないでしょうか。そして、それが今日、世界平和の維持に目に見えない偉大な力を発揮しているのではないでしょうか。若し、第二次大戦前、テレビと衛星による国際的な通信が発達していたら、第二次大戦はおこらなかったのではないでしょうか。

 いずれにしても、今日、世界の諸国は、現下の厳しい事態を厳粛に認識しつつ、戦争防止と平和維持のため、それぞれ独自の戦略を選択しつつあります。我が国としては、第二次大戦に対する深い反省に立ち、世界の恒久平和と繁栄を確保する平和戦略の選択に骨身を削りました。その重点を次に申し上げたいと思います。

 まず、我が国は、平和と安全保障の問題は、現代においては、今や一国だけでは処理し切れなくなっており、国際間の協調と連帯の上で対応して行かなければならないと考えております。究極的な平和の確保には、全世界的な合意の形成が求められることになりますが、我が国は、現に世界大戦の発生を防止しているのは力の均衡と抑止であるという冷厳な現実を認識し、この認識の上に立って必要な、国家間の協調をはかり、且つ、自国の節度ある必要最小限の防衛力を整備しております。そして米国との安全保障面での取り極めを行い、国家の総合安全保障政策を進めております。

 これは、我が国が東アジアの島国であるという地政学的特性と、同時に、北東アジア周辺における軍事力増強とその潜在的脅威を勘案する立場に立つものであります。こうしたバランスのとれた方式は、日本の軍事大国化への周辺諸国の危惧を防ぎ、国内的合意の形成にも有効でありました。

 次に、我が国の経済的生存には、自由主義的政策を内政及び外交の基本としなければならないということがあります。

 言うまでもなく、我が国は、資源も市場もそのほとんどを海外に求めざるをえない国家であり、このためには、世界の平和の維持と、自由貿易主義こそ我が国の存立基盤なのであります。

 さらに我が国は、第三世界の諸国、非同盟諸国との友好関係を深めること、また、開発途上国との経済協力関係を充実して、互恵平等、相互補完の立場に立って共存共栄に努めることを特に重視いたしており、相互に平和と繁栄を図るべくつとめて参りました。

 以上、大きくこの三つの路線が、現在の我が国の平和戦略の骨子であります。

(日印協力関係の新たな発展)

 議長閣下。

 それでは、このような路線に立ち、東アジアにおいて巨大な経済を営む我が国と、非同盟路線のリーダーとして、いまたくましく発展を続けている大国インドとの間で、その地位にふさわしく、新たに構築すべき関係はどのようなものであるべきでしょうか。

 私は次に、この問題につき四つの側面から私の所信を申し述べたいと存じます。

 まず第一に、世界の平和と軍縮に向けての両国の協力の問題について申し上げます。

 言うまでもなく、今日我々が最大の協力を行わなければならないのは、核戦争を防止することであります。核兵器を廃絶し、軍縮を推進して、その余力を開発途上国の発展に振り向けることができるならば、我々は、よりよい世界をこれからの子供たちに約束することができるでありましょう。手始めに、現在の核兵器を含む力の均衡の水準を、確実な保障の下に、可能な限り引下げることが必要であると私は考えており、そのための努力を行ってまいる決意であります。

 外交路線の選択において、首脳交流その他を通じて、世界の平和を求めるための外交政策を実行してまいりました。このたび、非同盟運動の有力リーダーである貴国を訪れたことを機会に、国連において3分の2に近い大勢力たるこれら諸国との対話と協力を更に深め、日本外交の新たな道を切り開きたいと念じております。この意味において、貴国との相互協議は極めて重要であり、今回の訪問の主目的もここにあると申して、過言ではありません。

 この点に関連して想起されるのは、故ネルー首相がその有力リーダーとして開催されたバンドン会議に見られるアジア的友好協調の精神であります。もとより、この会議は非同盟運動そのものでもなく、アジア諸国だけが参加しているわけではありませんが、私はここに、対決や抗争を避け、共存を求めるアジア人古来の知恵と哲学がみなぎっているように感じられてなりません。バンドン会議十原則は、その後のさまざまな歴史的経緯を辿りましたが、国際関係を律する原則、諸国民の連帯の燈台としての価値は今日においてもいささかも減ずるものではないと思います。

 私は、今後、こうした精神の上に貴国との協議を重ね、アジアひいては世界の未来を開く上に、よりよい知恵を生み出すことを願っております。

 第二に取り上げたいのは、国際経済面における両国間の対話の促進です。私は、昨年のウィリアムズバーグ・サミットで、南と北は車の両輪であり、そのいずれの活性化が欠けても世界経済の前進はむずかしいことを強調し、南の立場に対する理解を強く各国に訴えました。この6月のロンドン・サミットにおきましても、私はこの立場を貫きたいと思います。

 我が国としては、かねてから開発途上国の国造りに対して協力を行うことを自らに与えられた役割の1つであると考え、厳しい財政状況下にも拘らずこれら諸国の経済発展と民生安定のために、政府開発援助を中心とする協力を推進してまいりましたが、こうした協力についても、貴国との対話を深めていく必要がありましょう。

 第三に、日印両国間の経済、産業面における協力の推進について申し上げます。

 近年、貴国は石油生産の順調な伸びと相まって、その経済的基盤は強化されつつあり、両国間には自動車等をはじめとする企業提携が進展してきております。投資、技術提携等、民間産業面における協力は、経済的合理性にもとづく民間企業の主体的判断にかかわるものであります。この意味において、貴国政府が現在すすめておられる経済の自由化措置を、日本政府も日本の民間企業も歓迎し、将来を期待いたしております。

 我が国は、日印産業間の協力を推進するため、昨年秋には投資環境調査団を派遣しましたが、その後幾つかの具体的な企業提携の話が進行しており、私はこの機運を更に助長するため民間企業より成る経済施設団を派遣したいと考えております。

 第四に、両国間の文化、芸術、スポーツの交流について申し上げます。

 我が国は120年前、西洋文明を受け入れ、日本にあった固有の文化と西洋文明を融合して新しい文化の創造へ、換言すれば、東洋の精神と西洋の科学技術とをたくみに調和させた人類文明の新たな地平線を展開すべく努力しております。

 貴国もまたその固有の伝統文化と西洋の近代的科学技術との調和により新た成る創造をめざして努力をしておられます。日本とインドは、内容は違うとしても、その意図において同じような歴史的問題に挑戦していると言えましょう。私はお互いに、アジアの東と西の伝統ある大国としてこの面における新しい協力の仕組みを相談し、模索して行きたいと考えております。

 古代文明を創造したインド人は、ヴェーダを著わし、仏陀を生み、ゼロを発見しました。それらの文明はヒマヤラをこえて東遷し、我が日本もこれから非常な思恵に浴してきました。このような歴史を背景として、我が国には、いまなお、自らの思想や芸術のルーツを確かめるため、シルクロードをたどり、あるいはベンガル湾からインドに上陸し、その発祥の地を見聞する文化の巡礼団が絶えません。それらの日本人は、古代の壮大かつ深遠なインド文化に接し、またインド亜大陸の広大の自然を観賞し、新しい芸術文化創造への霊気を受け入れているのであります。

 私は、また、国境を越えた共通のルールが厳然として存在し、これが厳守されているスポーツによる交流を極めて重要と考えております。国際競技における世界新記録の達成や名演技には国籍を問わず自ずと拍手の湧き起こるのが常であり、スポーツの交流は平和の確保、戦争の防止と相互対話の促進には極めて大きく役立つでありましょう。

 この点に関して、私は、1951年ニューデリーで行われたアジア大会において、インドの強い支持により、まだ独立前の日本が一部の反対にも拘らず参加できたことを思い出します。31年後再びニューデリーで行われた第9回アジア競技大会に日本が空前のデリゲーションを送ったのは、国際社会復帰への道をつけてくれたインドへの報恩の気持ちがこめられていたことを付言いたしたいと存じます。

 議長閣下。

 私は明朝ラージ・ガートを訪れ、国父マハトマ・ガンジーの廟に献花致します。マハトマ・ガンジーは非暴力の哲学と質素な生活と、その人間的権威によって、当時の支配者を畏服させ、世界のすべての人々から尊敬されました。「万人の目から涙という涙をぬぐい去ることが私の願いである」−このマハトマ・ガンジーの言葉にあらわされた愛と友情こそインド建国の基本でありましょう。そしてまた、この愛と友情こそ、民族と国境を越えて人間が存立する基盤であり、国家や国民が連携する絆ではないでしょうか。

 日印協力関係の新たな発展に向け、私はこの壇上から親愛の情をこめて、インド議会の議長閣下並びに議員の皆様、インド全国民の皆様に向って、我々日本国民の貴国民に対する尊敬と感謝と、そして友情をお伝えしたいと思います。

 バーラト・ジャパン・マイトリー・キ・ジャイ

 ありがとうございました。