データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 国際戦略問題研究所における中曽根康弘内閣総理大臣演説

[場所] ロンドン
[年月日] 1984年6月11日
[出典] 外交青書29号,408ー417頁.
[備考] 
[全文]

 「日本の選択」−世界の平和と繁栄のための戦略−

 パリサー理事長,オニール所長,並びに御列席の皆様,

 私は,昨年,貴研究所から,アリスター・バッカン記念講演を行うよう,名誉ある招待をいただきました。今回の英国訪問に当たり,世界的に有名な貴研究所で,所信を述べることができますことは,私にとって大きな光栄であります。このような貴重な機会を御提供いただきました関係者の皆様の御高配に心から御礼申し上げます。

 私はとくに,過去10余年間,貴研究所の関心が,アジア・太平洋地域に拡がってきていることを喜んでおります。さらに,貴研究所は,アジアにおける初の年次総会を,1986年に日本において開催することを計画しておられるとのことでありますが,私は,これらの動きを,日米欧間で平和と安全保障の問題に関する相互理解の増進につながるものとして心から歓迎いたしたいと思います。

 御列席の皆様,

 日本のある政治家は「政界,一寸先は闇」という名言を残しました。現在の世界も同じく一寸先は闇で,何が起きても不思議ではない時代に入ってきています。このような時代にあっては,未来について無数のシナリオを描くことができましょう。そして,我々は,そのシナリオの1つ1つを注意深く検討し,そのうち相当数のシナリオを,項目別に引き出しのなかにしまっておかなければなりません。時に応じ事に応じて,どの引き出しのシナリオを出して対処するか−これが政治家の決断によって国民の重大な選択となるがゆえに,シナリオをきちんと整備しておくことは極めて重要なのであります。

 また,こうした選択は,協力し合っている仲間との共通課題に関するものである場合が多く,それが共通の選択に発展してゆく可能性が少なくありません。したがって,今日では仲間同士が協力し合って,多くのシナリオを書き,その選択を相談して行くようにもなってきております。ウィリアムズバーグにおいて,また,ロンドン・サミットにおいて,政治・経済・平和維持の問題等が論ぜられましたが,これらはこうした共同の選択に関する論議でもありました。

 そこで今日は,1つの引き出しをあけて,日本が過去において行い,また未来に行わんとする日本の選択についてまずお話しし,ついで自由世界の選択について私の見解を申し述べたいと思います。

 (日本の航跡)

 御列席の皆様,

 日本国民は,第2次大戦の敗戦による灰燼と荒廃の中で,過去への深い反省に立って,国際平和を希求し,再び戦争をしないということを決意して,日本を「平和と繁栄の国」とすることを自らの目標といたしました。

 戦争の残した惨禍の中で,資源に乏しい我が国が,1億の民を養うためには,経済の復興とそのための平和の維持は至上命題でありました。我が国は,最大限の国民的合意を形成して,国内の安定を確保することが必要でありました。

 そういう意味においてこの「平和と繁栄」という目標の選択は極めて慎重にかつ賢明に行われたものであります。

 当然ながら,我が国は,安全保障問題については,特に慎重に対処しました。再び日本が軍国主義の道を歩んだり,軍事大国になったりしないように,ということは,国民の真情でありましたし,同時にそれは,周辺諸国の希望とも合致するものでありました。あたかも東西対立の高まりによって,東アジア地域にも緊張がみなぎりはじめた時に当たっており,我が国は,新たに制定された,平和憲法の下に,自らの防衛体制を選択しました。即ち,我が国は,一方においてアメリカとの相互安全保障条約を締結し,他方自らの防衛力については,憲法の規定に従い他国に対し脅威となるような軍事力はこれを保有せず,その目的と性格を自国の防衛のみに限ることといたしました。

 そして,その後,我が国は,日米間の相互信頼と提携を強化し,自らの節度ある防衛力を漸進的に建設していくことによって,我が国の安全保障を全うするとともに,極東の平和及び安定の維持に寄与することとしたのであります。

 我が国は,このようにして,「平和と繁栄」へ向うコースを真一文字に歩むことになりました。国民の努力と幸運に恵まれて日本の経済力や産業技術力は飛躍的に増大して行きました。また,欧州の諸国家とアジア・太平洋の諸国家も,経済的には著しく強化されました。その間世界の情勢には,ヴィエトナム戦争,ブレントウッズ体制の動揺,2度の石油危機,あるいは米中の和解等を通じて,大きな変化が起こりました。そして,それまで格段の優位にあった米国の経済力と軍事力は,相対的にも低下を見るようになってきたのであります。

 こうした世界の構造的な変革の中で,日本としては,従来の如く状況の変化に受動的に対応するのではなくて,世界の平和と繁栄のために能動的に役割を果すべき立場にあることが明らかになってきました。すなわち,日本はグローバルな平和の維持という観点からも,自らの防衛のために,より積極的な役割を果すべきであると指摘がなされるとともに,今や卓越した経済力を保有する日本は,開発途上国に対する経済協力の強化を通じ,世界の平和と繁栄に貢献すべきであるとの意見が国際的に急激に高まってきました。

 我が国がそれまで行った懸命の努力にもかかわらず,私が政権を担当した1982年の暮においても,国際社会からの要請と現状との間にはまだ相当のへだたりがあり,状況は,かなり深刻だったと言うことができましょう。

 したがって,私は政権に就くと同時に,国際的な重荷をその国力にふさわしく分担する「国際国家」日本へと前進すべきこと,貿易や金融面における開放化の促進,平和維持・通常及び核兵器の軍縮へ向かっての政治的発言力の増大,開発途上国への経済協力強化の緊要性等を国民に強く訴えました。すなわち,対応追随型から積極的行動型に転換すべきことを強調したのであります。

以来1年半の間に,私は,4回に及ぶ対外開放経済政策を実施し,また,昨年のウィリアムズバーグサミットにおいては,政治的国際強調行動を主唱いたしました。我々は,国内的に幾多の困難をかかえつつも,この道をさらに歩みつづけるつもりであります。

 (日本の選択)

 御列席の皆様,

 このような時点に立っての日本の選択は次のごときものであります。

 (三極提携)

 第一は,自由主義,民主主義という価値観を同じくする米欧日の三極の政治的・経済的連携と連帯の上に,平和で安定した社会制度を堅持していくことを国策として推進するという選択であります。

 この三極は,合せて世界の生産力の半分を占め,自由主義陣営の中核をなしております。この三極が連携を維持させていくことは,世界の平和と繁栄を図り,そして共通の価値観を維持する上で緊要となりつつあり,その責任は重大であります。

 この三極の提携の重要なフォーラムは,北米,西欧,日本の7カ国の首脳が会する先進民主主義工業国のサミットであります。第10回目を迎えるこのサミットを記念して,我々は,民主主義の諸価値に関するロンドン宣言を採択して我々の連帯を確認しました。我が国は,今後ともこの連帯に積極的に貢献していく決意であります。

 (アジア・太平洋地域の一員)

 第二は,アジア太平洋地域の一員としての日本の未来への選択であります。欧米地域と違う文化と風土の中で固有に存在してきたアジア地域は,いまようやく繁栄の契機をつかもうとしております。我が国は世界的目標を全面に据えつつ,また一方,アジアの一員としての立場も踏まえ,地域的善隣友好政策を強力に展開していく決意であります。

 ”太平洋新時代論”はすでに20世紀の始めにセオドア・ローズベルトが地中海から大西洋,さらには大西洋から太平洋への重心の意向について語った中に見出すことができます。

 この言葉に裏書きされるように,太平洋地域では,米加日3国はもちろん,北東アジア,ASEAN,豪州,ニュー・ジーランドや中南米等の諸国は,それぞれの試練に堪えて,経済的発展を着実に遂げつつあり,いまや太平洋は世界の注目の地域となりつつあります。

 こうしたアジア・太平洋地域のダイナミックな発展と,これに伴う米国の同地域重視の姿勢について,欧州の内部に,若干複雑な受け止め方が見られることも私は承知いたしております。しかし,これは,太平洋か大西洋かとか,アジアか欧州かといった二者択一の発想で捉えられるべき問題ではありません。民主主義と自由と市場経済という基本価値において西欧と志を同じくする日米を含むアジア・太平洋地域のダイナミックな発展は,西側全体を神益するところ大であり,またそれは,西欧との協力と相互依存なくしては,到底実現し得ないのであります。西欧は,ECの結成と発展に代表されるその同質性と地域的緊密性の上に、国際的経倫の長い経験を生かし,これからの世界でも必ずその影響力と指導性を発揮し続けるでありましょう。私は,そのような強靭な西欧と,発展するアジア・太平洋地域とが連携して,その相互繁栄を更に人類全体に拡大していく明日の姿を夢見ているのであります。

 (日中関係の重要性)

 第三は,日本と中国の関係であります。

 中国は,今世紀の終りまでに,1980年の1人当たり国民所得250ドルを,1,000ドルへ上げる目標を立て,このため,産業と社会の再編成を試み,いわゆる4つの近代化政策を大胆に推進してきております。社会の統制を緩め,着実に国民の生活水準を向上して,大国の基盤づくりを行いつつある現在の中国にとって,何より大切な前提は現実的自主独立路線と周辺の平和でありましょう。

 所謂「中国カード」ということがしばしばいわれますが,今日の中国の現実的自主路線に照らした場合,中国カードというものは実際に存在し得るでしょうか。

 私は,日本がこのような中国と友好関係を維持強化することに努力していくことは,世界の平和と安全を確保する環境づくりに大きな役割を果していると信ずるものであります。

 (ソ連との関係)

 第4は,日本とソ連との関係であります。我が国とソ連との間には基本的な北方領土の未解決の問題があるほか,アフガン以来の東西関係をも反映して厳しい状況がありますが,欧州と同様両国はお互いに引越しできない隣人同士であり,日本としては情勢が厳しければ厳しいほど忍耐強く対話を維持強化していくことが極めて重要であると考えます。

 (開発途上国との関係)

 第5は,開発途上国との関係についての選択であります。

 我が国は,百年前は開発途上国であり,ようやく最近,先進工業国に成長し,アジアから唯一のサミット参加国,あるいはOECD加盟国となりえた国であります。この過去の状態を忘れずに,途上国に対して経済・技術・文化面で協力するということが,日本人の良心の一部となっています。

 現在これらの諸国は,いわゆる非同盟に属する国が多いのは事実でありますが,それぞれに性格は異なり,民族主義,反大国主義,反植民地主義や,独立の保持,あるいは,内政不干渉等の表現に示される発展への願望を,非同盟,中立という言葉にこめていると解釈すべきであります。

 私は,かねてから,「南の繁栄なくして,北の繁栄なし」と申してきました。南の諸国の発展のためには,資金・技術を円滑に供給し,資源の相互交流を図るとともに,特に技術の移転,経営管理の改善,専門家の要請,熟練要員の研修などのような人的要素を重視した協力を行うべきであるというのが我が国の考え方であり,今後とも,この面の協力を強めていきたいと存じております。

 (自由世界の選択)

 私は,次に,自由主義諸国が,世界の平和と繁栄をはかっていくために取るべき選択について申し述べたいと思います。

 (核軍縮と東西関係の打開)

 まず,第一に,いま世界人類の最大の問題は,いかにして核戦争を防止し,世界の平和を維持するかということであります。我々は今後絶対に,再び世界大戦をおこすようなことがあってはなりません。これは選択の余地のない問題であります。

 今日の世界の平和は,米ソ間の超弩級核兵器の対峙の下,均衡と抑制によって,からくも保持されております。我々はこのダモクレスの剣の下の一日一日の平和から一刻も早く抜けでて,人類の未来を恒久的に確実なものにしなければなりません。そのためには,核軍備について,有効かつ現実的な管理縮小の方式が合意されねばなりません。

 自由主義陣営は,これに対応できる短期的及び長期的視野に立った柔軟な共同戦略を必要としています。徒らに卑屈になることなく,また神経質に硬直することなく,軍事面のみならず,政治・経済・文化・人的交流等各側面に視野を拡げ,最終的な平和共存をめざして,根気づよく対応すべきであります。

 (西側の結束)

 第二の選択として,こうした対応の大前提となるのは,西側諸国が結束し,それを崩さないことであります。

 自由民主主義の世界にはいつも議論や論争や摩擦は絶えないでありましょう。それらは発展と進歩への重要な栄養分であるからであります。しかし,東西期の現実問題対応の場においては,一旦共同で決められた方針については,結束と協力をもってこれを守りぬく事が絶対に必要であります。パートナーとの間に情報の交換,相互協議を行いつつ進めることが必要であります。

 昨年末パーシングII,巡航ミサイルの展開が始められて当面の対ソ対応策の一石は打たれたのであります。

 INFやSTART交渉については,最近,巷でアメリカ大統領選が終わるまでは,ソ連は,交渉に応じないという観測が行われております。これも想像されるところではありますが,国際関係は冒頭に申した通り,「一寸先は闇」であります。我々は,いつ何が起こっても不思議ではないという事態の下で,団結の強靭性を維持しつつ,共同して繰り返し相手に対して平和と交渉を積極的に呼びかけるべきだと思います。

 (地域緊張への対処)

 第三に,イラン・イラク紛争や,レバノン問題,朝鮮半島等当面する地域的動乱や緊張状態に如何に対応するかが大きな問題であります。これらの動乱や緊張状態は,単にその地域の人々に苦痛と犠牲を強いるのみならず,イラン・イラク紛争に絡む湾岸の安全航行の問題が,直ちに我が国など,西側諸国にとって大きな影響を及ぼすことに見られるように,重大なグローバルな意味合いを持つと言わなければなりません。しかも,東西の緊張が増大している昨今の情勢においては,紛争や緊張は,容易に東西対決にまで拡大する可能性があります。

 イラン・イラク紛争はすでに多くの人命と貴重な資源を犠牲にし,世界平和への重大な脅威となっており,差当っては何よりも,紛争のこれ以上のエスカレーションを食い止めるため緊急の国際的努力が要請されています。

 朝鮮半島における情勢は引き続き厳しいものがあり,昨年のラングーン事件の如きテロ行為が,非人道的な,許されない行為であることは言うまでもなく,緊張を激化する危険をもたらすものであります。

 情勢の改善のためには,南北両朝鮮間の実質的対話を進めることが何よりも肝要であります。このため,双方の当事者の意志を尊重しつつ,両者間の対話の結実を図るよう,一方ずつ緊張を緩和し,関係国の協力的措置により,長期安定への保証確立のための環境整備が図られることが望ましいと思います。

 (世界経済活性化の努力)

 経済面に目を移しますと,ここでも経済力の分散と相互依存が高まる中で,我々の共同対処を必要とする分野が拡大してきております。これが第四の選択であります。

 戦後の国際経済秩序の特色は,IMFやガットの基本枠組みの上で,各国がきわめて外向的,開放的政策を展開する国際化にあると思います。その環境の中で自由主義経済のエンジンは完全に全開し,史上最高の物質文明を開花させました。いま我々は,経済体制の比較において社会主義体制より優位にあるという確信をもってよいと思います。

 しかし,近年にいたり,先進国経済では,成長鈍化や財政赤字,高金利,失業の増大,インフレの昂進が重大問題となり,各国はその対応に追われて,ややもすれば,自国経済のみに目を向ける内向的閉鎖的な態度にのめり込む危険をはらんできております。また発展途上国においても,累積債務問題にみられるように、その発展政策は大きな行きづまりを来たしております,これらの諸問題は,その対応を誤れば,戦後の経済秩序が全体として崩れ去るような深刻さをもっていま我々に迫っています。

 我々は21世紀に目を向けて,自由主義経済体制に新しい活力を吹き込まなければなりません。

 そのためには,各国間の自由な経済交流の体制を維持,拡大することが不可欠の要件です。自由貿易体制は,各国の不断の努力によってのみ維持されるものであり,今回のロンドン・サミットにおいて,ケネディラウンドや東京ラウンドに次ぐ新ラウンドへの準備の緊要性が確認されたことは,極めて重要な意義を持っていると考えます。私達は保護主義に対し不断の努力を続けなければなりません。今回提案された新ラウンドは車を押して坂道を登るのに似ています。一刻でも力を抜くと,車はずり落ち自由貿易は保護主義に後退してしまいます。また貿易面にとどまらず,各国間の産業協力,構造調整を推進し,さまざまな国籍を有する企業が,多様な提携関係を作り上げていく努力が必要な時代になっていると考えます。

 さらに自由主義経済に新たなる革新の高まりを実現させるためには,科学技術の発展に対する協力を強めることが必要です。私は現在,世界は新しい技術革新の時代に突入しつつあると考えています。私は,この動きを全体として高度情報社会の到来として把え,21世紀に向けて新しい人類文明のフロンティアを展くことができると革新しているのであります。

 (途上国への対応)

 さて,自由世界の選択の第5として,他の選択に優るとも劣らない重要性を持つ発展途上国との対話と協力関係があります。

 先進諸国は,何よりも,まず,人道主義の観点から,開発途上国の福祉や民生安定やインフラストラクチャーの整備等に協力し,地球上のより多くの国々と有効協力関係を維持し,世界の平和と繁栄を維持していかなければなりません。

 われわれは,サミット自体がややもすれば一部の国から,金持ちが自分たちの優位性を保持するために集まるクラブだという批判を招きがちであることに留意する必要があると思います。こうした誤解は払拭しなければなりませんが,たしかに先進国と途上国の利害が矛盾する場合は少なくありません。債務累積国の問題を取り上げても,直ちに先進国は二律背反におちいります。自国のインフレをおさめるために金利を引き上げようとすれば,それは債務累積国の首を締めます。あるいは債務累積国の輸出を盛んにするために協力すれば,それらの物質の輸入によって,自国の国内産業が痛められるという結果を引き起こします。

 開発途上国,就中,中東,アフリカ等の地域に多くの歴史的経験を有している欧州からは,日本としても,これら地域への協力と安定の方途について学び,共に連携を進めるべき余地が多いと考えます。

 「南の発展なくして北の繁栄なし」と私は先にのべました。正に現代世界はそのような運命的連帯と相互依存の中に共生していることを,我々は明確に自覚すべきでありましょう。

 (サミットの充実)

 最後に,先進国首脳会議の在り方についてであります。サミットは従来より経済問題を中心として運営されてまいりましたが,最近の国際情勢を見ると,経済の繁栄を維持していくため,その基礎である平和の維持・安全保障政策が重要な問題として登場しつつあります。私はサミットが,対象の変化やその重要性の流動に応じて,適時,適応力をもって対処して行くことは当然だと考えます。

冒頭に申しましたように,何が起きても不思議でない,シナリオを無限に描き得る現代にあっては,共通の価値の護持のために集まったこのサミット構成国が,熱情をもて,常時会合し,話し合うと言うだけで大きな政治的意義と影響があるでありましょう。構成国の共通価値護持に対する共同の決意は,ありきたりの同盟条約よりも強い意義があるものと信じます。

 同時に我々は,できるだけ少人数で首脳同士が率直に話し合う場というサミットの性格をまもって行くべきでありましょう。また,これを補完するため,首脳レベルのほかに,閣僚や専門家レベルで必要に応じて随時,重要な国際問題について連絡,協議が行われることが有意義であると考えます。サミット構成国はこれまでにこうして石油危機やハイジャック,テロ問題等について強調を図り,成果を上げて参りました。

 (結 び)

 御列席の皆様,

 私は,日本の選択と自由世界の選択について申し述べました。折角与えられた機会でありますので,西欧の諸賢を前にして欧州とアジアの戦略面から見た違いについて,私の印象を申し述べたいと存じます。その違いは,工学と医学との違いにも例えられます。

 まず,アジアから見ますと,私は,昨年来,韓国,ASEAN諸国,中国,パキスタン,インドとこの地域を歴訪いたしましたが,そこで改めて実感いたしましたのは,地政学的な特性に加えて各国の個別性,言いかえるならば,アジア全域のかかえる多様性,文化的異質性と地域的隔離性であります。そこには,米国との同盟関係の国もあれば,非同盟を標榜する国,独自の道を歩もうとする共産主義国家もあります。また,過渡的な軍事政権の国もあれば,完全な議会制民主主義国家もあります。

 さらに宗教的土壌も,仏教,イスラム教,ヒンズー教,キリスト教,儒教等とさまざまであります。しかも,一つの国をとってみても,有力な宗教が三つも四つもあり,また,民族や言語も多岐であるところが少なくありません。国と国との関係で見ても,同じ仏教だから友好的だというわけでもなく,体制が異なるといって対立しているわけでもありません。そしてアジアの東から西へは数千キロの距離があり,その中には,島嶼群,大陸,半島,山脈,砂漠,海洋等様々な地形と気候が群居しています。

これに比べますと,欧州では,キリスト教文明における同質性と地域密着度でアジアと画然と異なり,又第二次大戦後,大陸は明確に西と東に分断され,現在の両者間の政治的・軍事的対立は,極めて鋭く,深刻であります。その苦悩は,第三者の安易な論評を許さない厳しさがあります。勿論欧州においても中立国や非同盟国もあり,信条・民族の違いはありますが,アジアにおける関係ほど複雑ではないように思われます。

 アジア諸国の個別性はさまざまなそれぞれの歴史,独特に形成された文化に支えられています。そこでは,物事を白か黒かに分けて,どちらかを選択することを迫るという発想は必ずしも有効ではありません。多様な個別性を,あるがままに認めあうことが多くの人々の支持する思考様式であります。すなわち,多様性の平和的共存,話し合い,コンセンサス作りへの妥協と融合,個の分立より全体の統一的把握等に,アジア人の思想及び行動の特色があると思います。したがって,アジア地域内部において紛争が発生した場合,その地域の歴史を背景とした社会心理学的,地政学的,文化人類学的,宗教学的,その他複雑な要素を勘案した,総合的,かつ柔軟な対応を優先することが必要となるのであります。

 御列席の皆様,

 それでは,このように異なる東洋と西洋は,やはりついに相容れぬものなのでしょうか。私は,決してそうは思いません。最近の交通通信手段の発達,マスメディアの進歩,それに伴って生じている物凄い情報量の相互交流と相互影響の活発化の状況を考えるとき,もはや,一言で東洋とか西洋とか厳格に区分けしなければならぬ時代は過ぎ去りつつあるように感じられます。今の欧州がこれまでの欧州ではないように,アジアもこれまでのアジアではありません。欧州もアジアも,それぞれの地域が新しい独自のアイデンティティーを生もうとしている時代に入ったのではないでしょうか。

 現に我が国民は,古くはインドや中国から,近世は西欧から,そして第二次大戦後は米国から圧倒的に多くを学び,吸収してきました。我々日本人は,その一切を否定することなく受容し,融合することによって一つの独自な文化を築いてきたのです。

 欧州にも,今やアジア太平洋に興味と関心を持ち,そこの伝統的精神文明や社会から何かを学ぼうとしている人々は増えているのではないでしょうか。

 このような観点から,私は,今,日本は再び新しい世界歴史の局面に立って西欧と新たなる最結合を図り,もって世界の平和と新しい文明の創造に貢献しようと決意しております。

 我々の住んでいる今日の世界は,種々の不幸や障害や困難に苦しんでおります。しかし世界は一つであり,人類はこの一つの世界に生きなければなりません。これが東洋の哲学であり,私の信念でもあります。

 ありがとうございました。